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未来から過去へ

作者:名森
 
 ーーー最初はよくある夢だと思った。時間が経てば目が覚めて何時もの日常に戻れると、そう思っていた。けれどもこの夢は何分も何日も何ヶ月経っても覚めはしなかった。何かの間違いだ。多分二度寝でもしているのだろう。と目の前の光景を見ながら言うのが口癖になった。

 ずっとこの不可解な夢を見ていて気づいたことがある。それはこの夢は過去へと向かって行っていることだった。過去へと向かうとはどんな事だろうか、と考えるだろう。けれど捻りもなくそのままの意味で私の身体は行動は過去へと向かっている。分かりやすく言うのであれば私は嬉しい事に今も若返っている。

 疑問が湧く。過去へ向かうのに私はなぜ意識を保っていられるのか、だ。普通、過去へと向かうのなら視聴し終わったVHSを巻き戻すような物だから、既に結果が固定されているため新しい考えを持つという事はあり得ないはずだ。だから意識と言うモノも起こらないと考えるのが当然だ。けれども奇妙なことに意識を生産すると言う未来向きの方向に逆らい私は過去へ向かっているのだ。意識と言うのも変な表現だ。もっと適切な言葉にすれば、これは自分自信への独り言だと言えば適切だろう。

 私がこの独り言を始める。つまり私が意識と言うものを持つようになったのは、だいたい大学生の頃かまたその後あたりだろうと思う。だろう。といまいち確証を持てずに言うのは私には大学生であった記憶、意識がないからだ。私は今、高校生で友達と部活で汗を流している。自分の事なのに他人事のように話しているのは、この身体を動かせないからだ。自分でもおかしな話だと思う。でも幾ら指を唇を動かそうと思い意識しようとも、麻痺した時のように身体が受け付けてくれない。

 話を戻そう。記憶がない。と言うのは言葉の通りで私には大学生になった記憶がない。けれども大学生になった頃に意識を持つようになったと予測出来るのは、私が過去へと向かうに連れ今現在の綴った記憶を忘れてしまうと言う経験則あるいは感覚則から、大学生になった記憶はないのだけれども私の夢は大学進学をして国家資格を取得することで叶う夢で、この夢は子供の時から色褪せない物だから、未来の私も大学進学へ進学し夢を叶えていると言う予測から来ている。

 今現在の記憶も失われる。と言うものおかしな話で私自身は記憶を失っていると言う明確な感覚がないのに、記憶が失われているものだと前提をおいて話をしている。この記憶がないのに私が私である事を保ち続けている証の1つで、私がこの独り言を何時始めたのかは分からないけれど、言葉や文というものは前後の関係によって意味をなすものであるため、この私が話している、あるいは思っていることには必ず過去があるという事だから、私の言った紡いだ言葉は過去のモノ。つまり時が経つと忘れるということだ。

 裏付けとして私が言った言葉は古い記憶へと向かうのに比例し靄がかかり思い出しづらくなる。けれどこの言葉あるいは一連の文は前の内容を踏まえ構成または続いているのが分かる。これが私が過去へと向かっており、今現在の記憶は失われていくと言う予想を裏付ける要素の1つだ。

 過去へと向かっていると言う、未来と過去の定義も曖昧で、私にとって過去とは、私が記憶を失い独白を続けた日々、つまり未来の事であるのか、または私がこれから記憶を失いに向かっている過去の事を未来と呼ぶのか。言い方によって時間は意味合いを変えてしまう。私が定義していないことが問題なのだろうけれども、忘れた記憶の中に未来を過去だと位置付ける。と過去の私が時間を定義した事が薄っすらとわかる。私にとって未来である過去へと向かうにつれその定義も曖昧になったのではないかと思っている。私が予想しただろう事は、もう私には思い出せない。

 過去あるいは予想した事を忘れることは意思の確立においてあってはならないことなのだけれども、紡がれる文や言葉にぼんやりとした前後の繋がりは覚えているのは確かだと、感覚で捉えていれば十分だろうと私は思う。

 もし、これまでの独白の繋がりを忘れたとしても、この世界が未来から過去へと向かっている現象と、私の夢は昔から変わらない。と言う2点から、時間はかかるけれど、これまでの私の綴った繋がりに至るだろうと思っている。

 この奇妙な夢は目を覚ますのだろうか。と思うとこの夢はもう長く覚める気配を見せないので。もしや私にとって現実であるため、覚めないのではないのかと考える。そもそも私は過去から未来へ行くことが正常な事だと考えている。けれども、本当は違うのではないのだろうか。未来から過去へと行く事が正しいのだ。と言う事実を覆せる論拠や事実はないから私の考えていることは妄想に過ぎないと言える。けれどその過去から未来、未来から過去のどちらも正しいとは言えない。しかし、未来から過去へと向かっていると言うことは、この世界の法則、いわば真理だ。

 常識や普通と言う言葉は大多数の人が営みのすえに普遍に思う事柄や事実の事を指すため、少なくともこの世界は私以外の人と話した事がないので常識と言うものがないと言うことになる。常識や普通とはある程度の文化が発展した人の集団から出来た言葉でありその言葉は海を越えて共通していることから、幾ら1人で物語を空想していても、集団で起こる概念は1人では思い至らない。ここで私が考えている事はこの世界からして見れば異物であると言える。この世界には誰かと話す事という営みはない。あるのは自分自身だと証明出来ないが、おそらくは自分である肉体が未来から過去へと動いているさまをみる奇妙な習慣のみだ。

