第181話「憂いの帰路」
二週間前、地下組織シブノブとの会見に赴くアンシに同行した際に、見た顔である。いや、顔には覆面があったので、正確に言えば、姿を見た。緑と茶を配した迷彩服の長身である。
「確か、『王のまぶた』だっけ?」
アレスが言う。迷彩服は答えない。代わりに、アンシが律儀にも、「王の眼です」と訂正してきた。
――洞窟で感じた気配はコイツか。
ぼーっとしたやる気のない立ち方をしている諜報部員を見ながら、アレスは思った。思いつつ、辺りを見回して、
「美少年ヤロウは一緒なのか?」
と声を投げた。やはり迷彩服は答えない。
「えっ? 美少年?」
ミラーナがすぐさま周囲をキョロキョロし始めるのが、アレスの目に映った。どこにもそれらしき美しげな男の子がいないことが分かるとつかつかと近づいてきて、「美少年、どこだよ!」と、まるでアレスが隠してでもいるかのような言い方をした。
日の下で改めて真向かった巫女の少女は、ふわふわした黒髪の巻き毛だった。肩くらいまでの長さである。大きめの二重の瞳に、勝ち気そうな顎先。全身にエネルギーが満ち満ちているような活発な雰囲気がある。
「王宮に来たら会わせてやるよ」とアレス。
「ウソついたら、殺すぞ」
「巫女なのに、殺す殺す言うのは、どうなんだよ」
「じゃあ、お前、巫女になったことあんのか?」
「憧れの職業だね」
「なったことも無いのに知ったかぶんじゃねーよ」
まことにもっともなことを聞いたアレスのその耳に、アンシのねぎらいの声が聞こえてきた。
「ご苦労さまでした」
それに軽く会釈するように頭を下げてから、迷彩服が言う。
「では、あの男を王都まで運びます。お帰りお気をつけて」
その簡潔な言葉にうなずいたアンシは、くるりと背を向けると、洞窟から離れて歩き始めた。馬車は麓に停めてある。王女のすぐ隣にはグラジナがつき、「あ、ちょっと待ってよう」と叫びながら、二人の後ろをミラーナが追いかける。アレスも剣をおさめたあと、少し離れて一行の後に続いた。迷彩服は、それを見送るようにしていると、おもむろに十数名の信者たちが倒れているところへと歩いていった。
アレスには訊きたいことがある。数歩後ろからアンシの背を見ながら、心の中で問いかけた。
なぜ、殺したか。テンセイ教信者たちのことである。
殺すことはなかった。もちろん、王女に限らず、人を暗殺しようなどという人間は殺されても文句は言えない。しかし、それでもアンシなら、とそう思ってしまう気持ちは、やはり彼女への信頼に由来しているのだろう、とアレスは思う。その信頼がもろくも崩されたのである。麓に戻ったアレスは、傷心の男心を抱えて御者台に上った。
日は大分傾いてきているが、走れるだけ走るようにとアレスは言われた。言ったのは、グラジナである。主人であるアンシの意思を伝える格好だった。アレスが肩をすくめることを以って答えとしたあと、彼女は、
「一つ警告しておく」
声を震わせるようにして言った。
「もう一度、殿下に無礼な振る舞いをしてみろ。わたしの命に代えても、貴様を殺す」
グラジナの鋭い形をした瞳の中に、暗いゆらめきがあった。アレスはうんざりした。どうしてどいつもこいつも、殺す殺すと連呼するのか。もっと楽しいことを言えばいいのに。そう思ったが、口ごたえはしなかった。グラジナを議論の相手としても、永久に二人の意見は平行線を描いて交わることが無いだろう。その自信がある。
グラジナが客車に乗ったことを確認してから、アレスは馬に鞭をあてた。ゆっくりと馬車が動き出す。再び王都まで一日の行程。今度、盗賊団に出会ったらアンシに蹴散らしてもらおう、とアレスは皮肉な気持ちで考えた。不意打ち気味であったとはいえ、武装した男たち十数名を苦も無く倒す力の持ち主である。王女という身分に遠慮していたが、このパーティの中ではもっとも強いに違いない。適材適所である。
――オレは野営準備とかの雑用がお似合いだ。
その夜、夕食を終えてから、馬車の近くで見張りに立っていると、ふわりと爽やかな香りが漂ってきた。
「昼間の説明をいたします」
アンシがひそやかな声を出した。
アレスは、興味ありません、と固い声で答えた。
アンシは気にしない。
「テンセイ教の勢力が、ヴァレンスでは南部を中心にして、大きくなってきているとの報告がありました。単に異なる神を信仰するだけなら問題はありませんが、どうやら彼らの神は教えに従わない者を武力で駆逐することにも理解があるようで、信者は武装しています。面倒なことにならないように、今のうちに潰しておきます。そのための口実がお昼の彼らです」
アレスの頭にピンと来るものがあった。
テンセイ教を潰すための口実として、信者の中に王女暗殺を企てた者がいたという事実を使う。そうアンシは言う。その口ぶりは、落ち着き払っており、昨日今日考え出されたものではないということは明らかである。
「キミが仕組んだのか?」
アレスは尋ねた。
答えは返ってこなかったが、返してもらう必要は無かった。