犬
俺の家は去年まで、犬を飼っていた。オスのチワワで、名前はリク。
リクは去年の冬、十六歳で亡くなった。死因は老衰。チワワにしては、長く生きた方だった。
病気で苦しんで死んだわけでは無かったので、幸せな最後だったのだと思う。――それでも俺を含めて家族は、それはもう落ち込んだ。三つ年下の妹に至っては当時十六歳で同い年。一緒に育ったこともあり、ショックで高校を休んでいた程だった。もちろん俺にとってもそれはショックな出来事だったし、涙だって流した。それほどまでに、リクは俺たちにとって大事な存在だったのだ。
――次の年の夏。それは、お盆の季節に起こった。
尿意を催した俺はクーラーの効いたリビングを出て、トイレに向かっていた。すると……
――チャッ、チャッ、チャッ……
廊下の向こうから聞き覚えのある音が、微かに聞こえた。
犬の爪が、フローリングに擦れる音だ。
(えっ……?)
俺は瞬時に振り返り、廊下の向こうを見る。
――何も見えない。いつもの廊下があった。
(聞き間違いか……)
時期が時期なだけに(リクが帰ってきた!)と一瞬、思った。でも、俺はそれまでそんな“霊的存在”を、見たことも感じたこともなかった。(……幽霊でもいいから、もう一度リクに触れたい……)。そんなことを思いながら、俺はトイレに入った。
*
その日の夜。眠りに落ちていた俺は、ふいに目を覚ました。理由なども特に無く、気付けば起きていたのだ。
――暗い部屋の中。俺の嗅覚が、あるニオイを感じ取っていた。
かつてリクを飼っていた時によく嗅いだ、犬のニオイ――獣臭だ。それが、部屋の中に充満している。
また、耳を澄ますと音が聞こえてきた。
――ハッ、ハッ、ハッ……
犬が発する、独特の呼吸音。
「……リク……?」
ベッドから起き上がった俺は、音のする方を見た。――何も見えない。
「リク……リクなんだろ……?」
俺はそう言いながらベッドを降り、音のする方へと近付いてゆく。
――呼吸音はだんだんハッキリと聞こえ出し、ニオイも強くなっていった。
部屋の隅の空間に、そっと手を伸ばす。
――小さな、暖かな何かが、そこにいた。
感触が、手に伝わる。俺は、顔を撫でてやった。
――ワンッ!
突如、大きな鳴き声が部屋に響く。
(!)
俺は驚き、思わず叫んだ。
「誰だオメェ‼︎」
――鳴き声が、リクのそれではなかった。
それに、触れた顔の形――犬種が違う。
おそらくそれは――
“パグ”だった。
びっくりして手を離すと、“それ”は「クゥーン」と小さく鳴いて、消えてしまった。瞬時に気配も、ニオイも消えた。
「どうしたのっ⁉︎」
俺の声を聞いた妹が、隣の部屋からやってきた。
「……なんでもない」
妹には、そうとしか言いようがなかった。