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打ち出の小づち

 その居酒屋は、職場と自宅の通勤途中の駅にあった。小さな安い店だが、品によっては肴がとても美味しい。僕は密かにその店は穴場だと考えていた。誰にも教えていない。大人数で行くには狭すぎるし、それに、その店を自分だけのプライベート空間にしておきたかったという事もある。

 付き合いで飲む事はするが、僕はそれほど飲み会が好きではない。あの騒々しい雰囲気が、どうにも苦手だからである。が、酒はそれなりに好きだった。それで、多少、懐に余裕がある時などは、僕はよくその居酒屋に立ち寄って酒を飲んだ。

 結婚当初や、まだ自分の子供にたくさん金がかかる頃は、それほど飲む機会もなかったが、子供達が巣立ち、金を使う必要もなくなってくると僕がその店に立ち寄る機会は多くなっていった。金は使わなくなるのに、反対に年功序列のお蔭で給与は上がるのだから、それも当然だろう。僕の給与は、不況の影響をほとんど受けなかったのだ。それもそのはず、僕は公務員なのだ。

 まだ若い頃は、民間の方が給与が高く、同世代のサラリーマンとの差に、多少の劣等感を感じたものだが、こうして不況になると、公務員になって良かったと思う。時々、話を聞く民間企業で働く同世代の友人達は、皆、それなりに苦労をしているようなのだ。

 ふふ…

 最近では、少し高い肴も注文できるようになってきた。懐に余裕があるから、妻も文句を言って来ない。現金なもので、若い頃は給与の高いサラリーマンを羨ましがり、僕をなじった妻は、今では「本当に公務員で良かったわ」などと言っている。妻が僕を結婚相手に選んだ一番の理由が、職を失う心配のない公務員で安定しているから、というのを知っていた僕は、なじられていたその当時、大いに不満を抱えたものだったが、今ではそれも昔の話。いい思い出とまでは言わないが、ほとんど気にならない。僕の選択した道は、間違ってはいなかったのだ。何しろ、今だけでなく、将来もほとんど心配はないのだから。このまま退職すれば、多額の退職金と共済年金で楽をして暮らしていける。友人の一人は、ある大企業に就職をしたが、バブル崩壊の煽りで職を失い、今では安月給で働いている上に、厚生年金の支払い額も少なくなってしまった為、老後も安い年金しか貰えないのだという。えらい違いだ。

 僕はその友人を気の毒に思いながらも、どこかで昔の劣等感の復讐のような、意地の悪い気持ちも持っていた。もっとも、そういう気持ちは人間ならば誰もが持ち合わせているものだろう。恥ずべき事ではない。僕がよくいくそこの居酒屋にも、もちろん、生活が苦しくなったサラリーマンが多く来ていて、僕はそういった連中の愚痴や不満をこっそり聞くのを少しだけ楽しんでいた。

 ただし、それを楽しめていたのは、飽くまで赤の他人の立場で聞けているからで、恐らく、親しくなった人間の愚痴や不満、いや、悲劇的な話ならば、僕は絶対に楽しめてはいなかっただろうと思う。

 ……と言うよりも、僕は実際に楽しめなかったのだ。

 常連になれば、その居酒屋に少しは見知った顔ができるのも当然の話で、軽い世間話などもするようになった。僕は自分が公務員だという事実を伏せて、その居酒屋での会話を楽しんでいた。その方が、自然と話せるような気がしたからだ。そして、その内の一人に、気の良い中年の男がいたのだ。その男は、普段は仕事の話など全くしないのだが、その晩は何かあったらしく、仕事の愚痴を僕に語り始めた。

 その男は、小さな町工場の社長をやっているのだという。社長と言っても、裕福ではなく、生活は苦しいそうだ。円高の影響もあって、海外との厳しい競争にさらされているからだろう。ニュースなどでよく取り上げられているパターンだ。

 「日本の人件費の高さで、安い労働賃金で工場を運営できる海外と競争しなければいけない、という点をどうか分かってください」

 その男は、そう語った。

 人件費。日本のそれは、海外と競争する上であまりに高過ぎる。よく言われた話だ。僕はそれを聞いた時、何かを感じた。違和感のような、罪悪感のような何か。しかし、それには気付かない振りをして、酒を飲んだ。自分を誤魔化す為だったのかもしれない。男はまた語った。酩酊し始めたようだ。

