惚れ薬狂想曲
「いい、都子。保育園からぼっちだなんて笑えないわ。友達を作りなさい。作り方が分からない? 一人の子を狙えばいいのよ」
幼稚園入園の朝、母は私、辻村都子にそう言って友達の作り方を示唆した。わざわざこんな風に言うというか言えない母、ぼっちだったのだろうかと今にして思う。が、小学校入学前に交通事故で死んでしまったので真相はもう分からない。
ともかく、当時はバカがつくほど素直な幼児であった私は、鵜呑みにして幼稚園のクラスへと向かったのだった。
◇
その日、保育園ではちょっとした騒ぎになっていた。園前に不釣合いな高級車が止まっている。その主である母親は誰もが知る有名会社の社長の妻らしい。それを知った全員が、そんな人が何故こんな普通の保育園に通うのだろうと思っていた。高級車から降りた母親は我が子と、数日違いで生まれた部下の子を園に託したのだが、その際に近くの主婦に「もっといい幼稚園とかあったんじゃないですか? ここは良い所の子が通うには、セキュリティとか心配なような……」 と言われてこう答えた。
「だって、私はここに通っていたのだもの。私は玉の輿に乗ったからって、庶民の心を忘れたりしないわ。情操教育の一環として我が子もここで通わせるの。代々夫の部下をやってる一族の子も一緒に連れてきたから心配いらないし」
場の微妙な空気をものともせず、母親は良いことを言った、と言わんばかりの笑顔で去った。
せめてその子供が普通なら、ちょっと変わった人とその子供さんで済んだ話だったが、あいにく子供は暴君だった。
人の玩具を横から取る、女の子を苛める、すぐ手足が出る。あの母親の子、北岡一輝は三十分でぼっちになった。
保育士も母親の身分を思えば何とかしてやりたいのはやまやまだったが、泣かされた数多くの子供の対応に追われて何もできない。目付けのつもりで母親が連れてきた子、河上淳はというと、一緒にやってきた子というだけで、本人は大人しい性格であったが、周りから恨まれて集団に連れて行かれ、一輝の代わりに小突かれていた。
家で王様のように育った一輝は、初めての孤独感を味わっていた。そこへ今まで部屋の隅にいた都子が、あれがお母さんの言っていた子かなとてちてちと寄ってきた。
「どーしたの? ねえ、よかったらみやことあそぼー」
都子は恩を仇で返されたと思った。あの日、都子がにこやかに話しかけた一輝は、真っ赤になったあと髪を引っ張ったり玩具を投げつけてきたりした。孤高の帝王のプライドを傷つけたのかもしれない。苛めはそれだけで済まず、豹変に驚いて逃げる都子の服を引っ張って盛大に破いてしまった。結果、大勢の前で都子は半裸になった。もっとも、保育士と幼児しかいないから犯罪になるようなことはなかったけど……。
それでも保育士はさすがに無理だと判断したのか、すぐに「これ以上は責任を持てません」 と一輝の家に連絡。この保育園に預けるのはあの母親の独断だったのか、何と翌日に転園。その数ヵ月後にはあの母親は離婚されたとママさん達の間で噂になった。
入園初日から半裸の子とあだ名されることとなった都子は、一輝がいなくなったことで悪夢でも見たと思うことにした。が、数年後の小学校入学の時、式で一輝の姿を見た。忘れてるだろうと思ったが、そうではなかったらしい。目付け兼友人の淳は、とても小一とは思えない態度ですれ違う時にこう言った。
「ご愁傷様」
私は彼にとって、面白い玩具だったのだろうか。それからの小学校生活は悲惨だった。
「都子ちゃん、私ねー、一輝くんと付き合うことになったのー」
なけなしのコミュ力で作る友人がみんな一輝の彼女になった。イケメンで金持ち、勉強も運動も出来る一輝に「付き合ってくれない?」 と言われれば、誰もがすぐにOKした。
「彼氏が出来たから、都子ちゃんとは今までみたいにいかないよ。でも都子ちゃんに彼氏が出来たら、私応援するから!」
そう言って、みな友人よりも彼氏を優先させた。都子のメールにも一切返信しないで、生活の全てが彼氏優先。でもそうすると、決まって一輝はこう言って突き放すのだ。
「お前、つまんないからもういい」
そう言って見向きもしなくなる。棄てられたと知った都子の友人達は、何故か都子に当った。
