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死神を食べた少女 作者:七沢またり
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第二十六話 王都の焼き菓子は美味しすぎる!

 キュロス要塞を発ったシェラ隊3000は、都市カナンへと入り来るべき決戦に向けての準備を開始していた。
 まだ命令は下されてはいないが、いよいよベルタ奪還の為に出兵するという噂は、軍団中に広まっていたのだ。
どんなに鈍感な人間でも、王都から精兵5万が派遣され、さらに物資がかき集められているのを目撃すれば、嫌でも悟るというものだろう。第1軍団指揮官のバルボラが、遠征を公言しているのだから尚更である。

 第1軍団全体が忙しない中、カナンに駐留していたヤルダーに呼び出され、シェラは億劫そうに城館に向かった。
 今日はいつも身に着けている黒鎧ではなく、王国軍の高級士官用に仕立てられた正装をしている。白を基調とした軍服には、シェラがこれまでに授与された勲章が誇らしげに飾り付けられている。シェラは無用だと言ったのだが、形式は大事ですとカタリナに強引に説得され、目立ちまくる勲章を嫌々付けているのだった。
 すれ違った衛兵達は、勲章と階級証を凝視した後、慌ててシェラに対して敬礼する。背中には冷や汗をだらだらと流しながら。
 小柄な女性士官、華々しい戦果を証明する勲章、大佐の階級証とくれば疑いようがない。子供ですら知っている噂の死神様だ。
 討ち取った敵将は数知れず。一騎当千の化け物。配下の騎兵達は死を恐れない猛者ばかり。無礼を働いたら末代まで祟られるなどなど。噂に尾ひれがついて、今では畏怖の対象として恐れられていた。
 ぎこちない笑みを浮かべる彼らを無表情のまま一瞥し、シェラはヤルダーの部屋を目指す。
 やがて目的の部屋の前に立つと、着慣れない軍服を少しだけ正した後、ノックをして良く通る声で到着を告げた。

「シェラです。本日キュロス要塞より帰還しました!」

「入れ」

 どことなく懐かしい声だと思いながら、シェラは素早く入室する。そこには上機嫌な顔のヤルダー大将と、しかめっ面をしたシダモ参謀がいた。

「久しいなシェラ大佐。貴様の働きぶりは聞いているぞ。いつの間にか同階級になるとはな。全く末恐ろしい女だ」

 シダモの階級は大佐であり、ベルタ陥落から僅か1年でシェラは追いついてしまったことになる。お互いにどうでも良いと思っているので、シェラも適当に返事をする。

「はい。シダモ参謀にはこれからもご指導頂きたくお願いします」

「もう少し感情を篭めて話すようにしろ。実にどうでも良さそうに聞こえるぞ。それと敬語の練習だ。貴様が丁寧口調で話していると常に違和感を覚える。自分でもそう思わないか?」

「申し訳ありません、以後注意しますッ!」

 大きい声で了解しているが、顔が気だるそうなのは一目瞭然。
 以前よりも目の前の女の感情を読み取れるようになったシダモは、深く溜息を吐く。
 今シェラが思っていることは簡単だ。『面倒臭い。だるい。腹減った』。
 シダモが眉間に皺を寄せて皮肉を口に出そうとするのを、ヤルダーは笑いながら遮る。

「ハハハッ、まぁ良いではないか。シェラ大佐らしくて実に宜しい!これからもその不遜な態度を貫くと良いだろう! 何かあったら私が責任を取ろう!」

「ありがとう御座います、閣下!」

「閣下、甘やかしてはいけません。そのうち閣下に対しても失礼な口を聞くかもしれません」

「別に私は構わんぞ。大佐の活躍はそんなどうでも良い欠点を補って有り余る物があるからな! それに、今日は大佐の敬語指導の為に呼び出したわけではないぞ。分かっているな、シダモ参謀」

 ヤルダーが机をリズミカルに叩くと、シダモは奥から2つほど小包を持ってくる。それをシェラの前のテーブルにゆっくりと置くと、上司の横へと戻っていく。

「大佐、左側の小包は王国から貴官へと送られたものだ。遠慮せずに開けると良い」

「――はっ!」

 ヤルダーに促され、左端の一番小さな物から開けていくシェラ。美味しい食べ物だったら良いなと内心期待しながら。
 丁寧に小包を開けたシェラの視界に飛び込んできたのは、今身に着けているものより、更に派手で悪趣味な金ピカの勲章だった。シェラはがっかりした表情を隠そうともせず、無言のままそっと箱の蓋を閉める。

