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死神を食べた少女 作者:七沢またり
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外伝1-2 牛と獅子と死神

 攻城の指揮を執るベローチェの号令の下、キュロス要塞攻略戦の幕が開けた。
 かつての解放戦争において、兵糧攻めにより陥落した堅固な要塞。旧王国で恐れられた死神シェラが最期を迎えたとされる地でもある。
 だが、新生王国により記された歴史が、ひどく歪められた物である事をベローチェは知っている。
 自分を育て、鍛え上げ、そしてここまで導いてくれたのはシェラだ。
 詳しいことは聞いても教えてはくれないが、彼女があの『死神』だという事も知っている。
 『自分はシェラ・ザード二世よ』などと冗談めかしているが、間違いない。
 彼女は初めて出会った時から、殆ど変化がない。まるで時が止まっているかのように。
 小柄な体躯で大鎌を振るい、白烏の黒旗の兵を率いる女将官。
 戦いぶりを間近で見ているうちに、『この人は、あの死神シェラ・ザードなんだ』と、いつの日からか確信するようになっていた。

 ――そして疑問に思った。

 どうして周りの人間は、彼女が歳を取らない事を疑問に思わないのだろうか、と。
 もしかしたら怖いのかもしれない。星教会に所属する者が、歳を取らない『異端』だと認める事が。
 いや、もしかしたら本当の『死神』の可能性もある。直接指摘しようものならば無残に魂を刈り取られるかもしれない。
 教皇の信頼厚く、名誉職とはいえ『星将』の地位が与えられている人物だ。しかも異端審問官に就いた経歴もある。そんな優秀な模範とすべき教徒が異端の筈がない。
 だから何か事情があるのだろうと皆が考えて口を噤んだ。それが免罪符となり、シェラは誰からも弾劾される事はなかった。

 ベローチェはシェラが死神だろうと何であろうと別に構わなかった。自分を幽閉状態から救い上げてくれたのは彼女なのだから。
 家族を奪い、己の場所を奪った新生王国に復讐する機会までくれた。そして美味しいご飯をご馳走してくれた。
 死神などとんでもない。シェラは救世主であり、上官であり、師匠であり、同志であり。
 ――そして、誰にも明かした事はないが『家族』なのだ。シェラは否定するかもしれない。だが、ベローチェはそう思っている。思うだけならば構わないだろう。

 だから、彼女が抱く全ての恨みを晴らすべく、ベローチェは陣頭に立ち、大声を張り上げて指揮を振るう。

「投石で城壁を破壊しろ! 矢で全ての城兵を打ち落とせ! 攻めて攻めて攻めまくれ! 烈火の如く攻めたて、敵に休む暇を与えるな!」

「ベローチェ様、余り前に出ると流れ矢に当たります!」

「後ろに下がっていて兵が付いて来ると思うか!」

 制止する兵を一喝し、斧槍ハルバードを振り回して矢を払いのける。参謀のディマは大きな盾を翳して傍に控えている。

 堀は深く、跳ね橋が上がり、城壁には弓兵が隊列を組んで構えている。矢の応酬が繰り広げられ、唸りを上げる投石攻撃が要塞へと襲い掛かる。
 無理攻めをするつもりはない。重厚な攻撃を続け、守備方の士気と体力を奪うのが目的だ。敵の気力が萎えた所で総攻撃に切り替えて一挙に要塞を陥落させる。
 兵力が十分な以上、正攻法でいくべきというのが参謀のディマの意見であり、ベローチェも異論はなかった。

 
 一方、キュロス要塞に篭る新生王国将官ミゼル・カテフは、連合軍の隙のない攻勢を見て、己の命運が潰えた事を悟った。
 敵はまだ先陣が攻勢を掛けているに過ぎない。にも関わらず守備兵は手一杯といった有様。もう数日もすれば本隊が到着し、更なる猛攻が掛けられる事だろう。

「歴史は繰り返すというが、まさかこれ程までに早いとは。このままでは獅子の名も形無しではないか」

 ミゼルは皮肉気に笑うと、卓上の布陣図を用済みとばかりに破り捨てた。もう幾ら頭を捻っても意味はない。この戦いは負けだ。
 新生王国軍の状況は悲惨としか言いようがない。星教会の号令の下、一斉蜂起した教徒達。そのうねりに乗って、新生王国に不満を持つ有力諸侯達が相次いで決起、参戦した。彼らの本心は、信仰心よりも野心の方が大きいのは言うまでもない。
 更に西方からは星教会帝国方面軍、南方からは星教会諸国連合軍が侵攻してきたのだ。各国が兵を派遣した理由は、星教会の不興を買って、自らの足元に火を着けられては堪らないからだ。
 帝国などは心底恐怖しているだろう。新生王国の傀儡化を推し進めた結果、眠れる化物を目覚めさせてしまったのだから。
 その恐怖に囚われ、星教徒達に力を貸す事が自らの寿命を縮める行為だと気付いてはいないらしい。
 新生王国が倒れた後は、星教会の管理下で各諸侯達による分割統治が行われるはずだ。領土拡大を目指し、覇権を争う群雄割拠の時代。その流れは必ず帝国と諸国連合にも伝播する。この戦いに参戦した者は勝利の味を覚えてしまうのだから。
 再び乱世が訪れる。ミゼルはそう確信している。

