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チャイサート国物語

三人の機織り娘

作者: 遊森謡子

アジアの架空の国が舞台の、恋愛短編です。

「ホア! 待ってくれ!」

「来たわよ、急いで!」


 刈り入れも終わり、乾いた藁の束ばかりが目立つ畑の間の道を、三人の若い娘が飛ぶように走っていた。

 足首まである外衣の裾がひるがえり、刺繍の入った長靴が見え隠れする。背中で揺れる長い黒髪の上で、細く編んだ三つ編みが数本、ぴょんぴょんと跳ねた。

 ゆったりと荷車を引く牛の横を駆け抜け、農水路をまたぐ小橋を越えて、さらに走る。すでに早朝には、木の葉に霜が降りるような季節。額に汗を滲ませ頬を赤くして、寒風の中を急ぐ娘たちのどこか楽しそうな顔は――区別がつかないほど、そっくりだった。


「なあ! ちょっと……話するだけ、だからっ!」

 そんな三人を後ろから追ってくるのは、長い黒髪を後ろで一本に縛った、同じ年頃の青年。男らしいと言うにはやや細身だが、筋肉をばねのようにしならせて走る姿は野生動物のようだ。


 あたりに、土壁に藁ぶきの屋根の家が増え始めた。先を行く三人は煉瓦を焼く工場(こうば)の煙を目印に、土煙を上げながら植え込みの角を曲がる。

 植え込みの切れ目から飛び込むと、この村の中でもひときわ大きな家が建っていた。開け放した両開きの扉から、機織りのタンタンという音が幾重にも重なって聞こえている。


 皮をむいた果実を軒先に干していた祖母が、娘たちを振り返って顔のしわを深くした。「おかえり、三つ子ちゃん」

「おばあちゃん、ただいま!」

 三人は祖母のふくよかな身体にてんでに飛びつくと、後ろを振り向いた。

 追いかけて来ていた青年は、生垣の向こうをうろうろしているらしい。黒の外衣に黒の長靴という、黒づくめの人影が、緑の隙間から見え隠れしている。


「はぁー、やれやれ」

 娘の一人が、合わせ衣の胸元を抑えて大きく息をついた。

「どうしたのシュエ、息を切らせて」

 祖母が尋ねると、シュエと呼ばれた娘の隣にいた娘が、ゆったりした袖でぱたぱたと顔を仰ぎながら答えた。

「またロウガに追いかけられちゃって」

「おやおや、ユエったら。あたしにもそんな頃があったねえ」

「懐かしんでる場合じゃないのよ、おばあちゃん」

 ユエと呼ばれた娘とは反対側にいた娘が憤慨して、自分の前掛けを刺繍がゆがむほど握りしめる。

「付き合ってくれって、しつこいの。あたしは全然好みじゃないのに、あんなやつ」


「ホアに言い寄ってるのかい、そのロウガって子。どんな子なの?」

 祖母の質問に、ここぞとばかりに三人のかしましいおしゃべりが始まる。

「隣村の、学舎の近くの鍛冶屋に弟子入りして暮らしてるの」

「せっかく評判の親方さんに面倒見てもらってるのに、さぼってばかりでちっとも上達しないんですって」

「ホアはそういう不真面目な男は嫌いなのよね」


 三人は三人とも、ゆったりした袖の上衣に足首まである袖なしの外衣を着て、前掛けをつけた上から帯を巻いている。額の真中で分けた前髪は編んで、耳の下から後ろに回し、頭の上で布を編み込んでとめ、残りの髪は背中に流してあった。

 布の色や前掛けの刺繍の違いはあるものの、髪の長さも背の高さも全く同じ。このあたりでは珍しい三つ子の姉妹を見分けられる者は、なかなかいなかった。


「シュエ! ユエ! ホア! あんたたち、そこでいつまでピーピー囀ってんの!」

 張りのある声がして、開け放たれた戸口から三人の母親が姿を現した。

服装は娘たちとほぼ同じだが、このあたりの既婚女性の習慣で髪を全て結い上げた姿は、きりりとして迫力がある。娘たちの母親は自宅に何機もの機織り機を持ち、この村の女たちを雇って織物の一大事業を営む実業家だった。

