第176話「洞窟の中の誓い」
洞窟には、立ち入り禁止のロープのようなものがおざなりに張ってあるだけで、番人さえおらず、入ろうと思えば誰でも入れそうな様子だった。とても、王家ゆかりの地とは思えない。
「中に神器を守る巫女がいます。侵入者がいれば、追い払ってくれます。その巫女にお会いして、国を継ぐ旨を伝えればこの儀式は終わりです」
そう言って、アンシはロープをくぐった。くぐった先は薄闇である。すぐにそのあとに続いたグラジナが魔法の言葉を唱えると、ぼおっとした光が辺りを照らした。グラジナの手から現れた光球が、少し辺りを照らし出した。前方の足元と、それぞれの姿が見えるくらいには明るくなる。
王女が先頭に立って歩き出す。どこに行けば良いのかは、アンシしか知らない。
もっと派手に一面を照らしてくれればいいのに、とアレスは思ったが、おそらく儀式の雰囲気を壊さないためか、あるいは、派手に照らすだけの魔法の力がグラジナにないのかのどちらかであって、別にケチって明るくしないわけではないのだろうと思いなおした。
洞窟内は、じめじめとして不快であった。神器がある洞窟であれば、もっと清涼感があってもいいような気がするのだが、全くそんなことはない。湿っていて、何だか匂いも良くなかった。物が腐ったような匂いがする。
「二人とも足元に気をつけてくださいね。ほとんど整備されていませんから」
アンシが言う。
呪文の光球によって照らし出された道は、少し下り坂になっていて、洞窟の入口が完全に見えなくなるくらいまで歩いた頃、階段状になっていた。
「どのくらいかかるんです?」
「十分くらいだと思います。自信はありませんが」
暗闇の中で足元に気をつける時間としては長すぎる。アレスは、うんざりした。
一行は黙々と歩いた。この闇の中では冗談を言う気にもなれない上、それを許す雰囲気でもなかった。神聖な儀式の最中なのである。私語は慎まなければならないだろう。
闇の中を歩いていると、まるで宙を浮いているかのような浮遊感があった。周囲の景色が判然としないためか、歩いているという手ごたえを得られない。ただでさえ、ふわふわ感があるところ、スキップなどしてみたら一体どうなってしまうだろうか、とアレスは興味を持ったが、実際にルンルンスキップを踏むのはやめておいた。それこそ、神聖であるべき儀式を汚してしまう。
アンシが足を止めた。どうやら目的の場所に到着したようである。と言っても、魔法の光が弱くて、周囲の様子がよく分からないのだが、すぐに目についたところが一つあった。
「あれが神器です」
アンシの軽やかな声が闇に浮いた。
少し離れたところに、大型の斧のようなフォルムのものが台座の上に横たわっていた。外界の光が一筋差し込んで、神器を弱く照らしていた。
それから沈黙が落ちた。誰も一言もしゃべらない。
「これからどうするんです?」
たまりかねて訊いたアレスに、「待ちます」と静かに答える王女。
「何をです?」
「神器を守る巫女です」
「いないようですけど」
「だから来るのを待つのです」
「お昼寝中とかじゃないんですか? 呼んでみましょうか? 『みーこさん!』とかって」
「大変残念なことですが、どうやらあなたにこう言わなければならないようです。『少し黙っていてくれませんか』と」
アレスは言われた通りにしていた。それからしばらく待った。「しばらく」と言っても、洞窟内でどのくらいの時間が流れているのか良く分からないので、自分で「しばらく」と思っているだけである。そのうちにアレスは眠くなってきた。あくびをかみ殺していると、不意にひそやかな気配を感じて、アレスは短剣の鞘を握った。
「アンシ・テラ・ファリアです。巫女リビウ」
アレスの逸りを押さえるかのように王女が言う。
「ゴリアスの娘か?」
声は前方から聞こえてきた。若い声である。というか、幼いと言ってもよい。
アンシは、はい、と答えると膝をついた。グラジナもすぐに同じようにする。アレスだけは、そのまま立っていた。巫女とは友達では無い。
「何をしに参った?」
「この国を継ぎに参りました」
「国はそなたのものではない」
「存じております」
「国を一人のために用いてはならぬ」
「はい」
「国は万人のものである」
「肝に銘じます」
「それでは、アンシよ、ヴァレンスの全ての生きとし生ける者に、幸いをもたらす者であらんと努めることを誓えるか」
「誓います」
「では、聖なる鉞の前で誓いの言葉を述べよ」
王女は、グラジナに付き添われる恰好で、鉞の方へと歩いて行った。アレスの周りは光がなくなったせいで、まっくらになった。ひとり闇の中に残されたアレスは、台座の上にある大型の斧の前で、ひざをつき次代の王になるための誓いの言葉を粛々と述べるアンシの姿を見た。
それが終わって返ってきたとき、アンシの前に小柄な影が現れた。いや、向こうが現れたのではなくて、アンシが近寄ったのである。グラジナの魔法の光の下、十歳前後の女の子がアンシを見上げている姿が、アレスの目に映っていた。