「ミゼル様。我々は負けておりません。城兵は未だ意気軒昂、果敢に防戦しております。諦めてはなりませぬ」

 咎める参謀を見据えると、ミゼルは自嘲しながら告げる。

「本当の事だ。お前にも分かっているだろう? 今更形勢を挽回する事など不可能だ。気合や意気込みだけで戦に勝てるのならば苦労はない」

 確かにまだ城門は破られてはいない。だがそれも時間の問題だ。こちらに増援はなく、敵にはある。これで負けていないとは冗談にしても笑えない。
 では降伏するかといえば、それも誇りが許さない。英雄である父が認める訳がない。そもそも、異端認定されているミゼル達の降伏が許されるかどうかも分からないが。

「…………」

「かつての解放戦争とは完全に立場が逆転したという訳だ。我々は一体どのように戦史に描かれるのだろう。出来るのならば、臆病者としては記されたくないものだ」

 歴史は勝者が作る。勝者は常に正しいのだ。全ての汚点は敗者が引き受けねばならない。今度それを味わうのは自分達だ。
 勝利の美酒と、敗者の辛酸。それを一度の人生で味わうことの出来る父は、ある意味では幸運なのかもしれない。

 思えば、ミゼルの28年間の人生は、英雄である父フィン・カテフの言うが儘であった。それを苦に感じた事はない。当たり前だと思っていたから。英雄の言う事は全てが正しい。愚かな自分はそれに従っていれば良かった。
 だが死を目前に控え、ミゼルは一度くらい己を出してみたかった。最期くらい好きにさせてもらっても良いだろうとも思った。
 死ぬ事は怖くないが、このまま無意味に押し潰されるのは少々受け入れ難い。
 斥候からの情報によると、攻め手を率いているのはベローチェ・ゲール。若く勇猛な女士官だという事だ。
 旧王国で『不屈』の異名をとった猛将ヤルダーの血縁者。相手にとって不足はない。

「参謀。この文を敵陣に届けてくれ。ああ、父の許可は必要ない」

 ミゼルは敵将に当てた文を素早く書き上げると、参謀に手渡した。

「しかしながら、このような事はフィン様の許しがなければ」

「この要塞の指揮官は私だ。獅子騎兵の指揮官も今は私だ。……私は父の操り人形ではない。最後くらい、我を通させてくれても構わないだろう?」

「…………」

「最初で最後の頼みだ」

「……畏まりました。直ちに手配致します」

 恭しく頭を下げ、退出する参謀。部屋にはミゼルだけが残された。
 彼もどうにもならない事を悟っている筈だ。文の内容も確認した筈。どちらに転んでも悪いようにはならない。父に渡す事は恐らくないだろう。

「さて、出来れば乗ってくれると嬉しいが。まぁ、何れにせよ、これで終わりか」

 ミゼルは椅子に深く寄りかかると天井を見上げ、全ての重荷を吐き出すように嘆息した。

 

 
 星教会連合軍本営には、伝令からの報告を受けたディマが訪れていた。その表情はいつになく厳しい。
 補佐すべき目の前の人物が、最善でない選択をする事が手に取るように分かっているからだ。
 報告を握り潰してしまおうかと思ったが、それは明らかな越権行為。参謀がして良い事ではない。
 一瞬逡巡した後、険しい視線で要塞方面を睨んでいるベローチェに話しかけた。

「……ベローチェ様」

「何用か。ディマ参謀」

「キュロス要塞守将、獅子将ミゼルから文が届いております。ご覧になりますか?」

「降伏の申し入れか? 無条件ならば受け入れて構わない。それ以外ははねつけろ」

「いえ、そうではありません。……ベローチェ様に決闘を申し込む文です」

 ディマが差し出した手紙を引っ手繰るように奪い取ると、視線を上下させて内容を確認するベローチェ。
 興奮してきたのか、徐々に顔に赤みが差し始めている。
 手紙の内容は次の通りだ。

