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第一章
アンリの告白
 カヤの家を後にし、俺とアンリは一緒に歩いていた。アンリの家はカヤの家をはさんで、俺のマンションと反対側だ。だが、もう十二時も近い。アンリは、必要ない、と拒んだが、俺はアンリを送ることにした。
 だが……アンリはずっと黙っていた。いつも、頼まずともべらべら話し、『沈黙という言葉は私の辞書にはない』なんて叫びそうなものなのだが……

「どうしたんだ?」

 たまらず、俺は尋ねた。アンリと沈黙? 気持ち悪くて仕方がない。

「……」

 アンリはなにも返事をしない。
 実際、見当はついているんだ。さっきのカヤの言葉だろう。

「いやあ、にしても・・・」と、俺はぎこちなく言った。「まさか、カヤがあんなにお前の台本に影響されてるとはな! いや、よかったじゃねぇか。俺も、一度、じっくり読み直そうかな」
「……」

 返事がない。
 まいったな。どうすりゃいいのか分からない。

「会いたくなったの」
「……え?」

 それまで、黙って前を歩いていたアンリが振り返った。
 そのアンリの表情は、今まで見せたことがないほど女らしくて俺は戸惑った。

「白馬の王子様」
「白馬の王子? なんの話だよ?」

 丁度、橋にさしかかったところだった。
 アンリは、橋の手すりに歩み寄り、よりかかった。

「あの劇ね……実話なのよ」
「……」
「あれ? 驚かないの? 本当よ!?」
「あ」

 いかん。うっかりしてた。
 俺は思い出したかのように「ええ!?」と付け足した。
 あの劇の台本を読んだとき、それは感づいていたんだ。高校に入ってから、こいつとかかわるようになって……アンリの『カイン』への興味は異常だったしな。
 だが、そんなことアンリは知るはずがない。そもそも、俺がそのカインだと知ったら……発狂でもしかねない。

「もちろん、年齢は変えてるけどね。
 本当は、あれはわたしが四歳のときだった」

 アンリは俺に背をむけ、川を見つめながら話し始めた。

「三歳のときにさらわれて、売られたの。
 子供を亡くしたという金持ちにね。
 なにか……特殊な催眠術で記憶を変えられてたんだって。
 だから、自分がさらわれたことさえ分かってなかった」

 一般的なやり口だな。俺は心の中で相槌をうった。

「それから一年間、偽者の親に育てられてたの。
 ひどい親だったよ。
 助けられてから聞いたわ。その人たち、前の子供は自分たちが虐待で殺したんだって。
 それでいて、また子供がほしいなんて……とんでもないことよね」

 口調も雰囲気も、いつものアンリではなかった。十年以上も前でも、その怒りはおさまることはないんだろう。

「もしかしたら、私も死んでたかもしれない。
 あのまま、あいつらに育てられていたら……きっと、いつか死んでた。
 そこにね、カインが現れたの!」

 アンリは振り返った。その表情は、晴れやかだ。
 
「『君を迎えに来た』って言って、私の催眠をといてくれたの。
 こんなふうに……」

 そう言って、俺に歩み寄り、俺の目の前で中指をパチン!と鳴らした。

「それから……カインのお兄ちゃんは私を本当の親の元へ返してくれた。
 あの人は、私の白馬の王子様なのよ」

 冬が近づいている。俺とアンリに、冷たい風が吹き付けてきた。
 アンリは、髪を手でおさえた。

「ずっと願ってるの。あのカインのお兄ちゃんに会えますように、て」
「……会って、どうするんだよ?」
 
 俺の質問に、アンリは大きなため息をついた。

「本当に、鈍感な奴」
「え?」
「いいわよ。あんたにそういう繊細さは求めてないんだから」
「どういう意味だよ?」
「会えるだけでもいいの、ていう乙女な気持ちは分からないわけ?」
「……」

