委員長と初恋と
お願いします、――と。
自由意思を尊重するように、彼は言った。
けれどもそれは、どう考えても上辺だけのポーズだろう。何しろ相手は、しばしば「あの」と冠詞付きで表現される鬼の風紀委員長なのだから。
傾いた太陽が窓から射して、長い影と色付いた西日で室内を染めている。机と椅子だけの殺風景な部屋が、何だか知らない場所みたいだ。
わたしが呼び出されたのは、校内の一室。普段は風紀委員が使用している、小規模な会議室だ。顧問として見慣れたこの部屋に、しかし今は二人しかいない。
目の前には、長塚透。彼がわたしを呼び出した当人だ。真っ黒な学生服を詰襟までキッチリ閉めている姿は、まさに模範的。見ているこちらが息苦しい。
授業を受け持った事はないが、成績も素行も性格までいいと、職員室での評判は最高。風紀委員長の職務をキッチリ果たし、後輩からの信望も篤い。
教師になって、四年になる。わたしに取って、長塚のような生徒は初めてだった。
優等生、と言うべきだろう。少なくとも、表向きは。
優等生とは、教師に取って都合がいい生徒と言う事だ。成績がよく、問題を起こさず、面倒な考えを持たない。
しかし素直過ぎる彼らは、もろい。つまづけば折れ、うずくまればもう立てない。
最初、長塚もそんな一人だと思っていた。
だが本物の優等生ならば「あの」と意味深に囁かれはしないし、こんな事にもなっていない。
誰だ。この、問題が服を着て余計な知恵を付けたような人間に、校内の風紀を守らせようとしたバカは。
腹立ち紛れにそんな事を思ったが、よくよく考えると、それはわたしだ。
約一年前の事。前任の風紀委員長が引退する時、わたしは顧問として、後任に彼を推薦した。もちろん、最終決定は委員達の承認を得た上での事だ。しかし、例えお飾りとしても、顧問教師の意見と言うものは予想以上に重く、この一声でほぼ決定したと言っていい。
わたしのバカ。
一年前の自分を心の中で罵っていると、「大木先生?」と呼び戻された。思考に沈んでいる場合ではない。
わたしはうつむけた額に手の平を当てて、重い息を、けれども鋭く吐いた。
「受験で悩んでいるなら、相談に乗るわ」
「勉強は、得意です。どうせ一緒に悩んで下さるなら、今提案した件についてお願いします」
言って彼は、軽く頭を下げる。染めた事のなさそうな、漆黒の髪が揺れた。
「悩まないわ。答えは決まってるから」
額から手を離し、体の前で腕を組む。無意識ながら、拒絶のサインだったかも知れない。
長塚は何かを察したか、眼鏡の奥ですっと眼を細めた。そして少し後ろに体を下げて、もたれるように机に浅く腰掛ける。それでやっと、直立したわたしと目線が一緒になるくらいだ。
そのせいかどうか、真っ直ぐな視線にギクリとした。よく見知った、ただの生徒だ。頭ではそう分かっていたのに、考えるより先に眼を逸らした。
校内でも、踵の高い靴を許して欲しい。特に、こんな時はそう思う。高三ともなれば彼らはほとんど男なのだと、追い越された身長に教えられる。
声だけが、顔を背けたわたしを捉えた。
「少しは悩んで下さい、大木先生。これでも、凄く勇気を出しているんです」
「気持ちは嬉しい、とか、言われたいの?」
「いいえ」
まさか、と。軽く吹き出すようにして笑う。
珍しい。長塚は、あまり笑わない。表情が乏しいと言う訳ではないのだが、笑うにしても、いつも一歩引いて、ほほ笑んでいると言う印象だった。
「先生はただ、承諾して下されば良い」
「長塚くん。自分が言った事、覚えてる?」
「勿論。――お願いします。僕の恋人になって下さい、大木先生」
ほらね? とでも示すように、彼はさっきわたしに言ったセリフをくり返し、首を傾げて見せた。
だから、なぜそうなる。
「承諾する訳ないでしょう」
「どうして? 理由は? 僕が生徒で貴方が教師だと言う以外に、何かあるなら仰って下さい」
