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第9章
<ミュア・ミュア>のクリスマスショーから戻ってきた夜、ガブリエル大通りのアパルトマンの前で、ミッシェルは「よいクリスマスを」と恋人たちに言ってメルセデスで去っていた。
 そのあとメロは、ミッシェルがショーが終わったら<成功祝い>として栓を抜くつもりだったというシャトー・ぺトリュスをあけ、フルートグラスにそのワインを注いでラスと一緒に飲んでいた。そしてメロはワインのつまみにチョコレートを、ラスは大好きなチーズを食べながら――ふたりで色々な話をした。
「あんたは気づかなかったかもしれないけど、ケイトがあんたにベタベタくっついてるのを見て、もしかしたらポールを取られたって彼女が勘違いしてるんじゃないかと思ったわ。それでそのあてつけにあんたとの仲をあたしに見せつけようとしてるのかもしれないって、そんなふうに疑ったの」
「まさか。それは絶対にない」と、メロは溜息を着きたくなりながら言った。正直、この種の話を面と向かってするのは苦手なのだ。「前にも言っただろ?ケイトのことは俺が、伯父に誘拐されて監禁されてるところを助けたことがあるんだ。で、たまたまきのう会ってちょうどいいから、他のモデルに紹介してもらおうと思った。アマンダと繋がりのありそうなヴェロ二カ・ノリスやリサ・クリスチャンセンにな。だが、ケイトと俺の間には仕事の関係以外では本当に何もない」
「わかってるわよ。第一あたしも、そこまでは一応我慢ができたんだから!!」
 まるでやけ酒を飲むように、ラスはぐいっとワインを一気に飲みほしている。そして続けた。
「だけど、リサ・クリスチャンセンとはどうなのよ!?なんで話を聞いただけにも関わらず、彼女の部屋から出てきたあんたの口に、赤い口紅がべったりついてるわけ!?」
「だから、それはだな……」
 中の綿に爪が食いこむほど、ラスはクッションをぎゅっと握りしめている。ラスがヒステリーを起こすと物にあたり散らす傾向があるというのは、メロ自身これまで何度となく経験してきたことだった。
 メロはクッションが壁に投げつけられて、サイドボードの上にある飾り皿が割れたりすることのないよう――彼らしくもなく、慎重に言葉を選んで話をする必要があった。
「彼女から話を一通り聞き終わったあとで、向こうからキスしてきたっていう、ただそれだけだ」
「だから、それがなんでかって聞いてるんでしょ!?」
 ガチャーン!!と、ここで第一の被害がでた。ワイングラスが床の上に飛び散り、粉々になる。
「……ラス、いいから落ち着け」
「あたしは落ち着いてるし、いつだって冷静よ!!」
 そう言いながら、ラスはその言葉とはまったく矛盾する行動をとっていた。すなわち、ガラステーブルの真ん中にクリスタルの灰皿を叩きつけ、二度と使用不能の状態にしたのである。
 その他、サイドテーブルのガラスにもひびが入り(ラスがバカラのグラスを投げつけたから)、その振動で花が盛りつけられていた花瓶も床に落ちて水をまき散らしている。
「おい、ラス。いいかげんよせって……!!」
 メロはソファの上でラスと半ば格闘するような形で、最後には彼女のメチャクチャな行動を静めるために、ラスの唇を塞がねばならなかった。
 だが、ラスは即座にそんなメロの頬を引っぱたいてよこす。
「何よ!!どうせあんたなんか、自分にとって都合のいい時にあたしのベッドにきて抱くだけじゃない!!」
「なんだ?俺に対して他にも不満があるなら、はっきり言え」
 ミュア・ミュアのショーで着た服をただでもらったラスは、この時シルクのフリンジドレスを着ていた。ベージュの生地にゴールドやシルバーのラメが散らばっているが、それは夜に明かりを消していないと虹色には発光しない。
