ある神話をもとに書いていますが、実際の神話とはまったく関係はありません。
また、実在の都市も登場しますが、全てフィクションです。実在の国、都市とはまったく関係はありません。
薄暗い神殿。石造りの冷たい壁に囲まれ、ゆれる蝋燭の火がぼんやりと内部を照らしている。
そこにたたずむ少年が一人。小さい体に重々しい黒いマントを着込む、浅黒い肌をした幼子だ。彼は、じっと中央の大きな箱を見つめていた。
少年の周りには、同じく黒いマントに身を包んだ、なんとも怪しい老人たちが息をのんで箱を見つめている。少年は、老人たちを見回す。マントでしっかりとは見えないが、皆、どこか、見覚えのある老人たちだ。
ふと、ぽん、と誰かが少年の肩をたたく。
「大丈夫?」
少年が振り返ると、やはり黒いマントに身を包んだ女性が微笑んでいる。フードで頭を隠しているが、下から覗けば、その優しい顔を確認することができる。少年は、彼女の顔を見ると、安堵して微笑む。
「少し寒いだけだよ、母さん」
「そう」
彼女は、ぎゅっと息子の肩をつよく握り締めた。
少年には、母親がなぜ急に表情をこわばらせたのか分からなかった。四歳の少年には、運命を知るにはまだ幼すぎたのだ。
「フォックス」
箱のほうから、低い声が聞こえた。フォックス、と呼ばれた少年は、名前を呼ばれて振り返る。箱の傍に立ち、こちらを見つめている男は、おもむろにフードをおろす。二十代後半の若い顔立ち。浅黒い肌に彫りの深い整った顔。顎の無精ひげが、清潔感のある顔立ちに似合っていない。
「フォックス、お父さんのところへ行きなさい」
母はそう言って、少年の背中をそっと押した。周りの老人たちもその様子をじっと見守っている。フォックスは、多くの視線を浴びながら、箱のほうへと歩みを進める。
「フォックス・アトラハシス」
少年の父親は、息子の名前をゆっくりと、呪文を唱えるかのように口にした。異様な緊張感に包まれ、フォックスの歩みはなんだか遅くなる。
フォックスは、父親に促されるまま、箱の前に立つ。この箱の存在は昔から知っていた。かくれんぼをしたとき、何度かこの箱の中に隠れようとしたことがある。しかし、そのたびに、どこからともなく『誰か』が現れ、フォックスを止めた。そして、すぐに父親の元へ連れて行かれ、何時間も説教をされたものだ。三、四回それを繰り返し、やっとこりたというのに、なぜいまさらこの箱の前に立たせるのだろうか。フォックスには分からなかった。
父親は、そんな息子に説明をする様子もなく、周りを囲む、二十人近くの老人たちを見回す。
「アトラハシスの子供たちよ。
我らが偉大なる神、エンキからの神託がくだった。
再び、我々、人類に罰が下されようとしている」
「……父さん?」
父親の、こんなに恐ろしく深刻な声は聞いたことがない。フォックスは、おびえた表情で父親を見上げた。しかし、どうやらおびえているのはフォックスだけではないようだ。周りの老人たちからも不安の声がもれるのが聞こえてくる。
「『パンドラの箱』は、日の出とともに開かれる」
父親はそういうと、箱を見つめた。フォックスははっとして父親と同じく、箱を見つめた。
「パンドラの……箱?」
「我々人類は、今一度……神の『裁き』を受けることになる。人間を憎む神、エンリルによって」
父親のその言葉で、老人たちは一気に戸惑いの声をあげた。
「アトラハシスの子孫たる我々の使命は、人類を滅ぼさんとする者たちの手から、この『パンドラの箱』を守ることである。 そして……エンキはさらに私に命じた」
父親はそういうと、難しい表情でフォックスを見下ろす。
「私に、アトラハシスの王から退き……」
その言葉で、老人たちのざわめきはどよめきに変わった。
「なんと!」
「まさか?」
老人たちの視線は、フォックスに集まった。
「……え?」
父親は、覚悟をきめた表情で息子を見下ろしている。
「新しいアトラハシスの王に、我が息子、フォックスをすえよ、と」
「……王?」
時がとまったかのように、その場は静まりかえった。フォックスには、わけが分からなかった。アトラハシスという言葉は、彼にとってはただの名前にすぎなかった。アトラハシスの子供が何を意味するのか見当もつかない。ましてや、王とはどういうことなのか。
