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ドーナツがオッサンに見える件について 春野天使編
作者:春野天使
同じ設定同じ登場人物で小説を書こうという「グループ小説」企画第九弾です! 「グループ小説」で検索をかけると他の先生方の作品も読むことが出来ます。
 あたし、尾山おやまミエル。十七才現役女子高生。
 ミエルって変わった名前だと思うでしょ? これ、あたしのお祖母ちゃんがつけてくれたの。何でも見通せる女になりなさいっていう願いを込めて。何て言うんだっけ? 先見の明を持つってこと。さすがお祖母ちゃんね、お祖母ちゃんはアメリカ人とのハーフだった。もう亡くなっちゃったんだけど、若い頃はものすごくもてたんだって。
 あたしはお祖母ちゃん似ね。容姿だけじゃなくて、名前が示すように頭脳明晰な完璧な女の子よ。
 超ミニのプリーツスカートから伸びた細く長い足。コートを着てると、スカートをはいてるんだかはいてないんだか分からないくらい短い丈。学校中でもこんな短いスカート丈の子はいないわ。
 お店の椅子に軽く腰掛けて、カールした髪をかけあげ、見せつけるように足を組みかえたりする。男の視線を独り占めね。カップルで来てる男の子達がみんな私の足に注目するから、女の子に睨まれてる。フフ、楽しい。この美貌とプロポーション、誰にも負けないわ。同性の友達が一人も出来ないのは、みんなあたしに嫉妬してるせいね。あぁやだ、女の嫉妬って。
「ミエルちゃーん! お待たせー!」
 一人で考え事に耽っていたら、明彦あきひこがトレーを運んできた。満面の笑顔、しまりのない口元。彼は櫻井明彦さくらいあきひこ。クラスメイトであたしの彼。
 容姿はまあまあってとこ。あたしとはちょっと不釣り合いかもね……。けど、良いの。
 明彦は、某外資系会社の社長の息子。ちょっとおバカでも、お金はたっぷり持ってる。それに、彼はあたしに夢中。明彦といればセレブ気取りが出来るから最高!
「遅かったじゃない」
 あたしはツンとすまして、明彦をチラリと見る。トレーの方はまだ見ない。
「ごめん、ごめん」
 明彦はすまなさそうな顔で、そっとあたしの前にトレーを置く。
「全種類注文するの時間かかったんだ」
「そう……」
 何気ない風でトレーの方へ視線を落とす。
──ギャーッ!
 あたしは嬉しさのあまり絶叫しそうになる。トレーの中には山盛りの『ドーナツ』。あたしはドーナツにくぎ付け、もう目が離せない!
「ミエルちゃん、どれを食べる?」
──全部食うに決まってるだろがっ!
 明彦に血走った視線を走らせる。いけない……ドーナツのことになると、我を忘れちゃうあたしってダメね。
「う〜ん、ピンクのコーディングのにしよっかなぁ?」
 ウフッと笑って、そっとドーナツに手を伸ばす。一口でかぶりつきたい衝動を抑え、あたしは可愛らしくちょっとだけかじってみる。明彦はデレッとした顔で、満足そうにあたしを見て微笑む。
──クーッ! 家に持って帰って一人で一気食いしたい!
