表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ほのぼの・コメディ

花筐

作者: 花しみこ



 ぱちり目を開くと、わたしをひとのみにできそうな大きな口が見えた。

 灰色の毛、ぴんと立った三角の耳、長い鼻筋。狼の頭をした男性が、わたしの入るかごに手をかけていた。唯一の扉を開いて、中に小さく切ったいくつもの果物と薄めた蜂蜜を差し入れる。その中に最近好みのサキトの実があるのを見て、ふかふかの綿から身体を起こした。

 薄桃色の綿の上には上質な布が一枚挟んであって、寝心地は最高。故郷では干し草の上にやわらかいつるを編んだものを乗せた寝床だったので、違いは抜群である。

 だいじにしてもらっている。

 嬉しさを沸き立たせながら立ち上がると、わたしが起きたことに気付いた彼はぱっと手をひっこめ、しっかりと扉をしめた。絶対に触れようとしないのも、だいじにしてもらっているからだ。彼が心配をしてくれていることはきちんと伝わっていた。

 体格が十倍も違うのだから当然だろう。わたしは小さな妖精族だし、獣人は力が強いのだから。

 かご越しにその月色の目を見て、それから置かれた果物に手を伸ばした。彼は愛おしげにかごを撫でる。

 表情も、動作の意味もわからない。けれど妖精族はみな感情が読めた、それがわたしのような異端児でも。

 彼が今思うのは、わたしへの愛情、庇護欲。

 そして、強い執着心だった。







 妖精族が生涯に持つ言葉は、たったふたつ。

 ひとつは自分の名前、もうひとつは伴侶の名前。自分の名前はその存在の始まりから誰に教わるでもなく知っているもので、伴侶の名前は求愛行動の末に覚えて呼ぶ。

 わたしの名前は、アリッサ・ロブラリエ。名付け親も居ない。妖精族がひとりの妖精族であるための、個の名前だ。

 それしか知らない妖精族には、もちろん思考のためにも言葉を持たない。

 なのにわたしは、生まれたときからじゅうぶんな言葉を持っていた。

 良く言えばおおらか、悪く言えば単純なかれらは、思考によって複雑化したわたしの感情をうまく読みとれないままであっても気にすることはなかった。戸惑いや疎外感は、彼らを害するものではないと本能が判断した。カワイソウな同族と思ってくれていたようだ。あるいはそうでなくとも、仲間の一人として受け入れてくれてはいたのだ。

 しかし、わたしはどうしても馴染むことができなかった。生まれたまさにこの場所を、わたしは故郷と思えなかった。一時の宿りと同じだった。

 風が吹くように移り変わる彼らの感情やその場のみの本能的行動に、戸惑うばかりしかできなかったのだ。

 ふつう、妖精族は好奇心が強いけれど住み慣れた故郷から離れることは考えない。わたしはふつうではなかった。みんな本能で知っているとおり、故郷の外は危険なばかりともちろんわたしも知っていた。しかしつらかったのだ。

 妖精族は、生まれた瞬間から独り立ちのために必要なことをすべて知っている。

 言葉を持っていたことも、複雑になってしまった思考も、それ以外のすべてが独り立ちに必要なのだとしたならば、それはわたしの生きるべきがこの場所でないということ。言葉を持たねばいけない場所が、私が生きる場所なのだということ。

 旅立ちは花の月、ハートの葉の中に紫の蕾が見える頃。



 妖精族と言うのは、外では愛玩動物にもってこいの種族らしかった。好奇心が強く警戒心が弱い。感情に敏感なので、好意を向けられればほだされもする。何より、この世界の大半の言葉をもつ人々にとってひどくちいさないきもの。

 わたしは大きくなる魔法があることを知っていたけれど、ほかの妖精族がみな大きくなれるのかはわからない。妖精族はふつう学ぶことがないから、生まれつき知っている知識に大きく差がある。独り立ちに必要でなければ、わたしたちは花の名前さえ知らない。

 だから大きくなる魔法はわたしの独り立ちに要るものなのだが、人と同じ大きさになっても繊細な羽は消せないし、動きにくくて疲れるだけだ。小さな体のままでわたしの生きる場所を探す旅は、しかし朝の容花かおばながつるを伸ばし切るころに打ち切られた。

 小さな愛玩動物は、捕えられやすい。

 気が付いた時には幼い妖精族らがそれぞれ収まったかごのひとつに並べられていたのだ。この幼い子らも、独り立ち先が外だったのかは知らない。彼らの思考はやはり故郷のみんなと同じ、言葉のない感情だった。

 独り立ちというのの終わりがわからず、そしてわたしと同じ言葉を持つ存在が見つからなかったこともあって、すっかり疲れていたわたしは小さなかごの中でも安息を覚えていた。扱いが丁寧だったこともあるし、複雑な感情のいきものらの中では故郷ほど疎外感を持たないでいられたこともある。


 捕えた人間はおそらく愛玩動物を売りながら旅をしていた。わたしたちを見る人々は「欲しい」という感情を持っており、実際に他のかごから売れていったものたちもいた。妖精族以外は獣が多く、それらは複数でひとつのかごに入っていた。妖精族は一人だけ売れていった。

