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シーナくんのつくりかた! 作者:すみやき(明日から休講です。)
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第二話 楽しい家の帰りかた

第二話 楽しい家の帰りかた

     1 

「また来たのかよー。ばーか!」
 保健室のドアを開けた僕は塙さんから熱烈な歓迎の言葉を受けた。本当に嬉しいな。しみじみそう思うね。
「来ちゃ悪いのかよ。僕だってここの生徒なんだから保健室を使う権利ぐらいあるよ」
「ないのー。シーナくんはばかばかシーナくんだから保健室来ちゃ駄目なのー。馬鹿は風邪と高い所が好きって言うし」
 なんか混ざってるよ?
「いいんだよーだ。べー」
 塙さんは僕に向けてあっかんべーをしてみせる。その姿が彼女の華奢な体とマッチしてとても可愛らしい。
「あっ。そういうこと言っちゃだめなんだよ! そう言う子にはねー。サンタさんこないよ」
「いいんだよーだ。サンタなんて来ないもん。恋人がサンタクロースなんだもん」
 まあなんてロマンチック。
「えーと。じゃあ、こいつはいらないと」
 僕は彼女の前で弁当箱をちらつかせる。もちろんそれは僕の分じゃなくて塙さん用の弁当だ。
「いる! ワタシ、オベント、イルヨ。シャチョーサン。スケベシャチョーサン」
 なぜ片言になるのかはわからないが……。あと僕はスケベでも社長でもないし。
「来ちゃ悪いんじゃなかったっけ?」
「シーナくんのお弁当は来ていいけど。シーナくんは来ちゃだめ」
 それじゃあ僕はデリバリーの弁当屋さんじゃないか。
「それは物理的に不可能です」
「うっせーなー。いちいちー」
 それでもにゃははと笑う塙さん。初めて彼女と会ったときの面影さえ感じられない。最近では本当に話すの苦手なのかなと思うくらいである。
「そんなこと言ってるけどさー。塙ちゃんはシーナ氏が来るまでずっと保健室の入り口の方見てたんだからね。今か今かってずっと待ってたんだから」
 三十路こと保健室の福田先生はそう言いながらデスクに腰をかけてカップメンをすすっている。
「まーちゃん! 私そんなことしてないもん!」
 そう言う塙さんは頬を真っ赤にしている。どうやら本当のことらしい。
 ちなみにまーちゃんとは福田先生のこと。
 福田(ふくだ) 麻冬(まふゆ)。それが三十路のフルネーム。『まふゆ』という名前なのに何故か生まれたのは七月らしい。このひねくれた名前がひねくれた養護教諭を作ったのだろう。
 麻冬のまの字をとってまーちゃん。塙さんは三十路のことをそう呼んでいるのだ。
「……はい。というわけでお弁当にしますか」
 こう冷静に事を運ぼうとしている僕だが、内心はにやけたくってしょうがなかった。塙さんが僕を待っていてくれていた。そのことがうれしくてしょうがないのだが、とりあえず今は冷静を装ってみる。
「本当はうれしいくせに何とぼけてるんだか」
 どうやら三十路にはお見通しらしかった。こういうところはするどいな。女のカンってやつか?
「いっただきまーす」
 塙さんは僕がお弁当を渡すなり両手を合わせていた。それに合わせて僕も「いただきます」と手を合わせる。
 それにしても塙さんがここまで変わるとは思わなかった。さすがにすぐにこうなったわけではない。毎日保健室に通い続ける僕に彼女は少しずつ僕に話しかけてくれるようになったのだ。天気の話とか、読んだ漫画の話とか、三十路の話とか。
 本人の前で好きだって叫んでしまったせいもあって最初はお互い会話もたどたどしかったのだが、今ではお互いふざけあうのが日課だ。
 そして僕は最近、彼女の分の弁当を作って持ってくるようになった。毎日パンばっかりじゃ健康に悪いし、そもそも弁当はひとつ作るのも二つ作るのも正直手間はかわらない。
「シーナ氏。あたしのはないのか?」
「ねえよ。三十路はさっさとカップメン食え!」
「だから三十路じゃねーつってるだろ。ばーか」
 相変わらず教師らしくない言動。教育委員会は本当に何やってるんだか。っていうか養護教諭がカップメン食うな。
「カップメン食え、っていったり食うなって言ったり忙しいな。シーナ氏は」
「いや、健康を指導する立場の人間が明らかに体に悪そうなもん食べてたら話に説得力がなくなる」
「だからあたしみたいにならないように気をつけましょうって言ってるの。悪い見本を見せるためにあたしはわざわざカップメン食べてるの!」
 嘘付け!
