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夢の島パラドックス

マルキ・ド・サド、あるいは現代の文学にかえて

作者:一二三四
 マルキ・ド・サドを知っているのならば話は早い。なにも多くを知っておく必要はない。少しばかり知っていればよいのである。
 サドの文学は相互関係を拒否する。読み手、あるいは受け手は常にサドの弁舌による陵辱を受ける。フランス革命以前のアンシャン・レジームにおいて幽閉された彼の、牢獄より来る文学は対話すべき相手など求めていないのだ。そこにあるのは過剰なモノローグである。もっぱらサディズムの語源として語られる彼の言葉はあまりにも苛烈だ。
 対話とはすなわち理性と書き換えのきく言葉だ。ゆえに対話を拒絶し延々と己が主張のみを読み手に鞭打つスタイルはおおよそ哲学と呼ぶに値しないだろう。少なくとも十八世紀の頭から世紀末にかけての対話する哲学と比してサドはあまりにも異質だった。ゆえに投獄されたのか、あるいは投獄されたゆえに異質な文学と哲学を生み出したのか。今、サドと会話をしたものは当然ながら生きてなどいない。本当のところは分からないのであるが、少なくとも、当時においてのサドと現在においての認識のレヴェル――階層と読み替えることもできる――は相当異にしていたはずである。それらについてはやはりサドと同じくもうすっかり過去の人となってしまったが、三島由紀夫や澁澤龍彦の著書に詳しい。
 日本でサドが好んで読まれたのは、熱に浮かされたごとく学生たちがヘルメットと鉄パイプを握り締め、バリケードの内側に篭もり体勢打破を延々と論じた頃だろう。安保闘争が原因ではない。いわんやサディズムがもたらしめたのでもない。ではなぜ読まれたか。それはひとえに反体制的という単純で局所的な理由であろう。Antithesisである。ファッションなのであった。それが証拠に闘争に携わったほとんどのかつて若者であった者たちは、警察権力による捕縛を前にして頭を丸め、反体制組織に属していたことなどお首にも出さずに就職――それも権力の中枢へ――した。一部過激な者たちは北を目指しあるいは山岳へと消え、アフガンの地を踏んだ。彼らをもてはやしたメディアは手のひらを返して、革命の勇姿と報じた写真へ最悪のテロリストとキャプションを付けた。
 不純な動機としてのサドと、もう一つ印象的な事件として、安保の闘士とは違ってサドに関わった人間がいる。上でほんの表面をなでるにとどめた澁澤龍彦である。彼はサドの『悪徳の栄え』を訳した。それは警察庁に押収される。性描写を理由にだ。当時の裁判官が下した判断が割れるなど面白い事件であるのだが今ここでは置く。重要なのは時代を超えて当時の日本に蘇ったサドは、再び公権力によって弾圧を加えられたということだ。深い監禁の中にあって著された哲学の一形態は、時を経てなお認められなかったのである。
 反体制的という評価が常についてまわる。しかしここで最も注目すべきでありまた面白いところであるのは、反体制と一口に論じたところで体制の性質に言及されていないことである。なるほどサドが時代を超えて弾圧される実例は分かった。十八世紀において対話形式を取っていた哲学とかけ離れていたし、安保闘争においてはファッションとして作用した。訳者は性描写のために公権力に断罪された。これらを統合的に考えたところで、十八世紀と安保闘争は重なり合わない。どう考えてみても体制が同じではないと言える。
 もちろんそれは貴族社会であったフランスと、戦争に敗北して、安保の闘士の言葉を借りるなら、資本主義の犬と成り下がった日本とは同じであるはずがない。絶対君主制とアメリカの強大な庇護という名の支配下にあった日本を同一視することは、見方によってはできなくもない。だがそれは論じるほど計量の比重が大きいものではなく、また、サドにおける論考にそれほど大きな影響は与えないだろう。
 ではなぜ体制が違うにもかかわらずサドは常に反体制側としてあるのだろうか。歴史の、社会のレヴェルで論じているから見えなくもなろう。ここはひとつ精神的な方面へと目を向ければすぐに理解できる。あるいはおおよその手触りとしての感触を得ることができる。
 十八世紀の初頭、それ以前は対話形式の哲学であった。だが十八世紀の終わりに現れたサドという人物は冒頭で述べたようにモノローグの哲学者だった。ダイアローグからモノローグへ。哲学する対象が他者から己へと移り変わったのである。監禁の中にあってサドは他者との関わりよりも内へ篭ることを選んだ。相互的に意見を述べてくれる相手は要らない。長い孤独が彼をそのような考えへ至らしめたのかはやはり分からないが、サドの作品の大半が獄中で書かれたことは大いに加味するべきことがらだ。
 十八世紀においては他者と共に哲学はなされた。繰り返しになるがひとり哲学をするサドは異質である。体制とは相容れないことは明白である。しかし彼をターニングポイントとするか時代が要請したのかは判断に窮するが、ここで哲学は内へ篭る方向へ切り替わる。昨今の文学は受け手を置いて作者の内へ篭る。反面エンターテイメントを主眼とする大衆小説は極度に簡略化、デフォルメされる傾向にある。この対照的な二つは安保闘争のファッションであったサドを理解する助けになる。
 アジテーションへ向いていたのだ。アメリカによる庇護という名の支配を打破するにあたって、言葉の力は必要不可欠だった。煽る言葉は強く見えれば見えるほどよい。既存の倫理観に反する文学、それも当時から反体制のお墨付きをもらっているサドはうってつけであったと言えよう。人々――学生――が団結するのに必要な、アングラで、それでいて低俗すぎないサドが取り上げられて不思議でない土壌があったのだ。対話することは必要でない。むしろ対話は論理の粗につけ込まれる原因となる。モノローグの哲学は相手を陵辱する。一方的に意見を述べる。各セクト同士瑣末な意見の食い違いがあってもよい。全体としてひとつの方向を向くためにサドは要請されただけなのだから。
 今、センセーショナルな文学や哲学として思いつくものは少ない。例えば極度に暴力的で倫理観に欠けた作品が発表されたとして、それはやはり系譜としてサドがあるとみなされるだろう。何事かをなすときに今現在の価値観、内側へと巻かれている限りにおいて、影響下からの脱却は難しい。サドは何世紀もの昔に未来を、未来という方向に広がる方向性を先取り、あるいは決定づけた存在として大きい。語るべきことが無くなった今において、思い出したようにこういった文章が書き作られるという事実が、それらの証左となっている。
 ところでそう遠くない過去に世紀末を迎えた。世紀と世紀をまたいで生きていない人間も、既に十代を迎えている。彼らは過去にあった、この項で記述したことを恐らくは知らない。これを書いている時代から遡って二世紀あたりの、あの、まだすべての情報が電子媒体として記憶されない安保闘争の書籍を最近手に入れたのが、この文章を書こうと思い立った要因である。
 これは低俗な電子メディアの一コラムに過ぎない。ここまで読んだ人間なら既に了解済みであろう。今という現在はテロルの創世として新たな反体制派が現れた日だ。サドの現れた時と同じくして過渡期である。この文章は、そういった時代に読まれるのがふさわしい。同じような文章がそこら中に溢れ返るだろう。新たな価値観は多分生まれない。サドの眷属が名を変えて現れるだけである。
 しかしイコンとしてサドを消費しなければならないことも、同様に明らかなのである。
空想科学祭2010

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