 ――新生王国軍キュロス要塞守将、ミゼル・カテフはベローチェ・ゲール殿に対し決闘を申し込む。
 正々堂々一対一で戦ってもらいたい。家名に賭け、卑劣な罠の類は用いない事を誓う。
 当方が勝利した場合、要塞は明け渡すが、一時的に包囲を解き、自分以外の全ての城兵を見逃して頂きたい。
 当方が敗れた場合は、即座に城門を開き、武装を解除して降伏する事を約束する。
 優勢である貴官に利はない事は百も承知だが、武人として良い返事を期待する。

 実に不条理極まりない提案である。ディマは読んだ瞬間破り捨ててしまおうと思った程だ。
 大軍同士の戦闘で、指揮官同士の一騎打ちで決着を着けるなぞ馬鹿馬鹿しい事この上ない。
 しかもこちらが優勢、いや勝利を目前にしている状況で、こんな申し入れを受ける必要がない。
 ……普通の思考の持ち主ならば、だ。
 10年に渡る長い付き合いだ。この女が次に言う台詞を予測する事など容易い。

「この話、受けようと思うがどうか」

「……よく聞こえませんでした。申し訳ありませんが、もう一度仰って頂けますか?」

「決闘を受けると言ったのだ。勝敗に関わらず要塞を落す事が出来るのだ。何の問題もないだろう。無駄な血を流さずに済む」

 ディマは思わず目を押さえて天を仰いだ。馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまで馬鹿だとは思わなかった。
 相手が約束を守るという保証などどこにもないのだ。
 ベローチェが討ち取られた場合、敵の士気は嫌でも上がる。約束を反故にされた場合、要塞を陥落させるのに余計な手間が増えるだろう。
 逆にミゼルを討ちとったとしても、敵が城門を閉じて再び篭ってしまえば何の意味もなかった事になる。
 解放戦争の英雄であるフィンもキュロス要塞にいるのだから。彼がむざむざ降伏するとは思えない。

「良くお考えください。敵が約定を果たす保証はどこにもありません。こんなものは無視して、攻撃を続行するべきです。我々は敵の十倍の兵力を備えているのです。もう間もなく攻め落とすことが出来ます」

「家名に賭けてと記されている。だから私は受ける必要がある。『不屈』の名に恥じぬよう、戦わねばならない」

 自信満々にキッパリと断言されたが、ディマには全く理解出来ない。ベローチェが家名に誇りを抱いているのは知っている。
 だが、それとこれとは話が別だ。参謀として意見を述べるのならば、愚かな蛮勇としか思えない。自分が武官ならば共感する事が出来るのかもしれないが。
 何れにせよ翻意させるのはもう無理だろう。この女は一度言い出したら止まらない。赤い物を見た猛牛のように、どこまでも駆け抜けていくのだ。
 それが彼女の魅力でもあり最大の欠点でもある。だからディマはベローチェに仕えている。

「……再考の余地は?」

「ない。日時はこちらで指定する。翌日正午、キュロス要塞正面にて待ち受けると伝えろ」

「…………」

「返事はどうした、ディマ参謀」

「畏まりました。全てお任せを」

 甲冑の擦れる音を鳴らしながら、ベローチェが退出していく。恐らく決闘に向けて準備でもするのだろう。
 最善の案が却下された場合、参謀は次善の策を実行しなければならない。
 ディマはやれやれと首を振ると、足取り重く『顔色の悪い』魔術師の元へと向かった。
 ベローチェの為ならば、使えるものは何でも使う。それがディマの基本的な方針である。

 

 
 ――翌日。ディマの報告を受けたカタリナがベローチェの下に現れた。
 フードを被ったピンクの魔術師は、ツカツカと歩み寄ると、閃光のような平手打ちをベローチェの頬に放った。
 乾いた音が響き、体躯の良いベローチェの膝が一瞬崩れ落ちる。鋭い一撃に意識を手放しかけてしまったのだ。

「な、何をッ!」

「独断専行した罰よ。牛には言葉よりも鞭の方が効果的でしょう。言っても無駄なら最初から身体に分からせた方が早いわ」

「カ、カタリナ補佐官! 人を獣扱いするのは止めて――」

 激昂するベローチェの顎を力強く掴み、顔を強引に手繰り寄せる。
 膂力ではベローチェが圧倒的に上回っているはずだが、身動き出来ない。蛇に睨まれた蛙のように、手足が硬直している。
 青白い顔、妙に艶かしいカタリナの唇から『命令』が発せられる。

「ねぇ牛頭。こうなってはもうどうしようもないわ。約定を反故にしたら全軍の士気に関わる。必ず勝て。死んでも勝ちなさい。討ち取られても心配いらないわ。お前の体が朽ちるまで永遠に立ち上がらせてやる。良い? シェラ閣下の名を汚す事はならないわ」

