第203話「反乱軍の二手三手」
アンシが倒れ伏している女官たちに駆け寄った。
アレスは痛ましげにそれを見た。つい二三時間前に別れた者たちは見るも無残な姿でここにある。王女の盾となって死んだわけであるから、それは職務上のことであり仕方の無いことである。せめて、「立派だったな」という言葉を心の中で送ってやるくらいしかアレスにはできない。後は、彼女たちの死を受け止めてこれから先生きていくしかない。無論、それはアレスの役割ではなく、アンシの役目だ。
「グラジナ……」
どうやら倒れている女官の中に、女官長の姿を発見したようである。ひざをついたアンシはグラジナの頭をかき抱くようにした。はっきり言うといけすかない子ではあったが、王女の身代わりとなって命を落としたことに関しては称賛しかできない。
「グラジナ。目を開けなさい」
アンシはグラジナの頬を軽く叩いた。アレスは見ていられなかった。臣下の、いやそれ以上の、友人の死というものを受けいれられないのだろう。アレスの頭に苦い記憶が蘇った。かつてあったことが、今鮮明に目前に現れた。しかい、アレスの場合は、死とは関わりのないことであったからまだ良い。それでもそれはキツい出来事だった。まして、アンシの苦しみはいかばかりか。
アレスは、アンシの肩に手を置いた。
「グラジナ。グラジナ……」
アンシはなおも自分の腕の中にある頬をピタピタとしている。アレスは、つかんだ肩を引いて、無理やりこちらを向かせようとした。しかし、アンシは振り向こうとせず同じことを繰り返していた。
「アンシ、グラジナは死んだんだ」
残酷なことだが言ってやらなければならない。ここはまだ戦場なのである。死者に必要以上にかまいすぎると、自分が死の世界の住人になる羽目となる。
「グラジナは死んでません」
アンシは駄々をこねた。事実を認めないという所作は彼女らしくないが、それだけグラジナという少女が大切であったということだろう。アレスはアンシの感情の色に染まらないように、あえて平板な声を出した。
「グラジナの死を無駄にしないように、これからの行動を考えよう」
アンシは首をふるふると横に振った。そういう仕草は年相応に可憐であったが、それを「カワイイ!」と見つめてボーっとしているわけにもいかない。
「とりあえず廟室を押さえた。次は王の間だ。急ぐぞ」
廟室は先祖を祭っているところである。先祖とはすなわち神であり、ここを賊に押さえられていたとしたら、迂闊には手が出せないということになっていた。あとは、王が起居する王の間が無事であるかどうかを確認しなければならない。廟室と王の間は宮中にとっては、いわば人体における心臓に当たる。
「グラジナは死んでいません」
アンシが続ける。ここまで続けると、アレスは心配になってきた。アンシは、友人の死を受け入れられず、軽い錯乱状態に陥っているのでなかろうか。
「違います。本当に生きているんです。息があります。どうやら気絶しているだけのようです」
アンシの声音はしっかりとしている。まさか、と思ったアレスだったが、自分で確認してみると、なるほど息はあるようである。グラジナを挟んでアンシと向かい合ったアレスは、立ち上がると、他の女官の生存を確認してみた。どうやらここ廟室前にいる女官たちは全員、生きているらしい。気を失っているだけのようである。何があったのか。三十人からの女官が、そろって気を失っているというのも、死んでいた場合と同じかそれ以上に薄気味の悪い話である。
夜気を小さな歓声が震わせた。
「グラジナ……」
アンシの喜びの声。どうやら女官長が目を覚ましたようである。
「……殿下?」
グラジナは信じられないものを見たかのように目を大きくした。
「お互い生きているようですよ。まだあなたにお世話してもらえると思うと嬉しいです」
アンシの冗談めかした言葉に、グラジナは涙ぐんだ。この誠実な女官長は、自分のことではない、王女が生きていたことが嬉しかったのである。しかし、感動は一瞬のことだった。グラジナは、ハッとして身を起こすと、膝を折って地につけ礼を示すと、
「殿下にご報告申し上げます。賊が廟室に入り奉りました。取り押さえようとしたのですが、部下ともどもこのザマです。お詫びのしようもありません」
そのまま片膝を地につけたまま、深々と頭を下げた。
「廟室にですか?」
「はい」
悔しさをにじませるグラジナに、アンシの口調は軽い。
「何も大したものはありませんよ。いくら探しても、何もでてきはしません。何か欲しければ宝物庫を襲いませんと」
そう言って、しかし念のため、廟堂に歩いていった。アレスもその後に続いた。他の女官たちも目を覚ましてきたようである。
アンシは呪文を唱えた。闇に閉ざされた室内に魔法の光が灯る。廟堂の中をざっと見回ってきたアンシは、アレスに言った。
「ちょっと困ったことになりました」
アレスは先を促した。「ちょっと」だったら大したことは無い。これまで散々困ったことばかりだったのだ。
「どうやら賊は祭器を盗んでいったようです」
「祭器?」
「ええ。神事に使う道具です」
「無いとマズいのか?」
「マズいですね。戴冠式でその祭器を使わなければいけない儀式があるのです。つまり、その祭器が無いと、戴冠式を行えません」
アレスは、確かに「ちょっと」のことだと思った。何せ、アンシが女王になれてもなれなくても、アレスに直接の関係が無い。