 そう思いつつも、あたしは上品な笑顔を崩さず、ちびりちびりとドーナツを味わう。
 『ドーナッツ』。あたしにとって、この世の中で命の次に大切なもの! あぁ、神様、思う存分ドーナツを食べられたら死んでも構いませんっ! とたまに叫びたくなる。


「いいなぁ〜……最高!」
 あたしが抑えに抑えてドーナツをかじってるのを見ながら、明彦は目尻を下げっぱなしでジュースをすすっている。あたしには信じられないけど、明彦はドーナツが嫌い。ドーナツ店に来ても、いつもジュースしか飲まない。ま、ドーナツを独り占めできて、あたしには良いんだけど。
「僕、ミエルちゃんがドーナツ食べてる顔が一番好きだよ。もうずーと見てたい」
 明彦、なかなか良いこと言う。あたしは片手でカールした髪をいじりながら、明彦に笑みを送る。
「そう? 明日もまた来ようねぇ」
「もちろん! あれ、ミエルちゃん、トレーの下に何かチラシが入ってるよ」
 明彦はストローを噛みながら、ドーナツがのってるあたしのトレーに目をやる。目一杯ドーナツがのっていたトレーもドーナツが減って、隙間からチラシの文字が見えた。
「ホントだ……」
 あたしは、ドーナツをよけて文字を読んでみる。
 『特製ドーナツ!! 二月十八日日曜日に限り限定発売!』大きな赤い文字があたしの目に飛び込んでくる。
「限定発売!」
 思わず大声を上げて立ち上がっていた。店のカップル達があたしに注目する。
「……ドーナツの限定発売?」
 声を落とし、椅子に座る。平静を装いながらも、あたしはサッと素早くトレーからチラシを引き抜いた。
──買わなきゃ! 食べたい! 絶対食うぞ!!
 ついつい血走った目で、食い入るようにチラシを見つめてしまった。『限定』ものに弱いんですぅ……。
「ちょっと、食べてみたいなぁ〜」
 あたしは感情を抑え、どうってことないって風に甘えた声で明彦に言う。
「明彦君、買いに行こうねぇ」
──明彦ならあたしのために並んでくれるだろ。ここのドーナツって人気あるから、多分買いに来る人多いだろうし。 
「うん! もちろん!」
 明彦は即答する。さっすがあたしの彼氏。
「あっ……ちょっと待って、二月十八日?」
 明彦はふと考える。
「ごめん、ミエルちゃん。僕、十八日から一週間パパとニューヨークに行かなきゃならないんだった」
「え? ニューヨーク?」
 あたしの脳裏に不安がよぎる。あたしを置いてそんな遠くへ行っちゃうの?
「うん、会社のニューヨーク支店 をパパと見に行くんだよ。将来のために僕にも見せておきたいんだって」
 明彦はちょっと嬉しそうな表情をする。
──ニューヨークとあたしとどっちが大事なのよ!
 いや、ニューヨークとドーナツとどっちが大事なのよ! と叫びたい気持ちだった。
「そっかぁ……じゃ仕方ないよね」
 気持ちとは裏腹に、あたしはどうってことないって顔で答えた。
 並んでみるか……特製ドーナツのためなら何だって出来る!


 あたしは張り切っていた。
 特製限定ドーナツを食べる日を楽しみにして。カレンダーの十八に大きな赤丸つけて。その日が来るのを夢見ていた。一日十個は食べるドーナッツを五個にして、その日のためにちょっぴりドーナツ断ちもしたりした。
 なのに……前日の土曜日に、あたしはインフルエンザでダウンしてしまった……。四十度近い高熱。頭がグルグル回り最悪の気分。食欲も全くなかった。
 ただし、ドーナツは別。どんなに気分が悪くてもドーナツだけは食べられるあたし。
──あぁ、食いたい! 食いたい! ドーナツ!
 熱にうなされながらも、あたしは心の中で叫んだ。いつもドーナツを買ってくれる明彦はニューヨークへ行った。両親は仕事で留守。クーッ! こういう時のためにもっと友達作っとけば良かった……。
 けど、負けないわ! インフルエンザが何よ! 明日の朝までには熱を下げて見せる! そう意気込んで、あたしは眠った。翌朝には治ってますようにって、可愛くお祈りしたりして。
 が、翌朝の日曜日。熱は四十度を超していた。死にそうになりながらも、あたしは必死で耐えた。
──負けない! 負けないわ! ドーナツのためならこんなの平気よ!
 あまりのだるさに言葉に出来ない。心の中で叫びながら、あたしは気合いで起きあがった。いつも一時間以上はかけてる髪のカールとお化粧も省略。眉毛も描いてないスッピンの顔で、パジャマの上にロングコートだけを羽織ると、あたしは這うようにして家を出た。
──あぁ、もうこんなにお日様が高い……もう、間に合わないかもしれない。
 途中弱気になりながらも、自分を叱咤激励して、あたしは頑張った。
──あたしは尾山ミエル! ドーナツ命の女の子なのよ!