 「実は、銀行からの融資の話が、突然に消えてしまいまして……」

 僕はその話に内心で大きく反応した。思わず、目を大きく開けてしまったのを覚えている。僕には、その話に少しだけ思い当たる節があったのだ。

 最近、公務員宿舎の建設が急遽、決定された。震災問題のドタバタのさ中に決まった事で、半ば強引に話を通したと聞いている。国は、その建設費を都合する為に、無理矢理に銀行を説得したそうだ。当然、建設費に資金が回れば他が減る。これは、民間の為の資金を、国が奪っているのと同じである。

 結果、このようにその被害を受ける民間企業もいる訳だ。理屈の上では分かっていたが、こうしてその人物とその事例を、如実に目の当たりにするのは初めてだった。リアリティが実感と共に感じられる。

 僕は、ますます、自分が公務員である事を打ち明けられない気分になってきた。いや、この男はそれを知ったところで、僕を責めはしないだろうが。

 「後少しで、ある企業との契約がまとまりそうなんです。そうすれば、運営に何の支障もなくなる。繋ぎの融資だけが必要で、それは問題なく得られるはずだったのに…」

 男は薄らと目に涙を浮かべ始めた。それから、こんな言葉を言った。

 ――工場は、潰れます。

 僕は、しばらく、その言葉が頭から離れなかった。帰宅し、寝る前、あの男の泣き顔を思い出す。「従業員たちに申し訳なくて」。男はそう言って泣いていた。

 ま、僕が悪い訳ではない。

 そう思って寝に就いた。それまでも、少しは自分に罪があるのではないか、と考えた事があったが、直ぐに忘れられた。自分一人ではどうする事もできないのだし。しかし、その時は、僕はそれを忘れられなかった。恐らく、理屈だけでなく、実感として感じられてしまったからだろう。それでなのか、こんな夢を見た。


 僕は試験を受けていた。

 何処かの暗い教室のような場所。教室には誰もいなかった。整然と並べられてある机の一つ、真ん中あたりに僕は座っている。僕は試験にとりかかった。


 第一問

 労働賃金とは、労働成果の対価として支払われるべきものである。○か×か?

 その試験の一問目は、そういった問題だった。僕は当然、こう答える。

 “○”

 そうでなければ、社会は上手く回っていかない。資本主義の大原則だ。


 第二門

 上記問題の答えを、疎かにしている国がある。それは、次のいずれか?

 ・ロシア ・日本 ・北朝鮮

 これも簡単な問題。ロシアは随分前に、資本主義経済を取り入れている。日本も言わずもがなだ。労働成果を無視して、賃金を払っているのは、未だに共産主義という建前の専制政治(或いは独裁政治)を行っている北朝鮮しか有り得ない。だからこそ、北朝鮮は衰退をし続けているのだ。それで僕は北朝鮮に“○”をつけた。


 第三問

 日本は近年、国際競争力を下げたと言われている。その主な原因を書け。

 いきなり時事系の問題になったが、これも僕は知っていた。日本は国際競争力を下げたと言われているが、民間の評価は相変わらずに高いのだ。足を引っ張っているのは、公共部門だと言われている。それで僕は、“公共部門が足を引っ張っている”と書いた。


 第四問

 公務員の平均給与は、中小企業も含めた民間と比べて高いか、低いか。

 この答えは当然、“高い”だ。バブル崩壊後、不況及びに高齢化によって、年功序列制度が維持できなくなった民間は、給与を大きく下げたが、公務員は影響を受けていない。年功序列を維持している為、当然、公務員の平均給与は高くなる。


 第五問

 公務員は国民全体の奉仕者として、日本国憲法に定められている。○か×か。

 この答えは“○”だ。実際に、そのように明記されている。


 それで、試験は終わりだった。そして、僕が解答を書き終えるなり声が響く。

 『さて。試験は以上で終わりです』

 見ると、教壇には教師がいた。いつの間に現れたのだろう? 何故か、顔の部分が暗くなっており、誰なのかは分からなかったがその声には覚えがあった。その教師は、続けて語る。

 『皆さんは、大変に優秀な生徒です。テストでとても良い点数を取る事ができる。ですが、テストだけ出来ても仕方ありません。テストは飽くまで、知識を身に付けたかどうかを確かめる為のもの。そして、知識は身に付けるだけでなく、活かせなければいけない。試験で高得点を取れるだけでは、テストバカと言われてしまいますよ。

 自分の頭で考える。これができず、周囲の意見に同調しているだけでは、あなた達はロボットと同じだ』

 そこで僕は不思議に思った。あなた達? 教室には僕一人しかいなかったはずだ。が、そこで気付く。教室の席に、いつの間にかたくさんの何かが座っている事に。そう意識すると、その何かがなんなのか分かった。ロボットだ。旧い漫画にでも出てきそうな四角い顔と四角い身体のロボット達が、教室の席に座っている。手は、まるでペンチのようだった。教師がまた言った。

 『さて、最後に問題です。

 先に出てきた問題の中には、ある矛盾する点があります。それは、どの問題とどの問題で、またその矛盾点とはなんでしょうか?』

 僕はそれを聞いて少し驚く。

 矛盾点?