 蛇のように舌を出し、恐ろしい事を呟くカタリナ。この女は本当にやりかねない。幼少時からの訓練でも本当に殺されかけた。
 シェラは素っ気無いが、基本的には優しい。失敗しても許してくれる。だがこの女は違う。本物の悪魔だ。
 ベローチェはトラウマを思い出し目を逸らしかけたが、必死に堪える。今の自分は指揮官なのだ。怖気づいてはいられない。

「も、勿論ですッ! わ、私は絶対に勝ちます!」

「牛頭では難しい事は理解出来ないだろうから、一つだけ守りなさい。『何が起ころうと戦いに集中しろ。敵から絶対に目を離すな』。どう、理解できた?」

「は、はい」

「声が小さい! そういう教え方をしたか? 腹の底から声を出せッ!」

「りょ、了解しましたッ!! 敵から絶対に目を離しません!!」

「宜しい。それじゃあ頑張りなさい。シェラ閣下もそう仰っていたから」

「は、はい全力を尽くしますッ!」

 ベローチェは両頬を叩くと、気合を入れなおしている。
 それを見届けると、カタリナは天幕から出て、首を鳴らす。
 決闘自体は五分五分といった所だろうか。いや、自分とシェラが鍛えたのだから、七三でこちらが有利だ。
 だが、横槍が入る可能性がある。要塞城壁からは、さぞかし弓の狙いが付けやすい事だろう。
 幸い、キュロス要塞内には新鮮な『死体』が山ほどある。
 カタリナが何気ない仕草で杖を取り出し、触媒の『目』を握って詠唱すると、要塞で埋葬されたばかりの死体が反応する。
 今の自分は距離が離れていても、百体程度ならば操作する事は容易い。
 死霊術師は口元を歪ませると、ゆっくりとした動作で歩き始めた。

 決闘開始まで、後三時間。

 

 ――キュロス要塞城門前。
 両軍が見守る中、星教徒連合軍ベローチェと新生王国軍ミゼルが相対した。
 騎乗し、一定の距離まで近づくと、まずはミゼルが言葉を発する。

「身勝手な申し出を受けてくれて心から感謝する。私が討ち取られたら、城兵には武装を解除し降伏するよう命令してある。約束は必ず守る」

「……貴官が勝った時の事は良いのか? 我らが包囲を解くという保障はどこにもない」

「そこまで望むのは強欲というものだ。このような晴れ舞台を用意してもらっただけで満足している。万の衆目の中で、武を競う事が出来るのだ。武人としてこれ以上の舞台はないだろう」

「確かに、そうかもしれない。……そろそろ始めようか」

 ベローチェが告げると、ミゼルが頷く。

「我が名はミゼル・カテフ! 父から受け継いだ獅子の実力、今こそ見せようぞ!」

 愛槍を掲げ、後方の要塞に誇るように名乗りを上げた。守勢の新生王国軍の兵達が歓声を上げる。
 それに応えてベローチェも続く。

「私はベローチェ・ゲール。『赤羽根』のベローチェだ! ――いざっ!!」

 馬腹を蹴ると、得物を構えてミゼルへと突進するベローチェ。兜に着けた赤羽根が風を受けてたなびく。
 迎え撃つミゼルは槍を回転させて、気勢を上げる。勢いの乗った槍と斧槍が交差し、鈍い音を響かせた。
 実力が拮抗している両者の戦いが、今始まった。
 攻防は一進一退。馬を駆り、数合、数十合。勝負の行方は全く見えない。
 槍で苛烈に突き入れると、強引にそれを払いのける。その隙を突いて斧槍が唸りを上げて襲い掛かる。
 ミゼルが紙一重で回避すると、再び激しい打ち合いが始まる。
 猛者の名に相応しい一騎打ちが、両軍見守る中繰り広げられた。

 
 彼らの決闘を、城壁から冷徹な視線で観察する十名の兵士。彼はミゼルではなく、フィン直属の兵士達である。
 弓術が秀でている事から親衛隊として取り立てられた人間だ。忠誠心は揺ぎ無く、最後までフィンに付き従う覚悟が出来ている。
 命令があれば、どんな事でも実行する優秀な兵士達。
 フィンから受けた命令は唯一つ。『隙を突き、敵将を射殺しろ』だ。最悪ミゼルが巻き添えになっても構わないとも言われている。
 ミゼルの決闘の提案を、フィンは愚かであると断じ最後まで反対していた。
 それでもミゼルが押し通すと、好きにしろと冷たく言い放ち、直属の兵を率いて支塔の守備に就いてしまった。
 この時点で、フィンは唯一の嫡子を見捨てる決断をしていたのだが、ミゼルが気付く事はなかった。
 フィンが愛していたのは妻のミラだけだった。彼女がこの世を去ってからは、ミゼルを息子ではなく部下の一人として接し、意識的に距離を置いた。家族としての会話は数年間行っていない。
 全てにおいて自分に劣るミゼルを“後継者”と認める事は、最後まで出来なかった。獅子将の栄光は自分が築いた物だという、強い自負があるからだ。

