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第117話 :コア


「―――――――――――コア?」


それはずっと昔に聞いた、低く存在感のある声だった。


「・・・・・・・ハ、ハイドン省長官!?」


群青色の分厚く重たげなマントに、黒い革の鞄と群青色の帽子を持ち、四、五人の前に立つ男は、あの鬼とも呼ばれたプーシャ帝国総予省省長官だった。

その身に纏う張りつめた空気が明るい真昼間のテラスでふわりと溶けたのが分かった。

私を見る目が信じられない、という風に驚きを映し、ハイドン省長官は私のもとへ大きな一歩で駆けて来た。


「お前、何してるんだ!?」

「え、今ですか??」

「今というか、ここでというか。」


私自身、何故ハイドン省長官がここにいるのか不思議でたまらず、正直なところ夢心地であった。

何の現実身もない。

今はちょうど午前の部の配給が終わり、他国から来た技術者達にアカンサスを案内することになっていた。午後の部の配給に昼食も織り交ぜ、そのうえついでといった形で案内する。

国の復興支援者は私が受け持つだけでも五十人はいると聞いた。


「もしかして、省長官も」


その支援者の一人か、と思い尋ねようとした瞬間だった。

大きな手が私の左腕をぎゅ、と掴むとそのままぐい、と広い腕の中に引きこんだ。

一瞬何が起こったのか分からなかった。強い日差しをさえぎったマントの中は木陰のようで、石鹸とほんの少し故郷プーシャの匂いのするハイドン省長官の制服に目を閉じた。がっしりとした太い両腕に抱きしめられると、心地良い息苦しさを感じる。


「―――――――――――――――よくやった。」


震えるような声が聞こえ、私はそれが今ようやく、ハイドン省長官の声だとしっかり理解した。

それと同時、ずっと張っていた気がふっと切れた。

一気に体を襲ったのは全ての恐怖と、全てが終わったという安堵、それから平和があるときへと帰ってきたのだという喜びだった。

もう、終わったのだ。

そう思うと背負っていた何もかもを一気にそこに落としたような気がした。


「お前が戦いを終わらせたマスターだろう?・・・まさか、コアがそのマスターだとは思っていなかったが、お前なら確かにやりかねないな。こんなところへ一人できて、大事を成し遂げる。」


大きな口を開けて、ハイドン省長官はそこら一帯に笑い声を響かせた。


「違いま、す。私じゃないです。平和を願うこの国の人が勝ち取ったんです。マスターなら大勢空を飛びました。マスター達だけじゃありません。魔術師だってたくさん。皆で得た平和です。」


誰か一人が導いたというのなら、それはきっとトレスなのだ。

何よりも恐怖や不安を抱えて、それでもトレスは自分の信じる道として、この国に生きる者すべての命を背負う道を選んだ。それが平和への大きな一歩だろうと思う。

そしてトレスだけでここまで来るのは困難だったであろうこの道を、平和を望む大勢の人が支えて来た。


「私はまた、無力でした。」


気付けば私の目からは涙が溢れていた。


「けれど守らなければならないものがあるということが、どれほど強さになるかを知りました。」


省長官がカルティエさんとの約束と、プーシャの病人達を守ろうと心に決めてそこまで這い上がれたように、私も確かに大きな力を感じた。

無力だと嘆いてばかりではいられないことを、嘆くその一瞬さえ、より高みまで登れるように努力しなければならないことを、私はここで学んだ。


「そうか。・・・・お前が生きていてよかった。その強さが、お前を殺すことがなくてよかった。」

「私、死にません。」

「人は死ぬ。お前が思っているよりも簡単に。」


それはそうかもしれない。おじいちゃんも、赤竜のマスターも、確かに命とは脆いものだから簡単に死んでしまえるのかもしれない。けれど。


「大切なものがあるから、死にません。その弱さも知りました。身を投げることは私にはできないんです。いくら守りたいと思っていても、私はルキアの命を背負い、セルス達と約束をして、いっぱいの人に頼られて、支えられて、生きているから。自分の命をかけてまで、誰かを守ることはできない弱さを知りました。それは、最低です。中途半端なこんな感情は偽善です。何よりも足手まといです。」