「一輝くん、いっつも都子のこと話してた。人をバカにするのもいい加減にして」
そういう苛めをしているんだ、と都子は思った。一度でも一輝と付き合った女子は二度と都子と仲良くならない。小学校で都子はぼっちを味わい尽くした。一輝がグループ学習や遠足の時などは淳と一緒になって、「仲間に入れてやってもいい」 みたいに言ってきたが、全無視した。一人になっても授業を続けた。遠足は先生と行動した。
私が何をした。意地でもあいつらの手は借りない。そんなにあの時、手を差し伸べたのが嫌味だったか。二度とやらないから、私に普通の生活を返してほしい。
お坊っちゃんのくせに、一輝は中高と私と一緒の学校だった。実は頭そんなに良くないんじゃ……と疑ってしまう。真実はどうあれ、それは私のぼっち生活が続いたことを意味する。
高二の夏、私は周りが夏休みに浮かれるのを目にしながら、どうせ一人の夏休み……と植物のような心で家に帰った。
◇
家につくと、異臭がした。ああ、お父さんが帰ってるんだと思う。父親は研究員だった。薬関係でをいくつも開発に貢献したとかで賞を貰ってる。でも頭がいい人は大抵どっか抜けてる。
私の父は家事能力がマイナスだった。お皿は洗わない、脱いだものはその辺に置く、花を貰えば花瓶には入れるけど一度も水を替えない、放っておけば着替えもしない等。母親が小学校前に死んでからいよいよ加速した気がする。
その前まではよく家にいた記憶はあるけど、最近は研究室に寝泊りしてる。だからたまに帰ってくると汚くて臭いから分かる。父の部屋にいくと、机に突っ伏して寝ていた。
「お父さん! もう、帰ったらまずお風呂入ってって言ってるでしょ! 聞いてるの……!?」
ちょっとゆすっただけで、父は机から崩れ落ちた。口からは変な水が出ていた。
気がついたら病院で、死後数時間だと医者に言われていた。
私はショックで部屋に閉じこもるだけだった。どうせ父も母も身寄りがいないし、式とか必要ないし、今は何もする気になれないし……と父と二人、家で物思いにふけっていたら、何とあの一輝がしゃしゃり出て、遠縁を探し当てて式の準備を整えた。
私はかっとなった。誰がそんなことやれと言った、こんな時まで人を馬鹿にしたいのか、と言い募った。そうしたら、淳に顔を叩かれた。
「お前が何もしないから、一輝様がやろうとしているのに。仏をいつまで部屋に置いておく気だ? 夏場なんだからドライアイスでも持たないぞ」
どうしてただ悲しませてもくれないの。一輝は淳に怒っていたけど、どうせポーズだと思う。私は二人がますます嫌いになった。
◇
式が終わって数日後、父の部下だった人が尋ねてきた。
「自分に何かあったら、これを娘に渡して欲しいとのことだったので」
そう事務的に言って小さな箱を渡したあと、彼女はさっさと帰った。「じゃ、ちゃんと実行しましたから」 とだけ言って去る女性を見てると、命令に忠実だから頼まれたんだろうなと思う。ともかく箱を開けると、中には小瓶と、手紙が入っていた。
化学式以外は汚い父の字を何とか解読する。要約すると
『都子へ。この手紙を見たということは、私に何かあったのだろう。知っているだろうが、私にも妻にも親戚らしい親戚はない。お互い孤児同然の身だった。それでもお前が成人するまでは絶対に生きようと思っていたが、最近、身体が思うようでない。母には早くに先立たれ父にも、と思うと、いてもたってもいられなかった。研究員の目をごまかして、私はある薬を作った。簡単に言うと、惚れ薬だ。これを飲むと、飲んでから最初に見た人間を強烈に意識するように出来ている。これでいい人をつかまえなさい』
……いい話、なの? いやダメだよね。それなら頭がよくなる薬とか、お金になる薬とか、色々もっと残せるものがあったんじゃなかろうか。それに研究員の目をごまかしって部分。……父の研究って、確か一輝の会社からお金出してもらってたような。まさか、それ着服とか横領とかいわないよね? 思わず、葬儀終わらせといて良かったと思った。いや、ちゃんと調べれば死体の有無とか必要ないと思うけど、もう身寄りもないし、少しでも隠蔽したいし。ばれてないよね?