「構えろ。合図で同時に放て」

 狙撃隊で一番の練達の者が指揮を執る。
 フィンの命令を実行する為、死闘を繰り広げる両者へと狙いを定める。身体が激しく入れ替わる為、狙いを定める事は難しい。
 それでも片目を瞑り、神経を研ぎ澄ますと、熟練の弓兵はゆっくりと鉄矢を番える。風の抵抗を受けづらいが、重量のあるそれ。
 猛毒が塗られている矢が直撃すれば、必ず命を奪い取る事が出来る逸品だ。
 強く張った弦を力強く引き絞り、ぐらつく照準を確定させる。
 大きく息を吸い、強く握り締めた右手を解き放とうと、目を大きく見開いた瞬間――。

 十名の弓兵の背後から死体の群れが飛び掛かったと思うと、凄まじい閃光を上げながら爆発した。
 鳴り響いた爆音は凄まじく、要塞の内外問わず、誰もがその方向を注目してしまった。本能的なものだ。

 ――唯一人を除いて。

 一瞬生じた隙を逃さず、ベローチェの斧槍はミゼルのわき腹を深く抉っていた。
 鎧を破壊し、鍛えられた肉体を切り裂き、刃は内臓部まで到達している。
 苦悶の声を漏らしながら、ミゼルは吐血して落馬する。

「ふ、不覚ッ。わ、私は、しょ、所詮。――は、母上」

 ベローチェは呼吸を整えると、得物に付着した血糊を払う。
 下馬すると、苦しむミゼルに近づく。

「何か、言い残す事はあるか?」

「ど、どうか、兵の、命は――」

「約束は、必ず守る」

 シェラは約束を必ず守る。だからベローチェも守る。
 ミゼルは目を閉じると、感謝の言葉を小さく呟いた。
 ベローチェは介錯を済ませると、一礼する。
 そして、得物を天に掲げ、威勢よく勝ち鬨を上げた。

「獅子将ミゼル、ベローチェが討ち取った!! 我らの勝利だ!!」

 続いて連合軍兵士達の歓声が周辺に激しく響き渡る。お伽噺のような戦い、そして強敵に勝利したベローチェ。
 新しい英雄の誕生だと誰もが感じた。
 キュロス要塞はミゼルの言葉通りに武装を解除し、抵抗らしい抵抗を見せる事はなかった。
 心の支えであった『獅子将』を討ち取られた衝撃は大きく、戦意を完全に喪失してしまったのだ。
 ベローチェも約束を守り、城兵の命を奪う事はなかった。
 撫で斬りにするつもりだったカタリナは一瞬眉を顰めたが、仕方ないといって見逃した。
 約束は守らなければならない。それがシェラの信条だから。

 ――老いた獅子フィン・カテフは、既にキュロス要塞から姿を眩ましていた。 
 城や要塞にはいわゆる『隠し通路』というものが存在する。有事の際に、貴族や上級将官が脱出する為に作られた。
 下級士官や兵達は存在を知らされず、またその出入り口は巧妙に偽装されている。通路は狭く、少数が移動するので精一杯である。
 だが戦史においては、実際に使用されたという記録は少ない。
 誇り高く潔い死を迎えたのか、単に隠し通路の存在を知らなかったのかは定かではないが。

 その狭く薄暗い隠し通路を、かつての獅子将フィンは全力で駆け抜けていた。
 長年連れ添った愛馬は置き去りにするしかなかった。随伴する兵も古参の30名余り。
 それでもフィンの目は死んではいなかった。まだ機会はあると確信していた。
 自分は解放戦争の英雄なのだ。王都解放を成し遂げた殊勲者の一人。
 新生王国が敗れたとしても、この先確実に乱世が訪れる。生きていれば、再び返り咲く機会はある。
 汚泥に塗れながらも、汗を拭ってフィンは暗闇を走り続けた。
 永遠に続くかと思われた通路も終点が近づき、長年使用された形跡のない重厚な扉から薄明かりが漏れているのが確認できた。
 フィンが力を篭め、錆び付いた扉を強引にこじ開ける。随伴する手勢を率いて、勢い良く飛び出した。

