世界の終わりに
「俺はどうも、勇者らしい」
駆けつけた黒田を待っていたのは、白石のそんな一言だった。
「はあ?」
間髪いれずに聞き返しつつ、黒田は狭い四畳半のアパートに上がりこむ。
「なんだ、一人暮らしの寂しさに耐えかねて、空想に走ったのか?女なら紹介できない事もないが」
ジャージ姿で畳の上にどっかと腰を下ろし、テーブルの上においてあった箱の中から、タバコを取り出した。一本咥えると、白石がライターを差し出してきたので、それを受け取って黒田は火をつけた。深呼吸代わりに深く吸い込み、煙を吐き出す。
「ちなみに、僕はお前が切羽詰った声を出すから、慌てて駆けつけたわけだが・・・」
なおも言葉を続けようとする黒田を手で制し、白石は真正面から黒田を見据えて口を開いた。
「お前がそういうのも無理はない。けど、本当なんだ」
白石の真剣な眼差しに、黒田はふと外を見た。春先、と言うには少し遅い。もうコタツも片付けようかと言う季節だ。
「見て欲しいものがある」
そう言って、白石は立ち上がり、黄ばんだ襖紙の張られた押入れを開けた。中に入っているのは、薄汚れた布団だ。その布団の間に手を突っ込み、引っ張り出したものを畳の上に放り出す。
がしゃんと、大きな金属音を立てて畳の上に転がったのは、一振りの剣だった。赤い鞘に収まっている。西洋風というのだろうか、日本刀とは形状の違う諸刃の剣だった。鞘にも柄の部分にも金の彫刻が入れられ、美しい飾り石がついている。つばにあたる部分は、広がった翼を模った様になっており、デザイン的にもなかなか美しいものだった。
「なんだい、これは?」
黒田はタバコの灰を灰皿に落としながら、目の前にもう一度座りなおした白石に尋ねた。
「昨日貰ったのさ」
「誰に?」
「神様だ」
その白石の言葉に、黒田はぷっと吹き出し、それから大声で笑い始めた。あからさまに気分を害したような顔の白石を見て、黒田はぴたりと笑うのをやめ、それから咳払いを一つした。
「えーと、つまり君は、昨日神様にあって、勇者だと告げられて、そしてこの剣をもらったと?」
憮然とした表情のままで、白石はこくりと頷いた。
「ふむ、どういう意図があるのかは知らないけど、僕をからかっているなら、白状するのは今のうちだよ?」
「俺だって、そうであればどんなに良いか。残念ながらこれは本当なんだ」
ため息混じりに白石はそう言い、それから自分もタバコを一本加えて火をつけた。吸い込んだ煙を吐きながら、彼は話し始めた。
「俺は昨日の晩、いつもと同じように床に着いたんだ・・・」
白石は気がつくと良くわからないところに立っていた。もやに包まれたような、それでいて真っ暗なような。
白い服を着た男がいて、彼は白石にこういった。
「勇者よ、お前は選ばれた。聖なる剣を手に取り、間も無く現れる魔王から世界を救うのだ」
そういうと、彼は一振りの剣を差し出した。
「いや、あの、これ?」
「今は何もわからなくて良い。いずれ分かるときが来る」
そう言っている男の顔は、もやに包まれていて良くわからない。白石は尋ねた。
「あの、誰?」
「私は・・・神だ」
これは夢だ。最近疲れているんだ。だからこんな夢を見るんだ。
唐突に、白石はそう思った。いや、そう思おうとした。
「勇者よ、そのときは近い。魔王は間も無く蘇る。世界が破滅に動き出す前に、お前の手で魔王を打て」
「いや、あの、ちょっと待って・・・」
「魔王を打つのだ・・・」
声は段々と遠ざかり、同時に白石の意識も急速に遠のいていった。
「というわけで、目が覚めたらこの剣が枕元にあったんだ」
短くなったタバコを灰皿に押し付けながら、白石は話を締めくくった。
「それはそれは・・・」
「まだ、信じていないようだな」
「そりゃあね・・・」
黒田はなんとも答えようがないのか、そう呟いて天井に向かって煙を吐き出した。
「じゃあさ、試しにその剣を抜いてみろよ」
白石は人差し指で剣を指しながら、黒田に向かってそういった。
「・・・いいよ」
何気ない風を装いながら、それでも剣に触れようとする黒田の手付きは慎重だった。鞘に手をかけ、それからぐっと握る。そこで黒田は安心したように、ほっと息をついた。それから柄に手をかけて、引っ張ろうとしたが、柄はビクともしなかった。まるで剣が抜けることを拒んでいるかのように。力を入れて引っ張ってみるが、やはり結果は同じだった。
「抜けないじゃないか」
そう言って、黒田は剣を畳の上に投げ出した。
「そうだろう?」
さもありなん、といった表情で白石は剣を取り、そしてその柄に手をかけた。
シャリン、という金属の擦れる音と共に白銀の刃がその鞘の中から姿を見せた。黒田は咥えていたタバコをうっかりジーパンの上に落としてしまい、少し慌てた。
