召喚師です。召喚されました。
綾子さんと旦那の出会い編。出会っただけの上旦那視点ではない。
隣の同僚はぐるりと辺りを見渡して、数秒瞳を閉じて黙考し、次に長い睫毛をゆっくり持ち上げ目の前の男に視線を合わせ、口を開いた。
「魔王はどこかな」
「――エ?」
目の前の男はひどく衝撃を受けた顔をして尻餅をついている。私もそうしたい。
――勇者召喚。
私の国はこの術を持ち、また、過去に何度かそれを行った記録も残されている。
“亡国の危機には勇者を頼れ”
王都の民は伝承として。秘匿されたこの術を行う唯一である私たち一族は常識として。
「――ッエ?」
「…………」
しかし召喚師である私も召喚される立場にあるとは全く聞いたことがないのだが、一体どういうことだろう。
***
「え? あれドッキリ? おいおい誰だよ今なら笑って許してやるからさっさと犯人出て来いよーって犯人なんて俺しかいねぇよな分かります。突然光って文字通りいきなり現れたもんねうんねぇわ。つーか、……あれ? え? ちょっと嘘だろあーやべ分かった夢だ夢。べんきょーし過ぎで白昼夢見ちゃってるんだわコレ。ふざけて『救世主よ来い!』ってやったらほんとに来るなんて絶対夢に違いない」
簡素な寝台と机と棚。それしかないのにあとは通路くらいしか残されていない狭い部屋。どうやらこの世界では、召喚は堂々とするものではないらしい。神官どころか兵もいない。過去の事例では、召喚直後の勇者はひどく取り乱す事が多いため、必ず兵で包囲を作るのが通例なのだが。
「つーかあれ、これ俺が悪いのか? 悪いよな。いやいやでもなんつーか故意ではなく事故なわけでマジ神頼みしたら神様降ってきたくらいの感覚なんだがちょ、ホントどーしよう。ほんと、どうする俺!? やべーよこの人らの人生ぶっ壊しちゃったよ俺!? くっそ息抜きで新ジャンル開拓するんじゃなかった。何で漢字のなげー呪文カッコイーとかドラクエ系小説フー! とか思ってたんだよ三日前の俺! 本にあった召喚呪文唱えんなよ一分前の俺! つーか呼ばれて飛び出てくんなよアレ魔王じゃん!」
狭く装飾はない。天井も低い。しかし私の国にはない多様な技術があるようだ。薄い布が垂れ下がった四角い枠組みから覗く空は、うっすら茜色に染まっている。城内なら華燭を灯す刻限だが、この部屋には紐が垂れている一つの丸い灯りがあるだけだ。一つで十二分に明るい。他にも興味を引かれる道具がちらほらある。いったいどういう世界なのだろうか。
「てかこの人『魔王はどこかな』以降さっきからなんも喋んねーんだけど。魔王って何。怒ってる? つか怒るよね普通。でも俺にも事情がありまして。くだらないけど。てゆーかお願いおじさん隣の若い人みたく不自然なくらい落ち着けとは言わないからせめて現実に戻ってきて! 俺でも分かるよその逃避!」
視線を再び男に戻す。通気性が良さそうだがなんとなく心許ない衣装に身を包んだこの男は、どうやら私に頼みがあるようだ。しかし現実逃避だと? 何を馬鹿な事を言ってるのだろう。現実逃避など隣の同僚が同僚になってからもはや日常的に行っているせいで、習慣にさえなっている。不自然なくらい落ち着いている同僚を見習う? 無理だむしろ何でそこまで落ち着いているんだ。召喚師が召喚されるなんて文献にもなければ聞いたこともない。どうして冷静でいられる。召喚師を召喚したこの男の方が取り乱しているくらいだよ。
「ちょ、やばいよおじさん目ぇ死んでる! 腹押さえてるけど胃痛? 薬が――あああこっちの薬っていいのか!? てかお願い誰かこの状況教えて! ついでに今後の方針示して! 指数対数以上に分からん状況だよ!」
慣れた鈍痛を腹に感じながら、痛みに気をとられない頭は混乱している男に親近感を抱く。過ごした年月は隣の同僚の方が長いのに、目の前の男の方がよほどわかりやすい。同僚は難解だ。言動ではなく人柄が。彼はおそらく地上の者ではないと私は思っている。そうだ、このわけ分からん状況下で泰然としている同僚こそ、今後の方針を定めてくれるのではないだろうか。
半泣きで救いを求める男に共感し、全てを同僚に丸投げしていると、ここで本当に同僚が動いた。