 僕にその答えは分からなかった。

 周囲のロボット達も、僕と同じ様に驚いているようだった。教師は続ける。

 『あなた方がロボットではなく、自分の頭で物事を考えられる人間であったなら、この問題の存在には直ぐに気付けているはずだし、その答えにも辿り着いているはずです。さて、あなた達は人間でしょうか?ロボットでしょうか?

 もしも、この問題が分からなければ…』

 僕はそれを聞いて慌てる。冗談じゃない。僕は人間のはずだ。が、そこで僕は気が付いてしまう。

 僕の手が、まるでペンチのようになっている事に。……これは、ロボットの手だ。


 そこで目が覚めた。


 妙な夢を見た所為で、その日は何だか調子が悪かった。仕事もなんだか調子が出ない。自分がロボットになっている悪夢なんて、一体どうして見たのだろう? もちろん、気にする必要はないはずだ。それはただの夢なのだし。

 ただ、夢の中の教師の声は気になった。あれは確かに何処かで聞いた声なのだ。誰の声だっけ?

 そこで僕は、何となく新聞を見てみた。そのうちの一つに目が入る。見覚えのある顔写真があったのだ。

 これは、あの例の居酒屋であった町工場の社長ではないか?

 驚いた僕は、どういった記事なのか確認して愕然となった。“町工場の社長、自殺”というタイトルが飛び込んで来たからだ。急いで内容を読んでみると、昨夜未明、町工場の社長が自宅で自殺した事が書かれてあった。工場の経営に行き詰まり、思い悩んだ末ではないか、とある。僕は昨晩の、この社長の愚痴を思い出した。“――工場は、潰れます”という告白。未だに耳にこびりついている。そして僕は、それで彼の声を思い出し、はたと気が付いたのだ。

 夢の中の教師の声は、彼のものだ。

 何故だ? どうして、この社長が僕の夢の中に出てくるんだ。しかも、あんな形で。


 「どうした?」


 そこで僕は話しかけられた。話しかけてきたのは、同僚の横尾だった。彼は隣の席に座っている。僕が不思議そうな顔をしていたからだろう。横尾は続けて、こんな事を言って来た。

 「顔が真っ青だぞ、お前」

 そこで横尾は、僕が持っていた新聞に視線を移す。その次に、何か納得したような表情になり、こう続けた。

 「はは、なるほど。公務員の給与削減か」

 僕が読んでいた記事とは違う記事に彼は注目をしたようだった。しかも、勘違いしたまま話を続ける。

 「これくらいで、気が弱いなお前は。本当に下げられるかどうかも分からないし、もし下げられたとしたって高が知れてるだろうよ」

 それは財政難を理由に、公務員の給与削減が行われるの行われないの、といった内容の記事で、どうやら彼は、僕が給与削減を心配していると思い込んでいるようだった。横尾はこうと思い込んだら、なかなか考えを改めない気性の持ち主だから、僕は敢えてそれを否定しなかった。そもそも、どうやってあの社長の事を伝えれば良いのかも分からない。横尾は勘違いしたまままだ続けた。

 「ま、気持ちは分かるよ。こっちは、安定を求めて必死に勉強して公務員試験に合格して、安い給料で長い間、我慢して来たんだ。今更、減らされて堪るかってんだ。なぁ? 文句言っている連中だって、安定した給料が欲しかったなら、公務員試験を受けりゃ良かったじゃねぇか」

 僕はそれに曖昧に「ああ」と頷いた。が、内心ではこう反論する。国民全員が公務員になれるはずもないし、民間が税金を納めてくれなくては、僕らの給料だって出ない。民間人を攻撃してどうするのだ? それに、新聞の記事は財政難を削減の理由に挙げているから、そもそも話が噛み合わない。もちろん、声に出さなかったのは、この理屈が彼には通用しないと分かっていたからだ。彼のような人種は珍しくない。感情論だけで物事を語り、正論を堂々と無視する。

 もっとも、僕だって公務員の給与削減には反対なのだが。別に余裕がない訳ではないが、損はしたくない。

 横尾は更に続けた。

 「大体、俺らの給料は昔の水準と比べて、そんなには上がってないんだ。俺らの歳の連中は、前からこれくらい貰ってた。民間が勝手に下がっただけの話じゃねぇか。

 民間が給料を上げるよう、がんばれば良いだけの話じゃねぇのか?」

 それを聞いて僕は思い出した。あの、自殺をした社長の言葉を。

 『日本の人件費の高さで、安い労働賃金で工場を運営できる海外と競争しなければいけない、という点をどうか分かってください』

 確か、あの時、あの社長はそんな事を言っていたはずだ。それで更に思った。民間の給料が上がったら、当然、人件費は高くなる。そうなれば、更に日本は国際競争に不利になるのではないだろうか? 果たして、横尾が言うように、そんなに簡単に民間の給与は上げられるものなのだろうか?