「さーてごちそう様でしたと……それじゃあデザートデザート」
 と言いながら三十路は未開封のカップメンのビニールをはがし始めた。っていうかまだ食うのかよ。あとカップメンはデザートじゃねえよ絶対。
「まーちゃんも静かにしてれば可愛いんだけどなー。そろそろ嫁のもらい手がなくなっちゃうよ? 三十路なんだから」
「だから三十路じゃねえって! 塙ちゃんまでなんてこと言うかな」
 ぶつくさ言いながらも三十路はカップメンにお湯を注ぐ。
 後に入れる具もスープも問答無用に先に入れてからポットの中の熱湯とは言えないお湯を注ぐ。そしてお湯を入れてから一分でもう麺をすすっている。どうやらこれが三十路流のカップメンの食べ方らしい。僕はそれはもはやカップメンじゃない気がするんだが。
『いいじゃない お腹に入れば一緒だもの みそじ』
 この人の食に対する考え方はこんな感じなのだ。僕はこの人だけには弁当を作るまいと心に深く刻む。バイカル湖の底よりもエベレストのクレバスよりも深く。
「ふぇはー。ふぁなはひゃ」
 そんな生煮えのカップメンを口に入れながら三十路が僕に話しかけていた。
「飲み込んでからしゃべれよ」
 これじゃあ本気で嫁のもらい手が心配だ。
「……。ふう。飲み込みましたよ。しゃべるよ、あたし」
 別に宣言しなくてもいいよ。大して重要な話でもないんだろ?
「塙ちゃん」
「ふぁひ?」
 塙さんは塙さんで弁当と格闘中だった。ほっぺたにはご飯粒がついている。とってやりたいが三十路の話が終わってからにしよう。
「今日はシーナ氏に帰り送ってもらうよ」
「ふぁひ?」「はい?」
 塙さんだけでなく僕の頭の上にもクエスチョンマークだ。
「今日ねー。研修会があるの。保健の先生の。だから塙ちゃんを車で送ることができないの。そういうわけ!」
 どういうわけだよ?
「だーかーらー。シーナ氏に送ってらうの! 塙ちゃんを! 家まで! わかった? 塙ちゃん?」
「ふえ?」
 塙さんは目をまんまるくして三十路を見つめている。まだ口の中の弁当は飲み込めていない様子だ。
「ちょっと待ってよ。僕塙さんの家知らないし」
「知らなくてもいいの。塙ちゃんと一緒に帰るんだから。そばについてるだけでいいんだ」
 それだったらできる。できるけど――。
「授業だってあるし……」
 塙さんの帰る時間は早く、僕たちが最後の授業をうける前にはもう帰らなければならないのだ。
「もうそれは担任の先生に承諾済みだよー。ほれここに証明書もあるんだよ」
 そういって三十路は一枚の紙を僕に渡す。
 証明書? 僕は何にも聞いてないけどな。そう思いながら僕は三十路から紙を受け取る。
『みとめます たんにん』
 …………。
「えいっ」
 破ってやった。
「あー! なんで破るの! せっかくの証明書が」
「こんな証明書あるか! 明らかに三十路が自分で書いてるだろうが」
 それに『認める』と『担任』ぐらい漢字で書け!