 這うように歩く。最後の方、本当に這っていたかもしれない……。
 ドーナツ店の看板を目にした時は、死ぬほど嬉しかった。神様はあたしを見捨てなかったって思った。けど、やっぱり思った通り人がたくさん並んでいる。間に合うかな?
 最後の力を振り絞りあたしは、列の最後尾に並ぼうとした。その時、向こうからものすごいダッシュで走って来る陰が!
 ドッシーン! 次の瞬間、あたしは誰かとぶつかっていた。ただでさえ熱があるっていうのに、体から火花が散りそうな勢いだった。
「いっ、痛ーい……」
 道に倒れ苦痛で顔を歪めたあたし。その時だった。
「ありがとうございました! 特製ドーナッツ完売致しました〜!」
 妙に明るい声がする。お店の店員の満面の笑顔……。あたしが転んでいる隙に、最後の一人が列に並びあの夢にまでみた特製ドーナツをゲットしていたのだ。
「嘘……」
 あたしは唖然として、店員が店に入って行く姿を見つめた。信じらんない! このあたしの苦労はどうなるの? くやしー! この屈辱にあたしは涙が出そうになった。
「ウゥゥ……」
 地面にひれ伏したあたしの耳に、不気味なうめき声が聞こえてきた。
「……?」
 あたしのすぐ側に、中年の小太りのおじさんが転がっている。さっきあたしとぶつかったのは、このオヤジ? このオヤジとぶつかりさえしなければ、あたしは特製ドーナツを食べられたはず。次第に怒りがこみ上げてきた。
「ちょ、ちょっと!」
 高熱も忘れて、あたしはオヤジを睨み付けた。オヤジは起きあがってあたしを見つめる。薄くなった髪の毛。脂ぎった顔。あたしは憎しみを込めた目で見続ける。
「あんたのせいでっ!」
「す、すみません!」
 オヤジは怯えた様子でそう言うと、土下座して謝った。気の弱そうなオヤジだ。何も土下座までしなくても……ちょっと睨み利かせすぎたかな?
「あ、いえ、そんな謝らないでください」
 あたしは、いつもの可愛い声を出す。
「はぁ……しかし、特製ドーナツが」
 オヤジはいかにも残念そうな表情で店の方に目を向ける。おのオヤジも狙ってたのか……。オヤジはハァーと深いため息をもらした。
「特製ドーナツ……」
 あたしもハァーとため息をつく。一気に熱がぶり返してきそう。オヤジはもう一度あたしに向かって深く一礼すると、とぼとぼと歩いて行った。その沈んだ後ろ姿を見送りながら、あたしもようやく立ち上がる。帰りの道のりはきつかった。途中で倒れなかったのが不思議なくらい。
 あたしはその日、どうにか家に帰りつき、翌日の晩まで熱にうなされていた。
 ドーナツ、ドーナツ……夢にまで出てくるドーナツ。それと同時にあのオヤジの顔が途切れ途切れに浮かんでは消えていく。一瞬しか見なかったオヤジだけど、あたしには分かる、彼もかなりのドーナツ好きだということが。あいつのためにあたしはドーナツをゲット出来なかったんだけど、あの落胆の仕方。あいつもドーナツに命をかける同志なんだと思った。
 熱にうなされ苦しみながらも、あたしはほんのちょっぴりあのオヤジのことを気にかけていた。特製ドーナツを食べ損ねたあいつを、同じようにかわいそうだと思ったりした。 けれど、数日後。その思いは一変する。


──何であのオッサンの顔なのよー!!
 インフルエンザから復活し、久々に訪れたドーナツ店で、あたしは気絶しそうになった。ケースの中のドーナツが! あの命の次に大切なあたしのドーナッツ達が! 全部、一つ残らず全て、この間のオヤジの顔になっていた。
 頭がクラクラして吐き気がする。まだインフルエンザが治ってないの?
