リビングでくつろぎながらコーヒーを飲んでいると、突然、電話が鳴った。
けたたましいコール音が家中に鳴り響く。
よく考えたら、今は自分しか家にいなかったな、と思い、
渋々立ち上がり、受話器を取った。
「もしもし…」
「あ、哀ちゃん?歩美だけど…」
面倒くさそうに電話を取る自分と、
いつも明るく元気に話しかけてくる少女――
対照的なふたりだが、最近は前より打ち解けてきた。
打ち解けてきた、というのは自分のことだろう。
いつも話しかけてくる少女は、初めて出会った頃から今と変わっていない。
しかし、私のことを「哀ちゃん」と呼んだり、ふたりでお揃いのものを買ったり、
皆に内緒で朝早くにウサギの世話をしに行ったりして、
親密度は確実に増してきている。
自分としては、「迷惑」というものではないので構わないのだが、
仲が深まれば深まるほど、辛いと思うこともある。
「哀ちゃん?どうかしたの…?」
黙ったまま、ひとりで考え込んでしまった。
私らしくもない、と思い「何でもないわ」とだけ答えた。
「それより…何の用かしら?」
今日は日曜日で、連休には珍しく、いつものメンバーと
どこかに行くという約束もしていない。
博士なら今、出かけてるわよ、と言おうと思ったが、
それは彼女も知っているはずだ。
今日は博士じゃなくて哀ちゃんに用事があるの…と恥ずかしそうに歩美は言った。
「あ、あのね…歩美ね…もうすぐバレンタインだから
チョ、チョコを作ろうと思ってね……」
「バレンタイン、ねえ…」
照れながら言う少女とは違い、やはり自分は冷静に物を言う。
興味がない話題、というわけでもないが、
あげる相手なんかいないし…とひとり考えた。
「今から哀ちゃんの家に行ってもいい?」
今まで照れながら話していた彼女は、突然、強い口調で言った。
その強い口調に押されて、何も言えずにいた。
よく考えてみると、「博士の家」とは言わず、「哀ちゃんの家」と言うところに対して、
この少女がどんなことを企んでいるのか気付くべきだったのかもしれない。
「ダメ…かなあ?」
彼女がどんな顔をしているか、すぐに想像できた。
ダメ…とは言えない。
結局、来てもいいわよ、と言ったもののどうして今日なのだろうか。
バレンタイン本番までまだ何日かある。
今日は、博士は珍しく、「仕事」ということで帰ってこない。
自分がここに来る前にもあったそうだが、
以前、ある「おもちゃ」を一緒に開発した会社にまた呼ばれたらしい。
売上もよかったということで、第2弾を開発するのだとか。
特に興味もない話だが、そのせいでこの連休は家には帰って来られず、
子どもたちがブーブー文句を言っていた。
「キャンプに行こう」とか「スキーに行きたかった」とか。
私としては、寒くてどこも行きたくないので、それはそれでよかった。
ピンポーン
そんなことを考えていると、インターホンが家中に鳴り響いた。
ひとりで家に居る時は、ちょっとした物音でもうるさく感じてしまうものなのだろうか。
それにしても、来るのが早い。さっき電話を終えたばかりだというのに。
「お邪魔します…」
いつもなら元気に入って来るのに、今日は珍しく謙虚な様子だった。
「どうかしたの?」
歩美の表情を見ながら、哀は尋ねた。
走ってきたのか、息を切らせている。
「何でもないよ。ただ、ね…
お父さんから『歩美にはまだ早すぎる』って言われてるから
チョコを作ること、内緒にして来たんだ」
そう言えば、そんなことを話していたような…
しかし、それ以上は深く突っ込まなかった。
「それで?誰に作るのかしら…」
「本当はコナン君……
でも、皆のもちゃんと作るの。博士にも、元太君にも、光彦君にも」
歩美は、暫く口を閉じていたが、すぐに小声で本当のことを口にした。
なるほど…本命はやっぱり工藤君だけど、それじゃあ残りのふたりが可哀想だから、
そうなると、博士にもあげなきゃ…とでも思ったのかしら。
この少女の考えそうなことね、と心の中で呟いた。
「だから今日作りに来たの?」
「うん…家じゃ作れないし。今日は、博士がいないって言ったから
哀ちゃんと一緒に作ったらいいかなあ、と思って」
「私も作るの?」
「だって…哀ちゃんだって渡したい人いるでしょ?