「違うもん! 許可もらったもん」
「じゃあ僕らの担任の先生の名前なんだよ。言ってみなよ」
「あの……その……サンギエフ……」
「あきらかに知らないだろ! しかもあてずっぽうにしても、もうちょっと当てにこいよ。今の日本にどんだけいるんだよ。ザンギエフ! それにうちの担任どうみても日本人じゃねえか!」
「うるせえー。行けったら行け! あたしはもう行く。じゃあね! さらば青春」
 そういうと三十路はイチローの二、三塁間の盗塁を思い起こさせるような猛ダッシュで保健室を後にした。
「あの人教育者というより人としてどうなんだ?」
 一生徒として心配でならない。
「いや、まーちゃんはまーちゃんだから。あっごちそうさま。シーナくん」
 塙さんは僕に空になった弁当箱を渡した。軽くなってる弁当箱を渡されると作ってる方としてはとてもうれしくなる。そしてそれが塙さんに作った弁当とならばなおさら嬉しい。
 それにしてもさすがに付き合いが長いだけあって塙さんは三十路の扱いに慣れているようだった。僕は一向に慣れる気配がないけど。
「えーとじゃあ送っていくことになるのかな?」
 ちょうど五時間目が始まる時間だった。塙さんも帰る準備を始めている。
「んー。いいよ。私一人で帰れるもん。シーナくんだって授業あるでしょ?」
「まあ……いいよ。乗りかかった船だ。送ってくよ」
 どうせ次は僕の嫌いな音楽の授業だ。担任の先生に本当に許可をとっているとは思えないが、一時間休んだところでどうってことないだろう。
「いいの。ちゃんとシーナくんは授業受けなさい! 授業についていけなくなったら私困ります!」
 塙さんの優しさに僕は彼女に抱きつきそうになる。ただ何とか僕の自制心が活躍して思いとどまることが出来た。
「僕は塙さんを送っていきたいです! お願いします」
 本心だった。思っていることを僕はそのまま塙さんに伝えた。本当は塙さんと一緒にいられれば授業なんてどうでもよかった。音楽室でシューベルトの眼鏡のフレームを見つめてる時間が今後役に立つとは思えないし。
「……ありがとうございます。じゃあお願いします」
 塙さんはぺこっとお辞儀。
「どういたしまして」
 こっちも負けずにお辞儀を返す。
「じゃあ、行こうか。シーナくん」
「あ、その前に」
 僕は塙さんのほっぺたについてはご飯粒をとった。
「ほっぺにお弁当がついてましたけど」
「え、嘘」
「本当。ほら」
 僕は指についたご飯粒を塙さんに見せる。
「あっ本当だ」
 塙さんはそう言うやいなや僕の指をあむっとしゃぶりついてきた。そしてちゅるんと僕の指をなめる。
「ん、ほらシーナくん。私お弁当食べた」
 にゃはっと笑う塙さんは、まるでいたずらをした子供のようだった。そんなことをされた僕はもう気が気じゃない。
「んーもう今日のご飯やわらかすぎるよーシーナくん」
 塙さんの顔が少しだけ赤くなった気がした。そんな彼女の顔を見て僕は言い出せなかった。今日のご飯は発芽玄米だからいつもより堅いんだけど……なんてことは。



「こっからどのくらいかかるの? 塙さんの家まで」
 学校を出て僕らは塙さんの家に向かって歩き始めていた。駅とは反対方向なので、電車通学の僕にとっては初めて歩く道だった。
「んーと歩いて十五分くらいかな?」
「けっこうかかるね。自転車通学?」
「ううん。歩き……あとまーちゃんに送っていってもらったりとか」
「ふーん。自転車乗れないとか?」
「そ……そんなことないよ? ただ、ただ……えっと。健康、そう健康」
「……自転車乗れないんだろ」
 日頃菓子パンしか食べない人が健康とか気にしている訳がない。
「そんなことないもん! 乗れるもん。バリバリだもん。走り屋だもん」
 どうやら図星らしい。
「乗れないだろ。素直になれよ」
「そんなことないもん。素直だもん。そもそも自転車は乗れるなんてもんじゃないよ」
 じゃあどんなもんなんだよ。
「私逆に自転車のことくわしいくらいだよ。履歴書の趣味の欄に『自転車』って書きたいぐらい」
「嘘付け」
「本当だもん」
「じゃあどこか自転車のメーカー言ってみてよ」
「……あのコクヨ……とか」
 それ文房具のメーカー。
「シマノとか」
 それ釣具のメーカー。
「テクノスジャパン」
 それゲーム会社。くにおくんシリーズでおなじみの……ってかそんな昔のゲーム会社誰も知らねえよ! もうとっくに潰れてるし! 