 僕は目を瞑った。

 今、自分の手を見たら、ペンチのようなロボットの手になっているかもしれないと想像し、怖くなったのだ。

 公務員の給与の元は、民間人の収めてくれている税金……。

 日本は国際競争力を落としている。が、民間の評価は相変わらず高い。国際競争力を落としている主な原因は、公共部門が足を引っ張っている事。公共部門には、公務員も含まれている。その公務員の給料は、民間よりも高い。特に、高齢者の給料は年功序列制によって高くなっている。そして、労働賃金とは、労働成果に応じて、支払われるもの。公務員は国民の奉仕者……。

 つまり、公務員は、労働成果を出していないのにも拘らず、高い給与を受け取っている事になる。公共部門の国際評価は低くなっているのだから。

 そして。

 労働成果に応じて、労働賃金を支払う。それを疎かにする社会は、衰退していく。北朝鮮が良い例。

 その時、僕の脳裏にそれだけの考えが一気に流れた。そこで気付く。

 昨晩の、悪夢の中に出てきた、試験問題の矛盾点とは、これだ。


 「どうした?」


 また、そう声をかけられた。横尾だ。僕はゆっくりと目を開けてみた。自分の手を見てみる。問題ない。人間の手だった。「大丈夫か?」と声が再びかかったので、僕は横尾に視線を向けてみた。

 するとそこには、ロボットの顔があったのだった。四角い、旧い漫画にでも出てきそうなタイプの。

 一瞬、固まったが、直ぐにそれはいつも通りの横尾の顔に戻っていた。

 その晩も夢を見た。


 僕は紙芝居の前にいた。

 紙芝居の語り主は、紙芝居の裏に隠れていて見えない。僕以外には、誰もその紙芝居を見ようとしている者はいなかった。やがて、紙芝居の準備が整う。客は僕一人だけだというのに、始めるつもりらしい。

 子共っぽい絵柄の紙芝居。それは、日本の昔話風の内容らしかった。昔々、ある所に… と、そう始まる。


 昔々、ある所に、打ち出の小づちを持っている村がありました。その村の住人達は、打ち出の小づちに頼って暮らしていました。お金がなくなったら、ただ打ち出の小づちを振れば良いだけです。

 お金がなくなった。

 打ち出の小づち、

 チャリンチャリン。

 お金がなくなった。

 打ち出の小づち、

 チャリンチャリン。

 だから、その村の人達は、それほど働かなくても生きていけました。

 ところで、その村にはゴンベという名の男が住んでいました。そのゴンベは、ある日、不思議に思ったのです。打ち出の小づちから出てくるこのお金は、一体、どこからやって来るのだろう?

 お金とは、国が定めて作っているもの。もし、勝手に作ったりしたら、それは贋金になってしまいすし、もし仮に本物だとしたって、お金の量を増やしたりしたら、お金の価値が小さくなって、物の値段は上がるはずです。ですが、そんな事は起こっていません。ゴンベはそれがとても不思議だったのです。

 そんなある日、ゴンベは他の村に出かけてこんな不思議な話を、店主から聞いたのでした。店主は言うのです。

 「どうにも、稼いだお金が少しずつ消えているような気がするんだ」

 気付くか気付かないほどの小さなものらしいのですが、どうにもお金が減っているようだと言うのです。初めは気の所為かと思っていたらしいのですが、よく注意してみても、やっぱり減っているようにしか思えないのだと店主は語ります。

 それを聞いて、ゴンベはこう思いました。もしかしたら、そのお金は打ち出の小づちで、うちの村にやって来ているのではないか? 気付かれていないだけで、他でもこんな事が起こっているのではないか? つまり、ゴンベは打ち出の小づちから出てくるお金は、他の村から奪っているものではないかとそう考えたのでした。

 それでゴンベは村に帰ると、その事を皆に話して、「できる限り、打ち出の小づちを使わないようにしよう」と、そう訴えたのです。他の人が稼いだお金を奪うなんて、とんでもない事だ。改めなくてはいけないとそう思ったからです。ですが、それを聞くと、村人たちは怒り始めました。