いや、そこ避けちゃダメ。それ、大問題。
先手を打たれて内心では慌てたが、これしきで動揺を見せはしない。教職四年。思春期と言う人生の中で最も面倒くさい精神状態である生徒たちの前に、わたしは毎日立ち続けているのだ。
「長塚くん、わたしは教職にある以上、職業倫理は重要な問題だと……」
「問題がそれだけなら、来年には解決します。僕は大学へ行って、先生の生徒ではなくなりますからね」
急いで引っ張り出したそれっぽい理屈は、アッサリと無視された。しかし、こんな事で譲ってあげる訳には行かない。何しろ、相手は生徒。求められているのは、恋愛感情を伴う交際。承諾したら、クビ決定。
「じゃあ、その時になってから言うべきだったわね。わたしは生徒と恋愛するつもりはないし、もっと言えば、学生と付き合うほどヒマじゃないの。五年後、出直してらっしゃい」
その頃には、頭も冷えているだろう。
今はただ、手の届かない年上の女にちょっと興味があるだけだ。高校を卒業し、世界が広がれば考えも変わる。すぐに忘れる。
眼鏡を指先で押し上げながら、学生服の彼が同意を見せた。
「妥当でしょうね。五年後と言うのは、僕も考えました」
「そう? よかった。納得してくれたのね」
「いえ、そうは言ってません。僕は待てます。でも、五年は長い。大木先生、貴方は待てますか?」
「わたし?」
なんだか、妙だ。
何が言いたいのだろうかと、戸惑いに長塚を見詰める。
「失礼ですが、先生は今、二十六ですね。五年後は、三十一になっています」
「だから?」
「だから、僕を今拒絶するなら、それまで待っていると確約して下さい」
「それは……、何? 恋人とか、結婚とか……?」
作るな、と? するな、と?
五年後出直せ。この言葉を逆手に取って、長塚はとんでもない事を言い出した。
冗談じゃない!
思わずそう叫ぶところだった。
わたしにだって、結婚願望くらいある。と言うか、二十の頃はありがちに、二十五までには結婚したいと思っていた。すでに今、予定を一年オーバーしている。
彼は机に腰掛け、絡めた両手を膝に置き、眼鏡の下でニッコリ笑う。
悪魔のようだと、咄嗟に思った。
「女性には、年齢が問題だと聞きますからね。焦った先生が詰まらない男に持って行かれるのは、ごめんです」
「あのね、長塚くん。男の子には分からないかも知れないけど、女の結婚には出産年齢と言う見えない壁があってね? 母親からのプレッシャーと相まって絶妙なコンビプレーで追い詰めてくるのよ」
「安心して下さい。ちゃんとご挨拶しますよ。親御さんには受けが良いんです、僕」
思わず取り乱し、本来は生徒に聞かせられないような事を口走ってしまった。それでも、長塚は冷静だ。楽しげでさえある。
確かに、保護者受けはいいだろう。否定はしない。否定はしないがそれは多分、成人して久しい娘の結婚相手として見る親御さんがいないからではないかしら。
収入のない男に、娘の親は厳しいぞ。
そんな事を思い、そしてふと、気付いた。
自嘲が浮かぶ。
「ムリだわ」
「先生?」
醒めてしまった何かを察して、長塚が眉をひそめる。
何を、真剣に考えているのだろう。
こんな組み合わせ、あり得ない。教師と生徒、その関係性がなかったとしても。わたしたちには、年齢差があり過ぎる。
何より、彼は未成年だ。いずれは成人するけれども、その分、わたしだって年齢を重ねる。この距離が縮まる事はない。
年齢が全てではないけれど、離れたものを埋めるにはきっと何かが必要で、わたしはそれを持たなかった。
感情を込めないよう、注意を払う。冷たく聞こえるように、興味を失ったように。
「ムリよ。第一わたしは、長塚くんの事が好きじゃないもの」
「……残念です」
顔を伏せ、彼は言う。息をこぼしたような、聞こえるかどうかのささやかな声。苦しいのか、制服の襟に手を掛けている。
これでいい。