「お客様、どれに致しましょうか?」
 ケースの中のドーナツ、いやオッサンの顔を見つめたまま立ちすくんでいるあたしに、店員が声をかける。
「どれって……」
 あたしは視線を店内に移す。
「……!」
 あまりの光景にあたしは愕然とする。楽しそうにお喋りしながら、カップル達が美味しそうにオッサンの顔を食べていた……。
「……き、今日はやめときます……」
 あたしはようやくそれだけ言うと、キョトンとした店員を残し、大急ぎで店を出ていった。店員は、大常連のあたしがドーナツを買わないなんて信じられないって顔してた。そりゃそうよ。ドーナツを食べない日なんてなかった。あたしは一年中毎日ドーナツを食べていた。ドーナツはあたしの生き甲斐! ドーナツなしの人生なんて死んだも同然。
「なんで、なんで、ドーナツがオッサンなのよー!!」
 あたしは涙を流し、叫びながら走った。なりふり構わず、人目も気にしないで。終わりね……あたしの人生は終わった。十七年間の短い人生だったわね。
 あたしはその場にくずおれ、声を上げて泣いた。

「ミエルちゃーん!」
 しばらくして、あたしを呼ぶ声がした。力無く顔を上げると、明彦が手を振ってあたしの方に駆けてくる。明彦が神様に見えた。
「明彦君」
「そこで何してるの?」
 そうだ……今朝ニューヨークから帰って来た明彦と、例の店で会う約束をしていたのだった。
「会いたかったよ、ミエルちゃん。早くお店に行こう、ドーナツ食べてるミエルちゃんが見たいなぁ」
 ドーナッツ!!
 あたしはサッと立ち上がり、明彦の腕を組んだ。
「き、今日は別のお店に行こうよ」
「えっ? 別な店?」
「うん……たまには場所を変えた方がいいかと思って」
 あたしは体をくねらせ、甘えた声で明彦を見上げる。
「そうだね。ミエルちゃんがそう言うなら」
 デレーとした明彦の顔。
「でも、ドーナツを注文してね」
「……」
 微かな恐怖……あたしだって、あたしだって死ぬほどドーナツが食べたい! あれは、さっきのは幻だったのかも。あのお店のドーナツだから、あのオヤジの顔に見えただけよ。そうよ、きっとそうね!
 あたしは強く自分に言い聞かせ、明彦に笑顔を向けた。
「うん、早く行こう」


──やっぱ、オッサンじゃないよー!!
 いつものお店より、グッと落ち着いた雰囲気の高級感のあるお店。そこでドーナツを注文したあたし。お洒落なお皿に二つのったドーナツ、もとい、オッサンの顔をジッと見つめてフォークを持つ手が震えた。泣きそう。本当に泣きそう!
「ミエルちゃん、どうしたの?」
 明彦は間の抜けた声で、あたしの顔を見て微笑んでる。
「早く食べてみて。きっといつものドーナツより美味しいと思うよ」
 そりゃそうかも……ここのドーナツは大きいし値段が高い。けど、
──オッサンの顔が食えるかー!!
 あぁ、でも食いたい。死ぬほど食いたいドーナッツ! もう一週間もドーナツを食べてない。あたしの瞳に涙が溢れてきた。くっくやしい! ドーナツがオッサンだなんて! クーッ! こいつのせいで! あたしはフォークを思いっきりオッサンドーナツに突き刺した。オッサンのほっぺあたりに突き刺さったフォーク……見てられない。
 あぁ、でも。このふんわりとした感触。これはドーナツよね? そうよ、本当はドーナツなんだから!
