実に不思議な出会いだったのだ。
忘れもしない。12月14日。
私はお風呂から上がったばかり。
ハタチの実家暮しはだらしなくバスタオル一枚で部屋に戻ったものだ。
部屋にもどると、ソファにちょこんと猫が座っていた。
…はい?
築40年の昔ながらの家で、戸は引き戸の土間続き。
縁の下も広く、よく野良猫の被害にあうことはあった。
だから祖母が猫を嫌うから猫は飼っていない。
そして普通の野良猫は目が合うと逃げるものだ。
…けれどその猫は"ここで今まで飼われてた猫ですよ"と言わんばかりに私のソファでくつろいでいた。
つい反射的に、いつも野良猫をはらうように…
「コラッ!」
と大声を上げてしまった。
猫はびっくりして逃げ、縁の下へ潜ってしまった。
私はすぐに後悔した。
…綺麗な猫だったな。
私自身、猫は嫌いじゃない。というか好きだ。
その猫は、姿が見えなかったが、縁の下のすぐの暗がりにいた。
…そういえば。
ゴミを少し漁っていたのか、ポテチの袋が部屋に転がっていた。
お腹…すいてるのかな?
シーチキンの缶が確かあったはず。
私は台所からシーチキンの缶詰めを探すと、部屋の外へ蓋をあけて置いておいた。
部屋に戻って雑誌を見ていると、床に缶の当たる音がした。そっと引き戸を開ける。
ビクッと少し猫は後ずさったが、食欲には勝てないようで、また戻って食べていた。
…野良じゃないな。
野良は絶対に人に寄らない。
この猫は、こうして見守られながら食べるのが日常だったのだろう。
よく見ると、やっぱり綺麗な猫だ。
体長は30センチ程。完全な成猫だ。
アメリカンショートヘアと日本猫の雑種だろう。
背や頭にに縞があるけれど、手足やお腹にはない。
目が黄色でずんぐりむっくりな体躯は日本猫の特徴。
私が眺めていると、成猫には珍しく、子猫のような愛らしい目で見つめ返してきた。
なでる。
…かわいい。
少し嫌がったが抱き上げてみる。
おとなしく腕におさまっていた。
どう見ても迷い猫だ。
よく見ると、右耳が半分無かった。
喧嘩したばかりだろうか。まだかさぶたには血がにじんでいた。
野良と喧嘩したのだろう。
このまま追い出すのはかわいそうだ。またやられるかもしれない。
そっと猫をソファにおろす。
気に入ったのか丸まってくつろいでいる。
なでていると、寝息が聞こえた。
出入りしやすいよう、少し戸を開けて私も布団にもぐった。
…バレるのは早かった。
朝に洗濯物を持ってきた母に見つかった。
中学生以来に"一生のお願い"を行使してみた。
全て面倒見るからと。
母も猫は嫌いじゃないらしく、悩みながらも承諾してくれた。
私の部屋は猫嫌いの祖母とも遠く、増築部の為、母屋とも車庫を介しているから大丈夫だろうとのこと。
ただ…飼い猫の可能性があった。
私は見渡せる近所に写真を持って、片っ端から飼い猫じゃないか聞いて回った。
幸か不幸か、飼い主は出なかった。
私はその猫に"ミーコ"と名付け、飼った。
本当はシャンティと付けたかったが無反応。
色々呼んでミィに反応したからとう理由で。
すごく躾のいい猫だった。
絶対に棚やテーブルなど、猫は好きそうなものなのに、物の置いてある所には乗らない。
戸も自分であけるし、部屋じゃ絶対…というか、猫用トイレを買ったが意味無く、粗相をしなかった。
まぁ、外にでも決めた場所があったのだろう。
カーテンや服も引っかかない。
入口に敷いていたマットはおもちゃになってしまったが、その程度。
鈴も最初は嫌がったが、しばらくするとむしろ気に入ったようで。
音楽をかけると合わすように鳴らしていた。
ミーコが来て一ヶ月。
こたつを出すとそこが住家になっていた。
成人式の二日前に母が突然
「ねぇ、着付け一緒にしない?」と言ってきた。
「…何で?」
私は怪訝に答える。
「成人式と前取りに着付け頼んだ先生いるでしょ?お教室もされているんだって」
母は昔、着付けを習っていたが、この年の正月に姉がインターネットで化繊の着物を買って着たいと着せたが、うまくできなかったからもう一度習い直したいとのこと。
「…一人ですりゃいいじゃん」
「それが、一人だと飽きちゃうし〜。ね、してみようよ」
この時はあまり興味が無かったが、趣味というものが無かったし
「先生が良ければ」
と返答した。
成人式一日前。
懇意の写真屋さんに前取りを頼んでいた。
着付けの先生は、後輩の母親だった。
小学校で母と役もしたことがあったらしく、二人は意気投合。
45歳で思ったより若く、ハイテンショントークが面白くて母と着付けを習うことにした。
物置き状態だった私の部屋の隣を片付け着付け部屋を作った。
先生は通いが主らしく、自宅でお稽古する事になったからだ。
母の昔の着物を広げる。
小紋や紬から付け提げ、止め袖、コート、羽織。小物もけっこうある。
