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死神を食べた少女 作者:七沢またり
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第二十九話 少しだけ疲れたので、今は余り食べたくない

 絶叫と、逃げ惑う兵の悲鳴が平原に木霊する。爆散した牛車の群れは、オクタビオ師団の戦列を大いに掻き乱していた。
 盾で押しとめるまでは良かった。その直後、特務魔道師の発火信号により積載されていた魔道地雷が炸裂したのだ。
 威力を高めるために、大量の火薬、そして鋭利な鉄片が積まれていた荷台。それが四方八方に飛び散り、王国兵の四肢を粉砕、あるいは串刺しにして、多くの命を奪い取っていった。
 死ねた者はまだ幸運である。鉄片を喰らった兵士は悲惨だ。戦闘力を奪われ、死ぬことも出来ず、ただ激痛にのたうち回るしかない。
 ディーナーが考案し改良を加えたこの兵器だが、その殺傷力にはさほど期待されてはいない。威力はあるが、精々数十人を吹き飛ばすのが良い所だろう。兵を損耗させる事が目的ならば、コストと手間が掛かりすぎる。
 この牛車に期待されている役割は、圧倒的なまでの視覚効果により敵の戦闘意志を奪う事にある。受け止めれば確実に死ぬと嫌というほど見せ付ける。避ければ牛は更に陣深くまで切り込んで行き、被害は拡大する。敵に理不尽な二者択一を強制的に迫らせるというものだ。この牛車は、士気の低い王国兵に対して、悲しいまでに有効な兵器になってしまった。
 目の前の地獄絵図を見て、盾役を志願する勇敢かつ忠誠心溢れる兵士など、王国軍の兵卒にいる訳がない。
 第一陣として投入された牛車の数は右翼、左翼共に200台。王国軍の戦列は大混乱に陥り、最早収拾がつかないまでになっていた。オクタビオ、ブルボンの両将に、事態を収めるだけの統率力があるはずもない。晴天の霹靂ともいうべき事態に、ただ呆然と立ち尽くすのみだった。そして、殺戮兵器を搭載した牛車は、まだ大量に用意されている。

「落ち着けッ!! 戦列を乱すな!! あの牛車を決して通すな!!」

「じょ、冗談じゃねぇ! 俺達を盾にする気か!!」

「貴様、命令に反する気か!! 戦列を突破されたら、味方陣内で爆発するのだ! ここで食い止め、被害を最小限に抑えろ! 逃げる事は許さん!」

「そんな命令に従えるか!! この馬鹿野郎がッ!」

「な、何をッ――」

 軍務に忠実な士官を槍の柄で殴り飛ばし、我先にと逃げ始める王国兵達。受け止めるには自らが盾となるしかない。が、こんな国の為にすすんで身を投げ出そうなどという者は、少なくともこの場にはいなかった。
 特務牛車第二陣が、オクタビオ師団中陣の数箇所で炸裂する。

「な、な、何なのだ。一体何が起きているというのか! 副官、説明しろ!」

「分かりません! で、ですが、このままでは我が師団は崩壊します! 閣下! ご命令を!」

 副官がオクタビオに指示を求めるが、狼狽してそれどころではない。

「お、おい。牛がこちらへ近づいているぞっ! 早く止めろっ! 止めさせろ!!」

「親衛隊、あの牛車を止めろ!! 閣下の身をお守りするのだ! 何故ここまで侵入を許したのかっ!! 前線の兵は何をしている!」

 オクタビオ周囲の親衛隊が、その身を盾にして牛車を押しとめる。主がどのような者であっても、親衛隊は命に代えて守らなければならない。オクタビオ本陣まで後少しという所で、コロン牛の突進は止まった。
 遠眼鏡で確認していた解放軍魔道師は、ほくそ笑んで爆破の合図を送る。
 至近距離で爆発に巻き込まれた親衛隊は、その半数が即死し、残りは致命傷を負いながら、地面をのたうち回る。
 オクタビオの目の前に、親衛隊の臓物が飛び散ってくる。死が、すぐ目の前まで近づいている。オクタビオは心から恐怖した。