父親は、詳しい説明をするそぶりもなく、ただしゃがみこみ、フォックスを見つめた。
「フォックス。『パンドラの箱』が開いたとき、お前に、エンという名を授ける」
「……エン?」
「王、という意味だ」
「父さん、よく分からないよ。いったい、どういう……」
フォックスがすべてをいい終わらぬうちに、父親はまくしたてるように言葉を続ける。
「アトラハシスの王となるお前の役割は、この世界にふりかかる災いをしりぞくことだ」
フォックスの頭は、父親が言葉を発するごとに、どんどんこんがらがっている。その後ろで、彼の母親は、王となる息子の背中をじっとせつない表情で見つめていた。
「アッシュ。日の出だ」
神殿の東側にある小さな窓から外を眺めていた、一人の若い男が父親につぶやいた。彼もやはり黒いマントに身を包んでいる。
父親は、すっと立ち上がると、再び箱を見つめた。
「フォックス・エン・アトラハシス」
フォックスは、その新しい名前に違和感を覚えながらも、父親をゆっくりと見上げる。
「箱が開くぞ」
「!」
窓から日の光が入るとともに、箱から不思議な光がもれはじめる。がたっと大きくゆれ、フォックスは思わず後ろにとびはねた。
「……動いた?」
周りの老人たちも、箱の異様な様子にたじろいでいる。ある者は、急に思い立ち、祈りをささげ始め、ある者はただ呆然と箱を見つめていた。
一瞬、爆発するかのように、まぶしい光が箱からあふれ、急に何事もなかったかのように静かになった。それを見届けると、父親はフォックスの背中を押した。
「今日から、これを預かるのが、お前の使命だ」
ぎいっと、きしむ音とともに、ひとりでに箱が開き始める。フォックスは、目を見開いた。ごくりとつばをのみ、じっと開いていく箱の中を見つめる。
「……え」
箱の中に眠る『運命』に、フォックスはそんな間の抜けた声しかだせなかった。
* * *
神殿の外。止めてある黒いバイクによりかかり、男は日の出を見つめながら、タバコをすっていた。歳は十九。あごには、剃りのこしのひげが無造作に生えている。髪はかるく肩にふれるほどの長さで、ぼさぼさだ。たくましい二の腕をみせびらかすように、白いTシャツの袖をまくしあげている。彼を知らない人間が彼を見れば、ワイルドだ、という印象を受けるだろうが、実際はただズボラなだけだった。
「やれやれ、アトラハシスに先をこされるとはねぇ」
「タール!」
タールと呼ばれた男は、思わずタバコを落とした。あわてて振り返ると、そこには神秘的な顔立ちをした、黒髪の少年がふくれっつらで立っている。その鋼のような黒髪は、少年の腰まで伸び、真ん中で分けた前髪も胸にかかるほどの長さがある。瞳も黒真珠のように、漆黒で大きくクリっとしている。
タールはそのまっすぐな瞳に見つめられて、まぬけな笑顔をもらした。
「レッキ。なに怒ってんだ?」
「ちゃんと伝えたよね? 我らが神、エンリルの神託!」
タールは、やれやれ、とタバコの火を消し、ため息をつく。
「分かってるよ。心配するな」
そういうと、天に手を差し伸べる。空気をつかむように、ぐっと手を握ると、一筋の光とともに、大きな剣が現れる。タールは、力強く剣の柄を握り締め、肩にのせた。
「邪魔なアトラハシスの一族には滅んでもらおうか」
その言葉に、レッキは視線をそらした。
「どうした? レッキ」
「……」
「罪悪感は必要ないだろ。エンリルは、すべての人類を消し去るつもりなんだからな。
そして俺は……その神、エンリルの僕。人類を滅ぼすお手伝いをする運命だ」
タールは、剣を肩におき、神殿へと歩みを進める。
「今から何人殺そうが、何も変わらないだろ」
レッキは何も答えず、落ちているタバコを見つめた。
「タバコ……ポイ捨てしないで」
「あれ? 思っていたのと違う」と、思われた方、ぜひ、あと二、三話、読んでいただけたら嬉しいです。
本編はまた違ったテイストになっております。どうぞ、よろしくお願いいたします。
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