校内で顔を合わせる間は、辛いかも知れない。でも、彼は高三だ。卒業して会う機会がなくなれば、きっとすぐに忘れてしまう。わたしの事なんか、すぐに。
――身勝手だ。
卑怯さを思いながら、背を向けた。
はね付けたのはわたしなのに、そしてそうすべきなのに。胸のどこがか、チクリと痛む。
もしも自分さえよしとすれば、生徒と恋愛できてしまう人間なのか。胸が痛いのは、どこかでそれを望んでいるからか。
全身の血が、逆流しているみたいだった。
凍えながらに溶けそうで、まるで熱病に侵されたようだ。
ドアノブに掛けた手が、震えていた。上手く力が入らなかったが、どうにか回した取っ手を引く。開き掛けたドアを、誰かが閉じた。強く。バタン、と。
部屋の中には、わたしたち二人しかいなかった。だから普通に考えれば、この腕は長塚のものだろう。
けれども、違和感があった。
すぐ背後に、体温を感じる。ドアを押さえた手はそこから伸びて、もう一方の手は、わたしのウエストに回っていた。捕らえるように。
違和感は、しかしもっと視覚的なものだった。腕だ。腕が、制服に包まれていない。
はっとして振り返ると、予想通り。長塚は制服もシャツも、脱ぎ捨てていた。素肌のシルエットが、赤く染まった逆光に浮かぶ。ズボンはかろうじてはいていたが、緩めたベルトの間から下着らしきものが見えていた。
半裸の生徒に抱き締められて、何だかもう、泣きそうだ。わたしの人生、終わった気がする。
うっかり諦めそうになってしまうが、しかしまだ、すべき事が残されていた。
そう、誰かに見付かってえらい騒ぎになる前に、この状況から脱け出して脇目も振らずに逃げ切る事だ。そう気付き、わたしは暴れた。
「離しなさい!」
「まぁそれは、先生次第です」
力いっぱいの抵抗にも涼しい顔で、長塚はニヤリと笑う。服は脱いでも眼鏡を残したその顔が、恐い。
恐い、と思った時にはわたしの両足が払われて、けれどもやんわりと床に倒れ込んだ。長塚の仕業だ。何事か、と見開くわたしの目の前で、彼は悪びれもせずにほほ笑んで見せる。
「体育の成績も良いんです、僕」
そうか。体育の授業に柔道を取り入れた奴、今すぐわたしに土下座して詫びろ。
授業の成果か、かなりたやすく押し倒された。床の上に転がって、長塚は全身でわたしを閉じ込めている。両手は自由だったが、自由なだけでは抜け出せない。
これはもう、男性からは大ブーイング。股間を狙ったあの禁じ手しかない。そう思い詰めた頃、ポツリと言葉が降ってきた。
「どうして、僕では駄目なんですか」
それがまるで囁くようで、切ないようで。思わず息を止め、その顔を見上げた。
分からない。
長塚は、こんな生徒だっただろうか。
約二年、委員会の顧問として彼を見てきた。
冷めたところのある子だった。真面目だし、面倒見もいい。風紀委員として厳しい一面はもちろんあったが、それでも慕われ、いつも人に囲まれていた。
だけど、なぜだろう。眼を離すとどこかに消えてしまうような気が、いつもしていた。
誰にでも好かれるけど、誰も特別ではない。誰でも受け入れるふうでいて、彼の中には誰も入れない部分があった。そしてそんなものがあるとは気付かせもせず、あのほほ笑みで隠している。
そう知ったのは、いつだっただろう。
委員会には定例会議がある。定例だけに緊急の議題がのぼる事は稀で、結果、会議として成り立たない事もあった。
そんな時には、決まって委員長の周囲に人が集まる。雑談をしながらも、長塚は手を休めない。だから皆も自然と仕事をこなし、煩雑な業務が次々に片付いて行くのは魔法のようだった。
わたしはいつも部屋の片隅で、その様を眺めた。顧問と言う立場にはあったが、委員の事に口を出す事はほとんどない。彼らは――中でも特に長塚は優秀で、教師の期待を裏切った試しはなかったからだ。
たかだか四年目の教師に風紀委員を任せると言うのは、そんな事情があったからだろう。まさに、お飾りの顧問だった。