 
「不満そうだが、何か文句があるのか、シェラ大佐。恐れ多くも宰相閣下から授与された勲章だぞ。もっと喜んだらどうだ」

「全くもって文句などありません! 身に余る光栄であります!」

 言葉と顔が一致していない。がっかり感が体中から滲み出ている。

「ならばその勲章をつけてみたらどうだ。その救国星型騎士勲章をつけて街を練り歩けば、誰からも一目置かれるだろう。英雄に相応しい偉大な勲章だ。実にお目出度いことだな」

 全くそう思ってなさそうな顔で淡々と告げるシダモ。シェラは小箱をそっと腰の野菜袋に入れ、見なかったことにした。野菜は全部食べてしまったので、今は野菜の臭いが染み付いた空の袋である。

「…………」

「そうがっかりするな、シェラ大佐。シダモ、お前も性格が悪いな。いつからそうなったのだ?」

 ヤルダーが苦笑しながら問い掛けると、シダモは淡々と答える。

「閣下の下で働いていたら、いつの間にかこうなっていたのです」

「そうかそうか、それは苦労を掛けて悪かったな。これから更にその性格の悪さに磨きをかけて行け。性格の良い参謀など必要ないからな。期待しているぞ、シダモ参謀」

「ありがとう御座います、閣下」

「うむ。それでは大佐。次の箱を開けてみたまえ。貴官の望む物がそこに入っているはずだ。特別に王都から職人を呼んで作ってもらったのだ。きっと満足してもらえるだろう」

「――はっ!」

 シェラは、真ん中に置かれた中ぐらいの大きさの箱を開ける。そこには、色取り取りの果物で飾り付けられた、実に美味しそうな焼き菓子が入っていた。蓋を開けた瞬間に、甘酸っぱい香りがシェラの鼻をくすぐり食欲を増幅させる。溶けた砂糖が固まり、瑞々しい輝きを放つ円盤状の焼き菓子は、もう今すぐに貪りつきたくなるような形状をしているではないか。
 シェラはつんつんと指でつついた後、手に付いた水飴を舐める。甘くて美味しい。
 とても耐えられないと、鷲掴みしようとした瞬間。

「――シェラ大佐。ここがどこだかは分かっているな?」

「…………」

 手を箱の中に入れたまま動きを止めるシェラ。シダモは言葉を繰り返す。

「大佐。ここがどこだか分かっているのかと聞いている」

「…………失礼しました」

 すごすごと手を引っ込める。ヤルダーはその姿を見て、溢れてくる笑いを必死に堪えている。
 なんというか、兄妹のやりとりを見ているような錯覚を覚えたのだ。

「宜しい。今すぐその蓋を閉めて、閣下に伝えるべき正しい言葉を述べるように。今すぐにだ」

 シェラ言われた通りに蓋を手に取ると、、今までにないほどの緩慢な動作で箱を閉めた。
 そして見るからに気落ちした様子で、ヤルダーに向かって敬礼した。

「……ありがとう御座います。ヤルダー閣下」

「うむ。後でゆっくりと食べるが良い。私は別に構わんのだが、近くに口うるさい参謀殿がいるからな。すまんが、今は我慢してくれ」

「閣下。甘やかしてはいけません。このシェラは軍議中に物を食べかねない女です。良い機会ですから、ここでしっかりと躾をしなければ」

 ベルタにいたときに、既に軍議中食べていましたと、シェラは口にしようとしたが止めておいた。お菓子が遠のく気がしたからだ。 お小言を言い始めたシダモを軽く宥めた後、ヤルダーはシェラに向き直る。

「シダモ、教育はまた次の機会にするように。お前は参謀であって、教師ではないのだ。大佐、用件は以上で終りだ。間もなく出陣の号令が下るだろう。次の戦が我ら王国の命運を分けると言っても過言ではない。
貴官も全力を尽くせ。無論、我らも死力を尽くして戦う。一層の働きを期待しているぞ」