 もし、私のように意識を持ち合わせているのだけれども、身体を動かそうと試みて失敗したので、私のように独白をしている人も居るのではないかと予想してみよう。けれども確かめの方法がないので、この考えは間違いではないが、正しいとは言えない。

 未来から過去へと向かって行くことが正しいと言う事を後押しする要素はない。私が記憶とは生産されるものであって、その逆を意味する単語から記憶が生み出されることはない。と言ったとしても、実は、未来から過去へと向かっていても記憶を意思を生み出す事は出来る。と言う事実があるならば私の常識はガラガラと音を立てながら崩されるだろう。あるいは見方を変えると、未来から過去へと向かって行く法則の中では記憶とは本来生産されないもので、自分と言う意思が生まれたときから既に持っているものだと捉えられる。

 しかし、過程を経ていないのに記憶を持っていると言うのはおかしな話だ。記憶とは見聞きしたことが記憶の本質であるのに、見聞きしていない事を記憶と言うのはおかしい。けれども、既に記憶を持っていると言う説を否定できる材料がない。むしろ後押しする要素が多い。いずれにせよ、こう言った仮説を立て続けていてもいずれは、過去へと向かい続けるのだから、共通に訪れる死は避けられないのは確かだ。

 そもそも死とは何だろうか。私の意識あるいは記憶では、死と言うは文字通り死と言う言葉であるはずだ。今、私は中学生1年生だから、まもなく私は死を迎えることになる。私は、まもなくと言った。これは私の記憶から出た単語だから、死ぬと言うのは本来、未来から過去へと向かうことはなく、過去から未来へと向かう果てに訪れるものだと予想できる。と言うことは私には小学生、中学生、高校生、大人と言う知識がある。この大人の次に何か別のものがありその後で死が訪れるのか、あるいは大人のままで死が訪れるのかと予測できる。何れにせよ死を避けらないのは確かだ。

 時間にして6年と言った所だろうか。私の持つ孤独な常識が確かなら普通、しっかりとした意思あるいは自我を持つに至る年齢は中学生、高校生だと知っている。と言う事はこの意思が強固なモノから、綻ぶモノになる境目が今まさに私の目の前に訪れていることになる。よって私はこの先、しっかりとした意思、論理、記憶、常識を失くす事になる。このような論理や常識を持って言葉を紡ぐと言う考え、あるいは経験則がないため、独白をすることは起きないだろう。あるのは粘土のような意思で目の前の光景をただ見つめる私だけだ。

 孤独な常識での死はいずれも急に訪れるものであり考えている最中には起きないものだ。それに対し私が迎えるであろう死は、ゆっくり温かい沼に浸かるように訪れるものだ。怖いと言う感情はある。むしろとても怖い。いつこの考えが独白がなくなるか分からないからだ。独白が出来ない、あるいは意思を持てないと言う事は私自身の存在が保てなくなると言うことで、孤独な常識の死とは意味合いが違うが、文字通りの死を迎えることに他ならない。

 孤独な常識の死では肉体と呼べる代物がこれ以上の生命活動は行えないため、意思を保つ機関が保てないがゆえに起こるのが死。けれども私が、これから迎えるであろう死は意思あるいは感覚のあるがまま、ゆっくりと死を自覚しながら死を迎える。死について恐怖はある。この意思が、言葉が、紡がれなくなると言うのは怖いことで、もしこのまま若返り続けたら、この意思が途切れ途切れになり保てなくなる。もう、私と言う存在の死が目の前に来ているのだ。

 私は過去から未来へと向かうことで訪れる死とその逆の死に対する死生観を持っている。そのため、もし過去から未来へと向かう現象の世界が本当の私がいる所だと思わずには居られない。惑星で事故が起き、君は1人でその惑星にいる。救助のための連絡手段はない。もし救助が訪れたとしても、この心もとない食料と酸素が希望を容赦なく跳ね除けるだろう。酸素は比較的にあるが食料は少ない。この先、飢えと酸素の残量バーを見続けることになるのが容易に想像できるだろう。栄養が足りなく満足に思考も出来ない中、酸素ボンベを取り替えることすらも忘れ、幸福に死に絶える姿を想像して欲しい。

 過去から未来へと向かう死なら誰かと一緒に死ねただろう。死ぬのは怖い。けれど、1人で迎える死よりも複数で迎える死は少し怖さが和らぐ。誰にも怖いと言えず、死んだ後はどうなるのかと考え、死にたくないと怖くなり大声で母親の名を呼び、怖さを消す事も、死から逃れようと肉体を動かせないと分かっていても、もがき続け少しでも怖さを和らげようとする事も出来ない私を思ってはくれないだろうか。

 この若返り続ける肉体はやがて胎児を経て受精卵となる。脳が形成される前に至れば私は完全な死を迎えるのだろうか。この身体が始まりに戻ったとき、過去から未来へと世界は進み、私は身体を動かせるのだろうか。または私という意識がなくなった後でも世界は、ーーー私のような人を生み続けるのだろうか。

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