けれども、委員会に顔を出すのは面白かった。子犬のようにじゃれ合う生徒たちが、時折はっとするほど鋭く真摯な一面を覗かせる。その姿を眩しく思い、眺めるのが好きだった。
傍観者、だったからか。わたしがそれに気付いたのは。
長塚はいつも中心にいた。相槌を打ち、言葉を交わし、紛れ込んだ冗談には声を立てて笑う。それは控え目な笑い声ではあったけれど、よくある光景。
だが、ふと空白の生まれる事があった。周囲の誰もが、長塚に注意を払わない一瞬。その空白に、彼は窓の外を見た。手を止め、笑みを消し。温度のない瞳で。
あぁ、何て退屈なんだろう――。そんな独り言が聞こえてきそうな。
らしくない。釈然としなかったが、この時点ではそれだけだった。自分の間違いを知ったのは、一呼吸置いたあと。
視線に気付いた長塚が、驚きに満ちた眼でわたしを見た。
この瞬間、知った。
こうも完璧に優等生を演じられる人間がいるのだと、知ったのだ。
「どうして、わたしなの」
こんなふうに、誰かを求める子だっただろうか。
今さらながらに不思議になって、わたしは問う。返事とも言えない返事は、触れそうなところから降ってきた。
「大好きですよ、先生」
「生徒に手を出す教師が好きなの?」
「好きになったのがたまたま教師で、高校生らしく、好きな相手に手を出したいだけです」
手を出すのが高校生らしい事だとは、今の今まで知らなかった。世の中、まだまだ知らない事ばかりだ。
「高校生の自覚があるなら、教師にこんな事をするべきじゃないって分かるわね。今すぐ、どきなさい」
「生徒じゃなくなったら、僕の事なんて気にもしない癖に」
何を言っているんだろう。
それを問う前に、全身に重さを感じた。自分で支える事をやめ、長塚がわたしの上に体を投げ出したのだ。
ああ……、マズイ。ホントに、マズイ。めまいがしそうだ。
わたしの胸に伏せられた頭が、言葉を続ける。その吐息の熱を薄いシャツを通して感じ、今すぐ逃げ出したくなってしまった。ぞわぞわとしたものが込み上げて、居心地が悪い。
こちらの気も知らず、長塚は熱い息でぐずり続ける。
「委員長を後任に譲って、受験して、卒業して、大学へ行って、会えなくなる。そうしたら先生は、僕を思い出しもしない。そうでしょう?」
「そんな事は……」
忘れるでしょう?
そう言われたなら、否定できる。忘れはしない。けれど、思い出す事もない。眼に触れず更新しない記憶は、日常に埋もれて沈んで行く。
言葉に詰まった。
「だから、決めたんです」
「決めた?」
「在学中に、大木先生には僕達の交際を承認して頂きます」
そうか。勉強以外には疎いんだな、この頭は。
急に意味の分からない事を言い出した長塚に、わたしは同情を寄せた。だが、そんなものは必要なかった。この胸に載った重たい頭は、標準以上の能力を備えていた。
長塚は床に密着したわたしの背中に腕を差し入れ、抱き締める形でぐるりと体を回転させた。自分の体重を利用して、わたしたちの位置を入れ替えたのだ。
反動で、彼の素肌に顔をうずめてしまった。慌てて首筋から離れ、跳ねるように体を起こす。もっと距離を取ろうとしたら、それは意外にガッシリとした両腕に止められた。
つまりわたしは今、半裸の男子生徒に馬乗りになっている。
閃光が走った。
夕日は赤い。天気が崩れた訳ではない。だとすると、これはカメラのフラッシュだ。
ざっと血が引く。
「新聞部!」
「ご苦労様」
妙に落ち着いた長塚の声に、壁際に並んだロッカーがガタガタと揺れる。そして制服姿の生徒たちが、次々に転げ出してきた。
あまりの事態に、言葉が出ない。
……いや、待って。何人いるの。そしてどうして、誰もわたしを助けないの。
新聞部にスクープされたと思ったのはどうやら先入観で、デジタルカメラを持っていたのは見覚えのある風紀委員の生徒だった。
「メモリーカードを出しなさい!」
