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拙作は「大人の夏ホラー」という企画に際して書いたものです。
こうした機会を与えてくださった主催者の方や、励ましを下さった方に心より感謝致します。

八月二十日修正箇所  行間が詰まりすぎていたので、少々間をあけました。

九月一日 「おとなの夏ホラー」投票リンクを撤去しました。
      拙作をお読み頂き、また投票・感想を下さった皆様に心よりお礼を申し上げます。
      本当にどうもありがとうございました!

十月六日 携帯用に改行を施しました。

【注】
この小説にはメールに書かれた本文や、ブログに投稿された記事(全て私、作者の創作です)が出てきます。
それを表すために、二字下げして執筆致しました。
そのため、携帯の方、パソコンの方でも全画面を表示してでないと非常に読みにくいものとなっております。
そういったものに嫌悪感を覚える方や苦手な方は自己判断でお願い致します。
非常に勝手で申し訳ないのですが、どうかご理解頂けると幸いです。

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作:森カラ



【一】


   八月九日
   毎日暑いですね。皆さんは体調崩されたりしていませんか?
   リサはとうとう大学生活、最後の夏がやって来てしまいました。トホホ。
   まあでも単位は足りているので、あとはそれなりにやれればいいかな、と。
   皆さんも、頑張って夏を乗り切りましょう!
   まだ始めたばかりなのに、すでにたくさんの方に足を運んで頂けてリサは本当に嬉しく思っています!
   今後もリサのアンテナでキャッチした日常生活のことを書いていくだけですが、どうぞ宜しくお願いしますネ。

   八月十日
   こんにちは。今日も最高気温記録を更新しましたね。
   リサはこの暑い中、今日も大学にいます。
   M先輩と待ち合わせしていたんだけど、何故か連絡が取れないのです。
   今日はサークルの飲み会があったから、先に落ちあって一緒に行こうと思っていたんですけど。
   M先輩ったらリサとの約束忘れちゃったのかなあ。
   M先輩とは、最近お付き合いを始めた彼氏なんです。
   とても聡明な人で、リサのことも認めてくれています。
   でも最近そっけないんです。皆さんはそういう時、どうしますか?

   八月十一日
   このブログを読んで下さっている皆さんは、「男の浮気の心理」ってどういうものか、ご存知ですか?
   そして、それを確かめたことがあったりしますか?
   突然ですけど、リサの彼のM先輩、浮気しているみたいなんです。
   偶然リサの友達と裸同士で写っている写メを見ちゃって……。
   今、お前は神になるのか、死神になるつもりなのかと、自分自身の中にいる天使と悪魔に責め立てられて
   います。
   リサにM先輩に制裁を加えることなんて出来るのかな。
   ……なあんて、恐ろしいこと言っちゃって、皆さんびっくりしたかな?
   嘘ですよ、そんな馬鹿なことは絶対にしません。安心してくださいね!
   浮気をされる原因はきっとリサにもあったと思うし、これからちゃんとM先輩と話し合うつもりです。
   いつも温かいコメントありがとうございます! 頑張ります!

   八月十二日
   皆さんは、才能を盗まれたことがありますか?
   信じていた人に裏切られたことがありますか?
   目の前で、自分の子供のように大事なものを殺されたことがありますか?
   そういう時、被害者にはどういう権利が生まれるのですか?
   傷ついた分を返すくらいなら、してもいいんでしょうか。
   やっぱり、泣き寝入りしかないのかな。


 夜だというのに、蝉の鳴き声が闇を縦横無尽に切り裂いている。私はそれをバックミュージックにして、もう二本目の缶ビールを空けてしまった。まるで迷子が母を求めて泣いているような悲痛な羽音は、ますますビールの味を不味くさせている。
 真っ暗な部屋が煌々と白く染めあげられているのは、ノートパソコンのせいだ。最近はあるブログに足を運ぶのが日課になっている。
 私は痛む頭を気にせず、冷蔵庫から三本目のビールを取り出した。大学へ通っていた頃はビールなど全く飲まなかったのに、いつからだろう、いつの間にか仕事から帰ると水を飲み干すかのごとくビールを飲むようになってしまった。喉を滑り落ちていく苦味と炭酸の刺激は、中途半端に出掛かった言葉をやり過ごすのに向いている、と思う。言いたいことをこれっぽっちも言えない私には、いつしか欠かせないものになってしまっていた、ということか。
 再び卓袱台の前に胡坐を掻くと、どこかの公園で鳴った爆竹の音に紛れてプルリングを開けた。トラックボールを操作し、画面上に映し出されたブログ内の“八月十三日”の所へポインタを合わせてクリックする。