「ひゃっ」

「母さん!」

「まったく、おんなじ顔でおんなじ角度でピーピーピーピー、まるで巣の中で餌をねだってる雛鳥だね」

「だってロウガがぁ……」

 三人娘がぼそぼそとこぼすと、母親は生垣の向こうをギロリとにらんだ。気配がびくりと揺れて、足音が遠ざかる。

「ロウガぁ? 前に言ってた?」

「そう! あいつまだホアにつきまとってるのよ」

「ホアは嫌がってるのに」

「じゃあ、シュエかユエが相手してやりゃいいじゃないのさ。どうせ三人の見分けなんかつかないんだし、二人はまんざらでもないんだろ」

 言われたシュエとユエは顔を見合わせて、悪戯が見つかった子どものような笑みをこぼした。「はぁ!?」と横でホアが目を見張る。

「だって、ちょっとカッコいいじゃない、あいつ」

「口減らしで家を出されて、興味のない仕事やらされて、ひねくれてるだけなのよ、きっと」

 一転してロウガを擁護し始めたシュエとユエに、ホアは呆れ返って目を回して見せた。

「あーら、そうなの! へえぇ! それならぜひとも、あたしの代わりをお願いしたいわ」


「でもあいつ、ホアを見分けるじゃない」

「何でわかるんだろ?」

 シュエとユエの言葉を聞いた母親は、三人をじろじろ見比べてから、ああ、と声を上げた。

「あんたたちが、いつもつるんでるからいけないのさ」

「ええ?」

「三人並んで比べると、わずかな違いがわかるんだね、きっと。バラバラに会えば、シュエだかユエだかホアだかわかりゃしないよ。母親のあたしが言うんだから絶対さ」

「ひどーい! それが母親の言うこと?」

「どうせあたしゃ子どもより仕事、ですよ。だいたい、あたしの顔見て怖気づいて逃げ出す男なんかどうだっていいじゃないか」

「だってあいつしつこいのよ! 今日だって学舎の外で待ち伏せてて、どうにか撒いて来たんだから」

「学舎は明日から、雪解けの季節まで休みだろ。勉強なんかにかまけてないで、家の手伝いに専念しな!」

「学舎がお休みでも、あいつきっと来るわよぉ。雪が降りだすまでに、ホアを振り向かせようって気、満々なんだから」


「それならちょうどいい」

 母親はパンと手を打ち合わせた。

「あんたたち、明日からそれぞれ、裏の機織り小屋に一人ずつこもりな。食事は運んでやるから」


「ええっ!? なにそれ?」

 たちまち大騒ぎを始める三人娘に、母親はさばさばと宣告する。

「一人ずつ仕事すれば、しゃべくってサボることもないし、もしロウガが訪ねて来ても、どれがホアだかわかりゃしない。両方いっぺんに解決じゃないか。前掛け用の織物一枚、仕上げるまで出てくるんじゃないよ」

「えええー!? やだあ!」

「つべこべ言うんじゃないよ、今日のうちに支度しな!」

 この母親には逆らえない、三つ子姉妹であった。


 山の端に、溶けた鉄のような熱と艶をはらんだ夕日が沈もうとしている。 

 生け垣の隙間から黒い瞳をのぞかせて、ロウガは中の様子をうかがった。家の表の方では、働いていた女たちがぞろぞろと自分の家に帰っていくところらしい。こちらからは見えなくとも、かまびすしいおしゃべりが潮騒のように届いてくる。


 ロウガは逢魔ヶ時の薄闇に紛れ、生け垣の切れ目から中に滑り込むと、母屋の裏手に回った。そこには、同じ形をした小屋がいくつか並んでいる。ずいぶん昔に、見習いの少女を逃げないように監視しながら、機織りの仕事をさせていた小屋らしい。

 今は物置として使われているはずのその建物のうち、三つに灯りが入っていた。中から、機を織るタンタンという音が響いている。

 ホアはどこだろうと思いつつも、その灯りを不思議に思って、一番手前の小屋に近づいた。入り口の脇に、つっかい棒でひさしを支えたしとみ戸が切られている。壁に寄せて積まれた藁の束を足場にして、伸び上がってそっと中を覗いた。


 小屋の中では、少女が一人機織り機の前に腰掛けていた。疲れたのか、横糸を通す()を持った手を休めて首を回している。黒髪がさらりと揺れ、見覚えのある顔が灯りに浮かび上がる。

「ホア!」

 声を潜めて呼びかけると、娘は水面にはねる小魚のような勢いでロウガを振り返り、ハッとした様子ですぐに機織り機の方へ向き直ってしまった。ロウガからは横顔しか見えない、その口元が動く。

