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新生活〜繋がる思い〜
作者:零・ZA・音
企画小説「新生活」他の先生方の小説は「新生活小説」で検索するとみれます。是非、読んでみて下さい。

 今まで、変わる事がないと思っていた関係が少し変わった。
 窓の向こうに閉ざされたカーテンは今は開く事がない。
 それでも今はいい……。

 俺達は繋がっている。あの日の約束で――。


 朝日が眩しく、俺の目を刺激する。窓から差し込む光は容赦なく俺のまぶたを突き抜けて痛い。視界が白く霞む世界に起き上がり、伸びを一つ、体中に堪っていたものが抜けていくような感覚。どうやら、カーテンを閉め忘れていたようだ。どおりで眩しいわけだ……。
 春の日差しは俺の部屋を照らしている。とにかく、折角の気持ちいい朝だ。そう思い、俺はベットから立ち上がり、窓を開けて外の空気を――
「きゃあ、覗くな変態っ!」
 清清しい気分も台無しの怒鳴り声が聞こえてきて、ムードもへったくれもない……。
「やかましいっ! だったら、カーテンぐらい閉めろっ、アホっ!」
「うるさい、灯夜とうや! だからこっち見るなっ!」
「誰が見るかっ」
 俺は窓を閉めて後ろを向く。相変わらず、うるさい奴だ。
 大体、今更それを言われてもこっちが困るんだが……。もう一度、窓の方を盗み見ると、もうカーテンが俺の視線を遮るように閉っていた。俺はなんとも言えない気分でため息を吐き、部屋を出る。
 階段を下り、リビングの扉を開けるが、静かで人の気配はしない。俺の両親は、現在出張中。息子一人置いて、いい気なものだ。ため息を吐きつつ、冷たい雰囲気のリビングを横切り、俺はキッチンで朝食の準備を始めた。
 冷蔵庫の中には、卵とハムと――後は、特にない。
 買い物に行かないといけないな、と思いながら、コンロに火を入れ、フライパンをかける。暫くして、熱せられたフライパンが音をあげて準備が出来た事をうながしてくる。そんなわけで卵を割って落とすと、心地よい音が響き、食欲を刺激する。
 朝食の準備が一段落して食器を並べ終わったところで、チャイムの鳴る音が家中に響く。

 ――ピンポーン、ピンポーン……ピピピピピピピンポーン!

 この悪戯まがいの押し方は”やつ”だ。毎朝、この押し方をしては俺をイラつかせる。
「うるさいぞ、さっさと入って来いっ」
 俺の怒鳴り声が聞こえたのか、玄関が開く音が聞こえ、そして廊下を駆けてくる足音がキッチンまで響いてくる。
「おはよ。毎朝、よくも覗いてくれるわねっ」
 第一声がこれである。誰も好きで覗いている訳ではない。ちょうど向かいが、こいつの部屋ってだけで、そんな言いがかりをつけられるとは、たまったものではない。
「だったら、カーテンぐらい閉めろ。馬鹿」
「ぐっ! ……灯夜とうやが見なければいいのよっ」
「相変わらず、むちゃくちゃな論理だな。聖美さとみ
「うるさいわね。灯夜とうやのスケベ!」
 かなり憤慨ふんがいしている智美だが、いつも言っている事がむちゃくちゃだな。こいつは隣の家に住む幼なじみ。一つ年下だが、俺に対して何故か思いっきりタメ口である。
 俺を敬う気持ちなんぞ、これぽっちも持っていない。昔はもう少し可愛げがあった思うのだが……。あれは俺の記憶がねつ造した思い出だろうか。
「ほら……もういいから座れ。冷めるぞ」
「あ、うん」
「いつもと変わらんが文句言うなよ」
「いいよ。別に……お腹に入れば一緒だし」
 なんとも、料理人泣かせな一言だ。別に料理人ではないが、これでも作った本人なので、もう少し敬意を持ってだな……。
 テーブルに座り、俺の作った料理を見ている。作ったと言っても、ハムエッグとトーストぐらいなのだが――
「うわっ、焦げてるよ。それにハムがカチカチ……」
「お前――もう食うなっ」
「いやよ。これは私の食べ物よ」
「文句ばかり言いやがって……」
 お皿を抱き抱えて抗議する聖美。口にはいっぱいのものを詰め込んでいる。さしずめ、ハムスターみたいだ。クリクリした瞳が俺を見て離れない。毎日、食べに来る分際でなんでこんなに偉そうなんだ。
「分かった。取らないからゆっくり食べろ」
「むぐむぐ……うん」
「ほら――牛乳」
「ありがと……」
 コップを受け取って一気に飲み干すと、また食べ始める。
 何とも豪快な女の子だ。元気が有り余ってる感じだな。俺も自分の分を食べ始める。少し冷めかけているが、別に不味くはない。
 その後、朝食を食べ終わった俺達は学校へ向かう事にした。