   八月十三日
   皆さんにこの報告を聞いてもらいたいので、頑張って記事を書こうと思います。
   やっぱりリサ、M先輩とお別れすることになってしまいました。
   コメント下さった方、せっかく応援してくださっていたのに、結局こんな結果になってしまってごめんなさい!
   一方的なお別れだったんです。
   リサの部屋に置いてあったM先輩のもの、リサが家を空けている間に処分したみたいで、
   リサの渡した、先輩が面白いって言ってくれた論文も破ってゴミ箱に捨てられていて……。
   落ち込んでいても仕方がないって分かっているのに、どうしても受け入れることが出来なくって、今日は一睡
   も出来ませんでした。
   明日もサークルがあって学校に行かなきゃいけないのに、どうしたらいいのでしょう。
   いっそのこと、M先輩もAもサークルからいなくなっちゃえばいいのに。

 十三日の記事を読み終え、目頭を強く押した。仕事から帰ってきてから、まだ一時間ほどしか経っていないが、最近頓に目が疲れる。職場ではお茶汲みしかしてないのにな、と自嘲的な笑いを漏らし、掛けていた眼鏡を傍らに置いた。
 ようやく弱弱しくだが、夜風が部屋に流れ込み、半日以上も締め切ったままだった部屋の空気が入れ換えられていく。湿気を思い切り含んだ夏特有の重苦しい空気を吸い込みながら、そうか、結局別れることになったのか、と私は思った。いや、現実にはそのような演技をしただけだとも言える。私はゆっくりと、風に当たった首筋を手の平で撫で付けるように触った。先程風呂に入ったばかりなのに、もうベタついている。ビール三本目にしてようやく消えかかっていた苛立ちが、再び胃を押し上げるように疼き出すのが分かった。私は何度か腹を擦り、胃の辺りの筋を伸ばしてやり過ごそうと体を反った。すると視界の端に、ウィンドウの光を受けてやけに白く反射しているゴミ箱が目に入り、明日が燃えるゴミの日だったことを思い出した。徐に立ち上がると、急激に酔いが足元を掬うのに気を取られたが、何とか千鳥足で台所へ向かう。ゴミの蓋を開けると、様々なものが腐って蒸された臭いが鼻を衝き、嗚咽が漏れそうになる。勢い良く袋をまとめ、玄関へ向かった。ゴミ袋の口を縛る時に、びっしりと文字の書かれた紙が作為的に破り捨てられているのが目に入ったが、見なかったフリを決め込んだ。