「あたしはホアじゃないわ、失礼ね」

 ロウガは鼻白んだ。暗い小屋の中、明かりは機織り機の上につり下げられたランプ一つ。織りかけの布だけははっきりと浮かび上がって見えるが、娘の顔は一部しか照らされておらず、いつもなら見分けられる三つ子の区別かつかない。

「じゃあシュエ? ユエか? なんでこんなとこにいるんだよ」

「母さんに、前掛けを一枚織りあげるまで出てくるなって言われたのよ」

「そ、そうか」


 ロウガはそれだけつぶやいて藁の束から降りると、隣の小屋に忍び寄った。同じ作りになっている小屋のしとみ戸の下へ行き、壁に沿って置かれていた薪の束に乗って、中を覗く。

 やはりここにも、機織り機の前に娘が一人。足下の、糸の束の入った籠にかがみこんでいる。

「ホア?」

 呼びかけると、朝露をこぼして跳ね返る若葉のように、娘は振り返った。そしてやはり、すぐにロウガから顔を逸らしてしまう。

「あたしはホアじゃないわ、失礼ね」

 ロウガはいぶかしみながら尋ねた。

「ホアはどこだ? 隣か?」

「知らないわよ。閉じこめられてるんだから」

「そ、そうか」


 ロウガはもう一つ隣の小屋に静かに近寄った。さっきのがシュエとユエなら、きっとホアはここにいるだろう。

 入り口の横には、何かに使った残りなのか煉瓦が積まれている。そこを足場に、しとみ戸から中をのぞいた。

 中には、何かの音楽のように小気味いい音を立てて踏み板を踏み、機を織る娘がいた。杼で横糸を通す手が、ランプの明かりに白く光る。

「ホアだろ?」

 呼びかけると、花の種がはじけるような勢いで娘は振り返った。そしてすぐに、手元に視線を戻してしまった。

「あたしはホアじゃないわ、失礼ね」

 ロウガは狼のようなうなり声を上げた。

「何だよ、何で隠すんだよ。ホアと話がしたいんだ」

「あたしたち三人の区別もつかないような男とは、ホアは付き合いたくないんだって!」

 うう……とまたうなるロウガ。


 そこへ、小石を踏む、ざりっという音が響いた。

「誰かいるのかい?」

 ロウガはあわてて、生け垣を割るようにして外へ逃げ出した。

「今の、ロウガだろ? どうだったんだい」

 母屋からやってきた、かごを手にした母親が、生け垣の向こうを伺いながら聞く。その声に、三つの小屋のしとみ戸から三人の娘の顔がのぞいた。

「誰がホアか、わからなかったみたいね」

「母さんの言うとおりだったわ」

 娘のうち二人が、面白そうに口々に言う。もう一人の娘はただ、不機嫌そうに黙っていた。

「ほら、夕食だよ。さっさと食べて仕事おし。せいぜい四日か五日で仕上げないと、髪が臭くなるよっ」

 母親の叱咤に、悲鳴やため息がもれる。高地であるこのあたりでは水が貴重で、湯あみをすること自体が少ないとはいえ、若い娘は数日に一度のそれを楽しみにしていた。

 花油(かゆ)を垂らした湯に思いを馳せながら、娘たちは仕事に戻っていった。


 翌日の夕方にも、ロウガはひそかに娘たちの小屋を尋ねた。そして、

「なあ……ホア……」

と一人一人に話しかけたのだが、

「ホアじゃないって言ってるでしょ」

「もうあきらめたら?」

「そろそろ道が凍るんじゃない? 早く帰りなさいよ」

とけんもほろろな返事。

 ロウガはその場に立ちつくし、しばらく考え込んでいたが、しばらくして娘たちが戸から外をのぞいてみると、すでにいなくなっていた。


 娘たちが小屋に入って三日目にも、ロウガは黄昏の頃にやってきた。しかし今度は娘たちには話しかけず、三つの小屋を順に覗いただけで、黙って去って行った。


「あきらめたのかしら」

「……まさか。もう?」

「だって、今朝は小雪が舞ったわ。そろそろここまで往復するのも辛いでしょうよ」

「仕事を終わらせてから来てるなら、大変だろうしね」

「良かったわねホア、これで少なくとも雪解けまでは静かに過ごせるんじゃない?」

「そう……そうね。あー、やれやれだわ。あとは織物を仕上げるだけね」

「どう、二人とも終わりそう?」

「あたし、明日の昼には終わると思うわ」

「うそぉ、あたしもう一日はかかるわよ」

 お互いに顔は見えないながらも、戸越しにそんな会話を交わして、機織り小屋の娘たちは仕事に戻っていった。


