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笑顔の似合う柴犬

作者: あき

 ボクはゴロー。

 柴犬です。

 人の笑う顔が好きです。

 幼い頃に母と別れて、この家にもらわれてきました。

 ここのご主人達は大変ボクによくしていただきました。

 ボクの名前を付けてくれたのも、ここのご家族です。

 なんでも眠っている時にゴロゴロと寝返りをうつことが多かったからそうです。

 おやじさん、おかみさん、かなちゃん。

 それがご主人達の名前です。

 中でも、かなちゃんは小さい頃からの仲良しさんです。

 かなちゃんが赤ん坊の頃にはボクと一緒にハイハイで競争をしていました。かなちゃんは負けん気が強く、ボクに追いつけないと分かると顔を真っ赤にして泣いて暴れてました。あの頃はまだボクが早かったんですが、かなちゃんが二本足で立つ頃には、あっという間に追い越されてしまいました。そして大きな公園に小麦色の肌で元気一杯に走り回る彼女を追いかけるのがボクの大好きな事になりました。

 でも、かなちゃんが学校に行き始めると、ボクとかなちゃんと遊ぶ時間は少なくなりました。

 はじめは遊べなくなったことに不満がたくさんありましたが、かなちゃんがお友達を連れてくるようになると、かなちゃんは今まで以上に明るくなっていたのでボクはそっちの方が嬉しくて、不満なんてなくなりました。

 でも、そんなかなちゃんが少しづつ元気がなくなっていきました。

 それは制服を着始めた頃から、いっぱい笑っていたかなちゃんの笑顔がなくなっていきました。

 気がつくと、友達の姿も見なくなりました。

 それと同時におやじさんとおかみさんの喧嘩も増えていきました。

 ふと、したことでぶつかり合い、家の外にいても声は響き渡るほどでした。ボクはとても怖くなり、身体を伏せて早く嵐が通り過ぎるのを待っていました。

 それはかなちゃんも一緒でした。

 おやじさんとおかみさんの喧嘩の声が響き渡る中で、そっと玄関が開きました。

 かなちゃんです。

 かなちゃんはボクの顔を見ると、安心した顔で駆け寄ってきました。

「ゴロー……」

 ボクの頭を撫でてくれる彼女の顔が涙で濡れていることに気づきました。

 かなちゃん、どうしたの? 

 どこか痛いの?

 ボクはかなちゃんの顔をぺろぺろと舐めました。

「くすぐったいよ」

 かなちゃんは少しだけ笑ってくれました。

 ボクは口を開けて、舌を出して口角を上げました。

「ゴローの顔はいつも笑っているように見えるね。羨ましいな」

 ボクの頭を撫でるかなちゃんの手が震えていました。

 おかみさんの一際大きな声が響きました。

 ボクの身体がビクッと震えました。

 それを見て、かなちゃんがボクを優しく抱きしめてくれました。

「大丈夫、大丈夫だよ」

 暖かなかなちゃんの体温が伝わってきます。

「……ごめんね。ごめんね、ゴロー」

 かなちゃんがどうして謝るのか、泣いているのかよく分かりません。

 でも、かなちゃんが泣き止むまでボクはジッとしていました。

 落ち着くと、かなちゃんは今まで溜まっていた物を吐き出すように話し始めました。

「私ね、今、友達がいないんだ。中学になってからみんな余所余所しくて。テストの点数とか、順位とかをやたら気にするのが息苦しい。仲のよかった男の子とか全然話してくれないし、それを見た友達から急に無視されちゃうし、物を隠されるし……。正直、あそこには行きたくないよ」

 かなちゃんの声が震えていた。

「私がクラスへ行けなくて、保健室登校になってから。お父さんもお母さんも喧嘩ばっか。『お前が甘やかしたのがよくないんだ』、『責任を押しつけないでよ』とか、私のこと嫌いになちゃったのかな……」