   ***

 三月の終わりに入った出版社に勤務して五ヶ月目に突入し、私は二十三歳になった。
 入った頃は夢と希望に溢れ、自分だけにしか書けない記事を書けるチャンスがやっと自分にも廻ってきた、と興奮していた。だが実際、現実はそう甘くはなかった。私は五ヶ月間、まだ一文字も言葉を書かせてもらっていないのだ。それが普通だ、と言う声もあるかも知れない。だが、私はどうしても納得出来ないのだ。私には他の馬鹿な女たちとは違い、磨けば磨くほど光る才能がある。この私に五ヶ月間も記事に携わらせてもらえない、などという馬鹿げた話があっていい訳がないのだ。書けば絶対に私の才能は伝わると、ここ何ヶ月ずっと思い続けてきた。だが、肝心の「書く機会」が私達新人には与えられない。日々雑用やお茶汲み要員としてしか認識してもらえず、夏に入ってからは以前にも増して、社内のセクハラが酷くなっていた。学生時代の就職活動中、インターンで聞いた話や体験したものとは雲泥の差で、私はますます毎日会社に通う意義を見出せなくなっていた。若い女子社員は上司のセクハラから逃れる術を持たず、一部の各部署内では盗撮写真までも出回っているらしい。そんな中、開き直ってその立場を利用し、玉の輿を狙う女まで出てきてしまう始末で、ますます自分のような仕事への真剣な想いを胸に秘める人間の値打ちが下がることに、やるせなさを感じずにはいられなかった。
 このままではいけない、と何度も思い、どんなに忙しくても私は自分で書いた記事を上司の机の上に置いておいた。一目でも見てくれさえすれば、私はすぐにでも会社の即戦力として重宝されるはずなのだ。だが結局、私の書いたものが誰かの目に触れることはなかった。故意に、自分の書いた原稿がゴミ箱に落とされるのを何度も見た。
 そして、そのうち同期の高月(たかつき)(あや)()が会社を代表するティーン雑誌の編集助手に抜擢されるということがあり、私はますます投遣りにならざるを得ないでいた。だがそんな時に、とうとう私にも転機が廻ってきたのだ。
「君には絶対に才能があるよ。だから俺と一緒にいるといい」
 捨てられ続けた私の原稿を手に持ったまま、男は言った。男は同じ部署の、私より五年先輩の間中(まなか)(えい)()といい、言葉を交わしたのはこれが初めてのことだった。歳は二十八だったが、どこか落ち着いた印象があり、漲る自信のような空気感を常に放出させている男だった。女子社員の間でも非常に人気があり、常に噂に上る男だったが、お近づきになれるような条件を持ち合わせていなかったし(彼は専ら胸の大きい、アイドル然とした女性が好みだという噂だった)、それ以前に私は高月のようなことをして仕事を取りたいのではなかった。そうだ、高月采花は上司である(たちばな)との一夜の密会の末に仕事を勝ち取ったとの噂があったのだ。その噂の信憑性が高いことは、派手で、男に色目を使いに職場にやって来る彼女を一目見る限りでも明らかだった。
 間中にとっても、高月はもろにタイプの女であるといえた。だが、彼は私に言ったのだ。
「君の作る文章はとても面白い。新入社員の中ではずば抜けている。少し俺についているといい。時期が来れば、君のことを上に押し上げてやらないでもない」と。
 ほうら、思った通りではないか、と私は洟を鳴らした。見る人が私の文章を見れば、こうして一目で分かるものなのだ。まるで暗く、長いトンネルをさ迷い歩く内に、突如出現したオアシスに辿り着いたような感覚だった。
 それからすぐに間中との付き合いが始まった。
 間中はすぐに私の小さなワンルームマンションを、まるで第二の自分の家のように扱った。一週間も二週間も全く姿を見せないときもあれば、突然やって来て私を抱いたりもする。気付けば、間中の私物は私の狭い部屋の中で堂々と息をし始め、私の方が居心地の悪さを覚えるほどになっていた。何故あのような男に全てを捧げてもいい、などとベタな感情に溺れたのかと聞かれれば、私はこう即答する。間中は絶対に怠らなかったからだ、と。
 あれだけ身軽で、女の扱いが上手い男なのだ。他に女など腐るほど持ち合わせていただろう。だが、間中は必ず、私の書き溜めている文章を読んでくれたのだ。私の体を求めるのではなく、私の書き連ねた原稿だけを取りに家へ来ることさえあったほどだ。そして私にきちんと指導もしてくれた。本当のことを言えば、私は初めにされた間中の告白をあまり信用していなかった。だが、「間中は私の若さや体ではなく、本当に才能を買って育てようとしてくれているのだ!」と思うようになると、面白いくらいに自分が彼にのめりこんでいくのが分かった。
 間中がいつ私のところへやって来るのか、携帯電話の番号さえ教えられていなかったので分かる術もなく、常に納得のいく文章を書いて手元に用意しておく必要があった。その為に徹夜をすることなどざらだったが、いつどんな時も準備を怠ることはなかった。そのせいで体力も精神力も追いつかなくなり、結果倒れて点滴を受けることさえあったが、楽しんでいた。
 そのうち、私の中に、間中に対するハッキリとした恋愛感情が芽生えたのに気付くのに時間は掛からなかった。言葉をいくら吐き出せども、溜まっていく間中への愛情をもうどうすることも出来そうにない、という時だった。
「お前とはもう終わりだ。お前の文章はいいように使わせて貰った。だが勘違いするな。お前のことなど愛していないんだ。もう潮時なんだよ。いい加減気付くだろう、普通」
 間中はそんな意味合いのことを言ったのだったか。もうハッキリとは思い出せない。その直後から私の中にある間中への感情は、純粋な赤に染められた、煮え滾る怒りに変わってしまっていたのだ。
 間中は私に別れを告げると、私のいない間に部屋の私物を処分したようで、渡してあった分の原稿までご丁寧に破って生ゴミと一緒にゴミ箱へ放り込まれていた。そして玄関に投げ捨てられていた合鍵を拾い上げた時、世界が逆転を始めたような気に陥った。それは空が足元で汚され、頭上から土や砂がザラザラと降り注いでくるような感覚だった。瞼も、上手く開けていられない。今まで積み上げてきた全てが瓦礫となって降り注ぐ中、だが私はどうしてもそのゴミを捨てられずにいた。
 間中はそれからすぐに高月采花と付き合いだした。どうやら間中が受け持っていた仕事が評価され、橘に気に入られた間中は橘の囲っていた高月を紹介されたらしい。確かに断る理由はどこにもないだろう、間中はその勢いで昇進を遂げ、共に何の業績もない高月までも更に上へと上がっていった。
 後で知ったことだったが、間中の昇進に直結したという彼の担当記事には私の書いた記事が印字されていた。可笑しい話があったものである。これは間中の業績ということになったようだ。
 誰かの所へ、憎しみから生まれた力がこんなにもハッキリ向かっていくものだとは思いもしなかった。私の気持ちはもう既に固まっていた。