 地下からせり上がるように盛られた土嚢。そこに草や石で偽装された扉がある。
 フィン一行はその扉から現れた。身に着けた鎧兜は汚泥で悲惨な事になっている。

 ――その周囲を、赤羽根を兜に着けた騎将を先頭に、百の黒騎兵と千人の教団兵が取り囲んでいた。
 旗印は三ツ星の星教会旗と、黒地に白い鳥が記された旗が誇らしげに立ち並んでいる。

 赤羽根の将が、進み出てフィンに語りかけてくる。

「私の勘が当ったという訳ね。それで、息子と部下を置き去りにして、獅子さんはどこに行くつもりだったのかしら?」

 大鎌を肩に乗せ、嘲るように見下ろしてくる女指揮官。フィンは隙を窺いつつ返答する。最後まで諦めない。
 会話を引き伸ばし、何とか打開策を見つけるのだ。

「……何故、この通路を知っている。この抜け道を知っているのは、極僅かな人間だけだ」

「あの要塞に30年前にいたからよ。でも誰も使わなかった。全員死んだ。逃げた奴は一人もいない。全員、あの場所で死んだの」

 まだ白昼だというのに視界が悪くなる。霧のようなものが発生し始めている。教団兵達が何事かとざわめきだすが、黒騎兵は微動だにしない。

「話がかみ合わないな。貴官はまだそんな歳には見えない。誰からその話を聞いた?」

「見たのよ。“解放軍”の屑共が焼き尽くした残骸を。私の部下の骨と芋の灰だけが散らばっていたわ。思い出すだけでとても苛々する。だから、お前達は“絶対に許さない”」

 殺気を露わにして、凶悪な形相で微笑む女士官。今にも牙を剥き襲い掛かってきそうである。

「……? ま、待て、お、お前は」

 最後の言葉に、フィンは既視感を覚える。刻み込まれた何かを思い出させようとする。
 両肩に刻まれた古傷が熱を帯び、疼く。

『お前達の方が腐っているだろうがッ!! 私の最後の食べ物を奪ったのはお前らだッ!! 絶対に、絶対に許さないッ!!』

 フィンは愕然とした表情で目の前の女指揮官を見詰める。獰猛な笑みを浮かべてこちらを窺うその姿。
 当時のとまるで変わらない顔つき、背格好、得物。間違いない、この女は。

「――し、死神シェラ? ば、馬鹿なッ!?」

「ようやく思い出した?」

「し、死神は、確かに死んだ筈だ。民に八つ裂きにされて死んだ筈だ!! それに、どうして貴様はあの時のままなのだ!?」

 フィンの質問には答えず、死神は愉しそうに宣告する。

「あの時は忙しくて構って上げられなかったでしょう。今、ここで、続きをやりましょう。心配しないで良いわ。私も徒歩で相手をしてあげる。そうじゃないと不公平だものね」

 下馬した死神は大鎌を頭上で振り回し、激しい殺意を篭めてフィンへと切っ先を向けた。

「……よりによって死神のお出迎えとは。私としたことが、最後の最後で選択を誤ったか」

 フィンは槍を握り締めながら周囲を見回す。見渡す限り敵兵。
 退くも地獄、戻るも地獄。いや、もしかしたら既に自分は死んでいるのかもしれない。
 これは幻覚の可能性もある。自分は要塞で名誉ある死を遂げているのではないだろうか。
 憎悪に囚われた死神が、自分を引きずり込む為に現れたのだ。
 息子のミゼルはどうなっただろうか。見捨てておきながら、今更気に掛けるこの愚かさ。ミラが見たら何と言うだろう。
 乾いた笑いを上げた後、フィンは覚悟を決め、槍を死神に向けた。

「……良いだろう、憎悪に囚われた哀れな亡霊め。この獅子将フィンが引導を渡してくれる!」

「偉そうな事を言ってる癖に、腕と脚が震えてるわよ」

「だ、黙れっ! 我が槍に賭けて貴様だけは討つ!」

 フィンは渾身の力を篭めて槍を振るい始めた。槍捌きは全盛期を思わせる程鋭く、また苛烈であった。
 だが死神には当らない。死神は槍撃の全てを受け止め、弾き返し、そして振り払った。
 徐々にフィンに疲れが見え始める。呼吸が荒くなり、攻撃リズムが不安定になる。足捌きが緩慢になったところで、死神の鎌による打撃が腹部を直撃する。厚い鎧の上から、体の芯まで響く強烈なダメージを負う。
 フィンの動きが完全に止まった。槍を支えにして、何とか立っているだけで精一杯といった様子だ。

