第211話「アレスの告白」
階下に降り、リビングに戻ると、良い香りがした。
みな、お茶を飲みながら、テーブルでリラックスしている。
エリシュカに続いて、アレスが席につくと、フィオナがそれぞれのカップにお茶を注いでくれた。
「昼間焼いたケーキがありますが、食べます?」
フィオナの言葉に、アレスは俄かに空腹を覚えた。王女に従って右往左往している間に大分エネルギーを消費していた。話をするのは食べてからで良いかどうか、師に断りを入れて承諾を受けると、アレスはフィオナにケーキを持ってきてもらった。フィオナは普段の料理はあんまりな感じではあるが、お菓子系だけはうまい。甘いお菓子で力を回復しよう、と意気込んだアレスの前に、少しして、なにやら黒こげになった何とも前衛的な代物が出てきた。
「え、なにコレ?」
「ケーキですよ」
「ええっ?」
どう見てもそれはケーキなどではなく、かろうじてケーキの形をした何か別のものである。危険な何かである。オレを毒殺したければもう少し見栄えのよいものを出せ、と思ったアレスだったが、そんな彼の耳に、
「リシュの花嫁修業の一環です」
というフィオナの何気ない調子の声が聞こえてきた。
アレスは心を決めた。そう言われては、食べないどころか一かけらだって残すことはできない。毅然とした態度でケーキをつかんで、一気に口の中に入れもぐもぐとやり始めるアレス。この男らしさを見よ、と思ってエリシュカの方をちらりと見たところ、彼女は興味無さそうな顔ではわはわとあくびをもらしているだけだった。
ケーキは美味しくないという点を除けばなかなか良い味だった。味はともかくとして腹は膨れた。アレスは香ばしいお茶でケーキの最後の一かけらを流し込むようにしたあと、フィオナが、
「お代わりありますよ」
などということを言い出す前に、本題に入ることにした。
アレスは今夜起こったことを、簡単に説明した。公子モウライが反乱を起こし王宮に火をかけ、王女を害せんとし、それがならず、しかし戴冠の儀を行うために必要な祭器を盗んで去ったということ。王女がミストラス卿の屋敷にいること。その場に、ルジェ達もいること。反乱軍に対しては、今のところ何らの措置も取られていないということ。
アレスが話している間、聞き手の態度は、四者四様であった。
師は先ほど一度聞いた話であるので静かにお茶をすすっているだけで特別な反応を見せなかった。フィオナは、「あらまあ、アンシも大変ね」とまるで大したことだと思っていないような口調で相槌を打つ。ヤナは先ほどまでの淑女ぶりを返上し、情報屋という職業柄だろう、ギラギラと瞳を光らせている。エリシュカはあまり興味の無い様子でただ聞くだけは聞いているという態度である。
「公子モウライとはどんな方なのですか、先生?」
アレスが話を終えたあとに、初めに口を開いたのはヤナだった。上座に向かって丁寧な口調。初対面の人に対しても気楽に話しかけることができるのはさすがの社交性である。自身のことをシャイボーイであると認めているアレスは、見習いたいもんだと思った。
「先王の叔父に当たる人だ。平凡だが、自分が平凡であるということを認めている善人だな」
師が答えた。
分を知る善人がなにゆえ反乱などという大それた一挙に及んだのか。難解な問題を与えられた学者のようにヤナは好奇の色を露わにしたが、アレスはそんなことには興味は無かった。アレスの関心の向かう先は、斜め前に座っている白髪の少女に関することだけであり、それは師の言う所の「惚れた腫れたの問題」であると言い切るには不純なものがあるけれど、しかし、そういう解釈をされても一向に構わない。アレスは、アンシの元を辞してここに来た旨を述べたのち、
「明日にでもルゼリアを出て、ミナンの王都に向かおうと思っています」
と宣言した。ルゼリアを出るということだけで、それ以上細かいことは言わなかったが、みなそれについて質問しようとしなかった。師には先ほど告げたことであるし、ヤナは事情通、フィオナはおそらくエリシュカから話を聞いたのだろう、そのエリシュカは自分のことなのだから問わないのは当たり前。
アレスは続けて、自分ひとりでミナンへ行きたいと思っている、ということを、まるでその場にエリシュカしかいないかのように、まっすぐに彼女に向かって言った。
気をつけはしたのだが、少し声が震えた。とんだチキンヤロウである。そう自分のことをおとしめつつ、エリシュカの反応を待つアレス。殴られるくらいのことは覚悟の上である。もしそうなったら、避ける気は無かった。今回ばかりは潔く彼女の怒りを受け止めなくてはなるまい。
しばらくの沈黙。
なかなか席を立ってウソツキ男を成敗しようとする気配の無いエリシュカを見て、まさか寝てるんじゃないだろうな、と疑ったアレスだったが、少女の目はパッチリと開いていた。まばたきもしている。
やがてエリシュカが返した言葉は、
「戦争になるの?」
という全く訳の分からないものだった。