猫と月と。あるいは夏目漱石先生の気持ちを答えよ
月が綺麗ですね。
小説家、夏目漱石が「I Love You」をそう翻訳したという有名な言葉だ。
英語教師をしていた夏目漱石が、「I Love You」を「我君ヲ愛ス」と訳した教え子に、
「日本人はそんな思いを直接的に言うことはしない。月が綺麗ですね、とでも訳しておきなさい」
と言ったという。
「日本人はそんな思いを直接的に言うことはしない」
漱石の発言の前半部分は理解できる。
日本人の奥ゆかしさとかそういう類のものだろう。
前半はさておき、問題は後半部分だ。
今でこそ、この逸話が浸透しているので言葉の裏にある意図を悟ったりすることは可能だけど、そんな下地がない状態で
「月が綺麗ですね(あなたが好きです)」
なんて言っても、どれだけの女性がその隠された気持ちを汲み取れたというのだろうか。
明治時代の女性なら汲み取れたのか。エスパーか。
平安時代はそういうものだった、と言われれば、なんとなくそんなものかと納得してしまいそうだけど。
いや、そもそも漱石先生は伝えようともしなかったのか。
日本人は、とは言っているが、「私なら」ということなのか。
夏目漱石はどんな心持ちでそんな発言をしたのか。
作者の気持ちを答えよ、という問題ならばどのような解答が正解となるのだろうか。
なのか、なのか、だらけだけど。
この逸話を聞くたびに私はいつもそんなことを考えてしまう。
はじめて逸話を知った後、私は小学生の時に課題図書で目を通した(読んだとは言わない)夏目漱石先生の小説を改めていくつか読んでみた。
読み直してみて私が作者の感性や人となりについてどう思ったかを語ることもできるけど、この物語の本題はそこにはないので割愛しよう。
前置きが長くなった。
さて。ここからがこの話の始まりだ。
その日、私は自室である1Kのアパートで、独り月見を楽しんでいた。
まだまだ汗ばむ九月初旬の晩、窓から見える月は、綺麗な半月だった。
「満月の夜しか月見をしちゃいけないなんて、誰も決めていない」とは誰の言葉だったか。
いい言葉だと思う。
窓枠の中に見える風景で、動いているものはわずかな雲ばかり。
そんな穏やかな動きの無い劇場の中にふと登場人物が入ってきた。
猫だった。
窓のすぐ下にあるブロック塀を優雅な足取りで猫が歩いていた。
毛並みは淡いグレーの長毛で、よく手入れされているのか艶があり、その首元には首輪らしきものが見え隠れしている。
猫は、窓枠劇場でいう左下部分で足を止め、器用に座りこんで月を見上げた。
薄い灰色の毛並みが、月の光を受けて銀色に輝いている。
こちらからは後ろ頭しか見えなくてわからないけど、その瞳には上弦の月が写っているのかな。
こういうときは動物に声をかけても、逃げられてしまうだけだとは経験上よくわかっている。
わかってはいるのだけれど。
だけど、どうにも我慢ができなくなってしまった。
君もお月見かい、とできるだけ驚かさないように、優しく、静かな声で語り掛けた。
その思いが届いたのか、肩がぴくりと震えただけで、猫はゆっくりと首だけ振り向いた。
猫の瞳は、淡い金色だった。
少し細長だった瞳孔がきゅっと大きく丸くなる。
おびえたり、警戒するふうでもなく、物静かに、興味深げにこちらを見ている。
そんな気がした。
なんだか嬉しくなってしまって、月、綺麗だよね、と手にした缶ビールを掲げながら語りかけた。
同意してくれたのか、私に興味を無くしたのか、猫は首を元に戻し、夜空を見上げた。
きっと同意してくれたのだろう。
私にはわかる。多分。
つられて私も視線を上げた。
夜空に浮かぶ半月は、猫の瞳の金色よりもさらに淡かった。
猫といっしょに、同じ月を見上げる。
ほんの短い間の出来事だったけど、なかなかに心地よい体験だった。