「こ、これは敵の新兵器だ。私はバルボラ閣下に報告に向かわねばならぬ。私から直々に仔細を報告しなければ! ケラール副官、あ、後の指揮は任せる!」

 付着した血糊を拭いながら、オクタビオは声を震わせて叫ぶ。こんな所にいられない。高級将官である自分が、なぜ死の危険に接しなければならないのか。オクタビオの頭には、この場を離れることしか存在しない。

「か、閣下、今閣下が逃げ出せば、味方は総崩れとなりますぞ。こ、ここは何とか態勢を立て直さねばなりません!どうか踏みとどまり、指揮を御取りください。これは閣下にしか出来ない事です!」

 追従が得意な副官も、この窮地で指揮官が逃げ出せばどうなるかくらいは分かっている。ただでさえ士気の低い兵達だ。時をおかずして確実に潰走する。最後の最後で、ケラールは副官としての最低限の役目を果たした。

「だ、黙れ黙れッ! 私は逃げるのではない、直接報告に向かうだけだ! 直ぐに戻る! それまでは持たせろ!」

「――か、閣下。わ、私達を見捨てるのですか?」

「ま、任せたぞケラール! き、貴官の忠誠は生涯忘れん!」

 オクタビオは素早く乗馬すると、残りの親衛隊を率いてバルボラ本陣へと向かい始めた。地獄に取り残されたケラールは、顔面蒼白になりながら、一言だけ呟いた。絶望、失望、後悔、それら全てを吐き出すように。

「……終りだ。もう、どうにもならん」

 王国軍、自らの栄達、そしてユーズ王国そのもの。目の前には、猛り狂った牛車が近づいている。どうやら、自分の命もそうなるらしい。最後に、オクタビオへの罵詈雑言を思う存分思い浮かべた後、ケラールはその時を迎えた。

 右翼のオクタビオ師団は完全に浮き足立ち、更に指揮官が逃げだした事が広まると、王国兵は崩れるように潰走した。ディーナーは、魔道地雷を積載していない牛を解き放ち、更に歩兵を前進させる。王国兵は、ただの牛を見ただけで逃げ始める有様。戦況は一気に解放軍へと傾いた。
 左翼のブルボン師団もほぼ同様だった。指揮官は逃げはしなかったが、有効な指示を出す事が出来ない。退却を決断することすらできないのだ。ここにきて、現場に一任していたツケが回ってきていた。死なない事を優先した下士官達は、得物を捨て我先に逃走した。
 ベフルーズ師団は、その機を逃さず総突撃を敢行。指揮官が先頭に立ち、一気に左翼を蹂躙した。ブルボン少将は、僅かな手勢を率いて後方へと落ち延びていく。参謀と親衛隊に両脇を抱えられながら。

 右翼と左翼をもぎ取られた中央のバルボラ、ラルスの師団。敵兵器の特徴を見抜いたラルスは、即座に兵を散会させ、被害を最小限に食い止めようとする。牛車に対しては、牛の足を止めるよう命じる。付け焼刃とはいえ、それがこの状況では最善手と言えた。

「槍を投擲し、牛の足を止めるのだ! 慌てず落ち着いて狙え!!」

「槍兵、投擲しろッ!!」

 及び腰になりながらも、ラルスの兵達は指示に従い、槍を投擲。数本の槍を足元に喰らったコロン牛は、バランスを崩して横転する。牛車の弱点は、荷台の重量があることである。横から押し倒す、あるいは足元を攻撃することで進行を止める事が出来る。

「良くやった! だが決して近寄るな! 距離を取って火矢で誘爆させろ! 前方への警戒は怠るな!」

「了解です!」

 盾を構えた歩兵の後方から、弓兵が火矢を用いて牛車を処理していく。魔道地雷は魔力信号がない限り起爆はしないが、積まれている火薬は別だ。着火すると、荷台は轟音を上げて鉄片を撒き散らしていく。

「前線の歩兵に伝えろ! 槍で牛の足を狙えとっ! もしくは側面から攻撃を加え横転させろとな! 現状では、それ以外に対処することは出来ん! 正面から受け止める事は絶対に避けろ、無駄死にはするな!」