   ***


   八月十四日
   今日はビックリすることがあって、少しヘコんでいます。
   私、今日どうやら蝉を踏んでしまったみたいなんです。ヒールでぶすり、と……。
   そんなこと初体験で、未だに震えが止まりません。
   しかも、踏んでから、まるでのた打ち回るように四方八方に動くので、それから逃れるのに全速力で走った
   りして、バテバテです。まさかあんなに生命力が強いとは……。お陰で全身筋肉痛です。
   皆さんも、夏には気をつけてくださいね。
   でも、新しいことにはどんどんチャレンジしていきましょう!
   特に、夏は自分の障害となっていたものを潰すチャンスですよ。


 ゴミを捨ててきた私は駆け足で部屋に戻ってくると、すぐに座卓の前へ滑り込み、再びブログに齧りついた。記事は一昨日のものだ。コメントが沢山寄せられており、そのどれもがこのブログの管理人“リサ”を励ましたり、彼女をアイドルか何かと勘違いしたりしているファンからのもののようだった。私は何度も十四日の記事を読み、そのうち嗚咽のように可笑しさが込み上げてくるのを止められなくなった。嗚咽のような笑いになってしまうのは、全身が筋肉痛に悩まされているからだった。笑う度に自分の体が、まるで雑巾絞りでもされているかのように痛み出す。いつか何かの映画で観た老婆のような笑い声が部屋に充満すると、何だか力が抜けてきて、私は体を庇うようにして目の前のキーボードの上に突っ伏した。それと同時にまだ少し残っていたビールの缶が倒れて、中の液体が床に広がる音がした。目を瞑り、緩慢な体を弄ぶようにしてゆっくりと体を起こした私は、全てを握り潰すような勢いで他の空き缶を叩き潰した。そして、近くにあった古着を、転がったビール缶の辺りへ放り投げた。神経が過敏になっているのか、古着が炭酸の抜けた温いビールを吸い込んでいく音まで聞こえるような気がする。それはまるで、小さな生き物が大きな獲物に根気良くむしゃぶりついていくのに似ていた。
 そうして私はまた演技をする。
「新しいことにチャレンジか、それ、いいわね。蝉は踏みたくないけど」
 自分の中に浸透し易いように、わざわざ声に出してゆっくりと演じた。後に全ての苛立ちと興奮がドミノのように倒れ、沈黙する。
 すっかり酔いの回った頭で、パソコンをリロードしてみた。するとリサのブログのコメント欄に、つい一分前に投下されたコメントが映し出されていた。これで彼女の、十四日についたコメントはこれでもう十件になる。

   リサさんの文章は、いつも私に元気をくれます!
   でも、蝉を踏まれたことは災難でしたネ……。本当に同情します。
   でもリサさんにお怪我がなくて本当に良かった!
   これからも頑張ってください。リサさんの言うとおり、私も何か始めてみることにします!
   障害を潰して、少しでもリサさんみたいになれるように……。それでは。


 まだ耳のずっと奥を、アルミ缶の潰れる音の余韻が残っていた。闇の中で私は目を瞑った。瞼を閉じても、目の前のウィンドウが白く光り輝いている為に視界は明るい。もう一度皴枯れた声で笑った。そして喉が擦られるような感覚の中、アルミ缶の潰れる音は、あの男の骨が折れた音と似ているな、と思った。