さすが同僚。きみは人間じゃないと常々思っていたが、やはりそうだったか。
「お前は私たちを召喚した。魔王の場所を言ってくれ。倒したら帰るさ」
同僚らしい、随分と端的な言葉である。要旨が分かりやすいと言えば分かりやすいが、もう少し言い様はなかったのだろうか。そして内容も内容である。召喚師が魔王を倒せるのなら、そもそも勇者はいらないし召喚術もいらない。加えて断言しているが、帰れる保証はあるのだろうか。
無言で同僚を見ると、意を汲み取ってくれた様で説明してくれた。もう嫌だこの同僚。能力高過ぎて一緒にいたくない。私は人間の同僚が欲しい。
「私たちが勇者を召喚する時は、魔王を倒してもらえば勇者を帰すことが出来ます。同じ原理でしょう」
そんな単純な話だろうかと疑問に思うが、この同僚が言うんだからそんな単純な話なんだろう。正直投げ遣りだ。なるようになれ。
目を伏せれば視界いっぱいに細かく編まれた床板が映った。黄緑と黄色の間の様な、なんとも言えない色の藁の様なものが、びっしり編まれた床板は、やはり私の世界にはないものだ。床“板”と言ったがおそらく板ではないだろう。そんな推測と共にちらりと視線を横に移せば、姿勢良く、しかし余裕を感じさせる立ち姿の同僚。彼なら何が起こったとしても鮮やかに解決してくれるだろう。私はもう知らない。
「え、おじさん目が荒んでんだけど。なんか勝手に悩んで勝手に無理やり結論付けて終わりにしたっしょ。俺超やるから超分かる。……つーか、魔王って何だよ!?」
男は同僚とは違った意味で私の心が読めるようだ。彼もまた私に共感を抱いているらしい。嬉しくない連帯感もあったものだ。
そしてどうやらこの世界に魔王はいないらしい。先ほど魔王がどうたらと口走っていた様な気がしたが、気のせいだったか。それともこちらの魔王は温厚で退治の必要はないとでも言うのか。なら何で私たちを召喚した。……いや、“私たち”と言ったが、おそらくそれが間違いなのだ。きっと男が召喚したのは隣の同僚だったに違いない。私はそれに巻き込まれただけだろう。そうかなるほど、そうだったのか。そうだったのか!
「魔王? 魔王……魔王って言うとハクション大魔王とかしか出てこない……でもあれ現実じゃねぇし。何だよ魔王って。見たことねぇよ……あ、いや見たことないです……」
納得する私の隣で、同僚は無言で男を見つめている。眼光の鋭さに男はびびっているが、私には同僚が怒っているわけではないのが分かってしまう。分かってしまう事が悲しかった。
同僚はおそらく何も考えていない。
凡人がぼーっとするのやぼんやりするのと同じだ。基本能力の高い同僚は、手を抜く時にとことん手を抜く。表情を柔らかく保つ事にも手を抜く。だからこうなるのだ。まったく彼は理解出来ない。どうしてこのタイミングでぼけっとする事が出来るのだろう。召喚されたのは“私たち”ではなく“きみ”なんだぞ。その明晰な頭脳を生かしてこの状況を打破すべきはきみなんだ。だというのに気を緩めるなんて信じられん。だから難解なんだ、同僚は。
「……本当の魔王じゃなくていい。きみの仇敵を教えてくれ」
縮こまる男が可哀想で、つい助け船を出す。自分たちを召喚した男だが、最初の驚愕を過ぎれば別になんとも思わない。むしろ同情さえする。同僚を呼び出すなんて可哀想に。もし召喚対象を選べるなら、私は同僚だけは絶対選ばない。意志疎通が容易にはかれる人がいい。
私の言葉に、男は俯いて考え込んだ。時折ちらりと視線を同僚にやって、びくりと肩を震わせる。
大丈夫だ、別に同僚はきみをとって食おうとしているわけじゃない。何も考えてないだけなんだ。
「あの……もし、良ければ……」
恐々と、男は顔を上げた。しかしなかなか言葉が続かない。そんなに言いづらい事なのか、それとも彼にとっての魔王退治はよほど厳しいものなのか。
黙って彼が口を開くのを待っていると、いくらか躊躇った後、決意の固まった顔で告げる。
「共通一次を、俺の代わりに倒してください」
さて、キョウツウイチジとはなんだろう。
***
キョウツウイチジは試験だった。私は激怒した。