「はっ!」

 ラルスが声を張り上げると、伝令は敬礼して前線へと向かっていく。

「たかが牛の群れに、ここまで蹂躙されるとはッ!」

(対処自体は可能だ。しかし、戦列が乱れることは避けられん。糞っ、このままでは)

 周囲を見れば、負傷した将兵ばかり。左翼、右翼を眺めれば味方は完全に潰走している有様だ。この状況で一体どうしろというのか。ラルスは踵を返し、早足でバルボラの本営へと向かう。両翼が崩壊した今、次に包囲されるのはこの中翼である。決断しなければならない。
 ラルスはシャーロフの最後の言葉を思い出し、内心で吐き捨てる。

(やはり、シャーロフ元帥の言う通り、討って出るべきではなかったのだ。守りを固め、時期を待つべきだった。山岳地帯ならば、このような奇策は有り得なかったッ!)



 慌しく伝令が往来する本営。逃げ戻ってきたオクタビオが、青筋を浮かべるバルボラに対し必死の弁明を行っていた。
 参謀達の白い目が、オクタビオを射抜く。バルボラは歯軋りしながら怒りを堪えている。

「か、閣下。敵の新兵器です。あれは恐ろしい程の威力です! 私は、一刻も早く報告に向かわなければと、危険を顧みずここまでやってきたのです。ど、どうか、ご理解いただきたいっ! 決して逃げてきた訳ではありません!」

「……それで、お前の兵達はどうしたのだ。指揮官ともあろう者が、兵を見捨てて一人で逃げ帰ってきたのか!! 貴様、それでも師団長か! 少将の地位にある者として恥ずかしくはないのか!?」

「そ、それは違いますぞ! 私はバルボラ閣下の身を案じる余り、居ても立ってもいられず――」

「黙れ、この愚か者がっ!! 恥を知れッ!!」

 バルボラの拳が、オクタビオの顔面に炸裂する。鼻血を吹き出しながら、オクタビオは平伏する。

「――お、お、お許しを」

「それだけではない! 貴様、何故作戦通りに突入しなかった! みすみす勝機を逃すとは何を考えているのかッ!」

 オクタビオの身体を蹴りつける。怒りは収まらない。

「そ、それは。……そ、そうだ。狼煙です。狼煙が、上がらなかったのです! シェラ大佐が、作戦通りに狼煙を上げなかった為、やむを得ず私は様子を見ることにしたのです。そもそも、あのような下賎な小娘に、重大な任務を成し遂げられる筈がなかったのです。そう、全ての責はシェラ大佐にあります! 私は任務を全うするつもりでした!」

 シェラに全ての罪を被せ、何とかこの場を逃れようとするオクタビオ。王国軍の勝敗よりも、我が身の保身の方が重要なのだ。
 軍規に問われれば、下手をすると死罪だ。オクタビオは、それだけは避けようと必死に抗弁する。

「シェラ隊の狼煙は確かに上がり、それを貴様が無視したという報告は入っているのだ! 貴様は、シェラとコンラートを見殺しにし、更に己の兵までも見捨てて逃げ出したのだッ!! ――オクタビオ、この不始末、その命で償ってもらうぞッ!!」

「ひ、ひいっ!! お、お許しください!」

「黙れ下郎がッ!」

 バルボラが我慢の限界とばかりに、剣を抜き放ち、オクタビオの首筋に突きつける。オクタビオは脅えきって、額から血が出るほど謝罪を繰り返した。涙と鼻水を流しながら、バルボラに情けを請う姿。とても将官の物とは思えなかった。

「……バルボラ閣下。今はそのような馬鹿に構っている暇はありません。始末は事が終わってからで宜しいかと。ただでさえ低い兵の士気が、更に低下しますぞ」

 戻ってきたラルスが諫言する。仮にも一個師団を任せた人間を、交戦中に処断するなど聞いたことがない。貴重な時間は、こうしている間にも浪費している。そもそも、この愚か者を師団長に任命し、一翼を与えてしまった人間は誰なのか。ラルスはオクタビオを一瞥した後、バルボラに冷たい視線を注ぐ。