「いってきま〜す」
「いってきます」
 誰もいない家に向かって声を掛ける。それを二軒続けて……。
 通学路を歩く俺達。隣には聖美――背の低い聖美の頭が目に入る。ポニーテールになっている髪が、歩く度に揺れて俺の肩にあたる。なんともくすぐったい距離だ。そんな俺の様子に気づいたのか、聖美が俺を見上げている。その顔には、少しの驚きと照れが同居している感じだった。
「何?」
「別に……。なんでそんなに近づいて来るんだ?」
「いいじゃない! 別に……い、意味なんてないよ」
 プイっと顔を背けた聖美。その一瞬の表情が俺をかき乱した。悲しみ、寂しさ……そんな言葉では表現が出来ない顔。
「どうした? 聖美」
「別に……。どうもしない」
「何、怒ってるんだよ?」
「怒ってないもんっ」
 俺の顔を見上げて、舌を出して走っていく聖美。
 その様子がどこかおかしくて、俺は一抹の不安を感じていた。


 今でこそ、あんなに元気だがあいつ─―聖美は、つい最近まで泣いてばかりだった。
 子供の頃、父親が別の女をつくり家を出て行ってから、聖美は母親と二人暮らしだった。その頃も元気がなかったので元気づけようと、よく俺は聖美を連れて色んな所に遊びにいっていた。今思えば、かなり迷惑な奴だと思うが、当時の俺は泣いているあいつを見るのが嫌で仕方なかった。だから俺はそんな顔を見ないように、あいつを連れました。泣きそうになれば、おかしな事をやって笑わせて、楽しい事は一緒になって笑って――そんな事をやっていた昔。それから暫くして、あいつは普通に笑えるようになったんだ。
 それが……また、あんな事になるとは――。


