第200話「反撃開始」
隊長の言葉にアンシは答えない。しばらくの沈黙。
ミストラス卿の名には覚えがあるアレスである。ヴァレンスの重臣であり、国政を預かる五人の大臣のうちのひとり。先の朝政の席において自分自身を含めた五大臣の政治的無能ぶりを批判したことから、アンシの不興を買い、現在は謹慎中の身だったハズである。その卿が私兵を用意しているという。
――やっぱり計画があったのか。
一見仲が悪そうにしていて、実は裏でつながっている。それでこそアンシだ、と一瞬思ったアレスだったが、よくよく隊長の言葉を吟味してみると、彼は、「協力を取りつけてきた」「いかがなさいますか」と言っており、それは隊長の行為があらかじめ打ち合わされたものでないことを示している。とすれば、アンシとミストラス卿の間にも何らかの密約的なものなど無いということになって、それは、
「卿は殿下のために尽力を惜しまないと申しております」
沈黙を割って隊長から発せられた言葉からも知れた。
アンシが口を開いた。
「コンフォウ」
隊長の名だろう。
「はい」
「感謝します」
「差しでがましいことをいたしました」
「いいえ」
アンシは首を横に振ると、
「これも地の神の導きでありましょう。あなたに従います。案内を頼みます」
感慨深げな声を出してから、アレスの方を向いた。
「ミストラス卿に助けてもらうことにいたします」
「では、お供します」
「良いのですか?」
今さら良いも悪いも無いものだ。何らかの決着がつくのを見届けない限り離れる気は無い。
「それではお願いします」
そう言うと、さっさと歩き出した隊長に続いてアンシも歩き出した。アレスも二人に続く。遅れてロロと三人の女官たちもついてきた。
それにしても、謹慎を命じたその王女を助けるために、私兵を用意するとは、ミストラス卿はなかなかの忠臣のようである。コンフォウ隊長にしてもしかり。命じられもしないのに勝手に卿に助けを求めに行くわけだから。またロロにもそれは言える。王女の盾となったグラジナや他の女官たち。重臣からの助けも得られず孤立無援のように見えるアンシのそばにも、確かに想いやってくれる人がいることを、アレスは彼女の代わりに喜んでやった。
月が叢雲に隠れ、道が闇に染まった。
アレスはエリシュカのことを考えた。この反乱は宮中を攻めるものであり市井には及んでいないとは思うが、エリシュカの起居しているフィオナの家は、王宮からあまり離れていない場所にあって、文字通りの意味であってもなくても、火の粉が飛んでくることも考えられる。危険なロケーションなのである。それにしては今に至るまで全く彼女のことを心配していなかったことにアレスは気がついた。おそらく、エリシュカにはフィオナがついているからだろう。どうやら残念なことに、フィオナには全幅の信頼を置いているようだった。ちょっとやそっとの危機では彼女が不覚を取ることはない。また、ヤナもいることであるし、よっぽど向こうは安心である。
月が雲間から顔をのぞかせた。
ミストラス卿の屋敷につくまで誰にも見とがめられることは無かった。そういう道をコンフォウ隊長が選んだのだろう。手際のよい仕事ぶりである。
「殿下。よくぞ、御無事で……」
いかにも武人風のたたずまいを見せるミストラス卿がアンシの前でひざをついて、感極まったような声を出した。屋敷の立派な門を通用口から入った、その庭先である。鎧を身に付けた卿の後ろには同様に武装した兵がずらりと整列しており、その乱れのない雰囲気はいつでも出陣用意が万端整っていることを示していた。
「わたくしを助けてくださるとお聞きしました、ミストラス卿」
アンシは優しげな声を落とした。
「微力ではありますが」
「ありがとう」
「もったいないお言葉です」
「わたくしを恨んでいないのですか?」
いかにも唐突な質問に、ミストラス卿は言葉を詰まらせた。
アンシは夜を少し震わせるように笑うと、答えを聞く前に、
「卿は正直な方ですね。安心いたしました」
言ってから、卿の動かせる兵の数と反乱軍の数を聞いた。
「勝てますか?」
アンシの問いに、
「勝たなければいけません」
ミストラス卿は厳然とした声を出した。それから、卿は王女の指示を待つように口を閉ざした。
選択肢としては幾つかあるだろう。このまま攻めのぼり王宮を奪還する策、あるいはこのミストラス卿の屋敷に籠城する策、また卿の兵に守らせながら王都を脱出する策。最も安全なのは、最後の策である。しかし、逃げるつもりがあるのならここに来る必要は無く、アレス達と一緒にあのまま逃げれば良かったのであり、またそもそも逃げるのはあまりアンシの性に合った行為では無いということを、アレスは知っていた。籠城にしても、籠城とは援軍が期待できるときになす策であって、味方のいないこの王都でしてもあまり効果が無い。結局、アンシが選んだのは最初の策であった。
「では、逆賊を成敗しに参りましょう」
力みのない声が闇を静かに打った。