 「そんな話はデタラメだ!」

 「うちの村の打ち出の小づちを羨ましがった人間達が、嘘を言っているだけだ!」

 そんな事を口々に言って、ゴンベの言葉に耳を貸そうとはしません。その悪口があまりに酷かったので、そのうちに、ゴンベは皆の説得を諦めました。ただし、ゴンベ自分一人だけは、打ち出の小づちに頼らず、働いて生活するようにしましたが。その事は、他の村人からの反感を買いました。つまり、ゴンベは真面目に働いている事で、他の村人たちからいじめられるようになってしまったのです。ですが、それでもゴンベは真面目に働き続けました。

 それからしばらくが経ったある日、飢饉が起こりました。人々の生活は苦しくなりましたが、打ち出の小づちの村は何も心配しませんでした。例え飢饉だろうが、打ち出の小づちさえ振れば、お金が出てくるはずだからです。

 ところが、困った事が起こりました。そのうちに、物の値段が上がり始めてしまったのです。飢饉の所為で、物の数が減ってしまった事が原因でした。物の数が減れば、一つ一つの物の値段が上がるのは当然の話です。そして、打ち出の小づちから出てくるお金には限りがありました。一度に出てくるお金の量は決まっていたのです。これでは、村人達は生活ができなくなってしまいます。

 村人たちは困りました。それで仕方なしに働き始めましたが、それまで怠けていた所為で、すっかり鈍っていて、思うようにお金を稼げませんでした。打ち出の小づちに頼らずに生活していた、ゴンベ以外は、それで大変に苦しい思いをし、中には死んでしまう者すらもありました。

 なんで、こんな事になったんだ、と村人達は後悔をしましたが、今更、泣いても怒っても何にもなりません。ただただ、苦しい思いをし続けるだけです。

 ゴンベは、そんな村人たちを、ただ悲しく見つめました。

 悲しく、悲しく…

 おしまい。


 それで紙芝居は終わりだった。紙芝居の語り主が言う。

 『さて、ゴンベさん』

 ゴンベさん?

 それを聞いて僕は思う。僕はゴンベなどという名前ではない。語り主は更に続けた。ふと気づく。この声は何処かで聞いた事がある。

 『あなたには、村人達を説得する事ができるでしょうか?』

 説得する?僕が? どうして僕が、そんな事をしなくちゃならないんだ?

 そこで、ゆっくりと語り主が紙芝居の上から顔を覗かせた。そこに現れたその顔は、あの、町工場の社長のものだった。


 そこで目が覚めた。


 その日僕は起きてから、その夢の内容についてずっと考えていた。どうして、あの町工場の社長が現れるのだろう? まさか、幽霊の類で、僕の夢の中に化けて出ているとでもいうのだろうか? いや、そんなはずがある訳もない。単に僕が彼の事を気にし過ぎてしまっているだけの話だ。僕が公務員である事をあの社長は知らなかったのだし、そもそも、あの社長に、特別、公務員を恨んでいるような素振りはなかった。ならば、これは僕の内面の問題なのだろう。僕が勝手に罪悪感を感じているというだけの話だ。

 ただ。

 それを踏まえても、夢の内容は気になる。夢の中に出てきた打ち出の小づちの村は、ほぼ間違いなく僕ら公務員の事を示している。そして、あの村の人々は、悲惨な末路を迎える事になってしまったのだ。何か、僕ら公務員に不安な点があるだろうか? 例の給与削減の話か? しかし、例え二割減らされたとしたって、生活が危うくなるところまではいかないだろう。ならば、何だ? そこで僕は財政難という単語を思い浮かべた。給与削減の原因が財政難という点から、連想したのだ。財政難と言えば、その先にあるのは国家破綻だ。

 時折、言われている。このまま、財政が悪化し続ければ、日本は国家破綻する。確実に国家破綻すると訴える悲観的なものから、国家破綻するはずがないと楽観的に構えているものまで様々だが、仮に、もしそうなったとしたら、公務員はどうなるのだろう?