「はっ、お任せください! 必ずや反乱軍を皆殺しにしてみせます!」

「宜しい。勝利した暁には、貴官を王都の我が屋敷に招待することにしよう。
腕の良い料理人を雇っているから、きっと満足してもらえるはずだ」

「ありがとう御座います、閣下!」

 王都にまだ一度も入ったことがないシェラ。なんとしても戦いに勝利し、美味しいご馳走にありつきたいと思った。
 上級将官のお抱え料理人だ。見たこともないような食べ物が出てくるに違いない。想像するだけで涎が垂れそうになる。

「……豪勢な食事を想像するのは勝った後にしろ、大佐。涎を垂らす前にまずは戦支度を整えておけ」

「了解しましたッ!」

 呆れ顔のシダモに元気良く返事をすると、焼き菓子の入った小包を大事そうに抱えて退出していくシェラ。
 ヤルダーとシダモは、それを思い思いの表情で見送った。
 シダモは軽く咳払いをした後、ヤルダーに話しかける。

「閣下。実は報告しておかなければならない事がございます」

「何だ、いきなり改まって。まさか、シェラに惚れたから見合いの場を設けろと言うのではないだろうな。悪いがそれはならんぞ。シェラ大佐は我がゲール家の嫁に来てもらわなければならぬのだ。すまぬが、貴官は辛抱してくれ」

 冗談とは思えない口調で話すヤルダーを、『この馬鹿は何を言っているんだ』と言わんばかりの表情で睨みつけるシダモ。
 先程より強く咳払いをすると、話を続ける。

「そのような心配をなさる必要は、全くもってありません。天地が逆転してもありえませんので」

「そうか。では一体何だと言うのか」

「はっ、実はとある筋から、妙な情報を入手したのです。反乱軍の連中が、北部地域でコロン牛を大量に調達したらしいと」

 シダモの言葉に、ふむと顎を擦るヤルダー。

「コロン牛といえば、美味で有名な家畜だ。だがもう一つ特徴があったな」

「はい。この牛は凶暴かつ獰猛な性格で、何らかの刺激を与えると、捕捉した目標に向かって走り続けるという特性があります。それが大量に戦場に投入されるとなれば……」

「成る程。それは少々厄介だな。いきなり猛牛の群れが突撃してきたら、何も知らぬ兵達は混乱するかもしれん。……宜しい、私からバルボラに伝えておこう。兵達に予め周知させておくようにとな。気に食わん奴だが、負けるよりはマシだ。奴が否と言ったら、私が手配しておこう」

「ありがとう御座います、閣下。……それと、アリシア会戦で用いられた――」

「……ああ、魔道地雷だろう。言われずとも分かっている。あの敗戦は今でも悪夢として出てくるのだ。私がもう少し慎重な性格であればと、後悔してもしきれんわ。……その件も合わせて忠告しておかねばなるまい。失敗を繰り返す訳にはいかんからな。多数の斥候を放ち、常に平原を監視させておく。二度と同じ轍は踏むまいぞッ!」

 興奮したヤルダーが、机を叩きつける。シダモは深々と頭を下げ、部屋を退出する。
 現状で考えられる手は打った。魔道地雷への対策、奇策ともいえるコロン牛に対する警戒も進言した。
 だが、嫌な感じがするのだ。何かを見落としているような。そんな焦燥感がシダモの脳裏を駆け巡る。

(……もう一度考えを纏めてみよう。出陣までの時間は少ないが、万全の態勢で挑まねばならぬ。我々には、敗北はもう許されないのだから)




 
 翌週、カナンに集結した全兵士に第1軍軍団長バルボラは号令を下す。
 『ベルタを奪還し、反乱軍を尽く撃滅せよ』と意気揚々、声高らかに告げた。カナンとロシャナク要塞防衛に2万を残すと、総勢15万からなる大軍団はベルタへ向け出陣。

