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シーナくんのつくりかた! 作者:すみやき(明日から休講です。)
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第三話 楽しいデートのしかた

 第三話 楽しいデートのしかた



「わんわんわん!」
 保健室をあけるとそこには……犬がいた。
「わんわんわんわん!」
 正確に言うと犬になった塙さんがいた。犬になった塙さんはだんだん近づいてくる。
「すみません。間違えました」
 ぴしゃりと保健室のドアを閉める。どうやら相当疲れているようだ。意味もなく深夜の通販番組を見続けるのはもう止めよう。
「わんわん。間違えてないわん!」
 犬が保健室のドアを開けて木津を見ている。こ、こいつしゃべるぞ?
「あ、わんわんわん」
 また犬に戻ってしまったようである。それにしても『あ』って何だ『あ』って。
「やあシーナ氏」
 保健室にはいつものように三十路がパソコンをいじっていた。
「やあ、先生。相変わらず三十路ですね。ごきげんよう」
「やあ、シーナ氏。あいかわらずゆとりですね。ごきげんよう」
 僕と三十路は相変わらずよくわからない挨拶をかわす。塙さんも相変わらずこのやりとりにツッコミをいれない。っていうかいれられないのか犬だから。
「ところでお宅は変わった犬を飼っていらっしゃるようですね」
「そうなんだ。あたしは『塙ちゃん犬』を飼ってるのだ」
「んで、なんで塙さんが『塙ちゃん犬』になってしまったんです?」
「こっちが聞きたいわよ」
 三十路が肩をすくめる。
「……もしかしてこのまえのことずっと引きずってるのかな? 塙さん」
「ん? 何? シーナ氏。塙ちゃんがなにかあったわけ?」
「えっと先週の金曜日に塙さんが僕のアパートに遊びにきたんですけど」
 そう、それは初めて塙さんが僕のアパートに来たときのことだ。

***

「シーナくん! 犬ってかわいいよね?」
 ちょうど夕食を何にしようか迷っている時だった。塙さんがいつものように変なことを言い出したのだ。
「犬ってかわいいなー。ね? シーナくん。かわいいよね。犬。ドッグ……。えっと犬! バウワウ!」
 塙さんはやけにハイテンションだ。ホットミルクを飲んで、眠ったあとだから調子がいいのだろう。
「犬ねえ」
 正直今は犬より夕食だ。
「かわいいよ。犬だよ。犬」
 はいはい、かわいいね。えっとチンジャオロースは昨日作ったし……。
「もっと私に興味を持ちなさい!」
 僕は塙さんに興味津々だぜ? えっとこのニンニクの芽っていつ買ったやつだっけ?
「聞いてよ。シーナくん。夕飯は逃げないよ?」
 まあ、そりゃ逃げないなあ。まだ作ってもいないから
「シーナくん、犬ってかわいいよね!」
 目をキラキラさせて僕の方を見る塙さん。これで「かわいくいない」って言ったら世界の終わりが来たといわんばかりの落ち込み方をするに違いない。
「まあ種類によるんじゃない?」
 とりあえず無難に答えておく。
「えーい。私がかわいいっていってるんだからシーナくんは素直にうんうんって頷いてればいいんだい!」
 どう考えてもうるさいのは塙さんの方です。本当にありがとうございました。
「それにしてもどうしていきなり犬なんて言い出したの?」
「これだよ。これ」
 塙さんは部屋の奥にあるテレビを指さしている。
「テレビがどうしたの?」
「あれ、あれ。あのわんこ」
 テレビでは一匹の白い犬が写っている。どうやら携帯電話のCMらしい。
「ねー。かわいいねえ」
 塙さんは心ここにあらずといった感じでテレビの中の犬を見つめる。
「そうかなあ」
 僕はどっちかというと犬より猫派なのである。猫のあの愛くるしい姿といったらない。学校の登下校で猫を見かけただけでもうその日はラッキーデーだ。
「ラッキーデーとかお前昭和生まれか!」
 ツッコミを入れられてしまった。っていうかそのツッコミの仕方はおかしくない?
「そりゃ猫もかわいいです。非常にぷりちーです。だけど犬のほうがもっとぷりちーです。エクセレントです。バイオレンスです」
 最後おかしいぞ。知ってる英単語並べとけばいいわけじゃないからな? 確かに暴力的な犬もいるかもしれないが……。がおーって感じの。
「というわけでシーナくん」
「何?」
 この段階で塙さんの言いたいことはだいたい把握できた。
「わんこを飼い――」
「却下」
「全部言い切る前に否定するなよ。ばかやろー。このやろー。ちくしょーめー。べらんめえ!」
 ずいぶんな江戸っ子だなあ。
「私は犬が飼いたいと存じ上げてきました」
 それは初耳でございます。
「それなのに被告シーナ氏はそれを否定した」
 いつの間にこの場は法廷と化したんだ?
「弁護人は言動に気をつけなさい!」
 あれ僕、被告人のはずじゃあ。
「判決 死刑」
 いやおかしいおかしい! なんで僕が死ななきゃいけないの? おかしいよこの裁判。「弁護人は黙ってろ!」
 裁判長口悪すぎだろ! って弁護人を死刑にするってこの国の司法制度はどうなってるんだ。
「罰としてシーナくんは犬を飼いましょう」
 死刑どこいった?
「これでシーナくん殺人事件裁判を終わりにします。きりーつ! 礼! ちゃくせーき」
 どうやら僕は殺されたらしい。なおかつ学級会と同じレベルでこの裁判の幕が閉じた。
「帰るまでが裁判です」
 言わねえよ。そんなこと。