それにしても、惚れ薬とか。やぱりドッキリ疑うよね。何かで実験してみようかな。でもあまりにもあんまりな薬だし。犬とか猫には可哀相だから……。
部屋を見回すと、家庭内害虫ホイホイが目に付いた。お父さんがすぐ汚部屋にしたから、害虫くらいでもう騒がない。中にはまだ生きてるのがいた。私は粉状の薬を害虫の前に置く。
やってから思ったけど、ホイホイにいるのにどうしろっていうんだろう。それに人間以外にも効くのか分からないし。父のあまりにもおバカな遺言で、私も混乱しているのかもしれない。私はお風呂に入って寝た。
その夜、やけに髪が邪魔だった。手とか顔とかにまとわりついて気持ち悪い。ちゃんと乾かしてなかったかな。それにしても、私の髪ってこんな感触だったっけ……。
◇
天才である父の薬を疑うなんて私がバカだった。これは偉大な発明だ。私は父の娘として、今度こそ有用に使う義務がある。
新学期初日、いつものようにぼっちで登校する。教室では、あの二人がいつものようにからかってきた。
「よう都子。今日もブスだな。それにしても、俺が父親のスポンサーの縁で葬儀やってやったんだから、お礼くらい言ったらどうなんだ?」
「一輝様、それくらいに……。言えるものも言えなくなってしまいます」
頼んだわけでもないのにこの態度。私の心は決まっていた。
どっちでもいいから飲ませて、二人の仲をぶっ壊す。手ごろな人がいたらその人に飲ませようとも思ったけど、こいつらがいる限り会うことも叶わないかもしれない。
その日の放課後、二人の荷物の脇にどっちのか分からないペットボトルが置かれていた。よくある熱中症対策のスポーツドリンク。今日も三十度越えてるからね。
……周りに誰もいない。チャンスだ。私は素早く蓋を開けて、惚れ薬を流し込む。直後、二人が戻ってくる。
「進路なんてとっくに決まってるけど、それでも形だけでも指導受けないといけないとか面倒くせえ」
「仕方ありません。庶民の通う高校ですから。ん? 辻村さん、そこで何を?」
慌てて取り繕う。
「見てただけよ。戻ってくるのが遅かったら、蹴ってやってたかもね」
「……一輝様に大恩ある身でよくもぬけぬけと……」
「鞄なんて買えばいいだろ、それより行くぞ淳。姉の誕生祝いで今日は忙しい」
「はい、一輝様」
女の子達には「恋人にするならお金のある一輝様、結婚するなら我慢強い淳くん」 とか言われるだけあって、淳はよく訓練された友人だ。その淳が、鞄を持ち、続いてペットボトルを持って――飲んだ。
「あ」
「ん?」
一口飲んで、思わず声をあげた私のほうを見た淳。……そうか、淳だったか。何となく、こういうのは淳のほうが飲まなそうなイメージだったけど。飲んだ淳は、見る見るうちに顔色を変えた。そのうち見ているのが恥ずかしくなったのか、目をそらした。その光景に疑問を持った一輝は思わず不快感を露にして二人に言い掛かりをつけた。
「なんか、良さそうな雰囲気だな。お前らって付き合ってたっけ?」
淳が違う、という前に、都子がそれに乗っかった。
「そうだよ。ね?」
「! それは、そんな事は」
頭では違うと思っていても、それを嬉しいと思う心を隠せない淳の様子が、都子を調子に乗らせる。二対一だ。気分がいい。考えてみれば淳に飲ませたのは正解かも。一輝より暴走しなさそうだし。
「嘘だろ、いつから、そんなの聞いてない……」
肯定する都子、完全な否定はしない淳。部下兼友人の裏切りに、可哀相なくらい動揺する一輝だったが、都子は追い打ちをかける。
「嫌われてるんでしょ。いつも偉そうにしてるからよ」
楽しそうに言う声が一輝の怒りを引き出した。思わず都に殴りかかろうとする。が、殴ったのは庇った淳だった。
頭では分かっていた。好きなんだからそりゃあ庇うだろうと。しかし実際庇われると、長年ぼっちだった都子は思わずときめいた。心の底から心配して「淳くん! 淳くん、大丈夫!?」 と言葉が出る。殴ってしまった一輝が、居た堪れなくなってその場を離れる直前、泣いていたのなんて気づきもしない。
「俺は、何で……」
自分で自分が理解できずにいる淳に、都子は言葉巧みに淳を誘惑する。
「やっと私の気持ちが届いたのね。私、前から淳くんが好きだったの」
「そんな、まさか。それでも俺は、一輝様の」
「でも、さっきだって庇ってくれた。そういうことだよね? それとも、私なんて嫌? 両親もいなくなって、淳くんにまで嫌われたら、私、死んじゃうかも……」
「それは駄目だ!」
慌てて都子の両肩をつかむ淳。
「心配してくれるの? 嬉しい……。父が亡くなってから、誰からもそういう風に言われたことなかったから」
どこまで真実なのか分からないが、そう寂しそうに言う都子の姿に『守らなければ』 『傍にいたい』 『誰にも渡したくない』 という感情が淳の思考を支配する。頭の奥底で、自分は何かに取り憑かれたようだ感じた。
翌日から、淳と都子が付き合ったことで学校は騒然とした。都子はうきうきと何でも言う事を聞く淳と恋人ごっこをしている。それを見て、みな気遣わしげに一人でいる一輝を見た。一輝はじっと淳を睨むだけだった。
都子が休み時間に席を外した際、一輝は淳に「放課後、お前の家に行くからな」 と伝える。
一人暮らしの淳の家に入るなり、淳は一輝に殴られた。淳は抵抗らしい抵抗はしなかった。殴られて倒れた際、玄関に飾ってあった花瓶が倒れて、辺りが水浸しになる。
「飼い犬に手を噛まれるとはこの事か」
今一番理不尽な思いをしているのは一輝だ、と理解していた淳だが、その言葉を聞いてふと影が差す。
お前、何だかんだでずっと俺を見下していたのか?