 メロはラスの後ろにファスナーのついた服を脱がせるのが面倒だったので、この時普通に買えば800ユーロはする彼女の服を強制的に破いていた。サラ・デイヴィスがそのことを知ったら、こめかみに青筋を立てたであろうが、メロはミュア・ミュアの偏屈なCEOであり、部下を泣かせるのが好きなケイトの叔母のことなど、頭の隅にちらとも思い浮かべることはなかったといっていい。
「メロ、あんたなんか大っ嫌い……!!」
 言葉とは裏腹に、体の動作としてはラスはメロのことを受け容れていた。けれど、こんなことでリサとのキスをなかったことにされては腹が立つので、彼の愛撫を受け入れながらも、ラスはなおもブツブツ呟くことになってしまう。
「あたしが誰と噂になっても、全然知らん顔のくせに……なんであたしだけ、あんたが誰かと腕を組んだりキスしたってだけで、こんな気持ちにならなきゃいけないわけ!?こんなの、不公平じゃない……」
(ようするに、おまえが怒っていたのはそれが原因か)
 メロはそう思って納得すると、それ以上のことはラスに何も聞かなかったし、自分でも何も言わなかった。そう、彼女にはおそらく絶対わからないだろうとメロは思う。今ラスの体には以前まであった火傷の痕がないが、メロはまるで<それ>を自分のものであるかのように愛していた。だが、ラスの体に刻印された「自分のものだ」と感じられるしるしのようなものがなくなったことで――ラスは今後どんな男のものにでもなりうる可能性があるというのを、メロがどんなに苦々しく思って受け容れたか、ラスがこれからも知ることはないに違いない。
「ラス、俺はおまえがハリウッドの俳優やら、ロックスターやらと噂になってもべつにまるで気にならなかったというわけじゃない……ただ、もしあのゴシップ誌の記事なんかに載ってた写真を見て、おまえが相手に恋をしているとか、そういうことがはっきりわかったとしたら――実際心中穏やかではなかっただろう。だが、一般の世間の連中はどうだか知らないが、俺はあの写真を見ただけですぐにわかった。おまえの気持ちがどうやらまだ他には移ってないらしいことがな」
「ふうーん。あっそ」
 ラスは、ソファベッドの上で、メロがいつも使っているタオルケットにくるまると、セックスをしたあとに感じる強い絆のようなものに満足し、とりあえず一旦はメロのことを許そうと思った。
 けれどラスにはやはり、距離的に離れたり、暫く話をしていないと、今この上もなく強く感じている絆や親密さといったものがどんどん薄れていき、心に穴があいたみたいにいつでも不安になった。そしてこのメロという男は、「寂しいから一緒にいたい」と気安く言えるような雰囲気を決して自分から作ろうとはしないという、そんな恋人なのだ。
「でもあたし……本当は、こんなつまんないことでイライラしたりする自分がすごく嫌なの。今日……ううん、十二時過ぎてるから、実際にはきのうだけど、あのカロリーナっていうブラジル人のモデルが倒れるところを見て、自分がどれだけ恵まれてるか忘れてることに気がついたのよ。モデルとしてのキャリアも一応は順調で、そもそもモデルになれたのも、ワイミーズ研究所がバイオ皮膚を最先端技術を使ってあたしの体に移植してくれたからだし……なのに、どうしてメロがちょっと浮気したくらいで、こんなに腹が立つのか、自分でもよくわからないの……」
 普通の男ならこんな時、『それは、俺を愛してるからだろ』とでも言うのかもしれないが、メロが反応したのはそこではなく、むしろ<浮気>の二文字だった。
「一応言っておくが、俺はこれからもたぶん、あのリサ・クリスチャンセンっていうモデルと接触するかもしれない。だが、それはあくまでも仕事で、彼女の恋人になったふりまでして捜査をするということはないだろう。そこのところはラス、おまえにもわかるな?」