 しんと静まり返った夜の闇に、獣の遠吠えがかすかに聞こえている。

 ざく、と霜柱を踏む音に、眠りかけていた娘の一人が目を開いた。

 小屋の隅に毛皮や毛布を積んで作った寝床に、静かに起きあがる。外衣と前掛けは脱いで、白い上衣と下ばきだけの姿だ。

 閉ざしたしとみ戸のわずかな隙間から、月明かりが差し込み、板張りの床に細く線を走らせている。空気は冷たく澄んで、吐き出す息がわずかな明かりで白く揺れる。


 カタン、とかすかな音とともに、内側から鍵をかけてあったしとみ戸が丸ごとはずれた。

 悲鳴を上げそうになったとき、そこから覗いた人物が口に人差し指を当てる。

「ロ……」

「しっ」

 ロウガは短く歯の隙間から息を吐くと、窓枠の下に手をかけて頭から小屋の中に身を乗り出し、手を逆手にしてくるりと回転するようにして、板間に降り立った。月明かりに、ロウガの黒づくめの姿が浮かび上がる。


「ちょ……何しにきたのよ。あんたはホアにご執心なんじゃなかったの」

 毛布をかき寄せながら娘が押し殺した声で言うと、ロウガはゆっくりと娘に近寄って、寝床の脇に片膝をついた。

「そうさ。だから会いに来たんだ、ホア」


「あ、あ、あたしはユエよ。勘違いしないで」

「ホア、今度は間違えないよ俺」

 ロウガは機織り機の方に顔を向けた。そこには、完成までのあとわずかな時を待つ織物が、美しい模様を顕している。

「俺はホアの、几帳面で細やかなところに惚れたんだ。だから、そんなホアが織った布なら、見ればわかるよ」


 娘の胸が、ひときわ大きく高鳴った。狭い小屋の中に、その鼓動が響いてしまいそうだった。

「だ、だ、だったら、あたしが考えてることもわかるでしょ。あたし……じゃなくてホアは、仕事をちゃんとしないいい加減な人は嫌いなのよ」

「うん……俺、さぼってばかりだったもんな。でも、ホアの仕事を見てて、俺もひねくれてないでやれることをやろうって思った。この冬は頑張るから、俺のことを見てくれよな」

「ロウガ……」


 青年が自分を好きで、その気持ちが青年を変えたのだと思ったら、娘の胸に誇らしい気持ちと愛おしい気持ちが同時に沸き起こった。

 じっと見つめ合う二人。自然と顔が近づいて、鼻をぶつけあうようなぎこちない口づけが交わされた。


 ロウガが両手を伸ばして、寝床の上のホアを抱き寄せる。

「いつもは着ぶくれててわかんないけど……ホアって細いんだな……」

 ホアもおずおずと、両手をロウガの背中に回した。

「ロウガは、見た目よりずいぶん鍛えてるのね……って。何で外衣を脱いでるの」

「え? そりゃ、ほら。こういう時は当たり前って言うか」

「は? なにそれ、調子に乗らないでよね。もう帰りなさいよ、本当に道が凍るわよ」

「つれないこと言わないでくれよ、ホア……」


 その時、外されたしとみ戸から差し込む月光が、人影に遮られて暗くなった。

「誰だいそこにいるのは!」

「ぎゃっ」

 ロウガは慌てふためいて、つっかい棒をしてあった小屋の入口の引き戸を思い切りよく蹴倒して外に飛び出した。駆け去る彼の背中を、娘たちの母親の怒鳴り声が追いかける。

「死ぬ思いしていっぺんに産んだ三人の娘だ、どの娘だって簡単にはやらないよ! せめて表玄関から出直してくるんだね!」


「ちょっとホア、大丈夫!?」

「ホア、無事なの!?」

 起き出してきた姉妹たちが、絶対的存在である母親の言いつけもものともせずに小屋から飛び出して、ホアの無事を確認しに来る。


 ホアは盛大に噴き出しながら、ロウガに聞こえるように声を張った。

「春が来るのが楽しみだわ!」



【三人の機織り娘 完】


雪(シュエ Xuě)・月(ユエ yuè)・花(ホア Huā)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 雪(シュエ)、月(ユエ)、花(ホア)という三人の命名が魅惑的です (『ロウガ』はどう書くんでしょうか?)。 一見、いい加減そうな若者が実は花の内面まで見抜いて 恋しているという展開が良か…
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