 それで僕は休憩中に、職場のパソコンで、財政破綻時、または実質的に財政破綻した場合に何が起こるのかを、インターネットで検索して調べてみた。すると、個人が資産の三分の一から四分の一を失う、と出てきた。そして、インフレ… 物価が上昇するらしい。どの程度になるか予測は困難だが、下手すれば10倍になるとの予想も出てきた(もし、そうなったら、失われる資産は三分の一程度では済まないかもしれない)。

 では、この時、公務員はどうなっているのだろう? 給与はインフレになってもそれほど上昇しない。つまり、実質的に削減される。国家破綻とくれば、通常は保護されている公務員にも、クビの可能性が出てくるのも言うまでもない。実は、あまり知られていないが、公務員にも免職はあるのだ。

 国家破綻は、民間に関してはまだメリットがあるらしい。国家破綻すると、円安になるからだそうだ。円安になると、輸出が有利になる。すると民間は国際競争力を上げる。価値のある仕事をしている人間は、生活の心配はそれほど大きくないのかもしれない(もっともそれは、国内産業が衰退していなければ、の話だ)。もちろん、多くの社会的弱者はその犠牲になるだろうし、失業者も大量に生まれるのだろう。

 その状況で、もし公務員が免職になったら、果たして再就職は可能だろうか? 特殊な技能を持っていれば別かもしれないが、ほとんどの者は路頭に迷うのではないか? しかも公務員を続けられる幸運な者も、生活が厳しくなるのは避けられないだろう。

 それから今度は僕は、財政破綻の可能性について調べてみた。どれだけ、財政は危機的な状況下なのだろうか?

 財政破綻したなら、確かに公務員は悲惨な立場になる可能性が大きい。しかし、そもそも財政破綻の危険がほとんどないのであれば、何も心配はいらなくなる。

 財政破綻については、賛否両論あった。どちらを信用すれば良いのか分からなかったので、双方が積極的に議論しているブログを見つけ、その内容を読んでみた。

 読み進めるうち、僕は暗澹たる気分になってきた。どうにも、財政楽観論者の旗色は悪いようなのだ。僕の拙い知識で、その内容を完全に理解できたかどうかはいささか不安ではあるが、要約すればそれはこのようなものだった。

 財政楽観論者は述べる。国が借金してそれを使えば、民間に金は流れる。すると、国はその金をまた借りる事が可能なので、理論上は無限に借金が可能である。それに対して、財政悲観論者はこう返した。借換債の分が増え続けるので、それを可能にするには、民間の資金運用先が、国債でほとんどを占められていなければいけない。何故なら、借金で資産が増えても、実質的な通貨量は変化しないからだ。そして、民間の資金運用先が国債以外にもあるのは当然の話である。しかも借金には金利がつくので、経済成長しなければ、その金利分を調達する事もできなくなる。更に言うなら、仮に数字上、資金の調達が可能であったとしても、各種金融機関が財政不安に耐え切れず、国債を売り始めれば、それだけで国家破綻に陥る。過去に民間から資金を調達できなくなるだろう危機は実際にあり、その時は国の特別会計に用意されていた資金を用いたらしい。また、日銀がゼロ金利政策や量的緩和政策で資金を市場に供給し続けた事が、借金をし続けられた要因として大きい(これらの政策で、日銀は市場から国債を買ってもいる)。

 つまり、少なくとも財政危機である点は揺るぎない事実。もっとも、財政破綻が何年後になるかは不確定らしい。それには、予測不可能な人間心理が関わるからだそうだ。一つの予想として、次に大型の増税を行い、それでも財政に回復の兆しが見えなければ、市場が財政を見捨てるというものがあった。

 そこまでを調べ終え、僕はある結論に至った。

 公務員は、財政再建をもっと強く訴えていかなければならない。そうでなければ、民間人以上に悲惨な目に遭う可能性が大きい。あの、打ち出の小づち村の夢が示していたのは、これだったのだ。

 だが、その日に事件が起こった。僕は署名を求められてしまったのだ。それは、公務員の給与削減に反対する為のものだった。僕はそれを見た瞬間に固まった。確か、公務員の署名活動は職務の中立性を確保する意味で、好ましいものとはされていないはずだ。

 僕の隣で、同僚の横尾は喜んで署名していた。横尾は何の疑問も感じていないようだった。次に僕に署名用紙が回って来て、僕は苦悶し動けなくなった。

 公務員の給与削減は、財政破綻を回避する為のもの。そして、公務員にとって、財政破綻は何としても回避しなければいけないもの。先に、僕はそう結論付けた。短期的には、確かに削減によって損をするが、長期的に観れば削減を認めた方が得なのだ。

 動かない僕を見て、上司がこう話しかけてきた。

 「どうした? なぜ、署名しないんだ?」

 僕はそれにこう返す。

 「いえ、あの…」

 それで、元来気の弱い僕は、軽い葛藤状態に陥った。ここで自らの意見を述べるような真似をするのは、本来の僕の性格ではない。が、少し前に自分で出した結論に反した行動を執る事も僕にはできなかった。僕はロボットではない。自分の頭で考えて行動できる人間なのだ。そう決心して、ようやく口を開いた。

 「果たして、本当に公務員給与の削減は、公務員にとってマイナスなのでしょうか?」

 マイナスだと結論付け、反対する事は、目の前の不利益に対して条件反射的に反応しているだけではないのか? 理性による判断ではない。

 「何を言っているんだ、君は?」

 上司はそう言った。僕はそれに構わず続けた。

 「僕は思うのです。もし、国家破綻したら、公務員はもっと酷い目に遭う。ならば、公務員の方から、積極的に財政再建を訴え、民間や政治家にも協力を求めるべきではないのでしょうか?