 どうやら本当に塙さんには趣味がないらしい。そうだよな。どう見ても塙さんに趣味があるように見えないし。
「ばかにすんなー。私にだって趣味のひとつやふたつ……」
「読書以外で」
「……く……あの……」
「あの?」
「……えっと乗馬とか社交ダンス?」
 ずいぶんと貴族だな。
「盆栽とゲートボール?」
 ずいぶんと老後だな。
「ネトゲと動画作り?」
 ずいぶんとネット廃人だな。
「うるさいなー。ええ私は無趣味ですよ。そうですよ。本を読むぐらいしかとりえがありませんよ。悪かったなー」
「悪くはないけどさ」
「もういいですよーだ! シーナくんのばーか。ばかばかシーナくん。こんどからシーナくんは、ばかばか=T=シーナくんだ!」
 Tはなんの略なんだか。
「えっ? テクノスジャパン」
 どんだけひっぱるんだよ! テクノスジャパンはもういいよ!

 学校から塙さんの家までの道を僕たちは何を話すわけでもなくただただ歩きつづけた。別に話したいことがなかったわけじゃない。出会った直後のように何を話していいんだかわからないわけでもない。
 気まずくはなかった。逆に僕にとってはその沈黙が気持ちよかった。
 僕と塙さんが二人きりで一緒に帰っているという実感をいつまでも噛みしめていたかったのだ。
 もう一〇分ぐらい歩いただろうか。気持ちいいとはいえ、これ以上沈黙が続くのもなんだかもったいない気がして、僕は塙さんに話かけようと思った。
「ねえ、塙さん」
 僕の声に塙さんが反応して、じっと僕の目を見つめてきた。このままずっとみていたいほど優しい彼女の目線が僕を柔らかく包み込む。こんな幸せな時間はいつまでも続けばいいと思った。しかしこの幸せな時間はすぐ壊されてしまった。向かい側から話し声が聞こえてきのだ。それも馬鹿騒ぎと言っていい大きな声。
 見ると女子高生の集団が向こう側から歩いてきていた。制服の色と学校指定のスクールバッグで隣の高校の生徒だとわかった。遠くからみてもわかる濃いメイクに、いかにも髪が痛んでいそうな髪型、髪色をしていた。時間から考えて授業が終わったわけではなく、サボりであることがわかる。
 サボり女子高生集団がだんだん僕達に近づいてきた。騒ぎ声もどんどん大きくなってくる。僕は早くすれ違ってしまおうと足を速めようとした。しかし、僕は足を速めるどころか結果的に減速せぜるをえなくなった。急に塙さんは歩くのをやめてその場に立ちすくんでしまったのだ。
「……塙さん?」
 女子高生の集団はだんだん近づいてくる。塙さんはまだ立ち止まっている。
 そしてついに女子高生の集団は僕の横を通り過ぎていった。その何人かが急に立ち止まった僕たちを見ていたが、あまり気にしない様子でその場を立ち去っていった。
 馬鹿騒ぎが聞こえなくなるまで塙さんはその場に立ちすくんでいた。
 しばらく、沈黙が続いた。僕が彼女に話しかけようとしたその時だった。塙さんが急にその場にしゃがみ込んでしまったのだ。
「う……うぐっ……」
 塙さんは泣いているようだった。その証拠に涙の粒がコンクリートの地面に斑模様を作っている。
「ぅぅうー。し、しーなく……」
 泣きじゃくりながらも彼女は僕の名前を読んでいた。僕はうずくまってる彼女の背中を出来るだけ優しくなでた。
「……大丈夫大丈夫」
 僕はそう繰り返す。するとだんだん彼女のすすり泣く声もだんだん小さくなっていった。
「……し……しいなく……ご……ごめ……ん」
「わかった。わかった」
 ここで僕は理解した。なぜ塙さんを送る必要があるかということを。

***

「ん……」
「気づいた?」
「しー……なく……?」
「そう僕シーナくん。よろしくね!」
 アニメのキャラみたいに返してみる。
「……ご……め」
 いつもの彼女だったらすかさずツッコミを入れてくるところなのだが、今はその気力もないらしい。
「ん。わかった。ごめんはわかったからとりあえず今は休んでて」
「う……ん。ありが……と」
 そして塙さんは再び目を閉じた。
 いつまでも涙が止まらない塙さんを僕はたまたま近くにあった公園のベンチに横たわらせたのだ。彼女は横になってもなかなか涙が止まらなかったが、僕のひざを枕に、制服の上着を毛布代わりにすると安心したのかそのまま寝息を立て始めた
 それから三〇分くらいして塙さんがようやく目を覚ましたのだった。
「大丈夫?」
「……うん。なんとか。ありがとうシーナくん」
「もう無理しないって約束してくれる?」
「う……ん。じゃあシーナくん指切り」
 僕と塙さんはお互いの小指を絡ませる。
「ゆ……ゆーび……きった」
 弱々しい彼女の声からいつもの無邪気さがかいま見えた気がした。
「うん。これで塙さんは無理しない。ダイジョーブ!」