「俺にしか抜けないんだよ」
そう言って、再び鞘にその刃を戻す。
「まさか」
白石の手から引っ手繰る様に剣を取り、もう一度力の限りに柄を引っ張る黒田。五分ほど格闘して、すっかり息は上がったものの、剣の柄は微動たりともしなかった。
「まあ、最近の技術ならこれぐらいは分けないだろう。例えば、お前がこっそりリモコンでロックの操作をしているとか」
そういわれ、両手を開いてみせる白石。その手には何も握られていなかった。
「それじゃああれだ、指紋認証システムとか、静脈がどうこうとか、そういうやつだろう。最近はどんな装置も小型化できるからな」
頑として認めようとしない黒田に呆れたように肩をすくめ、それから白石はゆっくりと立ち上がった。
「昨日の晩、突然の落雷があったのを知っているか?」
突然そう尋ねられ、黒田は記憶をたどった。
「そういえば、朝のニュースでそんなことを言っていたな」
「あれは俺の仕業だ」
そう言って、窓の側に黒田を招き寄せる。
「向こうの丘に、真っ黒い木が立っているだろう」
言われて、じっと目を凝らす黒田。その目に確かに黒い木が見えた。枯れているのだろうか、随分と細い。
「あの木に雷を落としたのは、この剣の力なんだ」
「へえ」
もちろんその黒田の声には全く信じている様子は見られない。
「じゃあお前は説明できるか?突然木が黒焦げになったのを」
「そりゃあ、異常気象だろう。確かに昨日の晩は晴れていた、でも上空には雲もあったらしいじゃないか。空気も乾燥していたし、突発的な放電現象は起こりうるって言ってたぞ」
それがどういう状況なのかは黒田も知らない。ただ、剣の話よりは信憑性があるような気がして、黒田はそういった。
白石は大きなため息をついた。それからタバコを咥えて火をつけて、暫くくゆらせた。黒田も同じようにタバコを咥えて火をつけ、そしてもう一度畳の上に座りなおした。
「埒が、明かないな」
「そうだな」
白石が呟き、黒田もそれに同意した。
「つまり、俺はどうしたらいいだろうと相談したかったわけだ」
「だから、そのくだらない妄想をやめて、一つ合コンにでも行けばいい。その剣の出所は知らないし、別段知りたくもない。けど、お前の精神状態が良くないのは見て取れるよ」
灰を灰皿に落とし、それからまだ長いタバコを灰皿に押し付けて火を消す黒田。それ仕草は明らかに苛立っているようだった。
「けど、本当なんだよ。どうすれば信じてくれるんだ?」
「悪いけど、信じるのは難しいね。あまりにも突飛過ぎる」
そう言って、黒田は新しいタバコに火をつけた。白石は咥えていたタバコを灰皿でもみ消し、やはり新しいタバコに火をつけた。
「それじゃあ、例えばの話をしよう」
白石はそう言った。黒田は無言で頷く。
「例えば今までの話が、全て真実だったとして、俺はどうしたら良いと思う?」
「例えば・・・ね。いいだろう」
そう言って、黒田は胡坐をかいたまま、少しだけ上半身を前のめりにした。
「じゃあ、例えばお前が勇者で、魔王を倒さなければならないとしよう。魔王を倒してこの世界を守ってどうする?」
「どうするって?」
「今の世界に目を向けてみろ。親が子を殺し、子が親を殺す。小学生が同級生を殺し、また大人に殺される。世界では紛争が巻き起こり、テロも起こってる。小学生の列に突っ込む自動車、口論から人殺し、いじめを苦にした自殺、過労死。たまたま、我々の周りが安全なだけで、この世には死が溢れていると思わないか?」
黒田はすっくと立ち上がり、タバコを指に挟んだまま大袈裟な身振りでそういった。
「さらに、地球規模で目を向けてみろ。大気汚染、温暖化、氷河は消え、南極の氷は溶ける。生態系は狂い、絶滅種の頻出、砂漠が広がって森林は減り続ける。天変地異の勃発、化石燃料の枯渇。どうだ、この世は既に地獄だよ。地獄が身近になりすぎて、我々の感覚が狂っているんだ。こんな世界を守ってどうする?魔王が作り出す世界のほうが、よっぽど天国かもしれないし、そうでなくても今と大差ないだろうね」
そこまで言い、そして黒田は白石に向かってにやりと笑って見せた。
「つまり、魔王の手からこの世界を救ったとして、やっぱりこの世は地獄なのさ。魔王を倒しただけで、世界が救われるなんて、そこまで都合の良いことが起こるのかい?」
白石は、ただ黒田を凝視するだけで何も言わなかった。あるいは、言えなかったのかもしれない。
「その剣が本物だろうと偽者だろうと、それを手にとって戦いに出る、なんて真似はやめておいたほうが良いって事さ。まあ、友達が病院に連れて行かれるところなんて、見たくないしね」