「――憲兵隊、この愚か者を拘束しておけっ!! 必ずや軍規に照らし、その薄汚い首を叩き落してくれる!」

「か、閣下、お許しを。ど、どうか御慈悲を!! バ、バルボラ閣下!」

「黙れッ! 憲兵、早くこいつを連れて行け! 目障りだ!」

「――はっ!」

 憲兵がオクタビオの髪を掴んで、本営から退出していく。泣き喚く声が遠ざかる。
 場は静まり返り、バルボラは荒げた息を整える。遠くから、間隔を置いて爆発音が聞こえてくる。

「……ラルス少将、状況は、どうか」

「戦況は、最悪の一歩手前です。既に敗勢は濃厚。全軍が総崩れするまで、後一時間も掛からないでしょう。最後まで戦うか、それとも逃げるか。軍団長として、指示をお願いします」

「……どこで、どこで、歯車が狂ったのだ!! 糞がッ!! 何故だッ!! 我々はつい先程まで圧倒的に優勢だったではないか!!」

 バルボラが錯乱したように剣で天幕を切り刻んでいく。ラルスはそれを無表情で眺めながら、意見を述べる。

「まだ、軍隊としての形は保っております。カルナス高地には、ヤルダー師団の旗も見えます。退却は、今ならば可能です。被害を抑えることも出来るでしょう。閣下、直ちにご決断を」

「に、逃げろというのか。この戦には、王国の命運が掛かっていた。それを、貴官は分かっているのか。ここで、退けば我々はもう――」

 この戦いでの敗北は、カナンにおける主導権を奪われる事になる。喉下を圧迫するように、カナン都市、ロシャナク要塞は押しつぶされるだろう。敵地で孤立したようなものだ。そして、王国は王都への門を開け放つ事になる。今まで日和見を決め込んでいた領主達も、こぞって解放軍へと参加するだろう。そうなれば、終りだ。

「最早どうにもなりません。ここで全員討ち死にか、何とか退却し、態勢を立て直して再起を図るか。バルボラ閣下。貴方が決めなければなりません。それが、軍団長としての最後の役目です」

「…………ッ」

 バルボラは絶句する。誇り高き死を選ぶのならば、ここで潔く戦死するべきだ。だがバルボラは数万の兵の命を握っている。一人でも多くの兵士を退却させるのが、指揮官としての選択ではないのか。武人としての誇りと、最高指揮官としての責任。その狭間でバルボラは苦悩する。答えは出ない。

「何もしないのならば、私は隊へと戻らせて頂きます。死ぬのならば、部下達と一緒に逝きたいですからな。生憎、貴方と最期を共にする気は毛頭ありませんので」

 冷たく言い放ちラルスが踵を返すと、バルボラが狼狽しながら引き止める。

「……わ、分かった。退却だ。全軍に退却を命じろ! カナン、ロシャナクを経由し、我々は下がる! ここで全滅する訳にはいかぬっ!」

「了解しました。全軍に通達します。カルナスのヤルダー大将にも伝令を送ります。……それでは、失礼します」

 ラルスは敬礼し、退却の為の準備に入る。バルボラは、両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちた。シャーロフ亡き後、第1軍を率いてきた男の、最初にして最大の挫折であった。

 

 

――同時刻、カルナス高地、高台陣地。
 王国軍の惨状は、高台から嫌と言うほど見届けることが出来た。ヤルダーとシダモは苦悩の表情を浮かべ、シェラは騎兵から食料を受け取り、ようやく満足な食事を取れたことに安堵していた。
 今日の昼食は、敵の陣地から奪ったコロン牛の干し肉である。なんでこんなものがあるのかは分からなかったが、シェラは気にすることなく良く噛んで美味な肉を味わった。
 噛めば噛むほど味が出る。コロンの牛は最高級。隣で騎兵が口ずさむ。シェラは竹筒から水を飲むと、パンに肉を挟んで齧り付いた。干し肉よりも、生肉を軽く炙った程度で食べたら、最高に美味しかっただろう。だが、贅沢はいけない。
 食べられるだけで幸せだ。