「うん。もう大丈夫」
 塙さんはそう言うと起きあがって僕の隣に座る。
「シーナくんのおひざすげー気持ちよかった」
 たぶん褒められているんだろうけど喜び方がいまひとつわからなかった。
「ありがとうございます」
 とりあえず褒められたからお礼を言うことにする。
「う――ん。にゃ――」
 塙さんは猫になりながら大きく背伸びをした。
「よし! 復活復活! 行くよシーナくん」
 さっきとはうってかわって塙さんは元気よく立ち上がった。
「うん。その元気があれば大丈夫かな。だけど絶対無理はしないでよ。指切りしたんだから」 
「うん、でも無理して倒れたらシーナくんが運んでくれるでしょ?」
「んなこたーない」
 某グラサン司会者のまねをしてみる。これが自分でもびっくりするほど似ていなかった。
「……もう。本当にシーナくんはばかばかシーナくんだな」
「まあ今の言葉はお互い忘れるようにして……じゃあ行きますか」
 僕も立ち上がって、塙さん用の毛布と化していた上着を羽織る。
「じゃあ、シーナくん行くよ。れっつごー」
 元気よく拳を上に突き上げて塙さんは歩き始めた
 僕も塙さんを追って歩き出す。今の彼女が空元気でないことを祈りつつ。



「ここ?」
「うん、ここ!」
 塙さんの家はテレビのCMなんかでおなじみのワンルームマンションだった。
「ってことは塙さん一人暮らしなの?」
「そうだよー。知らなかった?」
 知らなかったというより想像できなかった。確かにうちの学校は一人暮らしをしながら通っている生徒が多いけど(僕を含めて)、まさか塙さんがその一人だとは思わなかった。
「じゃあ僕はここで」
「え……帰っちゃうの」
 塙さんは寂しげな顔をする。
「うん。今日の任務は塙さんを無事家に送り届けることだから」
「……よってかないの?」
「いや、一応僕男の子だし……。女の子の部屋にずこずこと入るわけにはいかないよ」
 しかも一人暮らしだったらなおさらだ。
「そんなことないよ。それにせっかく送ってもらったんだからお茶でも飲んでってよ」
「いや、何だか悪いし」
「男は度胸。なんでもやってみるもんさ」
「そんなこといわれてもなあ」
「来るの!」
 そう言って塙さんは僕の制服のそでをぎゅっと握ってきた。こりゃどう考えてもすぐ帰るわけにはいかない気がしてきた。
「じゃあちょっとだけ」
「じゃ、決まり! 一名様ごあんなーい」
 塙さんは僕の袖を引っ張って部屋へと案内してくれた。彼女の部屋は三階の角部屋だった。この華奢な体で毎日ここまで階段を上がっているのを考えると少し心配になってくる。
 塙さんはポケットからカードタイプの鍵を取り出して、慣れた手つきで鍵を開けた。
「じゃあ入って」
「ん。おじゃまします」
「はーい。おじゃまされまーす」
 塙さんの部屋はベッドと本棚、あとは小さなテーブルがあるだけといった、いたって質素な部屋だった。僕のイメージしていたいかにも女の子らしい部屋とは違って、なんだか拍子抜けだったが、部屋の匂いは女の子特有の甘くて優しいものだった。
「その辺に座ってー」
「じゃあ遠慮なく」
 そう言って僕はその場に腰を下ろす。やっと落ち着くことが出来た気がした。
「ちょっと待ってね」
 塙さんは台所の方へ向かった。冷蔵庫を開ける音がして、塙さんが何かを持って戻ってきた。
「はい、お茶」
 そう言って塙さんが差し出したのは、紙パックのお茶だった。
「あ……ありがと」
 お茶っていうもんだからてっきり淹れてくれるのかと思ったんだけど。いや別にいいんだけどさ。
「おいしいよね。これ」
 塙さんはそういいながら紙パックのお茶をちゅーちゅー吸っている。僕も紙パックのお茶を口にした。うん、いかにも市販のお茶って感じ。
「なんか食べる? っていっても菓子パンしかないんだけど」
 紙パックのお茶が出てきたことからたぶん本当に菓子パンしかないんだろう。冷蔵庫の中が菓子パンでいっぱいになってるのを安易に想像できる。
「塙さん。そういえばお昼は菓子パンだったよね。僕が弁当作ってくる前は」
 これは三十路から聞いたのだが、塙さんは僕と出会う前から昼ご飯は菓子パンだったらしい。まさか主食が菓子パンなんてことは――。
「そうだねー。お昼以外にも。朝ご飯と夕飯とおやつと夜食は菓子パン!」
 悪い予感が的中してしまった。っていうか三十路の影響をもろにうけてるんじゃないかな塙さん。
「体に悪いよ?」
「悪くないもん。おいしいもん菓子パン。それに私が菓子パン食べなくなったら、パン屋さんが潰れちゃうよ?」
 んなこたーない。 
「まさか今日の夕食も?」
「ん? 今日はあんドーナッツだよ?」
『それが何か?』といった表情でこちらをみる塙さん。これは、どげんかせんといかん!