「うん……」
 パリの夜景の光が窓から射しこみ、自分が叩き割ったガラスの破片をきらめかせるのを見ながら、ラスは曖昧に頷く。この種の八つあたりをしたあとはいつもそうだったけれど、この時もラスは「おまえみたいなヒステリー女、こっちから願い下げだ!」とメロが何故言わないのか、少しだけ不思議になっていた。
「本当はね、あたしも頭ではわかってるの。メロ、あんたが仕事の上で情報を得るためなら、キスくらい大したことじゃないって思ってるっていうのは……そしてそこに<仕事>以上の感情がないのもわかってるつもり。だけど、万一っていうことがあるでしょ?」
「万一?一体なんだそれは」
 俺という人間に限って、そんなことは絶対にありえないというメロの様子を見て、ラスは思わずくすりと笑いたくなってしまう。
「まあ、だったらもういいわよ。で、メロ、リサとキスしただけの見返りとなる情報は彼女からもらえたの?」
「いや……」メロは真正面を向くと、スワロフスキーのクリスタルのシャンデリアを眺めつつ、暫しの間考える。「彼女から与えられたのは、そう大した情報じゃない。それよりもむしろ、ラス、俺が知りたいのはおまえがランウェイに出ようとした瞬間に、一体誰が照明を落とそうとしたのかっていう、そのことのほうだ」
「メロ、あんたはあれを事故じゃないっていうわけ?」
 クッションに頬杖をつくと、ラスは自分の恋人の顔を覗きこむようにして、そう聞いた。
「ラス、少しは頭を働かせてものを考えろ。あのカロリーナ・メンデスっていうモデルがランウェイで倒れたのと、おまえの頭の上に七キロもの照明が落ちてきたのはほとんど同時だ……つまり、このふたつが時を同じくして偶然起きた可能性より、カロリーナが心臓発作を起こしたことと、ラス、おまえの上に照明が落ちてきたことのうちのどちらかが人為的に手を加えられた結果として起きた事件だと考えたほうがより納得がいく」
「だけど、カロリーナはもともと拒食症だったんでしょう?あたしたちがここへ戻ってくるまでの間、車の中のTVで彼女のことを診てた医者がそう言ってたじゃない」
「そうだ。搬送先の病院でも、死因は心臓麻痺だと発表されたし、毒物検査に異常な点もなかった。だからアマンダ・ソアレスに憧れてモデルになろうと思ったっていう彼女の死は、この業界に特有の病いにかかった悲劇の結果と見て間違いないだろう。だが、俺はラス、おまえのことは間違いなく誰かが照明に細工をしたんだと確信している」
「なあに?じゃあ他でもないこのあたしが、誰かに命を狙われてるってこと?」
(まさか、冗談でしょ)といったようにラスが、メロの顔を上から覗きこもうとすると――メロは先ほど脱いだ自分の服のポケットからチョコレートを取りだし、寝ながらパキリとそれを食べた。
 激しい運動をしたせいで、糖分を補うよう脳が命令を下しているのがメロにははっきりとわかる。
「いいか、あのサラ・デイヴィスっていうどっか二アの髪型に似た銀髪のババア……あの女は、ショーの直前になっておまえの衣装が気に入らないとか言いだしたな。それで、本当はリサ・クリスチャンセンが着るはずだったドレスをおまえのほうが似合うといって着せたんだ。当然ながらショーでの順番も狂うことになり、おそらく上のほうで照明を落とした犯人自身、リサが着るはずだった赤いドレスを狙っていたんだろう。ファッションショーじゃあ髪の色なんかしょっちゅう変わるから、ラスの紫がかった黒髪を、リサのそれだと勘違いしてもなんら不思議はない……あのホテルのサロンでは、普段からミュージカルや劇なんかもやってるだけに、照明の上のほうには舞台の裏方を担当する人間なら誰でものぼれるようになってる。と、すればだ……」