「シダモ、単刀直入に意見を打ち合わせよう。余計な議論をしている時間はない。私は、高地を下りて、直ちに退却するべきだと思う。今敵陣に切り込んだところで、ただの無駄死にだ」

 ヤルダーは、希望的観測を捨て、冷静に事態を観察する。己が軍団指揮官ならば、単騎でも突入していただろう。それほどまでに、この戦いの意味は大きかった。負けておめおめと生き延びるつもりなどあろうはずもない。
 だが、今は師団長として、兵達を国まで連れて帰らなければならない。王都防衛の為にも、何とか犠牲を最小限に留めながら。

「私も同意見です。高地を落とす為に兵達は全力を尽くし、疲弊しています。残念ですが、敵陣にたどり着く前に全滅するでしょう。気力で戦うのにも限度があります。ならば、今すぐに転進し、カナンへと向かうべきです。追撃を蹴散らす程度は出来ます」

「……この状況、以前にもあったな。シダモ、退却と同時にカナン、ロシャナクに斥候を出せ。王国軍旗が掲げられているか確認させろ」

 ヤルダーがサルバドル攻略に失敗した時、退却時にはアンティグアが落とされていた。状況は酷似している。否、あの時よりも事態は悪化しているだろう。調略の手が伸びていてもおかしくはない。

「既に落とされている、或いは――」

「敗北が伝われば、どうなるかは自明の理だ。挟撃は避けねばならぬ。とにかく、撤退だ。包囲される前にな」

「シェラ大佐! これより我らは転進するぞ! 貴官の隊が先陣を切り、カナン方面へと向かえ! 機動力を活かし、敵を混乱させるのだ! 死神の恐ろしさ、とくと思い知らせてやれ!」

 珍しく、シダモが怒鳴り声を上げて指示を飛ばす。
 シダモの声を聞いたシェラはパンをゆっくり咀嚼した後、胸焼けを堪えながら敬礼する。

「……了解しました!」

「後は貴官の判断に任せる!」

「大佐、こんな所で死ぬなよ」

 ヤルダーがシェラの肩に手をやり、兵の指揮に向かう。
 シダモがその後を追い足早に立ち去るのを見届け、シェラはカタリナに呟く。

「折角落としたのに、無駄骨だったみたいね。一体何の為に、私達は戦ったのかしら。頑張って、ここまでやってきたのに」

 コンラートは死に、大事な仲間達も大勢死んだ。騎兵隊残存兵力は、1500騎程度だろうか。犠牲を払って制圧した高地でやった事といえば、旗を立てたぐらいである。

「……大佐」

「帰ったら、オクタビオの屑は殺すわよ。忘れないように覚えておいて。あの屑は絶対に殺す。それと、私の許可なしに騎兵を動かす事は二度と許さない。肝に銘じておきなさい」

 シェラが細目でカタリナを睨みつける。カタリナは俯きながら、眼鏡を震える手で触る。

「は、はい。りょ、了解しました。お、お許し下さい」

「部下を捨ててまで、助かりたいとは思わない。どうせなら、貴方達と一緒が良いわね。長い間、食事を共にした仲だもの。私も混ぜてくれないと。仲間外れは絶対に許さないわ」

 軽く笑みを浮かべると、カタリナの肩を優しく叩く。

「……た、大佐」

「よし、それじゃあ行きましょう。私達が先陣をいかなくてはいけないから。――シェラ隊はカルナス高地を下り、カナン方面に転進するッ!! 我らの行く手を遮る者は全て蹴散らすぞ!!」

「了解しましたッ!!」
「シェラ騎兵隊、転進開始!!」



 ヤルダー師団、シェラ騎兵隊は、カルナス高地を下りカナン目指して退却を開始。追撃を撃退しながら、見事に引き上げに成功する。損害が少なかったこともあるが、シェラ隊を見ると、解放軍兵士が萎縮してしまい、手が出せなかったのだ。それほどまでにシェラは恐れられている。
 一方のバルボラ、ラルス隊、オクタビオ、ブルボン残存兵力は、解放軍の執拗な追撃を受け、大損害を被った。戦意を喪失し、降伏或いは逃亡する者が続出し、敗残兵としか言いようのない事態を招いていた。