 その為には、公務員も負担を受け入れなければ、説得力がありません」

 それを聞くと、上司はしばらく黙った。それから僕を見つめながら、こう言う。

 「君の言う事はよく分かる。確かに、財政難は深刻な問題だ」

 僕はそれを聞いて、自分の訴えが認められたのかと瞬間喜んだ。だが、その後で上司はこう続けたのだ。

 「だが、その為に我々の給料を削減するというのは、負けだ。仲間の為にも、今の水準は何としても死守しなければいけない」

 僕はその言葉に目を丸くした。理解が得られたものだとばかり思っていたからだ。負けと言われても、一体、何処に負けるというのだろう? 上司はまた言った。

 「まぁ、君が署名をしたくないと言うのであれば、別に良い。強制するものではないだろうからな」

 言い終えると、そのまま去ってしまう。横尾は何とも言えない表情で僕を見ていた。気まずい雰囲気になり、その日は、一度も彼とは会話をしなかった。

 その後で、後輩の一人から話しかけられた。僕を心配しているようだ。

 「さっきのあれ、まずいですよ。明らかに、皆さん、不機嫌になっていました。確かに、言っている事は正しいですがね、一人だけ動いても損をするだけでしょう。事を荒立てないのが、賢い大人ってものだと僕は思いますよ」

 それを聞いて、僕は思わず「はは」と笑ってしまった。これでは、本当に夢の中に出てきたゴンベのようではないか。

 なるほど。自分の頭で考えられないものは人間ではなく、ロボット…… プログラムされた通りにしか動けない。こういう事か。


 その日、僕は帰りに例の居酒屋に寄った。どうしても飲みたい気分だった。原因は説明するまでもないだろう。自然と酒が進んでしまい、気が付くと意識が朦朧とし始めていた。その辺りで誰かが僕の前の席に座ったのが分かった。

 『ご一緒させてもらっても、いいでしょうか?』

 その誰かは僕にそう言った。その声を聞いて僕は目を見開く。

 「あなたは……」

 それは、例の町工場の社長だったのだ。僕はこう続ける。

 「驚いた。僕はあなたが死んでしまったとばかり思っていました。いえ、新聞の自殺の記事にあなたと同じ顔の写真があったものだから。いや、とにかく良かった」

 それを聞くと社長は『ははは』と、笑ってからこう続けた。

 『私が自殺したって? また、どうしてです?』

 「何を言っているんですか? 工場が潰れたと言っていたじゃないですか。実は、それで僕はあなたに対して罪悪感を感じていたところだったんです。話していませんでしたが、実は僕は公務員でしてね。国は公務員の給与を支払う為に、借金をしています。そしてその借金によって国は、民間から資金を奪っている。僕が直接悪い訳じゃないが、間接的には、あなたを自殺に追い込んだようなものだと思ってしまって…。いや、しかし、本当に生きていて良かった」

 それを聞くとまた社長は笑った。

 『いやいや、何を言い出すかと思えば。それで自殺したとして、それがあなたの所為であるはずがないじゃありませんか。

 あなたは、どうやら、とても真面目な人のようだ』

 社長の朗らかな笑顔を見ると、僕は本当に安堵をした。それでこう続けた。

 「いや、それで、思い悩んで変な夢まで見てしまいましてね。考え過ぎて、今日、職場で反感を受けたんです。で、今日はちょっとばかり自棄酒を飲んでいた、という次第で」

 『ほぅ… それは、どんな話なのでしょうか?』

 そう尋ねられたものだから、僕は今日あった事を社長に話してしまった。話し終えた後で、僕はこう続ける。

 「どうにも、柔軟な思考がないというか、長期的視野がないというか。とにかく、このままではまずいです。公務員だって、財政の健全化に協力しなければいけないはずだというのに…」

 それを聞いて社長はこう言った。

 『なるほど、なるほど。欲張り爺さんが、大きなつづらを開けて、中から化け物が溢れだす、というのですな……』

 そう言い終えると、社長は酒を一口飲んだ。僕はこう返す。

 「ええ。その欲張り爺さんが、たった一人だと言うのなら、まだ説得もできるかもしれませんが、欲張り爺さんは一人じゃないんですよ。だから、性質が悪い。たくさんいて、しかも、自分達の間で正しさを勝手に作りだしている。これでは、手の施しようがない」

 社長はその僕の言葉に、また『ははは』と笑った。

 『なるほど。あなたの言う事は分かります。しかし、ゴンベさん』

 ゴンベさん?