 王国軍の総大将はバルボラ大将。ヤルダーは混成師団を率いたまま第1軍団に編入され、己より年下のバルボラの指揮下へと入れられた。
 かつては軍団長を務めたヤルダーであったが、己のつまらない誇りよりも、今は勝利こそが大事と大人しく従った。口では立派な事を言っているが、顔は紅潮し、血管が激しく浮き上がっていたと、傍に控えていたシダモは語る。
 他に師団を率いるのは、オクタビオ、ブルボンといったバルボラの腹心の将官。シャーロフの下で堅実な働きを見せていたラルス少将といった面々である。
 慎重派のラルスは今回の出兵には最後まで反対していた。処断された元帥シャーロフがラルスに残した言葉は、『決してカナンから動いてはならぬ。徹底的に守りを固め、敵の自壊を待て』であったからだ。
 元々攻勢に積極的であったバルボラは、その方針を消極的だと一蹴し、持論を軍議の場で延々と述べた。
 帝国との戦いに勝利した今、ベルタを奪還すれば戦いの趨勢は決したも同然。ここで攻勢に出ずに、一体いつ出るというのか。
 その意見を参謀、将官達が支持し、それでもラルスが難色を示すと、最後には勅令であると押し切ったのだ。

 ヤルダーは最後まで己の意見を発することなく、軍議の決定に従った。シャーロフの遺言に従い、守勢でいても形勢が好転するとは考えにくい。だが、ベルタ奪還の為に大攻勢に出るというのは、取り返しの付かない博打のようなものだ。
 勝てば良い。だが、負けたら全てが終わる。カナンが陥落すれば、いよいよ王都に手を掛けられてしまうのだ。そうなっては、日和見を決め込んでいた領主達はこぞって反乱軍へと身を寄せるだろう。

(……この戦だけは絶対に負けられぬ。なんとしても勝つ。このヤルダー・ゲール、一命を賭してかつての汚辱を雪いでみせるわッ!)

 ヤルダーは決意を固めると、泥と血で汚れきった第3軍旗を強く握り締めた。再び勝利の栄光を手に入れ、今は亡き部下達に向けてこの旗を翻すのだ。それが敗軍の将として、おめおめと生き残ったヤルダーの果たすべき役目だと思っていた。




 行軍中のシェラの傍に、いかつい顔をした男が近づいてくる。シェラが興味なさそうに振り返ると、どこかで見覚えのある顔だったので首を傾げる。

「……誰だったかしら。どこかで見覚えがあるような気がするわ」

「……昇進おめでとうございます、シェラ大佐」

 男が小さな袋をシェラに無造作に手渡してくる。シェラがそれを受け取り、中を確認すると袋一杯の煎り豆が詰め込まれていた。
 これはベルタ特産の妙な味のする豆である。シェラの記憶が徐々に蘇り始める。

「ああ、思い出したわ。貴方、ベルタにいたコンラート少佐でしょう。怪我、治ったのね。当分動けない重傷だと思ったのだけど」

「はい、シェラ大佐。大佐の奮戦のおかげで、この命救われました。この戦では、その借りを返すために、粉骨砕身の覚悟で働くつもりでありますッ!」

「……貴方、敬語が死ぬ程似合わないわね。無理せずいつもの調子で話したら?」

 誰かに言われたような言葉をしたり顔で告げる。
 シェラの言葉に、それは出来ませんと首を横に振るコンラート。

「軍隊では階級が絶対です。申し訳ありませんが、それは出来かねます!」

「そう。別に良いわ。まぁ、折角助かったのだから、無理しないようにね。
今度は、多分死ぬわよ、貴方。私の勘だけど」

 無遠慮に死ぬと告げられたコンラートだが、表情を変えることなくシェラに答える。
 死ぬのが怖いのならば、医者の制止を振り払って参戦したりなどしない。
 コンラートには命に代えても果たさなければならない事があるのだから。

「この戦いで、今は亡きダーヴィト閣下の仇を討たねばなりません。それを果たすことが出来るのならば、小官の命など惜しくはありません」

 ベルタで戦死したかつての上官ダーヴィト。付き合いの苦手な自分を重用してくれた貴族。周囲の評判は芳しくなかったが、コンラートにとっては大恩ある人間だったのだ。
 ダーヴィトの無念は、自分が必ず晴らす。その執念だけでコンラートは身動きできない程の重傷から復帰したのだ。

「……そう。それじゃあ仕方ないわね。この戦い、貴官の働きに期待しているわ。王国軍の勝利の為に、共に全力を尽くしましょう」

「はっ、了解しました!!」

 敬語が似合わない両者の会話は短時間で終了した。
 コンラートは馬上で再度敬礼すると、自らの隊へと戻っていく。シェラはそれを無表情で見送ると、袋から豆を取り出し口に放り投げた。

