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第215話「ミストラス卿の屋敷への帰り道」

 師の家を辞したその足で、アレスはミストラス卿の屋敷へ戻った。もちろん、エリシュカも連れてである。大急ぎで旅立ちの荷物を整えようと意気込んだエリシュカだったが、その必要は無かった。既にフィオナの手によって、旅の荷物は、小さなスーツケース一つにコンパクトにまとめられていた。

「そのケースは気に入ってるんです。必ず返しに来てくださいね」

 フィオナが言うと、エリシュカはもう一度彼女に抱きついた。アレスは、そのエリシュカの姿を見て、随分可愛くなったもんだなあ、と思った。そのようにしてくれたフィオナに対して、感謝の念を送るアレス。しかし、一瞬後、

「これは返さなくて結構です。新しい門出のはなむけにあなたに差し上げます、リシュ」

 と、なにやら小ぶりの剣らしきものを手渡しているシーンを見て、一気に気が変わった。

 エリシュカは剣を引き抜いた。

 引き抜かれた刀身はまるでエリシュカ自身の髪のように白かった。

「この前、一度、使ってもらいました。使い方は覚えてますね。わたしの命を何度も救ってくれた友です。今度はあなたの命を救ってくれますよ。この前は教えませんでしたが、この子の名は――」

 フィオナは、周囲に聞こえないようにエリシュカの耳元でだけ囁いた。剣に名をつけることによって命が吹き込まれ、その剣が威力を増すという信仰がヴァレンスにはある。そうして、その剣の名は持ち主しか知ってはいけない。名を知られることによって、名を知ったものから支配を受けるという考え方は、人の名と同じである。

「そういうわけで、この剣の名を知っているのは、わたしとリシュだけです。アレスも知りません」

 エリシュカは剣を鞘に納めると、三度、フィオナに抱きついた。剣士にとって、愛刀を与えるということは、与えた相手に無限の信頼を寄せているということである。エリシュカはそこまで察したわけではないが、ひしひしと寄せてくれる温かな気持ちを感じることはできて、その嬉しさを表現するのには、抱きつくほか、方法は無かった。

 アレスは、その微笑ましい様子を見ながらも、この一カ月間でエリシュカに施されたものが精神的なものだけではないのだということに気がついて、げんなりとするものを覚えた。エリシュカはどこまで強くなったのか。一カ月そこらでそうそう人が強くなってたまるか、という常識めいた思いは、非常識街道まっしぐらのエリシュカ嬢には通用しない。しかも、その道を案内するのが勇者の姉的存在、フィオナなのだからよっぽどである。

――まさか、オレより強くなってるなんてこと無いだろうな……。

 嫌な想像をしてしまって、家を出たところで身をぷるぷる震わせていると、玄関先で最後の別れを済ませたエリシュカが、合流した。

「大丈夫? 具合悪いの?」

「全然。チョー元気さ。ところで、一つ相談があるんだけど」

「なに?」

「これからキミのこと、殿付けで呼んでいい?」

「殿付け? なにそれ?」

「名前のあとに殿をつけるんだよ。『エリシュカ殿』って」

「何で?」

「いや、万一の場合に備えて」

「意味分からないからダメ。分かっても許さないけど」

 強者には敬意を払いたかったアレスだったが、当人の許可が下りないのでは仕方が無い。仕方なく、アレスは、『エリシュカさん』で妥協することにしたが、

「次そんな風に呼んだら、殴るから」

 と真夜中にふさわしい冷たい調子で返されたので、やむなくこれまでと同じように呼ぶことにした。

 二人のゆく街路を月が照らしている。

 どうやら王宮の火は消えたようである。ミストラス卿の指示はなかなか的確であるようだった。軍事の才能だけでなく、消火の才能もあるらしい。政柄を握って好き勝手できる五大臣の一人であるのに、王女に畏敬の念を持っているようであるし、それにも関わらず、アンシは卿を謹慎処分にしたわけだから、どこまでバカなんだよ、ということになる。しかし、アンシはバカではない。むしろ、その対極にある。

「アレス」

 不意に隣からかかった声にアレスが顔を向けると、立ち止まったエリシュカがペコリと頭を下げた。そのまま、

「レティーツィア姉様を助けに行くのに協力してください。お願いします」

 と改まった声を出した。

 少女の精神を成長させるのに時間は重要な要素ではないらしい。つい一カ月前とは明らかに異なった少女がそこにいることを認めたアレスは、これからつまらない冗談は差し控えたほうが良いのだろうか、と迷いの時間を持った。しかし、エリシュカの依頼に対する返答自体には一瞬の躊躇も無かった。

「顔を上げてくれ。もちろん協力する。それに、カバンも持つ」

 そう言ってアレスは、エリシュカのスーツケースを彼女の手から取り上げた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「もうひとつ頼みたいことがある」

「何なりと」

「おんぶして」

 アレスは先ほど考えた、少女の精神の成長云々というヤツを取り消した。

「そんなことはしない」

「するの」

「しません。大体、オレは剣をしょってるんだ。したくてもできないんだよ」

 ふうぅぅぅぅぅ、という「こいつはもうどうしようもないゼ」的な長く細い吐息が少女の口元から漏れるのをアレスは聞いた。そうして、そのあと、

「じゃあ、手でいい」

 いかにも仕方なく譲歩してやったと言わんばかりの傲慢な調子の声を出された。

 アレスは、差し出された手を恭しく取った。

 ミストラス卿の家まで、二人の手はずっとつながれたままだった。

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