   ***

 間中を殺したいと思い始めたのは別れてすぐのことだったが、実際にそれを実行に移したのは突発的なものだった。突発的ではあったが、それは必然だった。私があの男を殺すのは、初めから決まっていたことで、課せられた運命のようなものだと思っていた。そしてこの経験は私をさらに上に押し上げるための、神の用意した貴重な試練なのだと思った。
 八月十四日、私は別れてから初めて間中と会った。部署が変わってしまったので、職場で顔を合わせることもなくなっていたのだ。
「あなたとやり直したいという気持ちはないの。けれど、あなたの才能に憧れる一人のファンとして、どうしても贈っておきたい原稿があるの」
 そうメールを送ると、間中は餌にかかった魚のようによく釣れた。私は釣れた魚をどう料理して食そうか、かなり悩んだ。悩んだ挙句に私は彼の息の根をこの手で止め、全身の骨を粉々にして原型を奪い、土の奥深くへと埋めることにした。余程のことがない限り、間中は見つからないだろうといえた。夏の生い茂った、濃い緑の草木は間中を彩るように盛り上がった土を隠した。逞しい木々の根は、これから先彼から養分を貰って、ますます繁るだろうと思えた。そして、漂う真夏の湿気は、どうしても隠しきれなかった死の発する異様な空気を、まるでフォーカスのようなねっとりとした鈍さでもって隠してもくれたのだった。
 間中は突然会社に来なくなった。私に殺されたのだから当然だ。けれど私の口から出てきたのは、罪を告白する懺悔の念でなく、もっと夜を深くするような、黒く装飾された言葉だった。
「どうして彼と連絡が取れなくなってしまったの! どうして誰も間中先輩の居場所を知らないんですか!」
 それから私の演技の毎日が始まったのだった。
 私が間中と付き合ったり別れたりしていたことは、職場の人間は誰一人として知らないようだった。きっと間中が私の文章を盗んでいることがバレるのを恐れたためかも知れない。だから間中は慎重に私と接点を持っていたのだろう。また、間中に生前貼られていた“遊び人”というレッテルがここにきてより一層目立ち始めたようで、周りの人間は口々に彼の失踪の理由を色恋沙汰に染め上げ、好き勝手に噂し出した。しかし誰も私を疑う者はいなかった。警察はようやく捜索を始めたようだが、当然私を疑う流れもなく、的外れな場所ばかり探しているようだ。私は罪を恥じることもなく、演技の毎日を過ごし続けた。
 演技は現実だけ留まらず、ネットの中へも浸透していった。そのきっかけを作ったのは、一つのブログを目にしてからだった。
 初めに見たブログは、何の面白みもない女子高生のものだった。書いてあることといえば下らない日常のことばかりで、そのほとんどが好きな男の子についてのことや、友人との喧嘩のことで彩られている。溢れんばかりの才能を見せ付けてやれる場さえ与えられず、その上それを簡単に盗まれた不幸な私は、その現実を直視させられ、正直驚きと不快感を隠せなかった。その女子高生のブログにはとてもたくさんのコメントが寄せられていたのだ。だが、どう読んでも、私にはそのブログの面白さをひと欠片も見つけることが出来ない。しかし、このブログの「自称女子高生」の管理人は多くの人に認められ、また期待を寄せられているのが現実なのだ。
 私は都心のど真ん中にあるこの小さなマンションの一室で、電気も点けず悔しさに(うずくま)る毎日に、そして中途半端に茫洋(ぼうよう)とした時間に唾を吐いてやりたかった。このままでは、誰にも気付かれないまま、私の(くすぶ)る才能は盗まれるだけ盗まれ、じきに腐ってしまうと思った。
 そのうち、私は間中を殺す算段を始める。
 そして私は自分の中にある感情が生まれるのを冷静に感じていた。目を閉じれば浮かび上がる、私を最悪な形で裏切った間中への憎しみと、間中を誘惑し、私から彼を寝取った采花への生理的な嫌悪感。どうせ私の才能を見せ付ける場がないのなら、寄り多くの人の目に留まるようにこのウェブログというおかしなツールを使って、単純で下らない人間たちの舌を、私の筆致でもって巻かせてやろうと思った。そうすることで、まるであの男が私によって、私の掌から転がされる様を見た気がしたのだった。それには「利用していたのはお前らではなく、この私の方だったのだ」と高らかに宣言するのと同じ爽快感があった。
 成果は思ったよりも、すぐにハッキリとその形を現した。いくつかコメントがついたのだ。他愛もないコメントだったが、それは大きな変化だった。それから出来るだけ短期間で多くの人の目に付くように、様々な場所から自分のブログにコメントを書き込んだり、宣伝をしたりした。その甲斐あって、ブログの人気は数日で瞬く間に沸騰していったのだ。
 そうして機が熟し、私は間中を殺した。
 私の作ったブログは一見、普通の女子大生の赤裸々な日常を綴った文章の羅列でしかない。そのほとんどを現役女子大生の等身大の姿で隠しながら、だが私にとって、それは間中への憎しみと采花への恨みを描いているものでしかないのだ。
 人気が出れば出るほど間中と采花は辱めを受けていく。私の脳内で、私の手によって、自由自在に面白おかしく弄ばれるのだ。誰も、私の受けた本当の痛みに気付かなくてよかった。私はただ、彼らが好き勝手に生きるための養分になったことが憎くて堪らないのだ。
 だから私にも彼らを好き勝手に操る権利はあるだろう?
 私の素晴らしい才能ならば、それをすることは簡単だと思った。神の用意した貴重な体験を生かし、私は誰よりも上へ行くのだ。
 そして私の二重の演技生活が始まる。自分の手の中で弄べる世界の小ささと愚鈍さに、罪の意識はほとんど感じなかった。