 僕は社長からその言葉が出た事に驚いていた。確か、夢の中で僕はそう呼ばれた。何故、彼が僕の夢の内容を知っているのだ? 社長は続けた。

 『狭い社会だけで暮らしていれば、目が曇ってしまうのもまた必然なのではないですか? あなたがそんな考えに至れたのだって、私という外部の人間に触れて、それを実感できたからでしょう? そのお蔭で、あなたは客観的に自分達を観れたんだ』

 僕は話を聞きながら、社長をよく見てみた。なんだか存在がオボロゲな気がする。

 『暴走する新興宗教なんかを見ても分かりますが、願望に歪められた狭い世界観に縛られていると、人間は簡単にそれに従うだけのロボットになってしまうのですよ。確かに、それは悪い事なのでしょうが、それで個人を責めるのは私は違うと思うのです。いえ、責めて問題が解決すればそれでも良いのでしょうが、人間はそんなに簡単な生き物ではない。これは社会制度から、変えていかなければいけない話です。それだって、個人の行動にかかっている点は変わりありませんがね』

 それだけを言い終えると、社長は僕を見てゆっくりと微笑んだ。

 『これからの社会を考えると、暗澹たる気持ちになりますが、とにかく、私が言いたいのはですね……』

 その語りを聞きながら、僕は思っていた。この社長は、もしかしたら……

 『例え、あなたが公務員で、恵まれた立場にいるのだとしても、私個人としては、あなたを恨んではいない、という話です。

 これは私の勘でしかありませんが、恐らく、議論を恨みだとか妬みだとか、そんなものに変えてしまったら、問題は絶対に解決しないのでは、と思うのです』

 僕は社長がそう言い終えると、こう尋ねた。

 「もしかして、あなたは既に死んでいるのですか?」

 それを聞くと社長はまた笑った。

 『さて、どうでしょう? なに、こんなのは、全てあなたの見ている夢なのかもしれませんよ。あなたは、酒を飲み過ぎているでしょう?』

 僕はそれを聞くと泣きそうになった。

 「僕は、あなたに申し訳なくて…」

 その僕の訴えに、社長は首を横に振った。

 『あなたがそんな事を言っているから、私はあなたの前に現れなくてはならなかった。どうか気にしないでください。あなたは真面目過ぎるのですよ。

 もっとも、恨まない、と言ったのも、あなたがとても良い人だというのを私が知っているからなのかもしれませんが。

 個人間の感情と、理性で判断しなければならない社会制度は、全くの別物で、なのに人間はその二つを混同して、感情から社会制度を作ってしまう。これも、そんな一例なのかもしれませんね』

 そう社長が言うのを聞くと、僕は酒をまた飲んだ。確かに、感情とは理に沿わないものだ。そう言われて、僕はまた辛くなってしまった。眩みがした。意識がまた朦朧とする。社長がまた言った。

 『それでは、私はもう行きます。あなたが友人だから言うのですが、話の中に出てきたゴンベのように、もしもに備えて、あなたも何かしら準備をしておいた方が良い。

 では。私からはそれくらいの忠告しかできませんが……』

 朦朧とした意識の中、社長が席を立ち、何処かに去ったのが分かった。僕は、また酒を一口飲んだ。気付くと、店主に起こされ、「店が閉まるから起きてくれ」、とそう言われた。いつの間にか、僕は寝ていたのだ。幸い終電はまだ残っていた。夜遅くに帰って、久しぶりに妻になじられた。


 それから僕は、何かがあった時に備えて、役に立ちそうな資格がないかと探し始めた。僕の歳でも間に合い、就職にも有利となるとそれほど選択肢はなさそうだ。横尾はそんな僕の行動に不思議そうにしていた。いや、馬鹿にしているのだろうか。彼の説得は端から諦めている。もし、国家破綻が起こり、この男の生活が厳しくなった時、僕はこの男をどんな思いで見つめるのだろう?

 優越感を感じて蔑むのか。それとも、悲しく見つめるのか。なんだか、どちらでも凄く嫌な気がした。

ホラーにしようか、その他にしようか悩んだのですがね。因みに僕は、バリバリの民間人です。

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