***

「……ということがあったわけだ。わかった三十路?」
「なるほど。でその日の夕食は何だったんだ?」
 今までの話は興味なしかよ!
「いや夕食は大事だぞ? 何だ? 夕食嫌いか。シーナ氏は」
 いや嫌いではないが……。っていうか夕食は好きとか嫌いとかそういう問題じゃないような気がするんだが。
「たしかうずらの卵とタケノコとかその他もろもろが入ったやつだわん!」
 また犬が喋った様子。それにその料理には八宝菜っていう歴とした名前があるんだよ。
「んでシーナ氏。塙ちゃんはなぜ犬っぽくなってしまったのかね?」
「まあたぶん……ですけど。そのとき言ってたんですよ?」
「なんて?」
「『わんこが飼えないなら自分でわんこになってしまえばいいじゃない みつお』って」
「その結果がこれか」
 僕的には「みつお」の部分をツッこんでほしかったんだけど。
「まあいいか。別に困ることじゃないし」
 いや、困るだろ。常識的に考えて。
「じゃあ、シーナ氏。あとは任せた」
 パソコンの電源を落とした三十路は保健室から出て行くようだった。
「どこ行くんだよ?」
「見りゃわかるだろ! サボるんだよ!」
「えばることじゃねえ! 仕事しろ! 別に見てもそんなことわからないし」
「うるせえ! 日本人は働きすぎるんだよ!」
「お前は日本人じゃねえのかよ!」
「違うよ! ボンジュール。マドモアゼール。フレンチトースト!」
 意味がわからねえよ! フランスに謝れ! フランスに!
「じゃあ、アディオス!」
 そういって三十路が去っていった。もう追いかけるのは諦めている。
「それにしてもアディオスはポルトガル語じゃなかったか? フランス関係ないじゃん」
 まあ三十路にまともな言動を期待するほうが間違ってるんだけどさ。
「アディオスはスペイン語だよ」
 塙さんは即答する。どうでもいいことばっかり知ってるなこの犬。
「あ、わんわん」
 犬になっていたのを忘れていたらしい。
「さて……どうしようか塙さん」
「にゃにが? あ、わんわん」
 猫なんだか犬なんだかはっきりしてほしい。
「僕は今とても授業を受けるのがめんどくさいのです」
「あー、シーナくんの嫌いな音楽の授業だしね。わんわん」
「そこでですね。わんこさん」
「ん? なんだわん?」
 犬のようなくりくりの目で僕を見つめる塙さん。こんな犬なら飼ってもいいなとか思ったり思わなかったり。
「僕は授業に出ない!」
「それってサボりってことかわん?」
「イエス、アイドゥー」
「和訳すると『はい、私がドゥー』ってところだね」
 いや、その訳間違ってるから。
「まあ塙さんの英語力の問題は後回しにするとして……とりあえず僕はゆっくりしていくことにするよ」
 バッハの二重あごはもう見飽きたしな。あと今日はリコーダーの再テストらしいから一発で合格した僕は行く必要もないし。
「じゃあさあシーナくん」
「ん? 何?」
「あの……その……あのね」 
 急にもじもじしだす塙さん。どうやら犬になるのはもう辞めたらしい。
「デートをしませんか?」
 塙さんは小さな声で言った。たぶん言うのが恥ずかしかったのだと思う。
「……デート」
「う、うん」
 保健室のベッドに座って足をパタパタさせる塙さん。 それがなんだか子供っぽくて愛らしい。
「今から?」
「ん……今から。ね? いいでしょ」
 塙さんの口から『デート』なんて言葉がでるとは思わなかった。聞いてるこっちもなんだか照れくさくなってくる。
「……まあいいけど」
「やった!」
 塙さんはベッドの上でぴょんぴょんはね回っている。
 これから塙さんとデートするってことは学校をサボるってことだけど……まあいいか。幸い僕は掃除当番じゃないし、ちょうど予習してない授業ばっかりだし。スクールバッグは基本保健室においてあるから別に教室に戻る必要もないし。
「んじゃあ、デート行くよ! シーナくん」
「って塙さんはいいの? サボって」
 一応保健室登校の生徒だって課題があるはずなのだ。
「やっちゃったもん。月曜日に今週の課題全部!」
 課題は既にやってあって、担当の養護教諭がサボりか。それは学校にいなくてもいいな。
「んじゃれっつごー」
「いやちょっと待ってよ」
「シーナくん早く早く!」
 塙さんは見るからにうれしそうに僕を手招きしている。
 それにしても珍しいことがあるもんだ。塙さんがもう課題を終わらせてるなんて。
 いつも〆切に追われてひいひい言いながら課題と格闘してるっていうのに……。
 まさかデートに行くために早く終わらせて……。
「もう先言っちゃうよー」
「はいはい」
 まあ気のせいか。
 僕は塙さんを追いかけて保健室を出る。
 そうだよな。塙さんの目の下にはくまができてるのも、右手の親指が鉛筆の芯で黒くなってるのも気のせいだよな。

     2

「……これってデートなの? 塙さん」
「何を言ってるのかね。シーナくん? これをデート以外のなんというのかね?」
「普通さあ、デートっていったら遊園地行ったり映画見に行ったりするもんじゃない?」
「だね」
「でさ……。ここはどこ?」
「え? 何言ってるの?」
「とりあえず答えなさい。ここはどこですか」
「え? ここはシーナくんのアパートだけど?」
『それが何か?』といった顔でこちらを見つめてくる塙さん。塙さんが横になってるソファーは紛れもなく僕がいつも座ってるものだ。
 今日僕は塙さんとデートをしている。しかしここは遊園地でもなく、ましてや映画館でもない。塙さんとの初デートの場所は僕のアパートだったのだ。こうなった経緯を説明するには一時間前に遡る必要がある。

