今宵の空は何処か違う。熱帯夜と呼ぶには程遠く、夏らしからぬ冷たい空気に浮かぶ蒼白い月が、仄かに緋色めいて見える。
少年は手摺りから小さな身体を乗り出し、かすかに星の瞬く夜空を眺めていた。かすかに、と補足したのは、今、この場所は都会であり汚染された空気のせいか星の光が幾らか打ち消されているようにも見えたからだ。彼が残念そうに息を吐き出したとき、背後で遠慮がちに窓が開いた。少年が振り向くより速く、同じような背格好の少女が麦茶の入ったコップを手に、彼の横に並んだ。
「赤い月ね。何だか血を吸っているみたい」
悪戯な夜風を嫌うように、しなやかに揺れる茶髪を耳にかけ、片手を耳に当てたままで少女が告げる。
「知ってる? 赤い月の伝説。満月の時は犯罪や事故が増えるんですって」
科学者である彼女が迷信めいたものを口にしたのを初めて聞き、少年―コナンは小さく笑みを浮かべた。
「迷信、だろ?」
「そうね。けど、それを知っている者は精神的に赤い月の日には解放感を覚える、そういう学説も出ているわ。かなりあやふやな物だけれど」
少女―哀は見慣れない月を目に焼き付けるように、射る様な瞳で見ていた。
こんな時に思い浮かぶのは、後悔の念ばかり。
「ねぇ、お姉ちゃんが死んだ日も、赤い月だったのかしら」
呟くよりも小さな声は風に流され、誰の耳にも入らずにかき消された。自分を組織から抜けさせる為に、組織の幹部の一員であるジンと交渉した姉、明美。結局、ジンに裏切られ、始末された。もしそれが赤い月によって増幅された悪意によるものだったら、そうだとしたら尚更やりきれないだろう。死の瞬間を姉はどんな気持ちで迎えたのだろうか。哀は一人ぼっちになると自然と姉や両親を想い、涙を流す事も少なくない。
「灰原…どうした?」
記憶の世界に飛んでいた哀は我に返った。大きな瞳が自分を覗き込んでいた。哀は作り笑いを浮かべると、小さく首を振って見せる。
コナンは尚も心配そうだ。
哀は少し潤んだ瞳を手で拭った。
「風で目が乾いて痛くなっただけだから。貴方ももう中に入ったら?風邪でも引いたら彼女に負担かかっちゃうでしょう。もっとも、わざと風邪を引くって言うのもわかるけど」
「バーロー、こんな暑いのに風邪なんて引くかよ」
ムキになって反論するコナンを哀は一瞥する。
「あら、この間咳き込んでいたのはどこの誰だったかしら」
コナンは決まり悪そうに口を噤んだ。
確かに、2,3日前のキャンプの時、微熱を出し、博士に看病を受けていたのだ。
「わーったよ、入れば良いんだろ…でもよ、灰原。あんまり余計な事で悩むなよ」
最後に鋭く浴びせかけられた言葉。でもそれは冷たさじゃなく、暖かさを感じさせた。背を向け、遠ざかって行く背中に、哀は胸を突かれた思いだった。
自分の悩みなんて、いとも容易く見抜かれていた。哀は小さく感謝の意を呟くと、また赤い月を眺め始めた。さっきよりは、少しだけ明るい気持ちで、顔には少しの微笑を乗せながら。
貴方は知っていますか?
赤い月は、犯罪や事件を増幅する。
けれども、恋愛にも、大きな変化をもたらすのです。
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