「きみは馬鹿か。試験の代行を頼むだと? 恥を知れ」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「謝る時は『すみませんでした』」
「すみませんでした!」
彼にとっての魔王は試験らしい。難しくて分からないから代わりに解いてくれという、なんとも甘えた事をほざくこの男をどうしてやろう。とりあえず座らせ説教を垂れる。
これが私が若い同僚たちに煙たがられる一因なんだろうと自覚しているが、譲れないところは譲れない。そんな甘ったれた神経で大人になったら目も当てられない。
そう言えば、隣の同僚は他と違い、私を疎ましく思ってはいない様だと頭の片隅で思いながら、すみませんを繰り返す男に言い含める。
「試験を好んで受ける者なんてそういない。みんな嫌だが夢のために必死で乗り越えようとしているんだろう。そんな中、言うに事欠いて試験代行? きみは全国の志同じくする者を裏切るのか。恥を知れ」
「うっ……! すみません!」
「無理だなんだは後回しだ。召喚術を使う前に死ぬ気で勉強しろ。どうせ死なん。血豆が潰れる程筆を握り、物を吐く程教本を読み、寝る間を惜しんで机に向かえ」
くどくど念を押す様に言えば、はい、すみませんと返ってくる。「すみません」が新たな語尾のようである。私も二言目には「恥を知れ」と言っているのであいこだが。
説教が中盤に入ったところで、それまで傍観を決め込んでいた同僚が口を挟んできた。
「ではどうするのですか。私たちで倒さないとなると、どうやって帰ればいいのでしょう」
はた、と止まる。確かにそうだ。いったいどうすればいいのだろう。
再び考え込む私を見兼ねてか(同僚は疑問を呈したくせに、やはりぼーっとしていただけだった)、ややあって、遠慮がちに「あの……」と口を開いたのは、未だ小さくなっている男だった。
「あの、俺の家庭教師になってくれれば……」
「共通一次を倒すのに、協力した事になるんじゃないかと……」と続ける男に、なるほどと一瞬思い、次にはいや待てと思い直す。
「こちらとそちらの知識が同じとは思えない」
この狭い部屋は見知らぬ物だらけだ。平常ならば好奇心を掻き立てる品々が所狭しと並んでいる。
こんなにも世界が違うのだから、試験勉強の内容とて、まったく違うであろう事は想像に難くない。
「彼がさぼれば、尻を叩く役をすればいいではないですか」
またもや口を挟んだのは同僚だった。思わぬところで意見を述べるのは心臓に悪いから止めてほしい。そしてぼけっとしながら話だけはきちんと拾うという技を、いったいどうやって為すのか非常に気になるところである。
しかし、尻を叩く、か。
同僚が呼ばれたにしては随分簡単な仕事である。そもそも召喚術を行う必要すらない仕事だ。それこそ友人にでも頼めばいい。……いやまて、まさか。
もしや、男には友人すらいないのか?
異世界から人を呼び寄せる程、男は孤独なのかもしれない。一度そう思えば、途端に男を憐れに思う。彼が倒すべきはキョウツウイチジではなく孤独感ではないのか。同僚とは歳の頃も近そうであるし、“友人”となるために同僚は呼ばれたに違いない。ますます私はおまけである。しかしそうならやる事は一つ。彼らが話す機会をつくり、仲間意識を芽生えさせる後押しをするのが私の仕事だろう。はっきり言って同僚を選んだのは間違いだと思うが過ぎた事は仕方がない。希望を捨てるな。若い者同士何か通じるものがあるかもしれない。
「そうするか」
男は絶望的な顔をしたが、それが一番よい案だろう。人選は運が悪かったと思って諦めて貰う他ない。
こうして私たちは、男の家庭教師になったのだ。
***
「へー、召喚師なんですか! すげー、そんな職業あるんだ異世界。でも召喚師が召喚されるなんて笑っちゃいますね」
「召喚したのはきみだがな」
「あ、はいごめんな……すみません」
説教の効果は早速出ているようだ。それは嬉しいがこの状況は腑に落ちない。