***

「で、僕たちはこれからデートに行くわけですが」
「ういうい」
 僕と塙さんは学校を出て人通りがないに等しい道を歩いていた。あとはデート先を決めるだけなのである。
「塙さんどこ行きたい?」
「シーナくんち!」
「……………………」
「ん? どうしたシーナくん。そんなに黙っちゃって」
 そりゃあ黙りたくもなるさ。
「いや、塙さん。僕たちこれから何するんだっけ?」
 まあ聞くこともないことだけどさ。
「ん? デートだよ? そんなこともわからんのか!」
 いやなんで怒られるのかがわからんのですが。
「そうその通り。僕たちはこれからデートをします。で塙さんどこに行きたいって?」
「だからシーナくんち!」
 どうやら僕の聞き間違いではないらしい。耳鼻科の先生の診断通りだ。
「それは僕の今現在住んでいる五畳のアパートを意味しているのかな」
「まあ簡単に言えばそうだね」
 難しく言ったとしても僕のアパートを意味することになるだろう。
「というかさ塙さん。君は先週僕のアパートに来たばっかりじゃないですか」
「あそこは何回いってもいいものです」
「はあ……そういうもんですか」
「そういうもんです! わんわん!」
「あ、さっきまで犬になってたの忘れてたろ」
「忘れてない! いいから行くの! シーナくんのアパート行くの!」

***

 まあ塙さんが行きたいって言ってるし、止める理由もないから、結局僕のアパートに来てしまった。まあお金がかからないからないし……。これはこれでよしとしよう。無事に彼女が僕のアパートに着いただけでも満足だ。
 今日の塙さんは僕の家に来る途中に泣き出したり、具合が悪くなったりすることはなかった。人通りの少ない道を選んだのがよかったのだろう。それでも何人かの人にすれちがったが前みたいに具合が悪くなったりすることはなかった。ただものすごく疲れたらしく今はソファーに横になっている。
 まあ遊園地とか映画館とかに行ったところで塙さんがいつパニックになって泣き出してしまうかわからない。だからこれはこれでいい場所選択だったような気がする。
「よし! 充電完了! シーナくんデートしよ」
 そう言って塙さんはソファーから起きあがる。
「ん? それは出かけるという意味で?」
「んにゃ。デートスポットはこのシーナくんちだよ?」
 ……。これはそのままの意味だよな? 僕のアパートがデートスポット?
「はい。シーナくん。デートだよデート!」
 そういうと塙さんは僕の手を握ってくる。塙さんの手は小さく、そして冷たい。
「へへっ……。デートは手をつなぐのだ」
 塙さんは笑って言った。頬は赤く染まっている。
 彼女の顔があかくなるのを見ていると、こんなデートも悪くないなと思った。
 僕は両手で塙さんの右手ぎゅっとを握る。いつか凍えて倒れてしまうんじゃないかと思うほど塙さんの手が冷たかったからだ。
 僕が両手で握ると彼女の小さな冷たい手がだんだん暖かくなってくる。
「ありがと」
「いえいえ」
「……シーナくんとりあえず座ろ?」
「ん」
 座るといっても公園のベンチに座る訳じゃない。座るのは僕が使っているパイプベッドである。僕と塙さんが座るとパイプベッドが少し軋んだ。
「えっと……」
 塙さんが何か言いたげだ。しかし彼女の口からは言葉が出てきそうにない。
 どうやら緊張しているらしい。いつもはあんなにすぐ思ったことを口に出すのに……。
「あの……シーナくん。ご趣味は?」
「は?」
「あの……ご趣味は?」
「映画鑑賞ですが」
 ジブリ映画しか見ないけどとりあえずそう答えてみる。
「そうですか。私は読書です」
「はあ。そうですか」
 ……て、なんだこれ!
「……デート」
「どんなデートやねん」
 思わず関西弁でツッこんでしまった。
「これじゃあ明らかにお見合いじゃないかよ」
「む……そうだよね……っていうかさ。シーナくん」
 手をもじもじさせながら塙さんが口を開く。
「デートって何すればいいの?」
 恥ずかしいのか、塙さんの顔がさっきよりも赤くなった気がする。
「デートしてる時って何を話せばいいの?」
「いや、普通にしてればいいんだよ」
 僕もわからないけど。たぶんそうだと思う。
「……ふつう?」
「そう普通に。別にデートだからって特別なことしなくったっていいと思うよ。僕もデートなんてした事ないからわからないけどさ」
「シーナくんも?」
 意外そうな顔で塙さんが僕を見つめる。
「……悪かったな。僕はそんなにモテないんだよ」
「まあそれはそうだろうけど……」
 あれ、おかしいな。目から液状のものが……。わーい。なんだかしょっぱい!
「高校生の男の子ってデートのひとつやふたつは経験してると思ったよ」
「まあそういうやつもいるけどさ」
 そういうやつは少数派だったりする。少数のモテる男子高校生がデートしてる間に、多数の非モテ男子高校生はゲームをしている。悲しいかなこれが男子高校生の現実なのだ。
「とりあえず僕達はデートの仕方がわからないから、僕たちなりのデートをします。OK?」
「……えとOK」
「おし、とりあえず僕たちはディナーと行きましょう」
「ディナー?」
「とりあえず、塙さんはそこに座ってて」
「シーナくんは?」
「ディナーの準備」
 そう言ってから僕は台所へ向かった。

***

 ぶっちゃけて言うと僕はデートというものを経験したことがない。だからデートというものがどういうものかがわからない。とりあえず一緒に遊園地や映画館に行けばいいんだと思ってた。
 ただ今日塙さんと一緒にデートをすることになってからずっと考えていた。なんでデートなんかするんだろう。一緒にアトラクションに乗ったり、映画を見る。それがデートの目的なのだろうか。
 なぜデートをするのか。その答えはその人と一緒にいたい、これに尽きるのではないだろうか。別にその人とアトラクションに乗りたいわけじゃない。映画をみたいわけじゃない。好きな人と一緒にいたい。ただそれだけ。世間一般に言われる高校生のデートは僕達はできないかもしれない。
 ただ遊園地や映画館にデートに行く男が思ってることと、アパートでデートをしている僕が思ってることはたぶん一緒だと思う。
 その人が好きで、ずっと一緒にいたい。
 だから場所はどこだっていい。アパートだっていいんだ。もちろん遊園地や映画館だっていい。
 僕は塙さんと一緒にいることができればそれでいい。それができれば今日のデートは大成功だ。



