第202話「宮殿進軍」
ミストラス卿が可憐な王女の意外すぎる一面に絶句しているのを横目に、アレスは城門へと向かって足を進めた。先陣を切るのは自分の役目であると思い定めている。
瓦礫の山と化した南門に至ると、そこかしこに横たわった兵士の体が見えた。胸に走る痛みを感じながら、アレスはほとほと自分は戦士向きの性格ではないと思った。戦場で死体を見てビビっているなどお話にならない。ビビっている間にその隙をつかれ自分が死体になってしまうことだって十分にありうるのだ。
――オレもまだ死にたくないからな。本気でいかせてもらう。
死んでも泣いてくれる人に心当たりが無いアレスは、心を据え直した。
ちょっと前まで南門の一部であった鉄片を踏みしだき門内に入る。目に見える敵の数はさほどではない。そもそもこの門に配された兵が少ないのだろう。もっとも、先ほどの門が破られた轟音によって、これからわらわらと集まってくるだろうが。
アレスが地を蹴って剣を振るうと、三人の敵兵が闇に沈んだ。アレスは、手に持つ魔法の剣が効果があることを知ってホッとした。仮に魔法の剣の効果を弾く鎧などを着られたりしていると、背中の剣を抜かなければならなくなる。背にある剣は、「一日ぐっすりとお休みなさい」などという優しさなど微塵も持ち合わせていない凶器中の凶器であり、できれば使いたくない。
二振り三振りで、まるで手品のように、十人からの兵士が地に倒れた。それを見た敵兵の腰が引けた。不気味に光る剣を片手にした少年の影は夜の下でゆらめいているように見え、呪いを受けるハズの南門から平然と入ってきたという事実と相まって薄気味悪いことこの上ない。影が一歩近寄ってくるたび、兵は一歩退いた。
アレスは地を蹴った。弓兵から矢を射られたのである。近づきたくないなら、遠くから攻撃すればよい、というまことにもっともな判断だった。なかなかに素早い。しかし、判断の速さならアレスも負けてはいない。第二射をかわしながら、敵兵の集団に近づくアレス。弓兵もまさか味方の兵ごと射るわけにもいくまい。そういう判断である。
その判断はどうやら当たりだったようだ。もっとも当たらないと困るわけだが。矢の雨が止んだ。
アレスは剣を振るって敵兵を倒すと、またすぐに別の敵兵へと向かった。どのくらい斬ったか。二十名ほど斬ったと思われた頃、不意に背後から喚声が聞こえて、ミストラス隊が突撃してきたことが知れた。ようやくのお出ましであるが、突撃を待たせていたのはミストラス卿ではなく、アンシではないかとアレスは思った。
「もう少し任せても大丈夫でしょう」
アレスの戦う姿を見ながら余裕たっぷりに言う王女の姿。それをくっきりと脳裏に描いたところで、
「ご無事ですか」
近くから当の本人の声が聞こえてきたものだから、心臓が跳ね上がるくらいびっくりした。
「何でこんなところまで来るんだよ?」
アレスは訊くまでもないことを言った。
「あなたのサポートをいたしませんと」
「必要ない」
「まあ、そうおっしゃらず」
無造作に伸ばした王女の手から球状の光が生まれ、その魔法の球は夜をすべり、一つの断末魔の叫びを生んだ。
「ね、必要でしょう?」
アンシは明るい声を出した。
「どうしてキミはそう楽しそうなんだ?」
「それはあなたと一緒にいられるからではないでしょうか」
「ここは舞踏会場じゃない。戦場だぞ」
言うや、アレスは、アンシの背に忍び寄ろうとしていた影を斬り捨てた。
「どちらでも同じです。踊るか戦うかの違いだけでしょう」
結構大きな違いだとは思うが、アレスはもう突っ込まなかった。どうやら南門は制圧できそうである。ここの情報がうまく伝わっていないのか、援軍は来なかった。
「殿下、どうぞご命令を」
ミストラス卿がやってきて、指示を仰いだ。アンシは卿に指揮を一任した。
「分かりました。では、殿下はわたくしとともにいらしてください。傍をお離れにならぬよう」
アンシは素直にうなずいた。
果たして彼女にそういう気使いがいるのかどうか。アレスには大いに疑問があるところであったが、何と言ってもアンシは女の子なのである。女の子であるという一事だけでもって、尊重される資格があるのがこの世のならいである。
宮中の奥へ奥へと進むミストラス隊は、たまに現れる敵兵を倒しながら、どんどん先へと行った。そちこちで宮中勤めの当直の文武の官、女官などが倒れている姿が見えた。そうして少なからぬ敵兵の横たわった体も見える。ひどい有様である。ヴァレンスでもっとも神聖であるべき宮中が、死のにおいを濃厚に漂わせていた。
公子モウライが持つ兵数は三百超であるらしかった。それにしては抵抗が少ない。何かロクでもないことを考えているのだろうか、と疑ったアレスだったが、ついに大した抵抗なく、廟室の前に来ることができたので、拍子抜けする気持ちを引き締めるのに苦労した。
廟室の前には多数の女官たちが倒れている姿があった。