「ハアッ、ハアッ、糞ッ! 何故攻撃してこないのだッ!?」

 先ほどから受け流し、隙があれば打ってくるのみ。明らかに手加減していると分かる。
 それがフィンには我慢ならない。

「獅子の牙が折れたところを殺そうと思って。それまで好きなだけ足掻くと良いわ。全て受け止めてあげるから。でも、絶対に殺す」

 死神がニイッと口元を歪めた。フィンの心はその瞬間折れてしまった。今の状況は、肉食獣が哀れな獲物を弄び、嬲っているに過ぎない。
 思うが侭に嬲られた挙句、羽虫の如く無様に殺されるのはご免被りたい。
 血の混じった唾を吐き捨てると、フィンは槍を投げ捨てた。
 部下達が動揺して声を発しようとするが、手で制止する。

 最後はこの有様だが、己の才覚で成りあがり、栄華を掴むという野望は実現してみせた。
 生き延びる為に見苦しく足掻いても見せた。全身全霊を尽くしてフィンは精一杯生きた。
 この辺が潮時だろう。後世、どのように自分が語り継がれるのかは、考えたくはなかったが。

「――殺せ。だが、覚えておけ死神、いつか貴様も報いを受ける時が来る。……必ずだ。私達がそうだったように、貴様にも必ず!」

「嫌と言うほど知ってるわ。だから私は、こうしているのよ」

「な、何?」

「それじゃあ、さようなら」

 少女が微笑むと、背後に二体の襤褸を纏った死神が現れる。彼らは髑髏の顔を歪め、ケタケタと笑い声を上げていた。
 フィンはその光景に己の目と正気を疑う。慌てて目を瞑り、ゆっくりと視界を開くと、少女の無垢な微笑があった。
 それがフィンの見た最期の光景だった。
 死神は演舞をするように三本の大鎌を振るい、鋭い刃をフィンの身体に幾重も走らせた。

 一拍置いて血飛沫が上がり、左右の腕、両足、胴体、首が跳ね飛んだ。
 崩れ落ちた上半身と下半身もバラバラに断ち切られ、鎧の残骸と肉片が混ざり合い原型を留めていない。
 一瞬にして『八つ裂き』にされたフィンは、断末魔の悲鳴を上げる間も無く事切れた。
 白い霧の中で紅い霧が舞い上がる中、獅子の頭が狙い済まされたように、鎌の穂先に突き刺さる。

 それを高らかに掲げると、少女は黒騎兵達を見渡して大声で叫んだ。

「獅子将フィン、『赤牛』のベローチェ・ゲールが討ち取った!!」

 深い霧の中、死神の騎兵達は大歓声を上げて主の勝利を祝った。
 近くで見守っていたシェラ隊以外の人間は、ベローチェが討ち取ったと認識した。
 シェラは赤い羽根つき兜を放り投げると、顔に付いた血を拭った。

「ああ、お腹が空いたわ」

「お疲れ様です、シェラ閣下」

「どうもありがとう」

 騎兵がカタリナから預かっていた飴玉を差し出すと、シェラは嬉しそうに口へと放り込んだ。

 



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
おまけ(特定キャラのイメージが崩れる恐れがあります)



「あの時からですよ。ベローチェ様が『赤牛』と呼ばれるようになったのは。本人は『赤羽根』と呼ばれたかったみたいですが」

 ディマがカタリナに思わず愚痴る。
 猪などと呼ばれたくなかったベローチェは、兜にわざわざ特徴的な赤い羽根を着けていた。赤羽根だと麗しい感じがすると言っていたのに、赤牛と呼ばれる羽目になったのは心外であろう。

「赤牛の方がお似合いよ、あの単純な牛頭には。シェラ閣下の観察眼は本当に素晴らしいわ」

 二人の獅子将を討ち取った事になったベローチェ。当初は『赤羽根』と『赤牛』の二つの通り名で呼ばれていたが、やがて『赤牛』が完全に羽を駆逐してしまった。主に本人の性分、行いが原因であるが。
 何故赤牛と名乗ったのかカタリナがシェラに尋ねたところ、牛は美味しいからという返答だった。
 大いに納得したカタリナは、『さすがはシェラ閣下です』と何度も頷いた。

「所で、何故シェラ閣下はあの時ベローチェ様を名乗ったのでしょうか? それが故に、ベローチェ様は未だに気にされております。幾ら否定しても、周囲から謙遜していると思われてしまうのです」

「さぁ、私には分からないわね。でも閣下が全く気にしていないのは確かよ」

 シェラが欲しかったのはキュロス要塞。だからこれ以上の手柄は必要なかった。だからベローチェに華を持たせたのか。それはカタリナにも分からない。もしかしたらヤルダーへの恩返しのつもりだったのか。それともただの気紛れか。
 いずれにせよ、ベローチェは名声を獲得し、ゲール家に被されていた不名誉は完全に払拭された。