 俺は、苦笑いをうかべた。よく、分からない。

「カヤっちに同情するわ」
「え、カヤ?」
「なんでもないわよ」

 カヤがなんだって? あまり聞こえなかった。
 アンリは、気を取り直すように「とにかく!」と強い口調で切り出した。

「カヤっちにもこの話、したのよ」
「え? なんで?」
「劇にどうしてもでてほしかったから、打ち明けたの。
 この劇を大成功させたいんだって。
 カインのお兄ちゃんが……どこかで噂を聞くくらいに」

 アンリは顔を赤らめた。

「!」

 俺は、ハッとした。これまでのアンリの不可解な行動の理由が分かった気がした。
 そうか。いつもカインの劇や映画やらをつくっていたのは……どこかにいる、そのカインに気づいてもらうためだったのか。

「それで、お前……必死にこの劇を大規模に……」
「そうよ。カインを題材にした劇なんて、絶対に話題になる! 
 というより……問題になる。悪い意味で、ね。
 でも……必ず、カインのお兄ちゃんの耳にも届くわ。
 だから……」
「そうか」
「分かってるわ。そんなことしても、会えるわけない、て思ってるでしょ。
 いいのよ。どうせ、気休めよ」

 あいかわらず、顔をあからめてアンリは強がった。こういうかわいらしいとこもあるんじゃんか。もっと、学校でもそんな顔してれば、モテるだろうにな。

「気休めじゃないさ」
「え?」
「ちゃんとそのカインにも伝わるよ」
「……」

 俺から、そんなことを言われるとは思ってなかったのだろう。アンリは目を丸くしてぽかんとしていた。

「で……」と、俺は声の調子を変えていった。「カヤが、あんなこと言ったもんだから……いろいろ思い出したわけか?」

「……そんなとこよ」

 アンリは、口をとがらせてつぶやいた。単に強がりなのか、『鈍感、鈍感』とバカにしている俺に言い当てられて悔しいのか……アンリは、おもしろくなさそうな表情を浮かべた。

「もう……なんで、あんたにこんな話したんだろ」

 そうはき捨てて、アンリはくるっと背を向け、また歩き出した。

* * *

「なあ、アンリ……お前、幸せか?」

 突然、和幸は、アンリの背中に問いかけた。
 たった一言の質問なのに、和幸は妙に緊張していた。アンリにこんなこと聞くのが照れくさいのもあったのかもしれない。でも、それよりも……答えを聞くのがこわかった。
 和幸は、ずっとこの質問をしたかった。特別アンリに、というわけではない。自分が助けた子供たち――カインに助けられた子供たちに聞きたかった。
 知りたかったのだ。自分がしてきたことが、意味のあることなのか。
 助けたとしても、子供たちにはつらい未来がまっているだろう。過去と向き合わなければならない。理不尽な社会で生きていかなければならない。
 子供たちは、それでも、幸せでいてくれてるのだろうか。和幸には、それがずっと心配だった。

「……」

 アンリは立ち止まり、すうっと息を吸った。

「もちろんよ!」と大きな声で答えると、和幸に振り返る。

「だって、私がちゃんと幸せにならなきゃ……
 助けてくれたカインのお兄ちゃんにあわせる顔がないじゃない」
「!」

 なぜか、和幸の胸がチクっと痛んだ。間違いを正されたような感じだった。 
 アンリは、優しい表情を浮かべて続ける。

「せっかく助けてもらった命だもの。
 せいいっぱい幸せにならなきゃ恩返しにならないよ」
「……恩返し」
「あ、今のセリフよくない? 台本にいれようかな」

 そんな冗談を言うと、アンリはまた背を向け、歩き出した。
 和幸は、しばらく立ち尽くした。

「幸せが、恩返し……」

 ふと、藤本の顔が脳裏によぎった。
 それは、『君たちは、ここでちゃんと幸せに暮らしているのだろうか』と和幸に尋ねた、夕べの藤本の顔だった。
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