 そうやって、十も場所をめぐったころ。そこは乾燥していて、強い風がいつも砂を撒きあげていた。空は白っぽく、かごには庇がつけられていた。わたしは耳を澄ましていた、いつわたしの言葉が聞こえてもいいように。

 けれど意識を奪ったのは、理解できる言葉ではなく強い感情。

 驚き、戸惑い、そして大きな喜びと愛おしさ。

 感情の主は転び出るほどに焦って、迷いなくわたしを購入した。







 それが今のわたしの飼い主である。

 彼は狼の獣人だった。

 獣人については、けものに似た風貌をして、つがいという存在がいるということを知っていた。つがいには一生を尽くすけれど、出会えないことも多く、そういったひとは別のものに深い愛情を向けることがあるという。

 これも独り立ちに必要な知識なら、きっとこれは花がいずれは実をつけるような、そんな適正な未来なのだろう。あるいはここがわたしの終着地なのかもしれない、言葉はあいかわらずわからないままだけど。


 彼はわたしをひどく大事に扱った。捕えたかれらも丁寧ではあったけれど、彼ほどではない。よっぽどこの大きさがお気に召したか、あるいは払ったお金を鑑みてか、彼の友人らしいべつの獣人が呆れるほどの献身ぶりを見せた。

 向けられる感情には執着心も多く混じるようになった。それらの感情を言葉に直すのが楽しい。優しく話しかけてくれる言葉の意味は分からないが、読み取りきれない複雑な感情が快かった。

 故郷では終ぞ感じることのなかった仲間意識が、向けられる感情によって湧き上がっては積み重なる。日々を重ねるうちに積み重なったものは色と名前を変えて、わたしは彼に名前を教えたくなっていた。狼さんの名前を知りたくなっていた。獣人のつがいに、妖精がなることはあるのだろうか?

 たとえそれが不可能なのだとしても、彼の言葉を理解したい。毎日目を細めて告げる言葉の中身を。そして、わたしの言葉を彼のそれと同じにしたかった。

 小さいせいで愛玩動物としか見てもらえず、言葉を持たないと思われているのなら魔法で大きくなりたいけれど、ふつう本能しか持たない妖精族に逃げられてはたまらないとでも言うように彼はけしてわたしをかごから放たない。このかごの強靭さは見るだけでわかる。大きくなったところで、ぎちぎちに折りたたまれて潰れてしまう。ううん、と唸って悩む。

 旅をしている間、ほかの種族は模様のようなもので意思疎通することもあると気づいた。妖精族と違って、言葉と複雑な感情を持った人々はさまざまな方法で互いにそれを伝えようとしている。けれどわたしはそのどれひとつとして知らず、伝える方法なんてあるのかと思う。きっと感情は同じなのに、同じ言葉を持たないだけでわかりあえないのなら、言葉を持たない故郷とかわらない。

 諦めきれないのに、どうしたらいいのだろう。落ち込んでイジエメの実をひとかけ口にした。イジエメの実は一瞬不快な口当たりだが、香りがよく、蜜と似ていて違う味がしてもうひとつ欲しくなる。この実は妖精族の住処にはなく、しかしわたしを捕えたひとはよく出してきた。まくまくと食べていると、向こうも食事をしていたらしい狼さんがそっと近寄ってくる。

 かごの外側をいつものように撫でる。掌はわたしと違って硬そうだ。それを見て、ふと思った。その毛皮に触れてみたいと。

 それを実行すべく実を置いた。しかし目論見はうまくいかない。手を伸ばすより先に、灰色は机に戻ってしまう。諦めきれずに目で追うと、狼さんは目を細めた。

 穏やかな感情。

 かごから届かない近くまで鼻先が寄る。紡がれるのは、彼が話す様々な音の中でもいっとう優しく響くもの。小さな呼気は風にもならず、耳を澄ますと窓の外から葉擦れの音が聞こえてくる。

 それを上書いて、低い声。喉の奥から、地面に耳を付けて聞こえるそれのような波が発される。何と言ってるのだろう。こんな優しい響きで、なにを。



「h6Sdv」



 わたしは異端の妖精族なのだから、生涯に覚える言葉がふたつきりでなければいけない理由なんてないはずだ。

 わたしの名前と、もうひとつ。それとはきっと違うこの音を、覚えたって構わないはずだ。わたしがいちばん彼に伝えたい言葉の音はこれなのだと、確信さえもしていた。

 この優しい音を、いつかわたしの言葉にできるだろうか。思いながら、口の中で小さくなぞった。月の色はやはり優しい色を宿していて、慣れない音に口が上手く回らないでいた。







h6Sdv(あいしてる)1Wa%gf(おれのつがい)











小話まとめ http://ncode.syosetu.com/n3417cl/ におまけがありますが、クールでかっこいい獣人は居ません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 設定がめっちゃ好みです。妖精さん可愛い。獣人視点も見ましたが、デレデレですね。やっぱりつがいでうまうまです。 大きくなった途端に襲われそうな心配もありますが、ぜひもうちょっと妖精さんの好意…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