「……もう一つだけ聞かせてください。シェラ閣下とカタリナ補佐官は一体何歳なのですか?」

「閣下は17歳。私は24歳よ」

 カタリナが眼鏡を触りながら即答する。

「先日は18と25と答えておられました。どうして一年若返っているのですか? 是非お聞かせ下さい」

「あの時はあの時。大事なのは今よ。過去を振り返らず、未来を常に見据える事。だから年齢なんて細事はどうでも良いのよ」

 何か良い事を言っているように思えるが、ただ単にはぐらかしているだけである。
 シェラとカタリナが歳を取らない事は勿論ディマも気付いている。聞いてもこうしてはぐらかされる。
 何れ面倒な事になりかねないので、早めに上手い言い訳やらを考えたいのだが、当の本人達がこれではどうしようもない。
 ディマは『先送り』を実行し、面倒な事をとりあえず丸投げした。

「そうですか。ならば今は結構です」

「それじゃあ、次は私が聞かせてもらおうかしら、ディマ参謀」

「何なりとお尋ね下さい。私ははぐらかしたりは致しません」

「貴方とベローチェは、いつ結婚するのか教えてくれる?」

 カタリナの唐突な言葉を聞いて、ディマは激しく咽返る。その拍子に眼鏡がズレ落ちる。
 ピンクのフードの下から、厭らしい笑いを浮かべてディマを覗き込むカタリナ。追い詰める狩猟者の目をしている。

「そんなに動揺していて、参謀なんて要職が本当に務まるのかしら」

「カ、カタリナ補佐官が何を、言っておられるのか、り、理解に苦しむます!」

 噛みながらもディマが反論する。普段は青白い顔が紅潮している。冷や汗がだらだらと背中を流れ落ちる。
 普段の冷静な仮面が外れ、歳相応の表情が覗きはじめる。

「上官と“不適切な関係”を築いている“愚か者”がいると分かったのよ」

「ど、どうしてそれが私になるのです!?」

 事実を言い当てられている為、大声を上げることしか出来ない。ディマとベローチェは確かに深い関係になっている。
 最初は成り行き。馴れ合い。同情。慰めあい。若さゆえの過ち。だが今は――。
 しかし、立場上誰にも知られないよう常に注意していた筈。何故、どうしてこの悪魔にバレているのだ。

「死霊術を使って、鼠をベローチェの寝所に潜ませていたのよ。視覚を同調させて最初から最後まで見届けさせてもらったわ。お盛んで羨ましいわ。詳細は書類に纏めておいたから後で確認しなさい」

「あ、あが――」

「噂も広まりつつあるわ。キュロスだけじゃなく、ミラード全域の隅々までね」

「う、噂の出所は一体どこです! 直ちに握りつぶさねば!」

「噂の出所は、私よ」

 ケタケタと笑い声を上げると、ディマの額を指で弾くカタリナ。

「あ、あ」

「それで、不適切な参謀のディマ・アート。式はいつ挙げるの。シェラ閣下もとても楽しみにしていらっしゃったわ。ご馳走が食べ放題だって。もうその気満々で招待状も作っているのよ」

 懐からシェラお手製の招待状を差し出すと、ディマの目の前が真っ暗になる。
 畑を弄るのに精を出しているのかと思ったら、こんな物を作っていたとは。一朝一夕で出来るような物ではない。

「ば、ば、馬鹿な――」

「所でベローチェって貴方の母親に似てるわよね。性格や行動がそっくり。ディマ参謀には何か“特殊な性癖”があるのかしら。ねぇ、どうなの?」

 真っ白に燃え尽きたディマへ、更に止めの一撃を加えるカタリナ。悪魔の笑みを浮かべながら手中の胡桃をグルグルと回転させている。
 猪娘と呼ばれたディマの母親マタリ・アート。カタリナの剣術の師匠でもある勇猛な女性だ。
 マタリとベローチェの容姿はそれ程似ていないが、単純な性格、後先考えない行動は良く似ている。


 ――死霊術師の容赦のない拷問は、この後一時間ほど続いた。
 次の犠牲者がベローチェだったのは言うまでもない。
 
外伝だから許される隠し設定

ディマ:隠れマザコン、むっつりスケベ
ベローチェ:アホの娘、自分が大きいので小さいものが好き
カタリナ:悪魔

『赤羽根』はベローチェさんが一生懸命考えた通り名です。
そのつもりで兜に綺麗な赤い羽根を差していました。
格好良いと思っていたのに、いつの間にか通り名は『赤牛』となりました。
赤べこ。
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