束の間の後、猫が再び振り返り、首を少し傾げ、
「ふむ。それは求愛の言葉かい? それとも本当にあの月のことを言っているのかな?」
しゃべった。
思わず手にしたアルミ缶を見直してしまう。
うん、まぁ、ビールなんだけど。
お酒だけど。
でも、まだ二本目を開けたばかりでほとんど飲んでいないし、酔ってもいない。
自分でも知らない間にそんなに飲んでいたんだろうか。
いやいや、だからまだ二本目だってば。
酔ってない、はず。
酔ってない、よね? 自問してみる。
あぁ、でも酔っ払いの酔ってないって言葉は信用できないか。
自分がよくわからなくなってきたので、自分以外のものに確認してみることにした。
猫に、今しゃべったのは貴方なのかと聞いてみた。
「おや、君は吾輩の言葉がわかるのだね」
ヒゲをピクリと震わせた猫の目が、更にまん丸になった。
多分、私の目も同じくらいまん丸になっているのだろう。
「なるほど、それが鳩が豆鉄砲を食らったような顔というものか」
猫の口の端がちょっとあがったような気がする。
その目には人間の顔はどんな風に見えているんだろう。
と、思ってたら、自分の口が開きっぱなしになっていたのに気がついて、あわてて閉じた。
「ご主人以外で話ができる人間に会うのは初めてだよ。少し、話をしていってもいいかな? 部屋にお邪魔するよ」
そう言いながら私の返事も聞かず、猫は窓枠を乗り越え部屋に降り立った。
昼寝用の枕と化していた来客用座布団を広げて差し出すと、猫はちょこんとその上に納まった。
その向かいに正座をし、姿勢を正す。
灰色の来訪者も、こころもち背筋を伸ばしたように見えた。
えっと。
こういうときはどうすればいいんだっけ。
初対面の人を部屋に上げるなんて初めてのことで、おもてなしの手順がわからない。
人じゃないけど。
色々考えてみたが、名前を名乗り、猫の名前を聞いてみるという基本的なところから始めることにした。
「ふむ。吾輩は猫である。名前はまだない、とでも言いたいところだが、名前はネコだ」
最初の言葉といい、なかなかに教養のあるネコらしい。
ネコの教養ってなんだろう。
もしかしたら、ただの夏目漱石マニアなだけの可能性もある。
しかし、ネコ? 名前が、ネコ?
「センスがない名前なのは自分でもわかっているが、名前をつけたのは私ではないので、そこは勘弁して欲しい」
そういうとネコは目を伏せた。
ヒゲも少し下を向いていた。
それからほぼ毎日、ネコは夜の見まわりの途中で私の部屋に立ち寄った。
五分で見まわりに戻る日もあれば、談議に花が咲いて一時間以上話し込むこともあった。
話し込むときのネタは主にその日のニュースについてだ。
もう少しメルヘンな感じの会話を期待していたのだが、中々に現実的で博識な猫だった。
部屋での猫の指定席は来客用の座布団の上で、「今日の解説者」というネームプレートを作ってあげたくなるくらいの論客ぶりだった。
プロ野球シーズンも終盤になると、私の応援しているチームとネコが贔屓にしているチームの対決だったということもあり、TVを前に盛り上がったりもした。
スポーツキャスターも可能なマルチ猫だった。
そんな話の合間に聞いたところ、ネコの飼い主は隣町の一軒屋に住むご家族だということだった。
お爺さんとその娘夫婦、孫娘が一人という四人家族だとネコから聞いた。
ネコもいれて五人家族だね、というと、
「吾輩にとっては君もいるので五.一だな」
と返された。
なんだかこそばゆかったけど、少し嬉しくなった。
お爺さんとは出会ったときから話が出来たらしい。
庭に迷い込んだネコを保護したのはお爺さんで、ネコを拾ったときには小学校の教師をしていたということだった。
教師に拾われて飼われるなんて本当に『吾輩は猫である』みたいだ。