死ぬわけにはいかないという弱さを抱えた私に、ハイドン省長官は腕の力を緩めて、私を見下ろすと、あの鬼が唸るような低い声で言った。


「はき違えるな。」


その声にすっと背筋が伸びる気がした。


「それは強さだ。人が何があっても自分の命だけは守ろうとするのは、弱さでも脆さでもない。

私は最期を迎えるときに何度も立ち会ったことがある。三百人より多く看取ってきた。

そこで私が見たのは強さだ。死にたくないと、まだ死ぬわけにはいかないのだと喚くそれは、人が人として、いや、命として与えられた義務を全うする強さだ。」


厳つい目が私を睨み付け、その奥にある哀しみを隠しきれずに訴えた。

お母さんもきっと強かったのだと思った。


「強くなったな、コア。伝説の白竜のマスターに相応しくなった。」


ふっ、とそれが和らぎ優しい目が私を見つめる。

その瞳に、私はあの鋼鉄のマントを纏ったような男を思い浮かべた。

空中を舞う鉄球をたった一人で止めてしまえる、私の父を。


「お父さんに、会いました。」


私の胸の金のネックレスに通された指輪を私にくれたのは、ハイドン省長官だった。


「そうか。お前の母親の名は、グレーナだろう。」

「省長官は、知ってたんですか?」

「いや。情けないが、グレーナに子供がいることさえ聞かされていなかった。けど、グレーナの墓にお前を連れて行ったとき、一瞬グレーナを見た気がしたんだ。ただそれだけのことだ。お前はどこか、あいつに似ている。」


ハイドン省長官は切なげに目を細めて、そっと私を腕の中から解放した。

熱い太陽が照りつける中、あの楽園テパングリュスに吹く風が吹いた気がした。


「強い目と、綺麗な髪がですか?」


お父さんが私にそう言った、その眼によく似ていた。


「あぁ、そうだな。その強い目は絶対にグレーナ譲りだな。」

「お父さんも、そういっていました。」

「お前の父親をつれてこい。一度は殴らないと気が済まない。」

「それ本気に聞こえますよ。」

「ははっ、本気だ。俺は嘘をつかない。」


もしもハイドン省長官が指輪を私にくれなければ。もしもフェウスさんに、お父さんに会っていなければ。もしもあの時、ハイドン省長官が私にグレーナさんの、お母さんの話をしてくれていなければ。

もしも実施訓練で総予省に行かなければ。もしもそこで必死に認めてもらえる努力をしなければ。

もしも私がルキアと出会っていなければ。もしもマスターズスクールに入っていなければ。

おじいちゃんとエルクーナがあんなにも素敵なドラゴンマスターズでなければ。

今も私は優しく強い父がいることも、美しくつよい母がいることも、知らないままだっただろう。


「運命の神がきっと、省長官とお父さんを引き合わせてくれますよ。」


お母さんを愛したお父さんと、お母さんを大切に想ってくれたハイドン省長官を、神様がきっといつか引き合わせるような気がした。


「――――――――――――――――――コア!」


強く、強く、運命の神が吹かす風がそこを駆け抜けていった。


「お父さん。」


お母さんがきっと会わせたいと願っているのだろう。そんなふうに思いながら私はそっと私の名を呼ぶお父さんに駆け寄った。

殴られちゃうのになぁ、と思わず笑ってしまう。


決して命を投げ出さずに来たことを、私は今こんなにも誇りに思える。

お父さんとお母さんを結ぶ命として、今も、運命の神をこんなにも感じられる。


そしてそれはきっと、これからも。


だから私は生きていく。

醜くとも、みっともなくとも、懸命に。

お久しぶりです。

一年前、頑張ると言っていながら結果を出せずにいた私に、待っていますとたくさんの方が応援の言葉をくださいました。

その言葉に支えられたというのはあまりにも簡単な文章であり、感謝になってしまうのですが、本当に本当に私の支えとなってくださったことを、一度でもこの小説に目を向けてくださった方、触れてくださった方、エールを下さった方、ずっと寄り添っていてくださった方に、伝えきれないほどの感謝を。ありがとうございました。

ようやく今年、努力が実を結びました。本当に本当にありがとうございました。

小さなこの小説がたくさんの人と私を出会わせてくれたことに、心から感謝し、皆様にも心より感謝を申し上げます。私も細やかながら恩返しにもなりませんが、この小説を続けていくつもりでおりますので、これからもどうか末永くお付き合いよろしくお願いします。

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