 敗北の報せを受けた都市カナンは、兼ねてよりの密約通り、解放軍へと所属を変更。退却してくる王国軍を打ち払う姿勢を見せた。領主としては、保険を掛けるのは当たり前の事だった。領主直々に守兵を説得し、民衆に演説を行った結果、誰一人として反対する者はなく、都市カナンは解放軍の手に落ちたのだった。

 ロシャナク要塞では、王国に忠誠を貫く者と、解放軍に降るべきという者で意見が割れた。最後には殺し合いまで発展し、降伏を主張する者達により城門が開け放たれる。解放軍の兵士がなだれ込み、抵抗空しく要塞は陥落した。
 カナン地帯の重要拠点を失った王国軍は、敗走を続けたまま王都地方へと向かう。会戦前は13万いた兵士は、既に4万まで減っていた。死者の数は2万程度だが、脱走者の数が尋常ではなかったのだ。

 殿軍を志願したヤルダーは、カナンから王都に繋がる細い街道にて、陣を張り頑強に抵抗した。
 功に逸った解放軍の一隊を蹴散らし、これを潰走させる程の指揮を見せた。

「はははっ、このヤルダーを抜くには、まだまだ足りぬぞ。最低でも後10万は持って来い! 反乱軍の小僧共に易々と討ち取られてなるものかよ! ――シダモ、あれを掲げろッ! ヤルダーここに在りと奴らに知らしめろ!!」

「はっ!」

 シダモが合図をすると、壊滅した第3、第4軍団の旗が掲げられる。ヤルダーの栄光と、挫折の象徴であるそれら。そして、彼らと共に戦い、生き抜いてきた誇りでもある。血に塗れ、泥に汚れた旗は風を受け、見せ付けるようにたなびく。

「私がいる限り、王国は滅びぬ。最後の最後まで私は戦い抜くぞ。はははっ! シダモ、悪いが最後まで付き合ってもらうぞ!! 恨むなら、己の運の悪さを恨めっ!!」

「もとより覚悟しております。それでは、閣下には悪いですが、少々横槍をいれさせてもらいます。――斥候に合図を送れっ!!」

 シダモが命令を下すと、兵士達が崖に向かって赤旗を振る。目立つように全身を使って振り回す。
 暫くすると、両脇の崖上から爆発音が轟く。その数秒後、大岩が崩落し狭い街道を封鎖していく。
 前方に展開していた解放軍兵士が、巻き込まれてはかなわぬと慌てて後退を始める。彼らはこの周辺の地理に詳しくない。
 前もって地形を調査していたシダモが、最悪を想定して足止めの策を用意していたのだ。最悪の最悪を、その一歩手前で食い止める為に。

「準備が良いな、参謀! だが、これでは負けを覚悟していたということになるぞ。貴様は軍法会議物だっ!」

 ヤルダーがおどけながら言うと、シダモがとぼけた顔で白を切る。

「何の事か分かりかねますな。とにかく、これで、暫く時間が稼げます。キュロス、サーイェフに篭り、態勢を整えましょう」

「よし、それでは転進だ! 撤収ではない! あくまで転進だということを忘れるな! ハハハ、決して負け惜しみではないぞ! これは空元気と言うのだ!」

「転進開始! 敵が態勢を整える前に移動するぞ!」

「シダモよ、相変わらず元気が良いな。実に頼りになる事だ。皆の者、参謀殿を見習って胸を張って行軍しろ! 我らはカルナス高地を落とした精鋭部隊なのだからな! 凱旋のつもりで進め!」

 豪快に笑いながら、ヤルダーは陣を引き払い転進する。
 最早、どうにもならないであろう事は分かっているが、武人として最後まで戦い抜く。
 覚悟はとうの昔に出来ていた。かつて自決を踏みとどまったその日から。