 昼休み――俺は購買で買ってきたパンを食べようとしていた。

「さて……なんでお前がここにいる?」
「灯夜と一緒に、ご飯食べたいから」
 目の前で呑気にパンにかぶりついている聖美。周りには好奇の視線を投げ掛ける奴等。どうにも居心地が悪い空気が、俺達を包み込んでいる。それもそのはず、ここは俺のクラス。
 俺が座る前の席に陣取り、こちらを向いている聖美は、周りの様子など”何処吹く風”と言った感じで、パンを頬張る。
「今まで来なかったくせに」
「いいでしょ、別に」
「どうして、今日は――」
「ああ、もう! 男のくせにウダウダとうるさいっ」
 ついには逆ギレまでご披露する始末。本当に今日のこいつの行動はよく分からない。朝から休み時間になれば姿を現して、俺をからかって遊んでいく。そして今はここで昼飯を食べてる。
「どうした? 何か言いたい事でもあるのか?」
「別にないよ。それより――食べないなら、もらうよ」
「あっ! ――それはっ」
 俺の昼飯――サンドイッチの包みから玉子サンドを取ると、そのまま口へと運ぶ聖美は、とてもおいしそうに頬を緩ませている。このアホ……俺のサンドイッチを勝手に食べたな。
「残してたから要らないんでしょ?」
「アホ、残してたんだよっ」
「灯夜って、楽しみは最後まで取っておくタイプなんだ」
 呆れ果てた目を向けている聖美は、ため息を吐いていく。俺が……俺が悪いのか? 俺は楽しみは最後まで取っておいて、幸せを感じるタイプなんだよ。
「そっか……でも、最後に残るのがいいものとは限らないよ」
「んっ? 何か言ったか?」
「ううん、何も。……それより、お兄ちゃん」
「ぶっ!」
「うわっ! 汚いでしょ」
 咽返っている俺に聖美は睨むような視線を向けているが、それどころではなかった。今――聖美はなんて言った? 聞き間違いでなければ、『お兄ちゃん』と呼ばなかったか?
「ごほごほっ……お、おまえ、今なんて言った?」
「ん? お、に、い、ちゃ、ん、っ」
「熱――あるか?」
「失礼ね! 何ともないわよ」
 眉間にシワが寄って怖い事この上ない聖美の声に、一斉にこちらに向く視線の数々。
 何とも刺さるようなこの視線は……晒し者になった気分だな。
「それでなんだ?」
「あ、あのね――今度の日曜なんだけど」
 何とも歯切れが悪い聖美にしては珍しい物の言い方だが、それに輪をかけて様子がおかしい。一言で言えば挙動不審。顔も真っ赤に染まり、耳まで赤い。目は忙しなく動き、俺とは目を合わせようとしない。何を企んでいるだ? こいつは……。
「一緒に……遊びに行かない?」
「はあ? お前とか?」
「い、嫌なのっ? こんな可愛い女の子が誘ってあげてるのにっ」
「ばかっ! 声が大きいよっ」
「あっ」
 今更気づいたのか、聖美は俯いて黙ってしまった。あれだけ大声で言えば、誰でもこっちを向く。しかも、自分で可愛いとか言ってる馬鹿がここにいるんだ……晒し者二号決定。
「もうっ! 灯夜のせいで恥かいたじゃないのっ」
「……自業自得だろ」
「ふん、もういい」
 怒って立ち上がった聖美は俺を睨みつけるが、その瞳には怒りよりも、どことなく寂しさがにじんでいるように見えた。その瞳を見ていると、なんとも落ち着かない気持ちが溢れてしまう。だからなのか、俺は思いもかけない言葉を発していた。
「分かった……いいよ。どこに行くんだ?」
「……え?」
「日曜日――遊び行くんだろう」
「う、うんっ、行く!」
 顔を一変させ、怒りから驚き、そして満面の笑みへと変わっていく聖美の表情は、百面相を見ているみたいで面白い。瞳には、楽しさを宿した光がゆっくり揺れていた。


「ふうー、今日もお疲れさん」
 俺は一人呟き、ベットへと寝転んだ。今日も一日、疲れた。半分は昼休みの聖美のせいだが……。
「日曜日――遊びに、か」
 昼休みの約束を思い出しながら、天井を見つめる。なんでいきなりあんな事を言ったのかは俺にも分からない。ただ、いつもの雰囲気とは微妙に違う、そんな感じの聖美を見ていたら、なんだか落ち着かなくなっていた。
「どうしたんだ……あいつは」
 考えても分からない。里美の考えが分かれば苦労はしないのだが……。
「うーん……どうしたも――んっ?」
 静かな部屋に小さな音が響く。気のせいかと思ったが、規則正しい感覚で響く音に耳を済ましてみると、ガラスに何かが当たる音がする。俺は不信に思い、窓に近付いて開けた。
「てっ!」
「……あっ」
 窓を開けた直後、俺の額に衝撃が走り、鈍い痛みが広がっていく。額から剥がれ落ちるようにして、”それ”は部屋の中に転がり落ちた。拾い上げてみると、それは小さな石だった。
「聖美、痛いだろうがっ」
「急に開ける灯夜が悪い!」
 ぶつけた事も謝ろうとはせずに、逆ギレをしている聖美。反省の色がまったくないですけど……。しかし、なんでこんなもの投げてくるんだよ? 腹いせか? 昼休みに辱められた報復なのか?
「何がしたいんだ! お前は」
「だって、用事があったから」
「は?」
 だが俺の予想に反して、訳の分からない事を言い出した聖美は、落ち着きなく窓の淵を掴んでは離してを繰り返していた。いつもなら用事があれば電話してくるくせに、なんで今日に限ってこんな事をしてくるんだ。これではまるで付き合い始めたばかりの幼なじみではないか。俺も意味不明だな……まったく、今日の聖美は絶対に変だ。
「で――何の用だ?」
「なんか素っ気ない。こういう時は、もう少し雰囲気ってものを……」
「用がないなら俺は寝る」
「あ――ま、まってよっ、お兄ちゃん!」
 今にも泣き出しそうな顔を俺に向けている聖美。あんな顔を見るのは久しぶりだ。もう見る事はないと思っていたのに――。
「早く言え」
「う、うん……えっとね。日曜日なんだけど――」
 それから俺達は、窓越しに日曜日の予定について話していた。窓の距離は三メートルくらい。近いような。遠いような、微妙な距離。多分、今の俺達もこんな感じの距離にいるのだろうな。あの日、俺が誓った事が”俺自身”を縛っている事は分かっている。でも、それでもいいと思っている。俺の気持ちは今は隠しておかなくていけないのだから――。