 あたしは意を決し、固く目を瞑るとオッサンドーナツを口に運んだ。
「うっ……」
 ポロリとあたしの瞳から涙が流れ落ちる。
「お、美味しいー!」
 舌が溶けるような甘く柔らかい感触! これぞ極上ドーナッツ! ドーナツ断ちしてたあたしは、その絶妙な味に興奮し失神してしまいそうだった。
「ミエルちゃん、何で泣いてんの?」
「……美味しいからよ。ミエル、こんな美味しいドーナツは初めて」
 また涙が溢れ出る。もう一口ドーナツを口に運ぶ。
「何で目を瞑ったまま食べてんの?」
「こ、この方がドーナツを堪能出来るの。いい、明彦君……ミエル、これからは目を瞑ってドーナツを食べることにする」
「へぇ〜そうなんだ」
 明彦は素直に納得する。
「分かったよ。目を瞑ってドーナツを食べてるミエルちゃんもセクシーで素敵だなぁ」
──人の気も知らないで!
 けど、明彦がおバカで良かった。しっかりと目を閉じて、あたしは残りのドーナツを黙々と平らげた。たとえ姿は変わっても、ドーナツはドーナツのままだった。あの丸くてかわいいドーナツの形をもう見ることが出来ないのは、とっても辛い。
 それでも、ドーナツが食べられるなら構わない。あたし、我慢する!


 その日から、あたしのまわりのドーナツというドーナツは、全てがオッサンになった……。手作りドーナツなんて、恐ろしくてとても作れない。ドーナツの形に近づけば近づくほど、あのオッサンの顔になっていくんだから。ショックだ。立ち直れないほどショック。 予想以上に苦しかった。けど、負けない! ミエルは強い女の子よ。一生目を瞑ったままドーナツを食べていくわ。
 そんなある日。
 一人で地下鉄の駅を歩いていたら、偶然ドーナツに出会った。いえ……ドーナツじゃなくて、この間のぶつかったおじさん。なにしろ、全てのドーナツはあのオヤジの顔なんだもん。あたしはドーナツとオッサンの区別がつかなくなってきていた。
 うつむき加減であたしに近づいて来るオッサンドーナツ。オヤジはあたしには気付かず、通り過ぎようとした。
「ちょっと!」
 あたしはオヤジの腕を掴んだ。ビクンとしてオヤジは顔を上げる。
「わ、わたしは痴漢などしてません!──」
 あたしと目があったオヤジの顔がこわばる。痴漢の現行犯逮捕じゃないわよ! ムッとしたあたしの顔を食い入るようにオヤジは見つめる。いえ、その顔はドーナツ!
「ド、ドーナツ!」
 あたしが叫びそうになったことを、オヤジが叫んだ。
「ドーナツ?」
 人の顔を見ながらドーナツなんて! 失礼な! あたしはオヤジを睨む。……待って、あたしの顔がドーナツ? ドーナツはオヤジの顔でしょ……?
「……ドーナツって、もしかしたらおじさん、ドーナツがあたしの顔に見えるの!?」
 オヤジは唖然としたまま、首を何度も縦に振って頷いた。
「あ、あたしは、ドーナツがおじさんの顔に見えるようになったのよ……」
 あたしとオヤジはしばらく顔を見合わせ、突っ立っていた。
「ちょっと来て、話しがあるの」
 オヤジの腕をあたしはグイッと引っ張った。


 地下街のパン屋でオッサンドーナツを買ったあたしは、袋を抱えオヤジと並んでベンチに腰掛けた。袋の中にもあたしの目の前にも、同じオッサンの顔がある……。あたしは、ハァーとため息をつくと、思い切って袋の中からドーナツを取りだした。
「これ……このドーナツが、あたしにはおじさんの顔に見えるのよ!」
 ドーナツを持つ手が震える。
「わ、私には、お嬢ちゃんの顔に見えるんです……」
 オヤジはあたしとドーナツを見比べ、小声でそう言った。
「あの日、特製ドーナツを買えなかった日以来……お嬢ちゃんとぶつかった日以来です」
 オヤジは肩を落としうなだれた。
「あたしの顔……おじさん、もしかしてドーナツのあたしを食べたの?」
 ゴクリと唾を飲み込む。。オヤジにこんなオヤジにあたしは食べられると言うの!?
「あ、はい……いえ最初はただビックリして食べることが出来なかったんですが……ドーナツ好きの私には我慢出来なくて……」
──食べたの!? あたしを食べたの?