「おーオームラーイス!」
 僕が本日のディナーであるオムライスを机に運ぶ。オムライスを見た塙さんは嬉しそうに微笑んだ。この笑顔を見れただけで今日一日生きててよかったって思う。
「そうです。オムライスです。私が丹精をこめて作りました」
「それはお疲れ様です」
 塙さんはぺこっとお辞儀。その時に塙さんの黒髪がさらりとゆれる。
「いえいえ、ではいただきます」
「はい、いただきます!」
 そう言うと塙さんは口いっぱいにオムライスを頬張った。いつもだったら行儀が悪いとか注意するかもしれない。だけどこんなに嬉しそうに自分の作ったものを食べてる人に向かって何を注意できるだろうか。
「ん……おいふぃい!」
「それはよかった」
「ん? シーナくん食べないの?」
「食べるよ。ちょっとお腹が空いてないだけ」
「ふーん。けどオムライス食べなー。おいしいよ?」
「はいはい」
 お腹が空いてないなんて嘘だった。本当はとてもお腹が空いていた。だけど彼女のおいしそうに食べる姿を見てると空腹もどこかへ行ってしまう。
 少しでも長く塙さんを見ていたい。
 その一心で僕は食べるのも忘れて塙さんをずっと見つめていた。

***

「はーい。というわけで富山県のラジオネーム『北里柴三郎大好きっ娘』さんからのリクエストで今週第七位『とりあえずお前は服を着ろ』をお送りしましたー」
 僕が夕食の洗い物をして戻ってくるといつのまにか部屋がラジオ局と化していた。DJはもちろん塙さん。それにしても今日の塙さんはノリノリである。
 それにしてもなんてラジオネームだよ。あとそんな歌流すな。
「はーい。それではお便りのコーナー!」
「ちょっと塙さん」
 とりあえずここは一旦彼女を止めておくことにする。
「なんだよー。いきなりー。さてはシーナくんクレイマーだな? クレイマーシーナくんだね」
 まあ僕に与えられた意味不明な肩書きは置いておいて……。
「クレームはおとといきやがれ!」
 いや意味がわからないんですが。
「で……何やってるの? 一体全体」
「見てわからんのか?」
 わからんから聞いているんだが。
「今は『シーナくんちゃんねる』の生放送中なの! 急に中断はできないの」
「……はあ。そうすか」
 今の会話は中断にはいらないのか? という疑問はこの際放っておこう。
「はいーというわけで今週もお便りを一杯いただいていまーす。ありがとーみんなー」
「……」
「そこのシーナくん! 黙って見てないで相づちでもうってください」
「うんうん」
 ていうか本当にそれだけでいいのか?
「うん、それでいいよ。シーナくんは今日は監督なのです」
 プロデユーサーって言いたいんだと思う。たぶん。
「はーい。では最初のお便りでーす。東京都のラジオネーム北里柴三郎さんからでーす。ありがとー」
 どんだけ柴三郎押しだよ。
「僕は最近、細菌の研究に凝ってるんですが――」
 まさかの本人! っていうか細菌の研究に凝ってるとかそういうレベルじゃねえだろ! 細菌の父とまで言われている人だぞ。一応。
「くふっ……。『さいきん、さいきんのけんきゅう』だって……」
 別におもしろくも何ともねえよ! そもそも自分で言って自分でうけてるんじゃねえ!
「――で結局卵とひよこはどっちが先なんですか?」
 医学者にあるまじき質問だな。結局細菌関係ないし。
「う~ん。どっちなんでしょうねー。はい、というわけで今日は四万十川料理大学教授のシーナくん教授に来てもらいましたー」
「……僕?」
「そう僕」
 僕はいつのまにか四万十川料理大学教授になってしまったらしい。つーか何だよその大学。
「教授……実際のところ……どうすか? 最近?」
 どうやらインタビュアーに致命的欠陥があるらしい。
「どうすか? って言われてもねえ」
「なんだよー? ゆとり教育の弊害?」
 仮にも大学教授になんてこと言うんだ。そもそも自分は違うのかよ。
「卵とひよこどっちが先なんすか!」
「っていうかそれを言うならニワトリと卵じゃない? ひよこと卵ならそれは卵が先だろ?」
「……はい! というわけでラジオネーム北里柴三郎さん。問題の出し方が違ったみたいですよ?」
 お前のせいだ。お前の!
「あーなんだかのど乾いちゃった。シーナくん教授。なんか飲み物ちょーだい!」
 ゲストの扱い悪すぎるだろ。
「いいから飲み物~。あれがいい。ホットミルク。はちみつ入れたやつ」
「……はいはい」

***

 僕は台所に行く。そしてカップに牛乳をそそいでレンジでちん!
 それにはちみつを加えて――。って……。
「あの……塙さん?」
 僕はホットミルク作りを一旦中断する。
「あの……抱きつかれると僕がホットミルク作れないんですけど」
 僕がホットミルク作りを一旦中断した理由。それは塙さんがいきなり後ろから抱きついてきたのだ。また塙さんはふざけて――。
「……シーナくん」
 塙さんは小さな声で僕の名前を呼んだ。どうやら彼女はふざけて僕に抱きついてきたわけではないらしい。
「ひとり……いやだ」
「ひとりじゃないよ。僕がちゃんといるじゃないですか」
「でも怖い」
 塙さんは答えるとさらにぎゅっと抱きしめてくる。彼女が震えているのが背中から伝わってくる。本当に塙秋穂は怖がっているのだ。
「僕と塙さんは同じアパートの中にいるじゃないですか。大丈夫ですよ」
 ううん、と彼女は首を振った。その時に彼女の頭がぐりぐりと僕の背中を押しつける。
「けど……シーナくんがどっかにいっちゃうかもしれない」
 塙さんの声はだんだん小さくなっていく。
「僕は……塙さんをおいてどこにいくつもりもありませんが」
「私が好きな人……いなくなっちゃう」
「…………」
「パパもママも弟もみんないなくなっちゃった」
 僕は何も言わなかった。いや何も言えなかった。
 僕は知っているのだ。なぜ塙さんが恐怖を感じているかを。そして彼女の前からいなくなってしまった人たちのことを――。