 かなちゃんの声がとても暗かった。

 かなちゃんはボクを見て精一杯微笑んだ。

「いつからこんなに難しくなったんだろうね……?」

 かなちゃんの問いかけには応えられなかった。

 ボクは柴犬だから。

 ボクは、かなちゃんの言葉には応えられない。

 ボクは、かなちゃんに何も伝えることができない。

 ――いや、違う。

 ボクは話すことができないけど、何も伝えられない訳じゃない。

 ボクは近くに掛けてあるリードをくわえて、目一杯尻尾を振った。

「ゴロー……? 散歩へ行きたいの?」

 ボクはリードを置いて、懸命に尻尾を振った。

 彼女は少し迷ったが、リードを握ってボクの鎖を外してくれた。

 ボクは自由になった途端、力強く走り出した。

「うわっ」

 かなちゃんが驚きの声を上げたが、気にしない。

 かなちゃんの手を引き、ボクは駆け出す。

「ちょ、ちょっと……ゴロー、待って! どこへ、行くの?」

 懸命に走りながら尋ねてくるのを無視してボクは走る。

 目的地なんてない。

 ――苦しくて、辛い。

 そんな場所から、かなちゃんを連れ出したかった。

 いつしかかなちゃんはボクのリードをしっかりと握って、ボクの横を並んで走っていた。

 目が合うと彼女が笑った。

 その顔は、ほんの少しだけ何から解放されたような顔だった。



 星空の下、いつもの公園のベンチに腰掛けるかなちゃん。

 まだ心臓の鼓動が早くなるのを抑えられない。

 何度かせき込むと、かなちゃんが優しく背中を撫でてくれた。

「大丈夫、ゴロー? ゴローはもうお爺ちゃんなんだからそんなに走ったらダメだよ。フィラリアの病気だってあるんだから」

 かなちゃんに叱られると、ちょっぴりションボリしてしまう。

 両耳が垂れていると、かなちゃんがまた頭を優しく撫でてくれた。

「ごめん、ごめん、言い過ぎたよ、そんなに落ち込まないで」

 かなちゃんが困ったように笑う。かなちゃんが笑ってくれたのが嬉しくて、ボクは尻尾をぶんぶん振った。

「ふふ、機嫌が直ってよかった」

 かなちゃんが辺りを見回しながら呟く。

「この公園でよく遊んだよね。……なんだかしばらく来ない内に小さくなっちゃったね」

 すべり台、砂場、ブランコ、鉄棒、かなちゃんが遊んだ遊具の大きさは変わらない。変わったのはきっと、かなちゃんなんだろう。

「もうすべり台もできないし、砂場でも遊べないな」

 かなちゃんが寂しそうに笑った。

 ボクはかなちゃんの足下に寄り添った。

「……ゴローは、ずっと近くにいるね」

 わん、と鳴く。

 彼女は、うん、と頷いた。

 満点の星空。

 かなちゃんとボクは笑い合う。

 嫌な事はたくさんある。

 だったら、笑えることをたくさん作ろう。

 嫌な事を打ち消すぐらいの笑えることを。



 その翌日から、彼女が学校へ行くのをボクは元気よく見送った。

 こわばった顔の彼女を、尻尾をぶんぶん振って見送った。

 かなちゃんが帰れば、今度は鎖の限界まで行き、ピョンピョンと跳ねて彼女の帰りを喜んだ。そして元気良く鳴き、リードをくわえた。

「ゴロー、お散歩へ行きたいの?」

 元気良く鳴くと、彼女が微笑んだ。

 散歩に出掛ければ、地面にゴロゴロと寝そべり、お腹を撫でてもらうアピールをした。

「あざといな、ゴローは」

 かなちゃんはボクを見て微笑んでいた。

 それが嬉しかった。

 だから、毎日、毎日、ボクは彼女の姿を全力で見送り、出迎えた。

 かなちゃんは少しづつ変わっていった。

 保健室登校をしながら、絶対学力で負けない、と負けん気の強さを発揮して猛勉強をした。

 孤独な戦いをボクはずっと応援していた。それはおやじさんとおかみさんも同じだった。彼女のクラスが行けないことを受け入れて、保健室登校でも頑張って勉強する姿を労い、家にいるときはリラックスできるように喫茶店や公園、色々な所に彼女と出掛けた。

 そんなかなちゃんも無事、高校の進学が決まった。

 いつしか冬の寒さに混じり春の暖かさが戻ってきていた。

 かなちゃんに幸せが戻ってきていた。

 だけど……。

 どうやら、ボクはここまでみたいだ。

 

 