「…………辛い」

 今日の豆の味付けは、シェラも顔を顰める程の辛味だったようである。





 『王国軍15万、ベルタに向けて進軍中』との報を受け取った解放軍。予めカナンに兵力が集結しつつあるという情報を入手していた為、戦支度は既に万全であった。
 この戦に負けられないのは解放軍も同じ。帝国が身動きできない今、解放軍だけで王都を制圧出来る事を世に知らしめなければならないのだ。その為にも、なんとしても勝利しなければならない。
 解放軍指揮官アルツーラは、集った解放軍同士に向けて号令を発する。

『今回の戦いが、解放戦争の命運を分けるでしょう。こうしている今も、無辜の民達は餓えて苦しんでいます。私達は負けることは許されません。苛酷な圧政を敷く現王政を、何としても打倒しなければなりません。その為に、多くの血が流れる事になるでしょう。多くの同士の命が失われる事になるでしょう。私はその全ての罪を背負います。そして、必ずやこの悪政の元凶、クリストフを討ち取る事を誓います。誰も苦しまず、皆が笑って暮らせる世の中を築くために、どうか貴方達の力を貸して欲しいッ!!』

 アルツーラは剣を抜き放つと、天に向かい高らかに掲げた。その後、爆発するような歓声が響き渡り、解放軍万歳の声が轟く。
 それを誇らしげな表情で眺めると、アルツーラは皆の歓声に応える。

 解放軍の兵士達も馬鹿ではない。姫が言うように綺麗事ばかりでやっていけるとは思っていない。それでも自分達を苦しめた現王国への恨み、憎しみは形容し難いものがある。その煮えたぎる憤怒に大義名分を授けてくれる存在。それがアルツーラと解放軍という存在だったのだ。

 アルツーラから合図を受けた将軍ベフルーズは、老人とは思えぬ程の怒声を上げ、整列した大軍に向けて命令を下す。

『この戦いに勝ち、王国に再び豊かな暮らしを取り戻すのだッ! その為に何としてもカナンを陥落させるッ! 全員死力を尽くせ! この戦の大義は我らにありッ! 全軍進軍開始ッ!!』

『進軍開始ッ! 目標、ベルトゥスベルク平原!』


 解放軍総勢13万、押し寄せる王国軍を迎撃する為にベルタから出陣。迫り来る敵軍を壊滅し、手薄なカナンを一気に陥落させる目論見である。上手くいけばこの戦いに終止符を打つことが出来るだろう。
 両軍が激突したのは、カナンとベルタ間に広がる『ベルトゥスベルク平原』。王国軍と解放軍が最大の兵力で激突した会戦である。この平原は見通しが良いなだらかな地形である。特徴的なのはカルナス高地と呼ばれる高台が、平原の全方位を見下ろすようにそびえているのだ。
 解放軍軍師ディーナーは、この高地に素早く兵を展開し布陣することに成功した。高地には即席陣地を築き、防衛にはガムゼフ率いる師団が配備された。ガムゼフも雪辱に燃える将官の一人である。参謀職を辞し、現在は一軍を率いている。
 また、ヴァンダーが北部より調達した『コロン牛』2000頭は、目隠しと拘束具を厳重に付けられた上で軍隊の後方に配備されていた。その半数程に、幌のついた荷車が着けられている。