そう言うと、ネコはヒゲをちょっと下げて
「だが、ご主人は英語教師ではなく国語の教師だと言っていたし、鼻の下の黒髭もないのだ。あまり昼寝もしない」
と落ち込んだ。
どこに落ち込む要素があったのかよくわからないが、ネコには猫のこだわりポイントが何かあるのだろう。
それにしても、夏目漱石の小説について良くしっている猫である。
「吾輩は猫である」の猫の飼い主が英語教師だったなんて、私は忘れていた。
別の日に、ネコがどうやって本を読んだのか気になって聞いてみると、ご主人が読み聞かせてくれているということだった。
ネコを膝に乗せ、文庫本をめくりながら小説を朗読する老人の姿を想像して少しほっこりした。
また別の日にもう少し詳しく聞くと、文庫本ではなくノートPCと青空文庫だということが判明した。
私のほっこりを返して欲しい。
「昔はパソコンのモニタに乗っかって暖を取っていたものだが」
最近はノートパソコンとやらになって残念だ、そういって鼻を鳴らすネコに、それだと確かに暖をとれないねと言うと
「仕方がないのでご主人の膝にのって毛布をかけてもらっているのだ」
ちょっとだけほっこりを返してもらえた。
ネコの来訪は二ヶ月ほど続いた。
「この部屋に来るのは実は今日で最後になる」
それはまた唐突な話だと思ったが、反面当日まで言い出さなかったのはネコらしいとも思った。
「ご主人の息子が転勤で引越しをするのだ。北海道の札幌というところらしい」
それはまた寒いところだ。
これから冬も本格化するので、大変そうだとちょっと心配になった。
「北海道というところは外はかなり寒いので、家の中では暖房を常に入れているらしいのだ。外を見回ることはできなくなるのは残念だが、今度の家はかなり広いらしい。暖かくて広い家というのはそれはそれで楽しみだ」
なるほど、そういうものなのか。
そういえば、北海道出身の友人がそんなことを言っていた気がする。
道産子は寒さに強いんじゃない、防寒の仕方を知っているだけだ、とかなんとか。
冬の室内ではガンガンに暖房を入れ、半袖で過ごすらしい。
最後と言うのなら、今晩はなにかしたいことがあるのかと聞いてみた。
「君は何かしたいことがあるのかね」
反対に聞かれたので、灰色の毛並みを撫でさせて欲しいと頼んでみた。
会った時からずっと憧れていたのだが、なんとなく今まで言い出せなかったのだ。
ネコは私の目の前でゴロンと横になった。
おそるおそる手を差し伸ばし、横腹を撫でさせてもらった。
あごの下にも指を入れてさすってみる。
想像した以上の触り心地だった。
「では、私の希望を聞いてもらえるかね」
何を言われるのかと思ったら、月を見ないかと誘われた。
それはいいねと、窓を全開にする。
すこし肌寒かった。
窓枠劇場の中には、ネコと初めて会ったときと同じ、下弦の月が浮かんでいた。
二人で並んで月を見上げる。
会話をすることもなく、ただ同じ月を眺めた。
ネコは金色の瞳で月を見ながら何を思っているのだろう。
何か声をかけたかったが、何を言えばいいのかよくわからなかった。
短い間だけど楽しかった、会えなくなるのは寂しいね、ありがとう、そして。
どの思いも間違ってはいないのだけれど、どれも口にすることは出来なかった。
月がきれいですね。
色々思い悩んでみたけど、口から出てきたのはそんな言葉だった。
「ふむ……ありがとう」
珍しくネコが言い淀んで返事をした。
ちょっと照れていたのかもしれない。
気のせいかもしれない。
「うむ。月がきれいだ」
今度はいつもの口調に戻ったネコの声だった。
その後、小一時間ほどふたりで月を眺め、ネコは普段と同じ様子で帰っていた。
明日、本屋で夏目漱石先生の文庫本を買って、また読み直してみよう。
今度は違った感想を抱くかもしれない。
そんな気がした。