「ん~。塙さんちょっと待ってて!」
「え? どこいくの? シーナくん」
「いいから待ってるの! 一五分くらいでもどってくるから!」
「うん……待ってるー」
 一五分後。
「ただいまー」
「すげえ! 本当に一五分ぴったりだ!」
 僕が部屋に戻ってくるとストップウォッチ片手に驚いてる塙さんがいた。まさか計っていたとは。
「でどこに行ってきたの? そんなにいっぱい袋が……」
「そこのスーパーです。今から塙さんの食生活を改善します」
「え、え、え……?」
「食生活の乱れは心の乱れです」
「いや、それはどうかと思うけど」
 うん僕もそう思う。けど言ってしまったものは仕方がないのでスルーしてそのまま進めよう。
「というわけで塙さんは座ってテレビでも見てなさい」
「私の家テレビないもん」
 僕は回りを見渡す。どうやら本当にテレビがないようだ。そもそも電気用品自体がテーブルの上に置いてあるノートパソコンぐらいしかない。
「じゃあテレビじゃなくていいから好きなことしてて」
「う、うん」
 けっこうアバウトな要望に塙さんは素直に頷いた。
「じゃあ塙さん。キッチン借りるよ」
「あとで返してね」
 塙さんはずいぶんお約束の返しをしてきた。
「出世払いにしといて」
 塙さんのボケを軽く流して僕はキッチンへと向かう。えーとまずやることは……。そうだ野菜を切らなくちゃ。えっと包丁、包丁。
「塙さん。包丁借りるよ」
「あ……と。んと」
 僕の要望に塙さんは曖昧な返事をした。
「どこにあるの? 包丁」
「えっと……ない」
 あれ、何か僕聞き間違えたかな。それとも切れる包丁がないってことかな。
「いや別に切れなくてもいいから。ちょっと使えればいいし」
「うん、だからないの」
 あれ僕学校の聴力検査で異常なしって言われたんだけど。まったく耳鼻科の先生もいいかげんだなあ。今度耳鼻科に行って再検査してもらおう。
「あの、シーナくん。包丁ってものがないの。聞こえてる?」
 うん確かに聞こえてる。ってこと僕の耳は正常? ってことは聞こえた通りの意味でいくと……。
「持ってないの? 包丁」「うん」
「……ひとつも?」「うん。ひとつも」
 まさかと思うが……。
「まな板は?」「ない」
「フライパンは?」「ない」
「じゃあ鍋は?」「ないってば」
 そのまさかだった。塙さんのキッチンには調理器具がいっさいなかったのだ。
 これじゃあ僕は料理を開始できない。そしてもうひとつ僕が料理を始めることに対する障害を発見してしまった。
 それはキッチン自体に問題があったことだ。流し台を始めとしたキッチン全体にダンボールが所かまわず置いてあるのだ。どうやらネット書店のダンボールらしい。
 塙さんの食生活改善プロジェクト(命名僕)を行うのはそう簡単な事じゃないらしい。
「塙さん。またまた待ってて」
「ん? またまたどこ行くの? シーナくん」
「いいから待ってるの? またまた一五分くらいで戻ってくるから。その間に塙さんはキッチンを片づけながら待ってて」
「うん。片づけながら待ってるー」
 またまた一五分後。
「ただいま~」
「すげえ。またまた一五分ぴったりだ!」
 またまたストップウォッチ片手に驚いてる塙さん。っていうかすごいな僕。
「もう大会とか出ちゃえよー。シーナくんだったら絶対プロになれるって!」
 これに大会なんてあるのだろうか。そもそもこの種目名なんだよ。
 まあそんなことはいいとして……。