「ですが、さすがにこんな若い女の子を食べるというのは気が引けて……私には妻も子もいるんです」
──なっ、何よ! あたしのせいじゃないわ! ってそういう問題?
「我慢しましたが、どうしてもドーナツの誘惑には負けてしまいまして……食べました。しっかりと目を瞑って」
「おじさんも?」
 あたしは沈黙を破って尋ねた。やっぱり、このオヤジあたしと同じドーナツ好きの同志だった。ふっと緊張が解ける。
「あたしも目を閉じて食べてるの」
 あたしはフフッと笑い、オヤジにドーナツを差し出した。
「でも、おじさんは良いよ。あたしの顔のドーナツを食べられるんだから」
「は、はい。そうですが……」
 オヤジは遠慮がちにドーナツを受け取る。今、このオヤジが手にしているドーナツは、あたしなのね!? そう考えるとちょっとキモイ。いえ、かなり……。
 あたしは勇気を振り絞って、袋からもう一個ドーナツを取りだした。あたしには、目の前にいる小太りのオッサンの顔。
「食べましょうよ、一緒に……あたし達同じドーナツ好きの仲間だから」
 あたしは脂ぎったオッサンドーナツを見つめる。
「たとえ、どんな形に見えようと……ドーナツには変わらない」
「そ、そうですね」
 オヤジは顔を上げ、ドーナツを一口かじった。ドキッとする。オヤジにはあたしの顔に見えるドーナツ。けど、あたしにはオッサンの顔……共食いだわ。不気味な光景に必死に耐えながら、あたしもオッサンドーナツをかじった。目を瞑らずに。
「味は変わらずドーナツのままだ」
 オヤジはしみじみと語る。
「会社をリストラされ、職安で仕事を探してもなかなか見付からず、落ち込んでいました。唯一ドーナツを食べることだけが楽しみだったのですが、そのドーナツさえももう食べられないかとも思っていました」
 オヤジは口元を弛める。オヤジだけど、ほんわかとした子供のように純粋な笑顔だった。それは多分、ドーナツの魔法のせいね。オヤジはもう一口ドーナツをかじる。
「だが、良かった。私と同じようなドーナツ好きのお嬢ちゃんに会えて」
「あたしも良かった。ドーナツ命の同志に巡り会ったのは初めてだもん」
 あたしも微笑んで、オッサンドーナツを口に含む。じわ〜とした柔らかさと甘み。心が溶けていくような優しさ。オッサンドーナツがとてもキュートに見えてくる。
 あたしとおじさんは顔を見合わせ、笑いながら袋のドーナツを全部たいらげた。


「ミエルちゃん! これどういうこと?」
 翌日。教室に入るなり、明彦があたしの席に駈け寄って来た。珍しく怒ってる。いつものヘラヘラした笑顔が消えてた。
 明彦は机の上に箱入りドーナツを置く。毎日、明彦はあたしにドーナツを買って来てくれる。
「ありがと……どうしたの、明彦君?」
 あたしがさっそく箱を開けようとすると、明彦はケータイをスッとあたしの目の前に差し出した。ケータイの画面には写真が……。
「何よ、これ?」
「それは僕が聞きたいよ。僕宛にこんな写メが送られてきたんだからからね。ミエルは援交してるって……」
 それは、昨日あたしとおじさんが並んでドーナツを食べてる写真だった。クラスの誰かが隠し撮りして、明彦にメールしたのかも……。
「そんなんじゃない!」
 あたしはムッとして明彦を睨む。
「じゃ、どんなの? ミエルちゃん、こんな知らないおじさんと、すごく楽しそうにドーナツ食べてるじゃん……」
 怒っていた明彦の顔が泣きそうになる。クーッ! 誰かがあたしと明彦の仲を裂こうとして、こんな卑劣なことを!……仕方ないか、あたしも明彦もクラスでは浮いた存在だもんね。敵は多いよ。けど、あたしは負けないよ!