同僚と男を友人にするための後押しをする。そう決めたはずなのに、これはどういう事だろう。同僚は先程から厳しい顔のままぼけっとしており、私が男を時に叱咤し時に気分転換にのり、同僚に務めさせるはずであったあれこれを一手に引き受けている。何度か水を向けたが同僚は応えなかった。普段から思っていたが、同僚は私と居る時に気を抜き過ぎである。他の同僚と居る時は、むしろ率先して動いて手早く物事を片付けるというのに。もしや私は舐められているのだろうか。しかし同僚の能力は突き抜けているため、怒りも湧かない。同僚に関しては諦めている。私も歳をとったものだ。
「あー分からんやりたくねー」
「分からないなら調べればいい。分からないと自覚する事は悪い事ではない。それからどう行動するかが人の価値を分ける」
「……すげ、ドラマの先生みてぇ」
男は無駄口をよくたたく。それに一々反応して説教するから同僚たちに煙たがられてきた私だが、驚いた事に彼はそうは思わないようだ。真面目に受け止めるその姿には好感が持てる。その真面目さを勉強にも向けてくれれば何の問題もないのだが。
「召喚師ってたくさんいるんですか?」
「両手で数えられるくらいだな。召喚術を操る一族は一つの上、その中でも召喚師と成れる者は少ない」
「へぇ。て事はお二人は優秀なんですね」
「私は努力したよ。きみも努力しなさい」
「はい……」
男は机に向かった。内容が分からない私には、彼がどの程度進んでいるのか分からないが、男はかなりの頻度で話し掛けてくる。それが勉強を嫌がるからなのか、それとも私たちの世界に興味を持っているからかは分からない。一言二言答えて、勉強を促す度に男は嫌々書物と向き合うから、おそらくただ勉強したくないだけだろうとは思うのだが。
「それにしても、なんでお二人が呼ばれたんでしょうね」
「私はついでだ。きみの方が理由を知っているだろうに」
「え!? 知りませんよ! つーか知ってたらこんな事になってねぇよ!」
またおしゃべりが始まった。端的に返せばすっとんきょうな叫びが返ってくる。口調も崩れた。それほど心外だったらしい。
「適応性」
いい加減、いきなり話題に加わる同僚には慣れたいものだ。男に向けていた視線を同僚に移すと、同僚は淡々と言葉を続けた。驚いた。今までとは一転、真面目に考えて話している。その証拠に眼光の鋭さが和らぎ、表情も無表情ではなくそれなりに人間らしい雰囲気が出ている。
さて、それはともかくとして「適応性」とはどういう事であろうか。男も気になる様で「適応性って何ですか」と訊いている。完全に意識を勉強から切り離した様だが、同僚の言葉は私も気になるところである。注意はせずに言葉を待つと、同僚はすらすらと語った。
「世界を行き来するのは、力の強さも頭の良さも、容姿も人柄も潜在能力も家庭事情も関係ありません。必要なのは“呼び出された世界に身体が馴染むかどうか”。これだけです」
「なるほど、一理ある。呼び出された世界と身体の相性が悪ければ、目的を果たす前に衰弱するだろう。確かに過去の文献の事例では、歴代勇者の容姿性格その他はまちまちだが、身体が拒否反応を示したり、文化が肌に合わない事はなかったようだ」
同じ世界でさえ、違う国へ滞在すれば疲れが溜まるものだ。文化の違いと一口に言っても、生活様式が異なるというのはかなり大きな違いを生み出す。それが更に世界も越えるとなると、当人が受ける負荷は計り知れないものだろう。
そこまで考えてはっとした。他人事の様に納得していたが、今現実に自分がその状況に立っている事に気がついた。ああ、つまり私は、すぐにその事実に思い至らなかった程こちらの世界と相性がいいと言うことか。
「ですから召喚対象はまず前提条件として、世界に適応出来る体質である事が重要なのです」
能力その他は二の次です、と続けた同僚に、「軟水も硬水も両方飲める胃が必要ってことか」と男が納得している。妙な納得の仕方であるが、間違ってはいない様な気がするので突っ込まないでおいた。話を掘り下げれば下げる程勉強から遠退いていくのだら仕方ない。納得出来たところで早く机に向き直りなさい。
そんな意味を込めて男を見ると、男の方も私を見返してきた。意図せず数秒見つめ合い、男同士で何をやっているんだと我に返って言葉を紡ぐ。が、音が唇から発せられるかられないかというところで、男の疑問が零れ落ちた。
「じゃあ、俺が召喚したのはおじさんだとして、お兄さんは何で来たんですかね」
彼は何を言っているのだろう。