「よし、塙さん。キッチンかして。返済は出世払いで」
「いいよー。あと言われたとおり使えるように片づけておいたよー」
 塙さんの言うとおりキッチンはきれいに片づけられていた。どうやら掃除は苦手ではないらしい。
「よし、じゃあ始めますか」
 僕は買ってきた調理器具を広げる。どれもこれも一〇〇円ショップで買ってきたもの。これが意外と使えるのだ。
「シーナくん。私何してればいいの?」
 またまた塙さんがキッチンにやってきた。
「好きなことしてってさっき言いました。頑張ってください」
 何を頑張ればいいのかは言ってる本人がわからない。
「とりあえず私はシーナくんのそばにいるの! 私はシーナくんの役に立ちたいの! 言ってよ。シーナくん。私何をすればいいの?」
 塙さんの言葉に感動しつつ、僕はぼつりとつぶやく。
「息」
「……してるよ! 小学生かよおまえー!」
「小学生じゃねえよ! 見てわからないのかよ!」
「わかるよ! っていうかシーナくんなんで逆ギレ?」
「うるせえ! 黙ってテレビ見てろよ!」
「テレビねーんだよ!  さっき言ったよ。貧乏女子高生をなめんなー!」
「じゃあラジオ聞いてろ!」
「ラジオもないの!」
「テレビもねえ! ラジオもねえ! とりあえず塙さん東京に行きなさい。その間に料理できてるから」
「どんだけ料理かかるんだよ! 東京で何すればいいんだよー!」
「息」
「それなんてデジャブ?」

     4

「ほいひー」
 塙さんは僕が作った野菜たっぷりのポトフを美味しそうに頬張っている。
「おいしいのはわかったから。飲み込んでからしゃべりなさい」
「ひーなふん。おはあはんひはいなほとふう」
 どうやら「シーナくん。お母さんみたいなこと言う」と言ってるらしい。
 これを解釈できた僕を誰か褒めてくれ。
「じゃあ私が褒めてあげるよー」
 作った野菜たっぷりシチューを無事に飲み込んだ塙さんは僕の頭をなで始めた。
「あ、気持ちいいかも」
 お世辞じゃなくて本当に気持ちが良かった。
「そう?」
「うん。頭を撫でられるのは久しぶり……」
 それこそ小学生以来だな。
「シーナくん」
「ん?」
「私も」
 塙さんはそう言うと僕の膝を枕にしてごろんと横になった。
「わかりました」
 僕は塙さんの頭を撫でる。塙さんの髪はさらさらでとてもいい匂いがする。
「シーナくん」
「ん?」
「シーナくんに頭撫でてもらうの気持ちいい。今までで一番気持ちいいかも」
「そう?」
 僕は塙さんの前では冷静を装っているはずだが、もしかしたら嬉しいのが顔に出てたかもしれない。
「うん。すごく気持ちいい」
 僕の膝元で横になってる塙さんはまるで猫のようだった。いつまでもこんな時間が続けばいいのに……。塙さんと出会ってから何回こう思ったことだろう。
「ねえ。塙さん」
「……」
 塙さんからの返事はなかった。
「塙さん?」
「すぅ……すぅ――――」
 塙さんは寝息で僕に答えてくれた。塙さんはいつの間にか寝てしまったようだった。僕は自分の着ているジャケットを塙さんにかける。
「じゃあね」
 僕はそうつぶやいて塙さんの部屋を後にした。塙さんに聞こえたかどうかはわからない。
 ただ僕の手には塙さんの頭を撫でたときの感覚が未だに残っていた。
 この感覚がずっと消えないで欲しい。そんなことを願いながら僕は自分のアパートに帰ったのだった。
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