   ***


   八月十五日
   今日大学内でM先輩に会ったら絶対に笑って「おはよう」って言おうって思ってました。
   けれど、また空回り。M先輩は大学に来ていませんでした。でも何かちょっとおかしいんです。
   サークル内でも色んな人がM先輩に連絡を取っているのに、全然捕まらないみたいで……。
   それでも、モトカノの私が電話するわけにもいかず、心配は募るばかり。
   でもね、皆さんの前で、ここでだから言えることが一つあるんです。
   どうやら先輩の浮気相手の女、同じサークルのAもM先輩の行方は掴めていないみたい。
   不謹慎だけどちょっとホッとしてしまいました。私って、本当に最低な人間ですよね。
   分かっているのです。
   でも、正面から戦えない私は、こうして頭の中でどうにかするしかありません。
   でも、実際に手を下すよりは、その方がいいですよね。

   八月十六日
   皆さんのコメントのアドバイスもあり、勇気を出して、M先輩の家に電話をしてみました。
   ですが、M先輩のお母さん、全然心配していませんでした。
   何度“あなたの息子と連絡が取れない”と伝えても、笑って取り合ってくれませんでした。
   M先輩と連絡が取れなくなったことは以前にもあった、ということなので、そんなに心配することではないの
   かもしれません。
   でも、何か嫌な予感がするのです。何か、取り返しのつかないような、嫌な予感が。

   八月十七日
   どうして誰も協力をしてくれないのでしょう。M先輩はそんなにも遊び人に見えていたのかな。
   私にはそうは思えない。
   やっぱり何か事件に巻き込まれたりしているんじゃないか、と思い始めてきています。
   明日から、近くを本格的に探してみようと思います。
   学校帰りにしか出来そうにありませんが、もしこのまま見つからずに最悪なことが起きていたら、Aではなく、
   絶対に私が見つけてあげなければって思うから。