そういうと、黒田はタバコを灰皿い押し付けながら、残った煙を吐き出した。その言葉に、白石は剣を見つめたままで、じっと考え込むような素振りを見せた。黒田は新しいタバコをもう一本咥えて、火をつけた。それをふかしながら、白石が口を開くのをずっと待っているかのように沈黙を続けた。
黒田の吸っているタバコがそろそろ終わりに近づいたとき、ようやく白石は口を開いた。
「まあ、お前の言うとおりかもしれないなぁ。大体、勇者なんて俺には荷が重過ぎる」
「そうとも、そんなことよりも取りこぼしそうな単位のチェックでもしていたほうが、よっぽど為になると言うもんだ」
「とすると、この剣の始末はどうしたものかな?」
白石の言葉に、黒田はしばし考えるような仕草を見せ、それから口を開いた。
「質屋にでも入れて、その金で豪勢に昼飯でも食べるってのはどうだ?」
「いいなぁ。暫く動物性のたんぱく質から離れていたしなぁ」
「よし、それじゃちょっと支度をしてくるから、待っててくれ。急に呼ばれて、着の身着のままなんでね」
黒田はそそくさと立ち上がりながらそう言った。
「ああ、急いでくれよ」
白石は既に外出の支度を始めようとしていた。黒田は「すぐに戻るよ」と言って、白石の家を出た。
帰り道。こみ上げてくる笑いを押さえきれず、黒田はさもおかしそうに笑った。
「やれやれ、勇者が白石だとは思わなかったが、まあ、扱いやすい奴でよかった」
そういいながら浮かべる黒田の笑みには、どす黒いものが滲み出ていた。
「全く、昨日の晩、選ばれた魔王と聞いたときには驚いたものだが・・・。どうやらこいつは本当の話らしいな」
そう言いながら、黒田はポケットから指輪を一つ取り出した。夢の中で男に魔王だと言われ、目が覚めると枕元にあった。艶かしい黒色をしており、真ん中の台座には血のような赤い宝石がはまっている。
「騙したのは悪かったけど、友達と戦うのは御免だしな。まあ、僕がさっき言っていたことも別に嘘じゃない。僕が生み出す世界のほうが、多分良い世界になるさ」
そういいながら、黒田はその指輪をゆっくりと人差し指にはめた。
「それにしても、この現代では勇者なんて他愛ないもんだ。悪魔も、今なら魂を獲り放題だろうに」
ゆっくりと、黒田の頭上を中心に暗雲が広がり始めた。その雲は、まさに漆黒と言うに相応しかった。太陽の光を遮り、ゆっくりと地上に影を落とし始める。
「さて、手始めに何から始めようか・・・」
そう言って、黒田は楽しげに暗くなっていく周囲を見回した。
「魔王の・・・世界の支配者の誕生だ」
そう言って、黒田はもう一度高らかな笑い声を上げた。その瞳は指輪の宝石と同じく、真紅に染まり、顔に張り付いた笑みは、邪悪そのものだった。
「あーあ、また失敗だよ」
彼はため息混じりにそういった。
「やっぱり、ここまで文明が発達しちゃうと、神は無力ね」
彼女は、テーブルの上に載った円筒形の黒い空間を見ながら、クスクスと笑った。その視線の先には、青や緑、茶色で彩られた球体が浮かんでいる。
「その癖、自分の欲望には素直なんだよこのニンゲンって奴らは」
「自分勝手なのね。だから支配者のように振舞うんでしょうけど」
彼女の言葉に、彼は大きなため息を一つついた。
「星の寿命は削るし、勝手にゾーンの外に出ようとするし、なんなんだろうねこいつらは。今回だって、まだたったの四十五億年だよ?」
「それにしても、なんであんなに文明が進んでから、ユウシャとかマオウを出そうとしたの?」
そういう彼女の視線の先では、ユウシャとマオウとやらが戦っているらしく、ちょっとした光が断続的に起こっていた。それを見つめる彼女の瞳には、何の興味も湧いていない。
「いや、単なる気まぐれ・・・っていうかさ、もう駄目になるの分かってたから、遊んでみた」
「なるほど。まあちょっと変わった物が見れたね」
それから彼と彼女は顔を見合わせて二人で笑った。
「さーて、それじゃやり直すか」
「そうね。次はサカナを育ててみるって言うのは?」
彼女は手元の冊子を開いて、そのページを指差しながら彼にそういった。
「いいねぇ。じゃあ、水だらけにしなきゃ」
「とりあえず、一休みしない?」
「そうだな、さすがに疲れたよ」
二人は球体に背を向けた。そのまま連れ立って部屋を出て行こうとして、ふと彼は立ち止まって振り返った。
「忘れてた」
そう言って、彼が指を一つ鳴らすと、円筒形の空間に浮かんだ球体は「ぽんっ」という軽い音を立てて塵になり、やがて霧散して消滅した。
二人は部屋を出て行った。
後には、黒い空間がただ静かにそこにあるだけだった。
了
落ちのために書いたような作品。
イメージはシム○ース。