 かなちゃんが中学の卒業式に出ると決めて、両親は無理をするなと止めたけど、かなちゃんの意志は変わらなかった。

 最後だから余計負けたくないんだろうな。

 全く、かなちゃんらしいや。


 朝、ボクは目を覚ますと、身体が動かないことに気づいた。

 昨日の夜からせき込みが酷く、ほとんど眠ることができなかった。

 最近は彼女の姿を見送ることもあまりできなくなっていた。

 悔しい。

 彼女の最後の登校日なのに……。

 玄関が開いた。

 おやじさんとおかみさんが見送っている。

 かなちゃんが笑顔で頷いている。

 おやじさんが力強く、いってらっしゃい、と言った。

 おかみさんが涙声で、いってらっしゃい、と言った。

 かなちゃんが元気良く、いってきます、と言った。

 かなちゃんが近づいてくる。

 かなちゃんが笑顔で中腰になり、ボクの頭を撫でた。

 その手が小刻みに震えていた。

 彼女が小さく、小さく呟いた。

「……怖いよ」

 それは一瞬で、彼女はまた立ち上がって出て行った。

 ……ボクは。

 ボクはそれを見て、立ち上がろうと全身の力を入れた。

 身体を支える足が痛かった、胸が苦しくて何度もせき込んだ、視界はすっかりくらみ方向感覚を見失った。

 それでも彼女の匂いを辿りボクは立ち上がり、ヨロヨロと足を進めた。

 ――元気で負けん気の強い女の子に。

 ――誰よりも恐がりで勇敢な彼女に。

 言葉なんてないけど。

 精一杯の気持ちを込めてボクは彼女が見えなくなるまで、尻尾を振り続けた。

 彼女は一度も振り返ることなく前に向かって進んで行った。

 ……それでいい。

 君の前にどんな壁が立ちはだかろうと大丈夫。

 そんな壁なんて君はぶち壊していくだろう。

 でも、ちょっと疲れた時はまたここにおいで。

 ……ボクはずっとここにるからね。

 かなちゃん。

 いってらっしゃい……。

 ボクの意識はそこで途絶える。



「……ゴロー……」

 耳に聞き覚えのある声が届く。

 目を開けると、そこは病院だった。

 目の前のかなちゃんが赤い目を腫らして叫んでいた。

「ゴロー! ゴロー! やだよ! 死んじゃやだよっ!!」

 少し離れた所でおかみさんがお医者さんに頭を下げていた。

「先生、お願いします」

 おかみさんの真剣な声が響く。

「残念ですが、もうこれ以上は……。楽してあげたほうがよろしいかと」

「私の方からもお願いします。ゴローを助けてください。ゴローは大切な家族なんです……!」

 おやじさんが頭を下げていた。

 お医者さんは困った顔をして黙ってしまった。

「佳奈ちゃん」

 看護師さんがかなちゃんの肩を優しく叩いた。

「もうこれ以上、ゴロー君を苦しませるのは可哀想だよ」

「いやだ、いやだ!」

 泣き叫んで力強くボクを抱きしめるかなちゃん。

 何度も頭を下げるおやじさんとおかみさん。

 ――ああ、そうか。

 ボクは生きてきた証があったことに気づいた。

 ボクは、必要とされていたんだ。

 ボクは、かなちゃん達の家族だったんだな。

 そう思うと、今までの苦しみは消えていた。

 ボクは動かなくなった身体を無理矢理動かして、いつものように口角を上げた。

 ……かなちゃんが言っていた。

 嬉しい時、楽しい時、人は笑うんだと。

 ボクはゴロー。

 柴犬です。

 人の笑う顔が好きです。

 笑顔は周りの人を幸せにするからです。

 だから、ボクは最期まで精一杯口角を上げます。

 ねえ、かなちゃん。

 ……ボクは笑えていますか?

 ……ボクはあなた達を幸せにできていますか?

「ゴロー……!」

 ボクの笑顔を見て、かなちゃんが目を見開き、悲しそうに涙が溢れて、そして最後に微笑んだ。

 それはボクを心から幸せにしてくれる顔でした。


 

 赤い夕日が静かに沈む頃、僕は静かに家のドアを閉めた。

「……ただいま」

 僕はこっそり、抜き足差し足で玄関を上がる。

 よし、母さんにばれてな――。

「あら、おかえり」

 げっ、バレた。

「おっ!? おかかかかかさま!? ほ、本日もご機嫌うるわしゅう」

「日本語が変よ。……それにいつからそんな立派なお腹になったの?」

 突然現れた母さんは怪訝そうな顔でこちらのお腹を見つめている。

 それもそのはず僕のパーカーはお腹の所だけ、おすもうさんのように膨れていた。

「いやぁ、成長期ってやつ?」

「無理があるでしょう」

 だ、だよね。

 僕はとにかく笑って誤魔化しながら後ずさった所で、お腹の中に隠していたものが動き出した。

「うわっ、こら!? やめろって……あっ」

 そいつはお腹の中に隠れていたのが暑くて嫌だったのだろう、僕のパーカーから抜け出て、そのまま母さんの足下まで駆けて行った。

「!?」

 母さんは驚いて、そいつと見つめ合う。

 そいつは近所の空き地に捨てられていた子犬だった。

 どうしても見て見ぬふりができずに連れてきてしまったのだが、絶対母さんにうちでは飼えない、と怒られると思い身をすくめていると……。

 ……母さんは黙って子犬を見つめていた。

 子犬は信頼しきった瞳で見つめ、舌を出し、口角を上げた。

 まるで子犬が母さんに笑いかけているようだった。

 母さんはそれを見て、一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐに笑ってそいつを抱え上げた。

「こんにちは、ちびすけ君!」

 子犬は母さんの呼びかけに応えるように鳴いた。

 母さんはその声を聞いて、また笑った。

 それは僕に向けられるものと同じ、暖かくて優しい笑顔だった。


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