「じゃあ、あたしはリサと間違えられて、危うく殺されるところだったってこと?」
「俺が思うに、おそらくリサが死ぬところまでいかなくてもいいんじゃないかという気がしている。おそらくそれで彼女が怪我をして、二度とランウェイに上がれなくなること……それが犯人の目的だったんじゃないかという気がするな」
「何よ。あんたがそこまであたしに話すっていうことは、実際にはもっと色々なことがわかってるんでしょ?リサの話をしてももう怒らないから、あんたの推理を全部聞かせてくれたっていいじゃない」
「ああ」パキリ、とチョコレートをもう一かけら齧り、メロは中空を見据えるようにして、話を続ける。「アマンダ・ソアレスは、リサ・クリスチャンセンがコレクション・デビューする前夜、ミラノのクラブでファッション関係者が一同に会した席で、『誰とでも寝て仕事をとる女だ』と発言し、彼女のことを侮辱している……まあ、相当酔っ払ったあとの発言らしいが、アマンダはそもそもマスコミを騒がせるために常に計算ずくで行動していたような女だ。もちろんドラッグでハイになっていたとか、他にもいかにも彼女らしい理由は考えられるにしても、アマンダにしてはちょっとらしくない行動だと思わないか?どうせ同じ発言をするなら、彼女はもう少し大物のモデルを相手に指を差していただろう。だが、リサはその時まだデビューしたばかりだっただけに、“自分を売りこむためにはなんでもする女だ”というイメージを、実際にまわりの人間に与えてしまった……とはいえ、今ではまた状況が変わっている。彼女はモデルとして徹底したプロ意識を持っているし、実際には自分の実力で<スーパーモデル>と呼ばれる地位を確立したってわけだ」
「だけど、アマンダが仮にリサを故意に潰そうとしたのだとしても――それはこうとも考えられない?彼女はロミー・ヒューストンのことを自分とキャラが被ってるっていう理由によって毛嫌いしてたっていうし、マリアのことも特にこれといった理由もなく「あの女、大っ嫌い!!」って周囲の人には言ってたそうよ。ようするに、人の好き嫌いが激しい彼女にとっては、リサもまたそういうひとりだったんじゃないかしら。ナタリーの話によると、アマンダはモデルとして次に誰が「来る」か、動物的本能みたいなものによってわかるところがあったって言うし……リサはそういうアマンダのセンサーに引っかかったから、ミラノのクラブでコレクション前に侮辱されたんだとは考えられない?」
「まあ、それも十分ありえる話だな。だが俺は、こう考えた……当然のことながらアマンダ・ソアレスはもうこの世にはいない人間だ。とすると、ファッション業界のどこかにリサのことをコレクション・デビューする前から疎ましいと感じる人間がいて――まずはアマンダに頼んで彼女のことを潰そうとしたわけだ。ところがリサはコンクリートの隅から雑草が生えてくるみたいに、しぶとかった。だから今度こそ間違いなくリサのことをモデルとして再起不能にしてやろう……犯人はそう考え、自分の手によってではなくアマンダの時と同じく誰かにその仕事を依頼したんだろうな」
「ねえ、もったいぶってないで、早くその犯人を教えなさいよ。メロ、あんたはいつでも、確信が持てないかぎりは自分の推理をあたしに披露したりなんかしないでしょ。一体あんたは誰が犯人だと思ってるわけ?」
 メロの口からリサの名前がでるだけでも、ラスは再び嫉妬の情が燃え上がるのを感じたが、もうヒステリーは起こさないと約束した以上、ぐっとこらえなくては思った。何より、今はそんなことより誤って自分に怪我をさせようとした犯人の正体について知りたかった。