召喚されたのは同僚で、私の方がおまけのはずである。天才型の有能な同僚を差し置き私が中心に据え置かれるはずがない。……いや、だが同僚の推論が正しいならば、能力云々は関係ない。なら、本当に私が呼ばれたのだろうか。確かに男の尻を叩いているのは私であり、同僚は何もしていない。一歩引いて見れば驚く程簡単に納得出来る事実で埋め尽くされているが、私の感情が、優秀な同僚をただのおまけとして扱うのはおかしいと訴える。
彼が意味もなく呼ばれたとは思えない。なら、彼が来た意味は何なのだろう。
召喚師の任を受けて、もう三十年の年月が過ぎる。過去の召喚師たちの中には、一度も召喚術を行う事無く眠りについた者たちだって数多くいるが、それでも彼らは召喚術に対して膨大な知識と理解を示していたし、私自身もそう自負していた。しかしどうだ。実際は、分かったつもりになっていて、全く分かっていなかった。同僚のいう勇者の条件など思いもしなかったし、どんな仕組みで勇者が選ばれ、どんな理由で勇者が在るのか、私は何も知らないのだ。
黙り込んだ私を不思議に思ったのだろう、男は私に声を掛ける。しかし自分が残念だが、それに応えてやる余裕が今の私にはない。これまで抱いていた召喚師としてのあらゆるものが、ぐらぐらと不安定な音をたてる。
情けないことに、答えを求める様に同僚に目を向けると、彼は真実真剣な眼差しをしていた。この表情が私に向けられるのは初めてで、ひどく不安な気持ちに襲われる。ああまったく。だから同僚は嫌なのだ。人を落ち着かなくさせるから。
「分からない事は、調べればいいではないですか」
瞠目した。感情を読み取るのに長けた同僚らしい言葉だった。しかし、まさかその言葉を選んでくるとは思わなかった。
けれどそれが私を落ち着かせるために選んだ言葉なら、結果は上々だ。足場が崩れたのは確かだが、私は確かに立ち上がった。その通り。分からないなら調べればいい。知ろうとすればいいのだ。
まったくこれだから同僚は嫌だ。一回りも歳が離れているなんて信じられない。頭の回転も、人の機微を読み取るのも、何より感情を理解して手助けするも、全てに抜きん出て優れているのだから。
はらはらと私たちを見ていた男の目を、まっすぐ見つめる。ぱちくりと瞬く男に、緩やかに笑むと、ホッとした様に目尻が下がった。言い歳した大人が不甲斐ない姿を見せてしまった事を恥じ、「申し訳ない」と謝罪する。
それに男は笑って言った。
「すみませんじゃなくていいんですか」
「申し訳ないはいいんです」
男は声を上げて笑った。同僚も、僅かに柔らかな空気を纏っている。
特に何かが変わったわけでも、解決策が見付かったわけでもないが、流れる空気は今までで一番穏やかだ。
今なら勉強の進みもいいだろう。自然に思って男を促そうと口を開き――
「ただいま、義輝。今日の夕ご飯は何が――……」
扉を開いて声を掛けた女の登場に、男と、そして女が固まった。
「あ、姉貴……」
「……え? よ、義輝、お客様がいらっしゃっていたの? ず、ずいぶん個性的な衣装を……?」
「あああ姉貴! いや! これはその!? うわああなんて説明すれば!?」
どうやら私たちを召喚した事を、女に秘密にしておきたい様だ。面差しが似ているし、「姉貴」と呼んでいるのだから、彼らは姉弟なのだろう。
召喚なんて大層なものを、どうやって男が誤魔化すのか気になるが、今一番気になるのは、隣の同僚の様子である。
あれは彼が、何かに興味を引かれた顔だ。
その対象が、慌てた男の身振り手振りの弁解を黙って聞き、困惑した表情を見せる「姉貴」である事が、非常に、非常に気に掛かる。
新たな何かが始まる予兆をひしひしと感じながら、漠然と、同僚が呼ばれた理由を――こちらへ来た理由を予感した。
「お兄さんて、おじさんに甘えてるんですね。おじさんといる時だけ気ぃ抜くって事は、つまりそういう事でしょ」
「……、まさか」
という会話を入れたかったけど断念。共通一次を倒したい義輝くんは綾子さんの弟です。大学受験はするけど最終的にラノベ作家になる。小説はフィクションだけど世界観はノンフィクション。何故なら舞台は召喚師たちの故郷である。