「知らないおじさんじゃないもん。この人は、久保田くぼたゆたかさん。ミエルの友達」
「ミエルちゃんの友達?」
 明彦は目を丸くする。
「ミエルちゃんに友達っていたっけ?」
「昨日出来たのよ! 久保田さんはミエルと同じドーナツ好きの同志なの」
「本当にただの友達?」
「当たり前じゃん。ミエルの彼は明彦君だけだもん。今まで嘘ついたことなんて一度もないでしょ?」
「そっか、そうだよね……ごめんねミエルちゃん、疑ったりして」
 明彦に笑顔が戻る。素直でおバカな明彦はかわいい。少し胸がキュンとした。あたしは微笑んで、箱からドーナツを取り出す。
「明彦君も食べてみない?」
「う〜ん、どっしようかなぁ」
 迷ってる明彦を前に、あたしはパクッとドーナツをかじる。美味しい! 朝一番のドーナツって最高ね!
「あれ、ミエルちゃん、今日は目を瞑らないの?」
「え?」
 明彦の問に、あたしは我に返る。そう言えば、忘れてた……オッサンドーナツなんだった……? あたしは手にしたドーナツを見つめて驚く。それは、ふんわりときつね色に焼き上がった、まーるく可愛い普通のドーナツの姿。
──戻ってる! 元に戻ってる!
 もう久保田さんの顔じゃない! あたしはドーナツを見つめ声を上げて笑った。
「だって、やっぱり目を開けて、ドーナツをじっくり見て食べる方が美味しいんだもん」
 不思議そうな顔してる明彦に、あたしは言った。
「今度、久保田さんと三人で、ドーナツ食べに行こうよ」


 ドーナツ好きの年の離れた友達と、お金持ちの同級生の彼氏。
 あたしたち三人がテーブルについてる姿は、他人からどう見えるだろ? 親子かな? でも、そんなことはどうだっていい。あたし達が良いって思ってればいいんだから。
 久保田さんは、明彦のパパの紹介でようやく就職が決まった。持つべきものは、友達ね。久保田さん、気は弱そうだけどとっても親切で真面目だから、きっと上手くやっていけると思う。
「明彦君、何で目隠しなんかしてんの?」
 お皿にのったドーナツを前に、明彦はバンダナで目隠ししてる。
「僕、ドーナツの形が嫌いなのかな、と思って。目隠しして食べたら好きになるかもしれないだろ」
「ふ〜ん、あたし達とは反対の発想ね」
 あたしと久保田さんは顔を見合わせて笑う。
「明彦君もドーナツ好きになるといいね。そうしたら、毎日三人で食べることが出来る」
「そうそう、明彦君もドーナツ命! になると良いわ」
 あたしと久保田さんが先にドーナツをパクついてる中、目隠しをした明彦はゆっくりとドーナツを口にした。味わうようにもぐもぐと口を動かす。
「どう?」
「う〜ん……結構いける」
 ドーナツを飲み込んだ明彦の口元がほころぶ。
「でしょ? 明彦君は食わず嫌いなんだからぁ」
「僕、頭の中で想像したんだよ。ドーナツをミエルちゃんと久保田さんの顔だと思って食べたんだ。そうしたら、なんだかすごく美味しく思えてきた」
「……」
 あたしと久保田さんは沈黙する。
 あたしの顔っていうのは良いけど、久保田さんの顔って……。ま、いいか、美味しく食べられたらいいよね。
 あたしはニッコリと笑うと、思いっきりドーナツにかぶりついた。       了 




ようやく書けました! 今回、一万文字をちょっとオーバーしてしまいました…^^; もう少し省略しようと思えば出来たかもしれません。今回も書いててとても楽しかったです。
ミエルは「オッサン」を「オヤジ」とか「おじさん」とか読んでますが、呼び方は色々変えたりすると思うんで、意図的に変えてます。最後の方はちゃんと名前で呼ぶようになってますね。(^^) 書きながらミエルちゃんに勇気をもらったような気もします。
楽しんで読んでもらえたらと思います。
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