 私はいつか聞いた骨の砕ける音を、集中し、よりハッキリと思い出そうとしていた。その作業を、まるで貝殻に耳を押し当てて、波の音を拾い集める時のようだ、などと思う。その傍らで散らかった部屋の中から関東全域の地図を取り出し、パソコンの光の中で広げた。
「リサのM先輩とやらはどこに行ってしまったんだろう」
 あてなく指を滑らせながら、私はまた演技をする。それが当たり前という風に、眉間に皺を寄せてパソコンの稼動音に混じってうなり声を上げる。だが私の指先は、本当は行き着く先を知っている。男に焦らしを与えるときのように、ねっとりと動かしながら、間中を埋めたあの土を思い出すのだ。
 八月十四日の夏の森は鬱蒼としていて、まるで意思を持って生きているようだった。間中はもう腐って、湿気を含んだ土と混ざり合っただろうか。先ほど捨てた生ゴミと同じく、不快な臭いを葉の表面に擦り付けているだろうか。思い出すと吐き気がして、()(つくば)りながら、湿った風を通していた開け放った窓を閉めた。そして扇風機を回して、ゆっくりと息を吸い込んだ。
 地図上を滑らせていた指を多摩の丘陵地帯で止めた。もう何度もそこを触っているので、だんだん汗で紙が弱くなり、文字が薄れて捲れだしてしまっている。誰にも気付かれずに、間中はここに埋まっている。私のブログに集う人間たちは、間中の死に彩られている記事に一体何を感じて、こんなにも陽気で単調なコメントを私に寄せてくるのか。よく踊る人間の愚かさを手の平に乗せて眺めながら、私は今日も間中と采花を民衆の前に曝け出すために記事を書く準備をする。
 クローゼットの奥から、まだ土汚れの落ちていない小さめの段ボールを取り出した。中に無造作に入れられていたものが、まるで隠れていた虫が驚いて動き出したような音を立てて揺れる。私はわざわざノートパソコンをダンボールの方へ向けて明かりを確保すると、徐にその中を覗き込んだ。
 中にあるのは間中の遺留品とでも呼べばよいだろうか。片方だけの靴。片方だけの靴下。ネクタイ。ワイシャツのボタン。それらがただ沈黙し、微かに残った間中の気配を吐き出しながらぐったりとしていた。私はそこからワイシャツのボタンを拾い上げた。白かったはずのボタンに、飛び散った血痕がまるで涙のように流れている。今はもう固まって、爪で擦ればはらりと落ちてしまう。それは間中の魂のように儚く、弱く、永遠ではなかった。私はそれを一度、皮膚に食い込むほど握り締めると広げた地図の、大体間中が埋まっていると思われる場所に落とした。弱弱しい音を立てて転がったボタンを見て、間中という愚かな人間への下卑た悲嘆が胸の中を電流のように走るのを感じた。
「M先輩ってのは、ほんと運のない人ね。でも才能も運もない人は、こうして上に立つ人間の人柱にならなければいけないってことなのよ」
 間中を殺したときに持っていた、いわゆる凶器というものは一緒に埋めてきてしまった。ただ、未だに私の手の平には、間中の首を絞めたときに刻まれたロープの痕がくっきりとついていた。レザーの手袋をしていたのに、間中の首は思ったよりも強く、苦戦しているうちに生地を傷つけ、その後ゴルフクラブで繰り返し殴りつけたときにとうとう破れてしまったようだった。私はその痛みも、間中の、睡眠薬で麻痺した意識から零れた最期の言葉もハッキリと覚えている。彼が死んだ時間も、中途半端にだらしなく開けられた口に土を放り込んだときの不快感も全部知っていた。けれど、私は演技を止めない。間中瑛二は私を侮辱した罰を受けねばならないのだ。私にはあの男を辱める義務がある。そして、あの男は侮辱した私の手で、言葉で、切り刻まれていけばよいのだ。
 私は少し迷って、パソコンを再び自分の方へ向けた。新しく記事を書く準備はもう整っている。
 間中を殺し、四日が経っていた。私は記事を書く画面の他にもう一つ窓を立ち上げると、それで航空写真を開く。もちろん間中が埋まっている大体の場所の写真を開くのだ。上からでは木々の隙間さえ見えず、恐ろしいほどの緑で埋め尽くされている。まるで意思を持って間中を隠しているようにさえ思える深さだ。この何十年もひそやかに風に揺られ続けてきた森の中に間中が埋まっている。私は静かにキーボードの上に手を置き、言葉を刻み始めた。

   八月十八日
   ある場所で、私はもしかしたら重要証拠になるものを見つけてしまったかもしれません。
   今、私の傍らには、そこで見つけた一つのボタンが転がっています。
   土に汚れた、白いボタン。これって、もしかしたらM先輩の物かも知れません。
   突然、皆さんは私の頭がおかしくなったと思うでしょうね。
   確かに、ある意味では、M先輩に傾倒しすぎておかしくなっているのかもしれません。
   でも、私にはどこかで本当にM先輩が見つけて欲しがっていて、このボタンを使って私にメッセージを送って
   きているのかも知れない、などと思ってしまうのです。
   誰か。M先輩を見つけて。誰か。誰か。












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