「ほらっ、早くいこうよ」
「……はいはい」
「もう少し楽しそうにしてよっ」
「あのな、聖美」
 俺は目の前で怒っている聖美を、呆れながら睨む事しか出来なかった。そんな俺の事などまったく意に返さず、辺りを窺っている聖美は、何かを発見した様で一目散に駆け出していった。その後姿を見ながらため息を吐いて、俺は重い足を引きずりながら付いていく事しか出来なかった。
 今日は日曜日。先日の約束通り、聖美と出掛けていた。聖美と来ているのは、動物園――
「見て見て、可愛いよ」
「ああ……そうだな」
「もうっ! ……じゃあ、あっちいこっ」
「お、おいっ、ちょ――」
 高校生が動物園かよ……と、思いながら来てみたが、聖美のテンションは尋常ではなかった。
 開園と同時にやってきて園内を縦横無尽に走り回り、俺の疲労はピークに達している。
「はあー、疲れた」
「もう、だらしないな。お兄ちゃんは……」
 呆れた顔で俺を見下ろす聖美は、未だに周りを窺うような視線を向けている。まだ、見たりないのかよ……。
「うるさい。お前が元気過ぎるだけだろう」
「それは若いからね」
「一つしか変わらないだろうが」
「それでも、私の方が若いのっ」
 何とも意味ない会話をしながら俺達は動物園を満喫していた。そんな時間と言うのは過ぎるのが早く、気付けば空は赤く染まり始めていた。
 夕暮れ――閉園の時間が近づいたので、俺達は動物園を後にした。
 赤く染まる空は少し寂しく、物悲しい雰囲気をかもし出していた。隣で俺の腕を掴んでいる聖美も、どこか元気がない。
「どうした?」
「ううん……。なんでもないよ」
「疲れたか?」
「少しね。でも、楽しかったよ。それに――」
 どこか寂しそうな表情で俺を見つめる聖美の揺れ動く瞳は何を伝えたいのか、それが分からない。でも、何かを伝えようと聖美の唇が言葉を紡いでいった。
「はっ? ……今、なんて言った?」
 聖美が言った言葉の意味を理解するのに、時間が必要だった。
「最後に、お兄ちゃんと……デートしたかった」
「……なんだよ、それ」
 全身から血の気が引いていき、眩暈に似た感覚が俺を襲ってくる。足が地面についているのか、それすら分からない。

「私――決めたの」

 聖美が決めた事。それは、あの事だろう。そうか……決心がついたんだな。
「最後に……残ったのは」
 そう小さく途切れそうな聖美の声が、
「楽しい、幸せ……なの、かな」
 掠れて俺の耳に届いてくる。小刻みに震えている身体、大粒の涙が次々と溢れて頬を濡らしていく。
「お……にい、ちゃ……ごめ、ん」
「……聖美」
「わたし、すごく……まよ、たん……だ、よ」
「もういいから……」
 溢れてくる涙は拭っても、また溢れて聖美の頬を濡らす。そんな聖美を見ているのが辛く、抱き寄せていた。震える身体で俺にしがみ付いて来る聖美の背中をただ優しく撫でる。
 いつかは、こんな日が来ると思っていた……あの日から、ずっと――。
 それが現実にやってきた。それだけの事なのに、何故こんなにも俺の心を掻き乱していくんだ。