 塙さんの家族はみんな亡くなっている。僕がこのことを聞いたのは初めて塙さんと顔を合わせた日のことだった。塙さんをアパートに車で送り、僕に質問を繰り返した後、三十路は彼女の生い立ちについて僕に話してくれたのだ。
 今から一二年前、一台の乗用車が飲酒運転のトラックに追突された。乗用車に乗っていた家族三人は一人残らず死亡した。家族は車で近所の公園に長女を迎えに行く途中だった。そして長女を乗せて家族みんなで夕食を食べに行く予定だった。
 幸運にも死を免れた長女の名は塙秋穂。残酷にも稲穂が頭を垂らす秋におこった事故だった。
 しかし、彼女はもちろん自分が生き残ったことを幸運には思わなかった。毎日毎日生き残った自分をせめた。公園で人と遊んでいた自分自身を憎んだ。自分が人と遊んでなんかいなければみんな死ぬことなんてなかった、自分のせいで家族が死んだ、自分のせいでみんないなくなったと彼女は毎晩泣き続けた。そして彼女は人と遊ぶことはおろか人との関わりを断った。人と関わることを避けた。いや人と関わることができなくなっていた。
 小学校、中学校も通わなかった。これも通うことができなかったと言った方が正しいだろう。
 そんな塙さんを見て親戚は彼女に高校に進学することを勧めた。新しい環境で高校生活を始められるように住んでいるところとは離れた私立の高校を受験することを提案したのだ。それが僕と彼女が現在通っている学校である。彼女は無事に高校に合格。しかし入学したもののすぐに学校に行けなくなってしまう。
「やっぱり人と接すると怖くなっちゃうんだね」
 三十路はそう話していた。
「いつまでも自分を責め続けてるんだよね。塙ちゃん自身は何も悪くないのに」
 結局彼女は一年留年した。現在保健室登校しているのは三十路や当時の担任の先生による根気強い訪問の賜だ。
 保健室登校を始めて一年。塙秋穂は試験をパスし二年生に進学する。普通、出席日数が足りない生徒は進級できないらしいが、うちの学校が私立で特殊な単位制度を採用していることや彼女が優秀な成績を残したことが影響して特別に進級することが認められたのである。
 しかし、さすがにうちの学校でも授業に出ない生徒を進級はさせても卒業をさせることはできなかった。学校側はどうにかして彼女を授業に出席させたかった。しかし、保健の先生である三十路以外の人とコミニケーションがとれない彼女に教室に行かせて授業を受けさせることは困難を極めた。
 三十路はクラスの何人かに頼んで保健室に来てもらい、彼女と交流を持ってもらおうとした。しかし、塙秋穂が一方的にこれを拒んでしまった。彼女は他の生徒と話すことどころか顔を見ることもできなかったのだ。
「だからびっくりしたんだよ。塙ちゃんが人と接してるなんて」
 福田先生が言っている「人」というのは僕のことである。他の生徒とは一切交流を経っていた彼女がいきなり保健室にやってきた男子、つまり僕と話はできないものの一緒に保健室に居て、僕の看病までしていたのである。
 なぜ長い間人と接することができなくなっていた塙さんが僕を拒まなかったのか。それは僕も気にかかった。しかしこれには理由があった。福田先生が一枚の写真を僕に見せたのである。
 三十路が見せてきたのは家族の写真だった。父親と母親。そして女の子と男の子。その女の子が塙さんであることを知って僕は驚いた。写真の中の彼女が浮かべている満面の笑顔。それはそのときのの塙秋穂からは想像できないものであったからだ。
「隣の男の子を見て」
 そう三十路に言われて僕は塙さんの隣にいる男の子を見る。彼も塙さんに負けなくらいの満面の笑みを浮かべている。
「弟さん……ですか?」
 事故で亡くなったという……あの弟。
「その通り。それでその弟クンを見て何か気づかない?」
 そういわれて改めて僕は男の子を見る。
「特には……」
 何も変わったところがない。
「そっか。本人から見るとわからないかもしれないね。この弟クン、誰かさんにそっくりじゃない?」
「……まさか」
 僕は自分を指さしてみる。すると三十路は頷いて
「その通り」と言った。
 そこで僕はもう一度写真を見てみる。そういわれてみると僕に似てるような気もしなくない。
「自分じゃちょっとわからない?」
「……はい」
「そういうもんよね。だけどすごく似てるのよ」
 僕は小さい頃から自分は特徴がないと思っていた。顔も体格もどこにでもいるような男だと……。だから写真の男の子が自分と似ていると言われて心底驚いたのである。
「ってことは塙さんが僕と接したわけは」
「うんもしかしたらだけど……」
 三十路は少しためらう素振りを見せていた。
「塙さんはあなたを亡くなった弟さんに重ね合わせてるのかもしれない」
 三十路は僕の目を見る。さっき質問攻めの時に見せたおちゃらけた表情とは一変して真剣な眼差しで僕を見つめる。
「だからさ……お願い」
 彼女は僕に頭を下げた。
「塙ちゃんの傍にいてやってくれないかな?」