「もう少し待てって。一応、推理ってものには順番があるからな。俺もおまえにしゃべりながら、自分の頭の中を少し整理してるところだ」チョコレートを食べつつ、メロはその糖分が脳にまわるのを待っているかのように、数秒間を置いた。「ラス、おまえ、キング=アーロンフェルドっていう男を知っているか?」
「ああ、あの好色なおじいちゃんね。まあ、おじいちゃんなんて言っても、大体五十五歳くらいにしか見えないけど……パーティで何度か見かけたことはあっても、直接話をしたことまではないわ」
「そうか。俺はおまえがフィンランドでテディと仕事をした時、ヴォーグのスタッフから面白い話を聞いたんだ。キング=アーロンフェルドっていうのは、世界のファッション雑誌の大株主で、若い時には相当モデルと遊び歩いていたらしい。結婚したことが二度あって、最初の妻との間に息子がふたりいるが、この息子はふたりとも父親の生き方を嫌って、ファッション界ではなく金融関係の仕事や弁護士をしている。で、結局二度目の妻とも五十二歳の時に別れて、以来七十を過ぎた今でも浮き名を流し続けてるってわけだ……まあ、これはヴォーグのメイクアップアーティストのスティーブが言ってたことだが、実際にはふたりいる息子の他にも、あれだけ方々でやりまくってたら、隠し子のひとりやふたり絶対いるはずだって言うんだな。そこで俺は、もしかしたらリサ・クリスチャンセンがキング=アーロンの隠し子だとアマンダが知っていたんじゃないかと疑ってみたわけだ」
「えっ、本当に!?そのこと、リサは知ってるの!?」
 一瞬ラスが、三流のゴシップに反応する一般大衆と同じ反応をするのを見て――メロは少しばかり不思議になった。べつに嫉妬しているわけでもなんでもなく、リサがアーロンフェルドの隠し子だというのは、おそらく誰にとっても純粋に驚きだということなのだろう。
「いや、俺が彼女の母親に確認をとったのは、DNA検査でそのことの証拠を得てから後のことだ。フィンランドでアーロンフェルドの隠し子説を聞かされて以来、少し引っかかるものを感じていたから、スーパーモデルやトップモデルの遺伝子とアーロンフェルドのそれをDNA鑑定してもらっていたんだ。そうしたら……」
「そんなこと、どうやってやったわけ?アーロンフェルドには大抵いつもボディガードがついてるし……モデルにしても、ひとりひとり髪の毛を採取したりなんだりするのは難しいんじゃないの?」
 またも話の腰を折られて、メロは軽く溜息を着く。
「おまえ、俺が全部話し終えるまで、少し黙ってろ。Lの配下にFっていう使える男がいてな、DNA鑑定についてはすべて彼が一仕事して調べてくれたんだ。まあ、どうやってやったのかは俺にも詳しくはわからんが、重要なのはワイミーズ研究所のエリスからもらった結果報告書だ。その中には、アーロンと血の繋がってる人間がふたりいた――ここまで言えば、もう馬鹿にもわかるだろ?」
「馬鹿で悪かったわね!!」
 ラスはメロの頭の下からクッションを引き抜くと、それで彼の頭を何度となく殴打している。
「いってーな。ようするに、スーパーモデルと呼ばれる女性の内のふたりがアーロンフェルドの母親違いの娘っていうことなんだよ。かたや、何不自由ないお嬢さま暮らしをしてラッキーにもモデル事務所からスカウトされてデビュー、かたやもう一方は……パリの裏街の極貧生活から這い上がってきてモデルになったっていう経歴の持ち主だ。一応、リサ・クリスチャンセンを殺そうとした動機には十分なりうるだろうな」
「だから、それが一体誰かってあたしは聞いてるのよ!!」