「思った以上に惨めにさせられるよな。大体淳、お前、俺に協力するって言ったよな? 都子のことタイプじゃないって言ったよな!? 何だよこの変貌ぶりは!! まさかスイーツ漫画みたいに惚れ薬を飲んだからとかバカなこと言わないよな?」
……まさにそうじゃないかと思っていた。あの時、都子がペットボトルに何かいれるのを見ていた。子供の愛情表現で酷い目にあっても、やり返したりしない数年だったから、どうせ苦い野菜の粉末だろうくらいにしか思わなかった。
見誤ったのは、確かに自分の責任だ。けれど、だからと言って、仮説が正しければ自分だって被害者なのに。
睨んでくる淳に、一輝は舌打ちして毒を吐く。
「あーもういい。この件に関しては親父に伝えるから。お前の父親がどうなるか見物だな」
「!」
淳の心中を気にせず、一輝はそのまま続ける。
「……最初から自分で何とかするべきだった。どうせあいつ、もう身寄りないし、既成事実つくれば一発じゃん。変な遠慮していたのがバカみたいだ」
そう言い捨てて、玄関を去ろうとした一輝。淳は焦る。
駄目だ、こいつをこのまま行かせたら、都子が!
後ろから淳が、落ちていた花瓶が割れる力で殴る。呻き声をあげて、一輝は倒れた。
しばらく呆然としていた淳は、周りの水に血が混じりつつあるのを見てはっとして声をかける。
「一輝様?」
返事はない。慌てて脈を診ると、止まっている。心臓マッサージ、いや、でも生きていたら都子が……。そんな中でインターホンが鳴る。こっちの心臓が止まるかと思った。一体誰が……。
「淳くん? 私、都子だよ。えへっ、来ちゃった。ねえ今日の宿題写させて?」
事の元凶がにこやかにそこに立っていた。愛憎のあまり逆に冷静になり、落ち着いて答えることが出来た。
「いいよ。でも少し待ってて。ちょっと今……」
「? うん、分かった」
しばらくして、鍵が開けられる。都子が中に入ると、真夜中のように真っ暗だった。少し先も見えない。どうしたんだろう?
「どうしたの? 電気切れてる? 淳くん??」
手探りで前に進もうとした次の瞬間、全身に強い衝撃を受けて都子の意識が途絶えた。
◇
「都子! 起きるんだ都子!」
淳の焦ったような声に起こされる。目の焦点が合ってくると、自分のすぐ脇によく知った人間の死体があった。死体だとすぐに分かった。一度見れば、それが本物かどうかすぐ分かる。あの時の父親の死に様が思い浮かんで、涙が零れた。
「つらい? そうだろうね……」
一人冷静な淳に思わず説明を求める。一体何が、一体どうして。
「わ、私……」
「落ち着いて。一輝は、君が好きだった。でも俺と付き合ったから、それでやけになって……尋ねてきた君を襲おうとした。俺は止めようとしたが、殴られてさっきまで意識を失っていたんだ。それでさっき起きたら、こんな状況で。おそらくもみ合っているうちに……」
後ろ暗いところのある都子には、それを信じてしまうだけの隙があった。もしかして、惚れ薬に気づいてた? 父の横領とかにも気づいてた? 友人を利用されて殺したくなった?
そして自分が殺人犯かもしれないと思うと、顔から色が失せる。
あ、明日からどうしよう。今は父の遺産で食いつないでいるけど。家、追い出される? 警察のお世話? この年でこんなことになって、どうやって生きていくの? 遠縁とかには期待できない。誰も助けてくれる人がいない。普通の人ならまだしも、一輝みたいなお坊ちゃまを……。親族に恨まれて拷問のすえ死んじゃうとかない? どうしよう、誰も助けてくれない。
パニック状態の都子に、淳は優しく囁いた。
「二人で隠蔽しよう。大丈夫、俺は一輝の行動パターンを把握してる。……お前が何を考えて何をしたのかなんて、もうどうでもいい。俺はお前を守る」
「淳くん……」
今の都子には、台詞の微妙な可笑しさに気づかない。そうだ、淳なら助けてくれる、と疑いもせずに感動している。
「守るよ、永遠に」