***

 僕に抱きついてる塙さんは僕のことを弟だと思って接しているのだろう。男と女という関係とかではなく。彼女にとって僕は弟のかわりでしかない。塙さんは別に僕という人間を欲していたわけじゃない。ただ弟としての僕を欲しているのだ。
「塙さん。ホットミルクできたから」 
 塙さんは僕を掴んで離さない。
「塙さん。ホットミルクできたってば」
「……」
「そうやって抱きつかれてるとホットミルクをあっちの部屋に運べないんです」
「い……っちゃやだ」
 塙さんは泣いていたようだった。
「し……い……なくん。いっちゃやだ」
「僕はどこも行かないってば」
 塙さんはぶんぶんと首を横に振った。
「ううん。いなくなっちゃう」
「いなくならないって」
「言い切れる?」
「うん、言い切れる」
 僕を抱きしめる力がさらに強くなる。
「しーな……くん。きらい」
「きらい?」
 塙さんの口から僕が思いもよらない言葉が飛び出してきて僕は呆然とする。手に持っていたマグカップを落としそうになったほどだ。
「私の好きな人は……いなくなっちゃう。だからシーナくんきらい」
 塙さんは鼻をすする。ここからは見えないけど彼女の小さな鼻は真っ赤になっていることだろう。
「シーナくん。どこにもいっちゃだめ」
「うん」
「だからシーナくんのこときらいなの。大嫌いなの!」
「うんうん」
 僕は抱きついていた塙さんの腕をほどいて相向かいの状態になる。塙さんの顔は涙であふれていた。思った通り鼻は真っ赤だ。
 僕は彼女の髪をなでてやる。初めてなでときと同じように塙さんの髪はさらさらだ。心の中ではいつまでもこうしていたいという気持ちで満たされていた。
「……気持ちいい」
「うん」
 僕は塙さんからいったん手を放す。彼女の髪は小川の流れのようにさらりと僕の手から抜けていく。
「僕は好きですよ」
「え……」
 僕は彼女を抱きしめた。彼女の小さな体を僕で包み込んでよろうと思った。彼女のすべてを――、彼女の寂しさや悲しみも全部抱きしめてやろうと思った。
「塙さんが僕のこときらいでもいいです。大嫌いでもいいです」
 ぐすっと彼女は鼻をすする。
「だけど僕は塙さんと過ごすと楽しいし――そんな塙さんとの毎日が僕は大好きです」
 ばか……と塙さんはつぶやいた。
「……ありがと」
 塙さんは僕の胸にうずくまる。そのときに服の胸元が塙さんの涙で濡れた。
「どういたしまして」
 僕はすすり泣く塙さんをずっと抱きしめてる。だんだん彼女の呼吸が安定していくのがわかった。僕のさっき入れたはちみつ入りのホットミルクはもう冷めかけていた。

     5     

「シーナくん! まーじゃんやろうよ、まーじゃん」
 ホットミルクを二杯平らげた塙さんが本当にいつもながらおかしなことを言う。
「そういえばポン酢の『ポン』ってどういう意味なんだろうな」
「そこっ。無視しない! まーじゃんといったらまーじゃん」
 まーじゃんっていうとあのツモとかカンとか国士無双とかの。
「そう! そのまーじゃん! はいっ。王手!」
 将棋は関係ないぞ? わかってるとは思うけど。
「よーし。シーナくん。まーじゃんやるよ。まーじゃん!」
 どうぞ。どうぞ。
「シーナくんもやるんだよ!」
「僕も?」
「ソーデス! イエー! ハロー! ワーク!」
 なんだそのテンション。それと職業安定所は関係ないと思うよ。
「というわけでシーナくん。まーじゃんのルール教えて!」
 知らなかったのかよ。
「当然!」
 そこで胸をはる意味が全くわからないが。まあ未知の世界に挑戦するその意欲は買うけども。
「というわけでシーナくん。私にまーじゃんのルールを教えてください」
「いや僕知らないから」
「んにゅ?」
「そんな風にかわいく首をかしがれても知らないものは知らないのです。ご静聴ありがとうございました」
「そんな! うっちゃりのシーナくんって界隈をぶいぶい言わせてたって聞いたよ」
 ぶいぶい言わせてた覚えはないし、そもそもうっちゃりってマージャンでもないじゃねえか。
「嘘つき! 嘘つきシーナくん」
 勝手に嘘ついたことになってるぞ僕。
「『シーナくんうそつかない』って栃木県のキャッチフレーズに謝れ!」
 そっちこそ栃木に謝れ!
「餃子それほど好きじゃないんだよね私」
 じゃあなおさら栃木に謝れ!
「まあルールはいいや。とりあえず、まーじゃん買いに行こう」
「今から?」
「もちろん今から」
 僕は携帯電話の時計画面を見る。九時四七分。出かけるのいはちょっと遅い時間だ。
「お店閉まっちゃってるんじゃないかな?」
 そもそもマージャンの道具ってどこで売ってるんだろう。
「コンビニがあるよ」
「コンビニ?」
「そうコンビニ。この辺にもあるでしょ」
 まあ、ないことはないけど。
「よし決定! 今からコンビニ行こうよ!」
 まあ最寄りのコンビニはここから歩いて三分もかからないし、携帯用の薄っぺらいマージャンも売っているだろう。
 ただ問題は彼女がパニック状態になってしまわないかということである。本人もその可能性があることはわかっているだろう。しかし塙さんは自分から行こうといっているのだ。僕からは止めることはないだろう。
「よし……じゃあいきますか」
「いえーい」
 本当は塙さんに「大丈夫?」と声をかけようかと思った。しかし聞いたところで彼女は絶対大丈夫だというだろう。そもそも今一番不安を抱えているのは誰を隠そう塙秋穂自身だと思うし。
「じゃあそうと決まればさっそく出発だー。おー」
「おー」
 まあどうにかなるだろう。いま僕ができることは塙さんのそばにいることだけだ。