 一年前、聖美の母親が倒れた。心労と元より身体の弱い人だったから、あっけなくこの世を去ってしまった。その日から聖美はまた、泣いて過ごすようになっていた。来る日も、来る日も、自分の部屋から出てこない聖美。
 俺が何度話し掛けても、返ってくる返事はいつも同じ――。
『ほっといてよ……』
 だから、俺は約束したんだ。
『お前が泣かないようになるまで、俺がそばにいてやる』
 聖美が幸せになれるまで、俺がずっとそばにいると――お前は一人じゃないから、と。

 それから、少しずつ笑顔を取り戻してきた聖美。その頃からだろうか、俺の事を「お兄ちゃん」とは呼ばなくなったのは――聖美なりの”けじめ”のつもりかも知れない。それでも、元気になってくれた聖美を見ながら俺は嬉しかった。
 そんなある日――聖美に呼び出された俺は、聖美の家にいた。そこにいたのは、聖美の叔父さん夫婦。何度か会った事があるから知っているが、とても優しい人達だ。聖美の事をとても可愛がってくれていた。そんな中、叔父さん夫婦が提案してきたのは、聖美を自分達の家に迎える事だった。
 俺も最初は驚いた。それ以上に聖美が驚いていた。あの時の聖美の顔は忘れられない。その日から聖美は悩み続け、やっと結論が出せたのだろう。
「いいんだ……聖美」
 聖美が出した結論だ。俺がどうこうと言えるものではない。いや……俺も素直じゃないな。本当は行ってなんか欲しくない。ずっとそばにいて欲しい。俺は聖美が好きだから……。
 子供の頃から、ずっと聖美が好きだった。だから、泣いてる姿を見たくなかった。笑って欲しかったんだ……聖美にはずっと笑顔でいて欲しかったんだ。だから、俺は笑顔で見送ろう。約束を果たす為に……幸せになってもらう為に。


 出発の朝。
 トラックに積まれた荷物が、目的地に向けて出発していった。聖美は後から追うので、今は俺の家に最後の挨拶に来ている。
「それじゃ、行くね……」
 俺の顔を見ようともせず、俯いている聖美の肩は微かに震えていた。
「ああ――身体、気をつけろよ」
「うん、分かってる」
 両手で身体を抱きしめるようにして、聖美は何かを必死に耐えるような仕草をしている。俺も出来る事なら、聖美を抱きしめたい。この腕で力いっぱい抱きしめる事が出来れば、俺は――。
「それから……」
「お兄ちゃんっ」
 俺の声を遮るようにして顔を上げた聖美の瞳からは、大粒の涙が溢れてはこぼれ、頬に幾筋もの跡を残してた。
「あのね……。私――ずっと言いたかった事がっ」
「……聖美」
 俺を見つめる瞳は儚く揺れているが、その中に宿っているのは今の言葉を表すものなのだろうか。胸の前で握った手にそっと下ろして、
「私……お兄ちゃんの事が――」
 それ以上は言わせなかった。
 俺は聖美の身体を抱きしめ、その声を遮っていたから。もう我慢する事が出来ない。
 ――俺はこの気持ちを伝える。
 その先の事など考えてなかった。俺は聖美の事が好きだから。
「必ず迎えに行くから……それまで待ってろ」
「っ! ……おにいちゃ――んっ」
 俺は聖美の返事も待たずに唇を塞いでいた。優しく触れる感触が、俺の唇を通して、身体中に広がっていく。俺のありったけの気持ちをこめて唇を重ねて、言葉に出来ない思いを伝えてた。
 やがて、どちらかともなく離れた唇からもれる吐息。そして、目に入ってくる愛しき人の笑顔。
「うん……待ってるから。必ず……必ず迎えに来てよ、お兄ちゃん」
 涙を拭い、俺を見上げる聖美。その顔はとても綺麗で、心を包み込んでくれる笑顔だった。


 朝日が俺を照らしている。
 カーテンを開け放った窓から差し込む日差しは眩しく、網膜を刺激していく。
 そんな窓から、いつもの騒がしい声が聞こえた気がした。窓の向こう――主を失った部屋はカーテンが閉ざされている。
 聖美は新しい場所で、新しい生活をしているだろう。
「元気でやってるか……聖美」
 窓に向かい静かに呟き、俺は静かになった部屋を後にした……。
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