――この荷台には、とある物体が積みこまれている。



 一方の王国軍も軍勢を展開し、反乱軍と正面から対峙した。兵力に勝る王国軍は、勢いのまま正攻法で押し切ろうという腹つもりでいる。
 それと同時に、厄介なカルナス高地を奪取するための作戦も講じられていた。
 中翼にはバルボラ本隊、左翼にはブルボン師団、右翼後方にはヤルダー師団がそれぞれ配置され、シェラの隊は中翼先鋒の位置を任せられた。
 ここは激戦となること必至の最前線である。当然死傷率は高くなるが、戦端を開くことが出来る栄誉ある役目でもあった。
 シェラに任せられた任務は、敵中翼と左翼を分断する為の『切り込み役』である。シェラの武勇を高く評価しているバルボラは、オクタビオ達腹心の反対を押し切って、この重要な任務を与えたのだった。
 その支援を命じられたのが、元第4軍にして最近負傷から復帰したコンラート少佐の歩兵隊、そして最後まで反対していたオクタビオの師団である。
 バルボラの本隊とブルボン師団は戦線を膠着させる為の囮、本命はヤルダー率いる右翼である。帝国戦での経験を買い、バルボラは敢えて犬猿の中のヤルダーをこの任務に抜擢した。出世欲が満たされた今、勝利するために出来る事は何でもするつもりだったのだ。 頭は悪いが、武勇は疑いようがないと、現在のバルボラはヤルダーを評価していた。かつてのバルボラでは考えられなかった事だ。 腹心の将官達の指揮力に、内心では疑問を抱いていたという理由もある。

 カルナス高地を分断孤立させた後は、右翼のヤルダーが翼包囲し、手薄な側面を突いて殲滅することが作戦の最終段階となっている。高地制圧後はその勢いに乗じ敵本陣に押し寄せる、というのがバルボラの立案した作戦方針だった。


「バルボラ閣下! 何故ヤルダー大将に右翼の別働隊などを指揮させるのですかッ! しかも切り込み役をあのような小娘に任せるなど有り得ませんぞ! そのような重要な役目は、我ら第1軍古参の将にお任せくだされ!」

 作戦内容を知ったオクタビオは、唾を飛ばしながらバルボラに直訴する。一番働き甲斐のありそうな右翼別働隊を何故ヤルダーに任せるのか。そして自分に命じられたのは、最近大佐になった小娘の後詰。どうしても納得できなかったのだ。
 この作戦が上手くいった場合、シェラは分断成功の戦功を挙げる事になり、下手をするとオクタビオと同じ少将の階級を得ることになる。冗談でも笑えない。想像しただけで眩暈がする。

「オクタビオ。今回の戦いは何としても勝たねばならないのだ。シェラ大佐の凄まじいまでの武勇は、味方だけではなく、敵にも知れ渡っている程。敵陣を突破する切り込み役に最適だと、私は判断したのだ。そして、その後詰には貴官が最適であるともな」

 バルボラは冷徹に言い放つ。オクタビオが食い下がるが、歯牙にもかけない。

「閣下!!」

「くどいッ! これは決定事項だ!今更変更などありえんわ! 貴官は大人しく私の命令に従っていれば良いッ」

「――ッ。か、かしこまりました」

 バルボラが一喝すると、オクタビオは思わず竦みあがってしまう。普段は豪快だが、肝心な時に小心な面があるところを、バルボラは見抜いていたのだ。
 天幕から退出すると、オクタビオは外で待機していた副官を引き連れて己の陣へと戻っていく。
 バルボラは己のこめかみを押さえ、今は亡きシャーロフの苦悩を今更ながらに思い知らされていた。好き勝手言えるのは、それを受け止めてくれる相手がいてこそなのだ。第1軍兵士13万の命を背負っている今のバルボラには、そんな真似は許されない。





「…………」

「……オクタビオ様。宜しいのですか?」

 聞き耳を立てていた副官は、顔を赤くしているオクタビオに問い掛ける。小娘の後詰などという役目で良いのかという念押しだ。オクタビオの出世は、自分の将来にも響いてくる。

「ふん、戦というものは、一旦始まれば現場の判断が優先されるものだ。臨機応変の指揮こそが、我ら将官には必要なのだからな。それに、シェラ大佐が功を焦って突出してしまう、といったことも考えられるだろう。そうなれば、我らとしてもどうすることも出来まい」

「……成る程、それは、仕方ありませんな。将官への出世を望むあまり、功を焦って戦死というのは、ありがちな話です」

 副官は薄ら笑いを浮かべる。オクタビオは更に続ける。

「むしろ、小娘を見捨てて、敵が油断した所に我らが切り込んだほうが良いかも知れんな。ククッ、噂の武勇があれば生き残れるだろう。我らが支援する必要など全くもってない。戦いには勝利し、邪魔者には消えてもらう」

