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番外編③ レムス帝国へ

「アレックス、なぁに? この文字」

 ようやくつたい歩きができるようになった真奈まなを遊ばせながら、何気なく宿題をしているアレックスの手元をのぞき込んだ。作文を書いているらしい。タイトルは『僕のお父様』 そう言えば、もうすぐ父の日だ。

 だけど……。

 妃奈は首を傾げる。

 文の中の漢字やひらがなに混ざった見覚えのない文字。

「あ、やべ~。レムス文字になってた」

 そう言いながらアレックスは消しゴムを使い始めた。

 ひらがなもカタカナも早いうちに覚えてしまったアレックスだったが、最近よく間違えるようになっていた。指摘すると、彼はいつもレムス文字と間違えたと言う。

 レムス文字。

 アレックスの書き損じで、何度か目にしたことがあるが、他所では見たことのない文字だ。地球上のどこかに、こんな文字を使う国があるんだろか。それとも、裏表になった地球儀にあるレムス帝国は、本当に存在するの?

「いたっ!」

 考え込んでいると、いきなり髪を引っ張られた。ブチブチッと耳元で千切れる音がする。

 油断した!

 最近(とみ)にイタズラがひどくなった真奈は、ちょっと油断すると妃奈の髪を引っ張る。否、引っ張るなんて生やさしいものではない。引きちぎられた少なくない髪の毛。

 痛いよ、と怒ってみせるが、天使のように笑う真奈に、妃奈もつられて笑ってしまう。

「最近、真奈ちゃんは、本当にひどいよ。僕もこの前やられた」

 隣で頬を膨らませているアレックスに、災難だったねと声を掛けながら、妃奈は小さなモミジの手に握られた髪の毛を取り払う。


 アレクや銭塘君は、そもそも会ったときから不思議な空気をまとった人たちだったんだけど、最近ではアレックスも同じような雰囲気を漂わせ始めたと思う。

 そんな雰囲気をアレックスにも感じるとき、妃奈はふと不安になる。

 ――こんなこともあった。

 夜、寝る前にアレックスの子供部屋の灯りを消しに行ったときのことだ。

 彼の勉強机の上に巨大な蜘蛛が乗っていた。足の長さを含めれば、大人の手のひらほどもある大きな蜘蛛だ。

「きゃあぁぁ、蜘蛛がっ!」

 驚いて後ずさる妃奈に、アレックスは慌ててベッドから降りてきた。

「大丈夫。心配しないで、母様。彼女は大丈夫だから。彼女はね、業務連絡に来ただけなんだよ」 彼女? 雌なの? 業務……連絡?

 アレックスは、優秀な部下を自慢する上司ように誇らしげな顔で微笑んだ。

「うん。うちの台所と母屋の台所で、最近また気配がするらしいんだ」

 そう言うと、アレックスはやにわに顔を引き締めて蜘蛛に向かって話しかけた。

「パフィ、離れの台所は開始してもいいけど、母屋の方は日付が変わってからにして。今日は法事があったから遅くまで使ってるだろうからね」

 アレックスがそう言うと、蜘蛛は納得したかのように小さく身じろぎをした。まるで膝をついてお辞儀をするかのように。

 そして次の瞬間、蜘蛛は音もなくドアの隙間から出て行った。蜘蛛を見送って、妃奈は呆然と問う。

「アレックス? 今のは……」

「彼女はアシダカグモといってね、ゴキブリが大好物なんだ。夜のうちに狩っといてくれるよ。彼女はとてもいい仕事をするんだ。ゴキブリは朝までには一匹残らずいなくなってる筈だよ。でも、まいったなぁ。母様が蜘蛛苦手なのは、父様から聞いて知ってたから鉢合わせしないように気をつけてたんだけどなぁ。ごめんね。今日、会っちゃったのはたまたまだから、次からはもっと気をつけるから気にしないでね」