「本当にわからないのか?」メロは面倒くさそうに体を起こすと、ラスの手からクッションを奪いとった。「キング=アーロンフェルドのもうひとりの隠し子は――シャナイア・ローレンだ。リサの名前は本名をそのまま使ったものだが、ローレンの本当の名前はローレン・ブオナローティ。母親のほうはその昔、アーロンフェルドに弄ばれて捨てられたっていう口らしい。リサの母親に聞いたところによると、リサ自身は自分がアーロンフェルドの娘だとはまったく知らないということだった。だが、ローレンの母親とリサの母親は友達で、同じようにアーロンの子を身ごもったことのある彼女に、リサの母親は色々と相談したことがあったらしい……実際、このキング=アーロンフェルドっていうのは相当の遊び人で、愛人の女性が「自分はアーロンの子供を妊娠している」とマスコミに訴えたことが、これまで公になっただけで三回あるんだ。だが、運良くというのかなんというのか、その時には三回ともDNA鑑定で彼が父親であるとは認められなかった。まあ、女のほうでも相当男と遊んでいたから、その中で億万長者のアーロンの子供だったらいい――そういう願望があったということなんだろうな」
「嘘……だってローレンは、アマンダの前にアーロンの愛人だって言われたこともあったのよ」
 ラスはどこか呆然としたように、タオルケットで体を隠したまま、呟くように言った。
「じゃあ、ローレンは自分がアーロンフェルドの娘だって、知らないっていうことなの?」
「いや、それだと俺の推理には当然矛盾が生じる。ローレンはリサ・クリスチャンセンがアーロンフェルドの娘だと知っていたからこそ、憎しみを募らせるあまり、モデルとしての彼女を潰そうとしたんだ。アマンダは一般にローレンと仲が悪かったとされているが、そんなことはヴェロ二カとアマンダの関係同様、世間の風評のようなものだから当然アテには出来ない。実際にはアマンダはローレンから随分ドラッグを都合してもらっていたらしい。だが、その繋がりは公になるとまずいものだから、お互い合意の上で表面上は仲の悪いふりをしてたってわけだ。ローレンはアマンダにドラッグを渡すかわりに、リサのことを侮辱するよう頼み、また今度の件でも<誰か>に頼んで照明がリサの頭上に落ちてくるようにしたってわけだ。おそらく彼女の計算外だったのは、ランウェイで偶然にもカロリーナ・メンデスが心臓発作で倒れたということ、またラスとリサの服と出番がサラ・デイヴィスの気まぐれによって直前に変更されたということだ」
「でも、やっぱりわたし……信じられないわ」
 ラスは微かに震える手を、ぎゅっと胸の前で握り合わせた。
「だってローレンは、あたしの次にランウェイに出ることになってて、あの時すぐ後ろにいたのよ。たぶん突然あたしとリサの順番が代わっていたことで、相当驚いたでしょうに――照明が落ちてきたあと、本当に心配そうな顔をして「大丈夫?」って優しく聞いてくれたの。あたし、彼女のことそんなに知ってるわけじゃないけど、印象的にそんなに感じが悪いと思ったことは一度もないわ。ちょっと謎めいた綺麗な人だっていう、そんなふうにしか感じたことはないし……そんな彼女が憎しみに駆られてリサのことを殺そうとするだなんて……」
「まあ、確かに俺が今言ったようなことを仮に警察に言ったとしたら、ただの寝言か戯言として片付けられるだろうな。今の段階ではローレンが一体誰に照明に細工をするよう頼んだのかまではわからない。俺自身が一番あやしいと思ってるのはヴェロ二カ・ノリスだが、何しろモデルだけじゃなくスタッフも含めて、軽く三百名以上の人間の出入りがあるんだ。しかもショー独特の特殊な慌しさの中で、誰かが舞台装置に細工をしてもまったく気づかない可能性っていうのは十分にありうる」
「ヴェロ二カには無理よ。メロ、あんたも見ててわかるでしょ?ショーの当日はモデルが一番ナーバスになってるの。そんな中で彼女がもし照明に細工なんてしたら――誰かにバレてしまう可能性だってあるし、自分だって着替えをしたりメイクをしたりで大忙しなんだから、ほとんど不可能よ」