 邪魔者の中には、反乱軍だけでなく、凄まじい速さで昇進しているシェラが含まれていることは言うまでもない。
 出る杭は叩かれる。地位を脅かしかねない危険な芽は早めに対処し、刈り取らなければならない。
 こういった下らない権力抗争が、王国軍を腐敗させていったのだが、当の本人達は全く気にしてはいなかった。

 



 
 騎兵隊を率いて、最前線に立ったシェラは、馬腹に括りつけておいた小包を取り出し、焼き菓子の最後の一切れを頬張る。
甘酸っぱい果汁が口内に広がり、シェラは幸せそうな満面の笑みを浮かべる。周囲の兵達はそれを微笑ましそうに眺めている。
 誰もが恐れる死神、大鎌と黒鎧を身に着けた女将校が、そこらへんの町娘と同じような仕草で菓子を頬張るのに、妙なギャップを感じているのだ。

「大佐、ヤルダー閣下からの贈り物はこの日の為にとっておいたのですか? 全部食べてしまったと思っていました。随分お気に召したようですから」

 カタリナが尋ねると、咀嚼しながらシェラは首を縦に振る。

「今日は特別な日でしょう。反乱軍の屑共を、思う存分沢山殺せるから。だからね、大事な戦いの前に美味しい物を食べようと思って」

 現状でシェラが用意できる一番美味しい物。それがこの焼き菓子だった。
 王都に行く事が出来たら、有り金はたいて買い占めるつもりでいた。
 ヤルダーのご馳走に、この美味しい焼き菓子。今すぐにでも王都に行ってみたいと思ったが、我慢する。
 食べるのも大事だが、屑共を始末するのも同じくらいに重要である。

「なるほど、納得しました」

「本当は分けてあげたいのだけど、食べちゃったからもう残ってないの。ごめんなさいね。王都に行ったら、貴方達の分も買ってあげるわ。楽しみにしていなさい」

「いえ、そのお気持ちだけで結構です!」

 カタリナが丁重に遠慮する。実は甘い物はそんなに好きではないのだ。
 そう? と問い返した後、シェラは手を軽く舐めて、大きく伸びをする。

「……ああ、反乱軍の狗達が見渡す限りに一杯ね。屑共がうじゃうじゃと邪魔臭い。目障りな事極まりないわ。そう思わない、カタリナ?」

 遠く前方には、忌々しい反乱軍の軍勢が広がっており、見るだけで苛々させられる軍旗が翻っているではないか。
 実に不愉快だとシェラは目つきを細めて睨みつける。幸せな気分が一気にどす黒いものに変わってしまった。
 カタリナが飴玉を差し出すと、何も言わずに口へ放り込み、乱暴に噛み砕く。
 濃密な殺意が小柄な体から溢れ始め、表情が危険なものに変化している。


「――ご命令を、シェラ大佐」

「手当たり次第に殺せ。反乱軍の屑共は一人も見逃すな。全員殺しなさい。民兵だろうが、少年兵だろうが関係ない。問答無用で皆殺しよ」

「反乱軍は皆殺しだッ! 大佐の命令は絶対だ、必ず実行しろッ!! 理解出来たら、大佐の命令を復唱しろッ!」

 カタリナが声を張り上げると、騎兵隊員が槍を掲げて怒声を上げる。

『反乱軍に死をッ! シェラ大佐に勝利をッ!!』
『反乱軍の屑共に死を! シェラ騎兵隊に勝利をッ!!』
『シェラ大佐に勝利をッ!! シェラ大佐万歳ッ!!』

 王国への忠誠ではなく、シェラを讃える声を張り上げる。シェラ隊以外の兵士は、その気迫に圧倒されて立ちすくんでいる。
 シェラは騎兵達に満足そうに微笑むと、正面に展開している獲物の群れを一瞥し、美味しそうに舌なめずりをした。

「それじゃあ、征きましょう」

 大鎌を頭上で軽々と回転させると、シェラは先陣を切って全力で駆け始めた。黒旗を掲げた騎兵達が遅れじと、その後に続いて激しい砂塵を上げる。

 

 

――王国軍、解放軍の命運を分ける戦い、ベルトゥスベルク会戦の始まりである。


※両軍布陣図、及び王国軍作戦図
http://5954.mitemin.net/i48986/
挿絵(By みてみん)

布陣図を作ってみました。凸にはロマンがありますね。
+注意+
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