「…こんなにあったんだね」
二人でまじまじ見つめていると、ミーコが戸を開けて入ってきた。
一枚の着物の上にちょこんと乗る。
「あぁ、こら!」
母が慌ててミーコを抱き上げ部屋を追い出した。
ミーコの乗った着物を見る。
「…かわいい」
黒地に赤と白のかすりの水玉が入ったウールの小紋。
「それねぇ、美幸婆ちゃんが縫ってくれたのよ」
美幸婆ちゃんは母の祖母…私のひいお婆ちゃんで、私が生まれた年に亡くなったそうだ。
母は京都生まれで、弁護士の祖父(私の曾祖父)の家で幼少を過ごした。
美幸婆さんは財閥の娘で、お嬢様。嫁入り先も裕福で働く必要は無かったにも関わらず、デパートの和裁を下請ていたそうだ。
今の様にテレビもゲームも無かった時代。
母のもっぱらの興味は美幸婆さんだったそうな。
厳しいけれどしっかりしていた祖母。
朝は必ず誰よりも先に起きて身支度をし、人に隙を見せない。
そんな祖母を見ていた母は、家庭に入ったら着物で過ごすと決めていたが、なかなかできなかったとか。
そんな折り…母が兄を身篭った頃、手頃で温かいからと、美幸婆さんがこのウールの小紋を縫ってくれたそうだ。
昔は"いかにも"なマタニティドレスしかなく、とても重宝したらしい。
中に着る長じゅばんも着やすく紐をつけたりと改良してあった。
「ね、お母さんこれ着てもいい?」
そういって私は何度も、母が今の私と同じ年に重宝した着物を来て、着付けの集まりに行った。
お花見だのお祭りだの…。
もらった写真を見ると、結婚当初の母と瓜二つだったり。
「…交ぜたらどっちのかわからないね」
母は随分うれしそうに笑っていた。
着付けを習ってから…
私の生活は驚くほど明るくなった。
没頭できる趣味があるということ。
今まで"オタクな自分"を享受していたが、自分を着飾るということをしたこと。
…う〜ん。何かのCMじゃないが、女は自分に投資すると美しくなるのね。
とつくづく実感したのだ。
あとアレ。着物で…しかも先生と他の生徒仲間とでお祭りだの花見だの行けば目立つわけで。
「写真撮らせて下さい」
と言われることも多々。
外人に囲まれ身動き取れなくなったりと。
"人の視線"を感じるのも当たり前になった。
…女は見られて美しくなるのね。
免許の更新をした。
二年前の免許ははっきり言ってネタで常備している。
「ここまで変わるのか?女って」
男に見せると100%ウケが取れる必殺技だ。
楽しいと時が経つのもあっというまで。
気付けば着せ付けまでできるようになっていた。
12月の始め。
母と着付けの卒業試験を終えた。
…思えば。
ミーコを飼い初めてそろそろ一年経つなぁ…。
この猫は、着物が大好きなのか、良く隣の着付け部屋へ入っては着物の上で寝ていたりする。
まぁ、引っかくこともないし。紙の上からだし。
一年過ごして思った。
とにかく変な猫だ。
大型の台風が来た時、母屋の一部屋のガラスが割れ、浸水したのだが、その部屋のガラスが割れる直前まで母がいた。
ミーコの声が外でしたからと、無事を確認しに母が部屋を出てすぐのこと。
間一髪。ミーコの声で九死に一生を得たと母はありがたがっているが。
それ並に私にも似たことがあった。
いつもは車に乗ると、傍まで付いてもすぐ離れるミーコが離れず、出るのにもたついた時に、出勤路で玉突き事故が起きていた。
…起きたばかりでパトカーやら救急車やらもみくちゃの現場を迂回して仕事へ行ったが、ほんの少し早く出ていたらと…ぞっとした。
こんなことが頻発したのだ。
いつもミーコに母と私、二人助けられていた。
…そういえば細木先生によると二人とも大殺界の三年にかかっていた気が…
救世主のような猫だ。
たぶん誰か身内の生まれ変わりなのかもしれない。
そう思ったとき…ふと名前が浮かんだ。
「美幸婆さん?」
私は曾祖母を知らない。
私が生まれる二ヶ月前に曾祖母は亡くなったからだ。
母は私がその祖母の生まれ変わりと思ったらしく、冬生まれもあって、私に"美雪"と名を付けた…が。
…ミーコとしばらく目が合う。
少し…微笑んだ気がした。
12月14日
何の前触れも無くミーコは消えてしまった。
ニ、三日帰らないことはあったが…年を明けても戻らなかった。
…すごく悲しかった。母と二人で探しまわったがいなかった。
きっとあの猫は…
「ねぇ、母さん。たぶんミーコは美幸婆ちゃんだったんだよ」
期限付きで、猫の姿を借りて。
今思えば…成人式はスーツで行くからその分金くれと言っていた私が、着付けを習ったのもミーコのお陰な気がしてならない。
「あ!そういえば」
何?と私は聞き返す。
「美幸婆ちゃんの命日だわ。12月14日」
…やっぱりあの猫は、曾祖母だったのだ。
「母さん、今年のお彼岸は、着物でお墓参り行こうか」
ついでに、かつおぶしも供える案は却下されたけれど。 |