 そう言ってにっこり笑うアレックスに、妃奈は、そう、とだけ言って、ひきつった笑いを浮かべるしかできなかった。

 ――ってか、パフィって何よ。なんで蜘蛛にそんな愛くるしい名前付けてるの? うちの子は……。

 だけど、アレックスのそんな奇妙な行動や書き損じのレムス文字を見る度に、やはり妃奈は不安になる。

 アレクもアレックスも、妃奈を置いてどこかに行ってしまう気がして……銭塘君のように。

 銭塘君は、真奈が生まれた後、しばらく旅に出ると言っていなくなっていた。

 真奈が生まれたのは夏の盛りだったから、銭塘君がいなくなってから、そろそろ一年経つことになる。

 銭塘君は、今頃どこで何をしてるんだろう。


 ところで、娘の真奈は、目鼻立ちは多少アレクに似ていないこともないが、黒髪に黒い瞳で、どちらかと言うと妃奈に似ている。

 真奈も大きくなったら、アレックスみたいに不思議なことを言い出すのかしら。

 しかし真奈には、アレックスとは別のことで、妃奈を不安にさせるものが既にあった。

 真奈の左手首には、白い、色素が抜けたような斑紋がある。鳥の羽のような、鳥にしては骨ばっているような小さな斑の模様。

 どこかで見たような気はしていたが、分からなかった。それが、妃奈が記憶をなくして寺の裏山の滝壺で倒れていた時に手にしていたペンダントヘッドに刻まれていた片翼の模様と同じだと気づいたのは、和尚様だった。

 それまでは、ただ、不安になる斑紋だと……そう思っていた。

 それに、 その斑紋を見てから、銭塘君は旅に出る決意をしたようにも見受けられるのだ。

 ――こんなに高確率で生まれるのなら、他にもたくさんいるのかもしれない。

 旅立つ前、銭塘君がアレクにそう言っているのを耳にした。その力のせいで苦労している子供がいるのであれば助力してやりたいとも言っていた。

 いつになく難しい顔の銭塘君。いつになく心配そうな顔で頷くアレク。

 力のせいで苦労する? 何の力? 真奈も苦労することになるの?


「ねぇ、アレク、アレクもいつか私を置いてどこかに行ってしまうの?」

 ここ数ヶ月、アレクは帰りの遅い日が続いている。本人は山へ行くと行って出かけるのだが、夜が明ける前に出かけて、帰ってくるのは真夜中という日も多い。

 アレクは苦笑する。

 何を莫迦なことを……と。

「そちを置いてどこに行くというのだ。そちこそ、余の帰りが遅いからと言って、余を置いてどこかに行かないでほしいものだ。この前は、戻ったらそちがいないので慌てた。どこかに行くのなら、ちゃんと行き先を和尚様に伝えるなり、書き置きをするなりしておいてくれ。さもないと、心配で余は何をするか分からぬぞ?」

 この前は、久々に同窓会が開かれて出席したのだが、盛り上がって引き留められ、帰るに帰れず遅くなってしまった。アレックスも真奈も母屋で預かってもらっていたのだが、和尚様には同窓会に出席するとしか伝えていなかったので、たまたまその日は早く帰ってきたアレクを心配させてしまったのだった。

「ねぇ、アレク、アレクは毎日どこに行ってるの?」

「山に行ってると言ったであろう?」

「山で何をしてるの?」

 アレクは最近では毎日のように山へ行く。週末はアレックスも伴って行くことが増えた。アレックスにも、どこで何をしているのか聞いたんだけれど、うん、とか、まぁ色々とか、ちっともまともに答えてくれない。

 泣きそうな顔で問う妃奈に、アレクは少し困った顔をしたものの、やがていたわるように話しだした。

「妃奈、来年早々には祖父御がこちらに戻ってくるであろう? その時に、詳しいことは話そうと思うておったのだが、そちがそんなに不安なら、今度の週末、アレックスと共にそちも行ってみるか? 記憶が戻らぬそちには、少し刺激が強いかと今まで躊躇しておったのだ」

 どこに?

「真奈はまだ小さいからな。できれば母屋で預かってもらえると良いのだが……」

 不安げに見上げると、少し困ったように、でも少し楽しげにアレクは妃奈の髪を撫でる。

「そちが行けば、皆喜ぶだろう。ネプトゥヌスもポムポムも時折そちを懐かしんでおるようだし、紫竜に至っては、契約はとっくに失効しておるのに、時折王宮の近くを飛び回っておるからな」

 ネプトゥヌス? ポムポム? シリュウ?

 妃奈はきょとんとした顔でアレクを見上げる。 アレクのまるで王様のような高貴な微笑みに、色々聞きたいことはあったけれど、妃奈はすべての疑問を呑み込んで微笑み返した。

 アレクが微笑んでいるんだから、きっと大丈夫。どこに行っても、何を見ても、アレクが一緒なら……きっと大丈夫だ。


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