***

「うわあ……」
「雨だねー。シーナくん」
 僕らが玄関を出ようとすると外は雨が降っていた。昼間は晴れてたのに。
「山の天気は変わりやすいって言うからねー」
 別にここは山じゃないって。典型的なベッドタウンです。
「あ、傘……」
 そうだった。今僕のアパートには傘がないのだ。僕はアパートにある唯一の傘を学校に置き忘れてしまったのだった。これは痛い。
「うーん。どうしようか」
 雨の中濡れて塙さんが風邪を引いても困るし……。
「シーナくん。これ」
 彼女が差し出しきたのは一本の折りたたみ傘だった。白と青の水玉模様の折りたたみ傘は小さな塙さんと見事にマッチしている。
「一緒に入ろ?」
「いやでも塙さんが濡れちゃうよ?」
「いいよ」
「でも……」
「それでも私シーナくんと一緒がいい!」
 塙さんは恥ずかしさを微塵にも感じさせないはっきりした声で言った。逆に聞いてるこっちが恥ずかしいくらいだ。
「ありがとう塙さん」
「どういたしまして。シーナくん」
「じゃあ濡れちゃうと困るから」
 僕はそういって来ていたジャケットを塙さんの肩にかける。
「……ありがと」
 えへっ、といって笑う塙さん。口元には八重歯をのぞかせていた。
 本当に彼女の笑顔は僕を幸せな気分にさせる。ただ三十路が持っていたあの写真で見た笑顔に比べると多少堅い気がした。
「えへへへ……」
「どうしたの?」
「うん。あ、……あいあいがさだなーと思って」
 今言ったことは恥ずかしかったのだろうか。塙さんは顔を赤らめた。
「相合傘かー。傘がちっちゃいけどねー」
「いいのいいの。シーナくんのジャケットがあるから平気平気」
「それならよかったです」
「うんよかったよかった」
 僕らは一つの傘で歩き始める。雨が降っているからか、それとも夜遅いからかはわからないが、道には誰も歩いていなかった。
 道にいるのは僕と塙さんだけ。聞こえるのは雨の滴が傘に落ちる音だけ。僕と塙さんは何もしゃべらなかった。
 心地よい沈黙だった。気まずさというものは何もなかった。
 普段は人と話す時の沈黙というものは苦手な部類に入るのだが今日は違う。これほど沈黙が心地よいと感じたこともない。塙さんと歩いているだけでものすごい気持ちよかった。これまで生きてきてこれほど雨が気持ちいいなんて思ったのはこれが初めてだった。

     6

「ありがとうございましたー。またお越しくださいませー」
 僕と塙さんはコンビニを後にする。結局買ったのは携帯用のマージャンとジュース、それにおでん。具ははんぺんばっかり四つ。もちろんこれは塙さんのリクエストだ。
「……疲れたにゃ」
 言葉通り塙さんは本当に疲れた様子だった。やっぱりコンビニとはいえ人がいる場所に行くことは彼女なりのエネルギーを使うのだろう。
「ご苦労様です」
 僕はそういって塙さんの頭を撫でる。幸いだったのはコンビニには僕たち以外の客はいなかったことだ。
 大通りから離れたところにあるからか、それともたまたまいなかったのがわからないが、僕らにとっては好都合だった。
 意外なことに塙さんはコンビニ慣れしていた。それもそのはず、彼女の主食はコンビニの菓子パンなのだ。
「朝の四時ぐらいに行ってねー。いーっぱい買うんだ。それこそ一週間分ぐらい」
 その時間が一番人がいないんだろうな。そんなことを思ったけど口には出さなかった。
「ずいぶん早起きだね」
「えへへ。ニワトリさんて呼んでもいいよ」
「ニワトリさん?」
「はい、私ニワトリさん仲良くしてね」
 こ、このニワトリしゃべるぞ?
「それにしてもおでん楽しみだなあ。おっでんだー。おっでんだー」
 ニワトリさんはおでんの袋を慎重に持ちながらニワトリさん作詞作曲のおでんの歌を歌っていた。
「ずいぶんうれしそうだね。ニワトリさん」
「うん! 私コンビニのおでん初めてー。楽しみ楽しみ」
 コンビニでおでんを買うには店員に注文しなければならない。
 ただでさえ人と接することができないから、店員に注文して受け取るという行為でさえ彼女にとっては恐怖でしかないらしい。だからといってはんぺんばっかり四つも買わなくてもよかろうに……。
「えーいいじゃん。かわいいじゃん、はんぺん。丸くて、くらげみたいで」
「かわいい? くらげが?」
「くらげかわいいよ? シーナくんよりかわいいよ」
 なんだかよくわからないけど軽くショックだ。
 別にかわいく思ってもらいたいなんてこれっぽっちも思ってないけど。
「はあ……かわいいなあ。くらげ」
「くらげねえ」
「シーナくんくらげ嫌い?」
「食べたことないから」
「食べるとか食べないとかじゃないの! かわいいか、かわいくないかそれが問題なの」
 力説する彼女がなんだかかわいくてそれを見ている僕の顔が自然ににやけていくのを感じた。
「はいはい。かわいいかわいい」
「何でそんなに投げやりなんだよー」
「わかった、わかった。おでんがこぼれるから怒らない怒らない」
「別に……おこってないもん」

***

 コンビニから徒歩五分。僕のアパートに無事到着した。塙さんが持っていたおでんも何とか無事らしい。
「たっだいまー」
「やれやれー疲れたーと」
 雨に濡れたジャケットをハンガーにかけた後、暖房を付ける。もう春とはいえ、雨の日はやっぱり冷える。
 そして僕はよっこらしょと床に腰を下ろした。
「……シーナくんオヤジくさい」
「そうなんです。実は僕はオヤジだったんです」
「……そうなの?」
 塙さんは目をまんまるくしている。いや信じられても困るんですけど。
「そうなんだ。僕はこう見えても加齢臭がすごいんです」
 他にオヤジのトレードマークが思いつかなかった。
「……くんくん」
 僕の胸に顔を埋めて匂いを嗅ぐ塙さん。いつものことだがこういう突然の彼女の行動は本当にびっくりしてしまう。
「むー。これが加齢臭かあ」
 くんくんくん。塙さんは再び僕の匂いを嗅ぐ。そして僕に抱きついてきた。
「とても好きな匂いです。シーナくんの匂いです」
 塙さんはいつまでも僕に抱きついて離れなかった。