「いや、俺はそうは思わないな。もちろん、ローレンがミュア・ミュアのスタッフかそれ以外の関係者に頼んだっていう可能性のほうが高くはあるだろう。だが、ドラッグっていうのは実際おそろしいもんでな。一度中毒になったらそれを得るためにどんなことでもするようになってしまうんだ……もし仮にローレンの元にヴェロ二カがドラッグをもらいにいって、断られたとしたらどうする?彼女はたぶん泣いてすがるなり、怒鳴るなり脅すなりしてなんとかローレンから麻薬をもらおうとするだろう。その場合ヴェロ二カにあるのは目先の欲求だけだ。ドラッグをもらえるためなら、忙しい時間の合間を縫って殺人未遂の計画を犯すことさえ容易く思えるだろう……実際、仮にヴェロ二カが照明を落とした現場を押さえられたとしても、ローレンまで警察に逮捕される可能性は低い。何故なら、彼女の体からは麻薬が検出され、ラリった末のイカれた行動だと見なされる可能性が高いからだ」
「メロ、あんたはそこまであのローレンが計算してたって言うの?」
「おそらくはな。だが、アマンダ殺しの嫌疑については、証拠があまりにも少なすぎる。こちらのほうはもう少し探りを入れる必要がありそうだ」
「……………」
 ラスは一瞬黙りこんだ。そしてメロが頭を働かせて考えろと言ったとおりに、少しの間考えこむ。この場合、もし自分がメロなら、次にとるべき行動は決まっているも同然だった。
「メロ、あんたもしかして、あたしがヒステリーを起こしたから、リサのボディガードをやるのは思い留まったっていうこと?」
「いや、そんなことはない」と、メロはチョコレートの最後の一かけらを口に放りこみながら言った。「第一、ラス、おまえが狙われたという可能性もゼロではないんだ……そう考えた場合、やはり俺はこのままおまえの護衛としてついている必要がある。リサ本人には何も言っていないが、モデル事務所のほうを通して、そういう警備の人間を常時彼女に張りつかせるよう手配はしてあるから、何も問題はない」
「そう」
 ラスはどこか安心しようにほっと溜息を洩らすと、メロの腕の中に寄りかかった。
「あたし、やっぱりあんたのことが世界で一番好きみたい」
 もちろんメロは、(死んだカイ・ハザードのことよりもか?)などと、野暮なことを聞いたりはしない。死んだ人間に勝つことは誰にも出来ない――それよりも、<今この瞬間>ラスの中で自分が一番であるなら、メロにはそれだけで十分だった。
「ああ、俺もだ」
 ラスはそう答えたメロの唇に、自分のほうから彼の首に腕をまわしてキスした。メロの口の中は、いつものとおりチョコレートの甘い味がして、ラスは何故だか気の遠くなるような感覚を覚える。
 ラス自身はドラッグを試したことは一度もなかったけれど――それでも、メロにとってはドラッグにあたるものがチョコレートなのではないかと思え、ラスはメロから唇を離すと、思わずくすりと笑ってしまった。
「なんだ?一体何がおかしい?」
「ううん、なんでもないの」と、ラスはまたもう一度笑った。「メロとキスした時に、チョコの味がしなかったことってそういえば一度もないなあと思ったら、なんとなくおかしくなっただけ」
 ――この翌日、ミッシェルはラスの部屋へ来て、ガラスの破片が床に飛び散りまくった惨事を目にするわけだが、彼はソファに寝ているラスの幸せそうな寝顔を見て、大体のところ何が起きたのか察しはついていた。
 ラスがおそらくはヒステリーを起こして暴れ、鬱屈した感情を爆発させたところでメロと抱きあうことになったのだろうと……そしてそのメロはといえば自分がやってくるなり「チョコを買ってくる」と言って外へ出かけていたのだった。


◇二次創作サイト『探偵Lの部屋』


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