第212話「エリシュカの返事」
期待していた「思いっきりグーパンチ」や、「絶対にわたしも一緒に行く!」という叫び声の代わりに、奇妙な問いかけを返されたアレスは、鼻白んだ。戦争、とは一体何のことを言っているのか?
「その公子ナントカは、またここに攻めて来るの?」
自分の言葉が通じていないことに気がついたエリシュカは言い直した。
なるほど、と彼女の言いたいことが分かったアレスは、何でそんなことに興味があるのかまでは分からないものの、少し考えたのち、多分そうなるだろうな、と答えた。
「領地に帰った公子モウライは、奪った祭器をもって戴冠の儀を行い、自分が王位を継承したことをアピールして今度は堂々とここに攻め込んでくるかもな」
祭器一つあれば王位を継承できるのかどうかは、王室の儀礼に詳しくないアレスには何とも言えないところであるが、仮に王位継承の儀式を行って即位しないまでも、何らかのアクションを起こすに違いない。王宮に襲撃をかけるなどというおよそ引き返しようの無い行為をしてしまったのである。後はもう突っ走るしかない。そうして、もし走っていく道の前に邪魔なものがあれば、蹴散らしていくことになるのだろう。
エリシュカは、アレスから視線を離した。
「戦争になったら、フィオナはどうするの?」
問われたフィオナは、飲んでいたお茶のカップをソーサーに戻してから、軽く首をひねった。
「そうですね、どうしましょう。戦うしかないでしょうか。アンシとはお友達ですし」
そう言ってから、確かめるように師の方を向くと、
「そこまで付き合う必要は無いだろう。お友達ゴッコで命を賭けるのはバカげてる」
素っ気ない言葉が返された。フィオナは素直にうなずくと、エリシュカに向かって、
「というわけで、どうやら戦うことになりそうです。アンシはわたしの腹心の友ですから」
言って、簡単に師の言葉を裏切った。師は、やれやれといかにも仕方ないという調子で首を振ったが、その目は笑っている。
フィオナの言葉を聞いたエリシュカは再びアレスに向き直った。
「わたしは一緒に行かない」
それを聞いたアレスは聞き間違えかと思って、もう一度ゆっくりと大きな声で言うことを求めたところ、エリシュカからは同じ言葉が返された。
「え、あ、そうなの……」
アレスは拍子抜けした。彼女から「一緒に行かない」という譲歩を引き出すためには、かなりの犠牲を払う必要があることを覚悟していたし、どうしても聞き入れてくれない場合は一緒に連れていくことにやぶさかではなかったが、予想に反して随分あっさりと願いが聞き届けられた。こうなると、よせばいいのに、その理由について尋ねたくなるのが人情である。アレスの問いかけに、
「ここで戦いが起こるなら、わたしはフィオナを守る。だから行かない」
エリシュカは目に強い光を溜めてそう答えた。
はあ、と呆気にとられるアレスの耳にガタンと椅子が倒れる音が響いて、見ると、勢いよく立ちあがったフィオナが、隣のエリシュカに抱きついていた。そのまま、よしよしとエリシュカの頭を撫でながら、
「何ていい子なのでしょう!」
と感動の吐息を漏らした。エリシュカはされるがままになりながら、喜びを露わにしてはいないものの、満更でもないような顔をしている。なるほど、とアレスは事情が分かって、ちょっと意外な思いに打たれた。エリシュカがそういう関心の示し方を他人に対してするとは思わなかったのである。どうやら、よほどここが彼女にとって居心地の良いところであったらしい。アレスはフィオナに感謝の念を捧げた。そうして、
「エリシュカ。キミ、何か勘違いしてるようだけど、フィオナは全く守ってやる必要なんかないんだよ。何せ、オレより強いんだからさ。先のクヌプスの乱のとき、王宮に押し寄せる反乱軍を宮門でひとり撃退して、死体の山を築いたのは有名な話だ。ついた二つ名が『死山のフィオナ』」
気持ちと全く逆のことを口にしてしまうのは思春期のなせる業である、とアレスは断ずる。
「人を化け物みたいに言わないでください」
フィオナは眉を上げたが、気を悪くしたようでもない。普段からあまり怒るような人ではないが、よほどエリシュカに言われたことが嬉しかったのだろう、とアレスは思った。
「フィオナが強いかどうかは関係ない。わたしがそうしたいからそうするだけ。恩を返したい」
エリシュカはきっぱりと言った。再び感激の嵐に見舞われたフィオナは、エリシュカに頬ずりした。
ここに至って、アレスの心に迷いが生じた。自分ひとりでミナンに行く場合、エリシュカのことはフィオナに頼もうと思っていたわけだが、よくよく考えるまでもなく、ここルゼリアは戦場になる。たとえそうなったとしても、フィオナに預けておけば大丈夫、という無限の信頼を彼女に寄せていたところ、彼女は王女を助けるという。さらにそのフィオナの傍にエリシュカがいるという図は、あまり心躍るものではない。とすると、やはりエリシュカを連れていった方が良いということになるが、彼女は行かないと言う。どうしようか、と考えるアレスに、
「姉様のことは後回しでいい。だから、アレスもミナンに行くことない」
エリシュカは落ち着いた声で言った。