ふたりで皆にチョコ渡すのもいいかなあ、とも思ってるの」
私が、チョコ…
こういう行事は苦手、というよりも自分には合わない気がする。
さっき興味がない、とも思ったが、きっとその原因はそれだろう。
いろいろ考えているうちに、歩美はもうキッチンに立っていた。
自分で買ってきたと思われるたくさんの材料を楽しそうに並べている。
板チョコが6枚、生クリームが1箱――
「材料は全部揃えたんだけど…お鍋とかは借りてもいい?」
「え、ええ…それくらいなら構わないけど…
それより、何を作るつもりなの?」
そんなにチョコを使って何を作るのか、心配にもなった。
並べられているこの2つの食材で何となく予想はできたが、一応聞いてみた。
自分の考えと少女の考えは、一致しているかは分からないが、
この材料でできるものなんて、私自身、作ったことがない。
「チョコレート」なんて昔から縁のないものだから仕方ないことかもしれないが。
「本当はね…トリュフを作ろうって思ってたんだけど、
この前、本で見て作ってみたくなっちゃったから
『生チョコ』を作ることにしたの。哀ちゃんは作ったことある?」
――生チョコ、ねえ……
予想はしていたので、それほど驚かなかったが、何も言えずにいた。
取りあえず、首を左右に振った。
それにしても本当にお菓子作りなんて縁がない。
本人はやる気だし、私なんか見守るくらいで十分ね、と思っていたが、
「まな板と包丁借りてもいい?」
「え、ええ…」
これではゆっくりと見守ることもできない。
まあ、いいか…と思い、少し手伝うことにした。
この子ひとりじゃ不安、という気持ちもあったが、
それよりも親に内緒で必死に初めてのバレンタインに挑戦する
少女の姿が微笑ましく見えた、ということもあるかもしれない。
「何か手伝うことはあるかしら?」
そう言って、歩美の隣に立つと、彼女は笑って首を大きく縦に振った。
お互い初めて作った割には、案外、早くできた。
ちゃんと時間を計ってやっていたわけではないので、
正確な時間は分からないが、きっと1時間もかからなかっただろう。
本当は、それくらいの時間でできるものなのかもしれないが。
「何か、飲む?」
さすがに歩美は疲れていた。
慣れないものを作ったので、無理もない。
冷蔵庫で2時間は冷やさなければならないので、その間は休憩することにした。
自分にはコーヒーを淹れて、歩美にはジュースを用意した。
それを差し出すと、「ありがとう」と喜んで美味しそうに飲んでいた。
私も向かいのソファに座ってまだ熱い湯気が立っているコーヒーを静かに啜った。
ふと、目の前の少女を見ると、何かを聞きたいけど恥ずかしい、といった
表情をしているような気がした。
まだ半分以上もジュースが残っているコップを両手で握り締めて
少し俯いて黙り込んでいる。
「どうしたの?元気ないじゃない…
初めてにしては上手くできたと思うけど?」
そう言うと、歩美は「え?」とだけ言って顔を上げて、こちらを見つめてきた。
しかし、視線を逸らせたり、また戻したりの繰り返しだった。
「哀ちゃんは……
コナン君にチョコあげるの?」
戸惑いながらも自分の言いたいことを言った少女に対して、
今度は自分がその答えに戸惑った。
あげる気なんて全くないが、ここで否定しても「どうして?」と
深く突っ込まれそうだし、
もし、「あげる」と言ったとしても……
いや、そんなことあり得ないけれど。
どちらにしても、目の前の少女を納得させるような答えは
今の私には言えないだろうと思った。
「どうしてそんなこと聞くの?もし、あげたとしても、
それはいつもお世話になっているし、ただそれだけのこと。
勿論、博士や円谷君や小嶋君もそうよ」
まるで姉が妹を宥めるように、優しくゆっくりと言った。
これで理解してもらえるかどうかは分からないが、
一言だけでこんなに苦労するなんて。
「本当に?」
やっぱり、追及してきた。
この少女にとって、これは大切な初恋だから
気になってしまうのは仕方ないことだけど、
私への疑いはいつ晴れるのだろう。
その大きな瞳でこちらを見つめられると、嘘なんて言えない。
「本当よ。私のことなんかより、江戸川君にチョコをあげることに
集中したほうがいいんじゃないのかしら?」
それを聞いて、歩美は、まだ何か言おうとしていた口をぐっと閉じた。
だが、視線はこちらに向いたままだった。
「チョコ…上手くできるかなあ…」
どのくらいか沈黙が続いた後、歩美は口を開いた。
今までの会話とは関係のないことだった。
少女の固い決意に自分も背中を後押しされているような気分になった。
「上手くできるわよ…」
それだけ言うと、歩美はいつもの明るい笑顔になっていた。
その無邪気な笑顔を見て、思わず私の顔にも笑みが浮かんだ。
それからあっという間に2月14日がやって来た。
いつものメンバーとの帰り道――
元太と光彦は、何かいつもと様子が違っていて、明らかに挙動不審だ。
「今日はいつもよりちょこっとだけ暑いよなあ、光彦!」
「そ、そうですね…」とふたりはいつもとは違う口調で、
どこか『チョコ』を連想させるような会話をしている。
その反対に歩美はいつものように元気に
「今日は博士の家に行くから皆も一緒に来て」と言っていた。
この中で少女の計画をひとり知っている私は、
その光景を見て、微笑んでいたようだ。
「ん?どうしたんだ、灰原…」
隣を歩くコナンに声をかけられた。
「あなたには興味のないことかもしれないけど、
ちょっとは考えてあげなさいよ…」
「吉田さんを泣かせたら、私、許さないわよ…」と言おうとしたが、心の中に留めておいた。
どうせ、この人は「彼女」からのチョコしか頭にないんだから…
その後、歩美は念願だったチョコを皆に配ることができた。
元太と光彦は、とても喜んで、いつもなら食べ物のことばかり考えている元太も
今回ばかりは「食べるのが勿体無いなあ…」と呟いていた。
歩美は、コナンに渡すときだけ、ふたりとは違う、改まったように渡していた。
相変わらず、何事もなかったように普通にそれを受け取ったコナンだが、
歩美にとっては、渡すこと自体がとても大きなことだったようで、満足していたようだ。
その日の夜だった。
私は、ソファに座ってくつろいでいる博士にカップを差し出した。
おお、すまんな…と言って受け取ってすぐにそれを博士は飲んだ。
「ん?今日は珍しくココアか…」
いつもなら何も言わなくてもコーヒーを出すが、
今日はココアを淹れてみた。
「違うわ、博士。ココアは『ホットチョコレート』とも言うのよ。
今日はバレンタインだし、日頃の感謝も込めて、ね」
歩美と違って、何も用意していなかったが、
その言葉だけで博士は喜んでいたようだ。
バレンタイン――愛の力なんて、今の私には必要のないものだけど、
この機会を利用して、いつもは口にできない「想い」を
伝えてみるのもありかもしれない。
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