「にゃあーうみゃあー」
 僕たちはコンビニで買ってたおでんを食べていた。といっても具ははんぺんだけだけど。
 二人で食べるため僕はマグカップ、塙さんは茶碗を取り皿がわりにしている。
「にゃあにゃあにゃあ」
 猫になって喜ぶ塙さん。今日は犬になったり猫になったり忙しいな。あ、あとニワトリにもなったっけ。
「はんぺんうみゃー」
「魚介類だから猫の口に合うんだろーな」
「にゃーにゃーにゃー!」
 別に自分が猫であることは否定しないらしい。
「うみゃー」
 と大きく背伸びをする塙さん。そして服の袖で目をこすりだした。どうやらお腹がいっぱいになって眠くなったらしい。
「もう……ねむねむの時間にゃ」
「マージャンは? せっかく買ってきたのに」
「猫にはわからん」
 猫って便利!
「とりあえず猫はとってもねむいのにゃ」
「寝れば? どうせ明日は土曜で学校休みだし」
「にゅー。ねりゅー」
「じゃあここで寝れば」
 僕は塙さんの寝場所を指さす。
「……うん。って何これ」
「ん? 段ボールですが、何か問題でも?」
「問題でも? じゃねー! ばかにすんなー」
「あ、ごめん。タオルケット敷き忘れた」
「そういう問題じゃねー。これじゃあ本当に猫じゃんか!」
「いいと思うんだけどな」
 僕はしぶしぶダンボールを片づける。
「じゃあ塙さんはこのパイプベッドに寝てください」
「……シーナくんは?」
「僕はそのへんに雑魚寝」
 僕の部屋にはベッドが一つあるだけで、他に寝具のたぐいは一つもなかった。もともと友達の少ない僕は誰かがこの部屋で寝ることは想定していなかったのだ。
「えー。やだやだ。シーナくんが雑魚寝だったら私が許しません」
 そうは言われてもなあ。本当にタオルケットを敷いたダンボールに彼女を泣かせるわけにもいかないし。
「よし決めました」
「何が」
「私も雑魚寝します」
 塙さんはすぐさま僕の隣に横になった。
「そのまま寝ちゃだめだよ。せめて掛け布団でもかけてよ」
「いいの。掛け布団はシーナくんが使うのー」
「それじゃあ塙さんが風邪ひいちゃうってば」
 ただでさえ塙さんは体弱いのに。僕がそういうと塙さんは部屋で乾かしていた僕のジャケットを引っ張ってきた。
「てけてけん。シーナくんのジャケット~」
 某有名猫型ニートロボットみたく僕のジャケットを自分の上にかける塙さん。
「このジャケットは毛布のかわりになるのです。それもシーナくんの匂い付きです。わかったナリか?」
 アニメ違うぞ。それ。作者は一緒だけど。まあジャケットは乾いてるようだし、別に良いか。
「というわけでお休みー」
そう言うと塙さんはうにゃーと背伸びをする。
「はいはいお休みなさい。あ、そうだ塙さん」
「…………」
「塙さん?」
「…………すぅ」
 塙さんはすでに寝息を立てていた。なんだかんだ言って疲れたのだろう。それはそうかも知れない。歩いて僕の家に来てさらにコンビニまで行ったのだ。ふだん保健室とアパートの往復だけの生活の彼女からしたら大冒険だったのかもしれない。
 僕は電気を小さな明かりだけにして部屋を出る。台所に行って食器を洗い、洗濯物を畳む。
 そんな一通りの家事が終わってから僕はまた部屋に戻った。僕はパイプベッドから掛け布団を掴むと適当に場所を探して雑魚寝。さすがに僕だけがパイプベッドに寝るわけにはいかないだろう。
「し……なくん」
 僕が横になって目をつぶろうとしたら、塙さんが小さな声で僕の名前を呼んだ。
「塙さん。起きてたの?」
「うん。あのね……。シーナくんに言いたいことがあって」
「ん? 何」
「シーナくんこっち来て」
「え?」
「私の横あいてるから……」
「でも」
「怖いの……。ひとりぼっちは嫌だから。お願い……」
 僕は起きあがると塙さんの方に向かう。小さな明かりはついてるものの、やっぱり回りは見づらくて、塙さんを踏んでしまわないかどうか心配になった。
「ここでいい?」
 僕は塙さんの横に座る。小さな明かり越しに見る塙さんはなんだか安心したような表情を浮かべていた。
「うん。ありがと」
 横になると甘ったるい匂いが僕の鼻孔をくすぐった。塙さんの部屋でしたのと同じ匂い。
そして一人暮らしの男の部屋に似合わない優しい匂い。やっぱりこれが塙さんの匂いなのだ。いつまでも嗅いでいたいような心地よい匂い。
「あのね。シーナくん」
「うん」
「ごめんね」
 僕は目を瞑っているからよくわからないが、たぶん彼女は僕のほうを見ているのだろう。
「私がこんなじゃなかったらもっと普通のデートができたのに」
 僕は驚いた。塙さんがそんなことを考えていたなんて僕は思わなかったからだ。
「私がもうちょっと普通の女の子だったらさ。遊園地行ってジェットコースター乗って二人でソフトクリーム食べて……。映画館だったら二人でポップコーン食べてさ。二人で映画見て……。それで帰り際にその映画のことしゃべってさ」
 ごめんね。塙さんは疲れたのか小さな声でささやくように言った。
「私がシーナくんのうちに行きたいなんてわがままいって。シーナくんつまんなかったよね」
「そんなことないです」
 僕はまた塙さんの頭を撫でた。今日だけで何回塙さんの頭を撫でたことだろう。
「僕は僕でものすごい楽しんでますよ。遊園地や映画館なんかよりよっぽど」
 これは本心以外の何ものでもなかった。僕は塙さんと一緒にいる時間が楽しくて、心地よくって、何より大好きな時間なのだ。
「塙さんがつまんなかったら悪いけど」
「そんなことない!」
 塙さんの髪が僕の顔に当たったせいで彼女が首を振ったということがわかった。
「僕は今日はとても楽しいデートでした。だから塙さんはこれ以上謝らないでください。ご静聴ありがとうございました」
「うん……シーナくんきらい……」
「僕は大好きですけどね」
「……ありがと」
 僕が頭を撫で続けると塙さんは再び寝息を立てた。それはとても気持ちよさそうな寝息だった。
 僕が初めてデートした日。僕が初めて嫌いと言われた日。僕が初めて大好きと言った日。僕はきっと忘れることがないだろう。僕の心の中は心地よさとくすぐったさであふれていた。
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