 

 王都には、バルボラ、ブルボン、そして拘束されたオクタビオが入城した。オクタビオは調べが終了するまで蟄居を命じられた。
 サーイェフ要塞には、ヤルダー師団が入り、キュロス要塞にはラルス師団、シェラ騎兵隊が入城。
 この2つの要塞で、第1軍が再編成を終えるまでの時間を稼がねばならない。周辺都市より、物資を調達しようと試みるが、彼らはそれを拒絶。敗戦はディーナーの手により、方々に喧伝され、王国はもう終りであると強烈に印象付けていた。
 キュロス、サーイェフの両要塞は物資を満足に整える事が出来ないまま、篭城戦を迎えることになりそうだった。
 別れ際、ヤルダーはシェラの手を強く握り、愉快そうに微笑みながら告げた。

『シェラ大佐、王都でまた会おう。反乱軍を撃退したら、先日約束した通り我が屋敷に来るように。貴官の喜ぶご馳走を大量に用意しておこう。楽しみにしておくが良い』
『了解です、閣下。必ずお伺いします』
『シダモ、お前も何か言ったらどうだ! 暫く会えなくなるぞ!』
『……伝えることは一つだけだ、大佐。前にも言ったが、死ぬなら外で死ね。騎兵を育てるには、金と労力が掛かっているのだから。城内で死ぬのは無駄以外の何物でもない。……理解したか?』
『シェラ大佐、完全に理解しました!』
『やれやれ、色気のない奴らだ。まぁ、らしくて良いかも知れんがな。ワハハハッ!』

 彼らとの会話を思い出しながら、シェラはキュロスの一室で休息を取っていた。
 シェラは少しだけ疲れていた。身体は包帯でぐるぐる巻きだ。矢傷はまだ癒えていない。戦闘行為には問題はないが、身体が少しだけ熱っぽいようだ。幾らか休めば、快復するだろうが。
 下着姿のまま仰向けにベッドに寝転がっていると、ノックの音が控えめに飛び込んでくる。

「大佐、お休みの所失礼します」

「……何事?」

 気だるそうに返事をするシェラ。

「はっ、至急大佐にお伝えしなければならない事があり、報告に参りました」

「何かしら、今着替えるから、取りあえず教えてくれる?」

 シェラは騎兵隊兵士から最重要報告を受ける。

「大佐が植えた芋の芽が出ております。順調に育っているようです。一刻も早くお知らせしようと、全力で駆けて来ました!」

「それは吉報ね。今すぐに行くから、畑で待機していなさい」

「了解しました。烏に荒らされないように見張っておきます!」

 ドアの外から、兵士が軽快に走り去っていく足音がする。
 シェラは立ち上がり、窓を開けて空を見上げる。雲ひとつない青い空。吹き付ける風を受けて、王国の旗と、シェラ隊の旗が揺れている。
 その周囲をカラスが飛び回っている。餌がないか探しているのだろうか。あそこには、パン屑は落ちていないのに。
 シェラは窓を閉めた。カラスが餌を催促するように、こちらを見てきたから。

「…………」

(結局、ここに戻ってきた。最後の家は、この要塞かしら。私の植えた芋、食べられると良いけれど)

 心残りを一つ思い浮かべた後、芋をこの目でじっくり観察する為に、素早く軍服を着て部屋を出る。
 この要塞は、既に臨戦態勢を整えている。守将ラルスは最後まで物資調達の努力を行い、そして城壁の強化に努めた。
 敵の塹壕戦に備え、幾つもの罠を張り巡らせ、そして外堀を深くした。ラルスは出来る事は全て行った。
 解放軍はカナン制圧後、間髪いれずに出撃し、キュロス、サーイェフの両要塞へと向かっているらしい。戦いは、すぐに始まるだろう。

「色々と、やる事が残っているから。もう少し、頑張らないと。まだ終わらないわ。……ね、そうでしょう? もう少しだけ、頑張りましょう」

 シェラは一度だけ振り返って微笑むと、踵を返して歩き始めた。
 後ろには、誰もいなかった。


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