「先生、すいません! ぼくらにも事情があるんです!」
わたしに胸倉を掴まれた生徒は涙を浮かべ、仲間にカメラを投げてまで抵抗した。それはあっと言う間に長塚の手に渡り、どう見ても不祥事の証拠写真にしか見えないデータは悪の手に落ちた。
ああ、どうしよう。
へたへたと崩れ落ちるわたしに、周囲の生徒たちがそっと手を合わせる。その表情はどれも、憐憫を色濃くにじませていた。
誰からも慕われる委員長。その評価を、少し改める必要がありそうだ。単に慕われているだけでもないようで、利用すると言う事もあるらしい。委員たちの様子に、それを察する。
どんな弱みを握られているんだ、君たちは。
「長塚くん。言ってもムダだと思うけど、データをよこしなさい」
「無駄だと解ってて一応試す先生も、好きですよ」
着直したシャツのボタンを留めながら、ニッコリと笑う。
「でも、そうだな。キスと引き換えって話なら、乗らなくもありません」
写真の入った小さなカードを指先につまんで、悪魔のような提案をする。
この委員長の魔性ぶりに、遠巻きに見ていた女子生徒が悲鳴を上げる。「黄色い声」と表現するべきだろう。しかし今、どこに、テンションを上げる要素があったのか。理解に苦しむ。
正直に言う。証拠と引き換えの提案には、思わず心がぐら付きそうになった。が、チラリと見えてしまったのだ。視界の隅で、さっきの生徒が別のカメラを準備するところを。
どこまで事前に想定して指示してあったのかは知らないが、用意周到にもほどがある。秀才なんか、大嫌いだ。
だが長塚、教師としてこれだけは言いたい。これは完全に、恐喝の手口だ。君の将来を、先生は少し心配している。
「どうします? 先生」
「する訳ないでしょう!」
叫ぶと、嫌々協力しているはずの生徒たちからも「なんだ、しないのか」と落胆ムードが漂った。
それでも首謀者は、余裕の表情を崩さない。きっと、次に仕掛ける悪巧みを頭の中で組み立てているに違いない。
うんざりだ。もう疲れた。
それは本音。だけど、別の面でちょっと安心したのも事実だ。
だって、長塚なのだ。完璧な生徒。いい子過ぎる彼の、もろさが心配だった。けれども今、その印象は跡形もない。何と言うか、キャンプ地でジェイソンに遭っても長塚ならば勝てそうな気がする。
これで自分に関係なければ、最高だ。
「大体、最初に言ったわよね。お願いって。お願いって事は、わたしに選択権があるんでしょ? 強制する意味が分からないわ!」
「あぁ、いえ。あれは単に、僕がお願いしている内に承諾して下さった方が、先生の苦痛が少なくて済むと言うだけです。選択権はありますが、選択肢はありません」
「先生が悪かったわ、長塚くん。今から、人権について学び直しましょう」
「僕の為に時間を割いて下さるなら、朝までだって先生にお付き合いしますよ」
打てば響く。
三年の学年主任は、長塚透をそう評価していた。ある意味で、同意見だ。何を言っても言い返してくる。
「長塚! 真面目に聞きなさい!」
「情熱的に呼んで下さるのは嬉しいんですが、どうせなら下の名前でお願いします。どうぞ? 透ですよ」
イライラをぶつけて呼び捨てても、この調子だ。勝てる気がしない。
あとは飽きてくれるのを待つしかないが、わたしがむきになればなっただけ、それは難しくなるだろう。かと言って、無視もできない。挑発するくらい、長塚には簡単な事だ。
頭を抱える。優等生が好まれる理由が、分かった気がした。頭がよくて性格が悪いと、こうも面倒だとは思わなかった。正直、手に負えない。
告白するのは癪だけど、一つだけは確実に、彼の望み通りになるだろう。
卒業しても、例えもう二度と会わなくても、それは続く。
わたしはこれから先、一日だって、長塚透を思い出さない日はないだろうと思うのだ。
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