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第169話「馬車は急に止まれない」

 親しげに手を振ってくる見知らぬ男までまだ距離はある。

「オソ、このままの速度で走り続けて、あの男の直前で急停止することできるか?」

 アレスが言う。

 眉を曇らせてたしなめてくるだろうかと思っていたアレスだったが、意に反してオソは、「もちろんです」と静かな声の中に自信の色をしのばせた。どうやらアレスの疑問文を、「やれるもんならやってみな、チキンヤロウ」という挑戦と受け取ったらしい。

「手を振れば、ゆっくり近づいてきてくれるなんていうのは間違った考え方だ。それを分からせてやろう。これは必要な措置なんだ」

 もったいぶって言うアレスの声は、オソには届いていなかった。ん、と思ってアレスが顔を向けると、オソのその横顔には凄味が漂っているのが見て取れた。集中モードである。アレスは、客車に向かって、何かに捕まっているようにと、一声かけた。

 ゆるやかに下っていく道を、大きく手を振っている男目がけて、馬車は疾走した。

――え、引いちゃうんじゃないの、コレ。引き殺しちゃうんじゃないの?

 とアレスが本気で心配し始めた瞬間にも、オソはブレーキをかけない。どう考えても止まれないだろうと思われたところで、馬車は見事に停まった。まさに神技と言って良い。そうして、御者台から飛ばされずに済んだ自分も神がかっているぞと思って満足したアレスだったが、もう当分の間、己の神がかり度を試す気はなかった。

 アレスは御者台からふわっと地に降りると、抜かりなく魔法の短剣を抜いて光をともした。愛用のビリビリソードである。

 当の男は街道の隅に転がっていた。馬車がぶつかる――もっとも、実際はギリギリで停まったわけだが――寸前に、横に飛んで難を逃れたのだ。愛刀を構えるアレスの前で、男はうつぶせに寝転がった状態から、よろよろと立ち上がり、そのあと首を振って意識を確かなものにしようとした。

「……し、死ぬかと思ったッス」

 アレスは自分の記憶力があまり程度の高いものではないということを理解した。確かに見た顔なのに、誰だか思い出せない。

「おい、お前、誰だ?」

 ぞんざいに言うアレスに、男はショックを受けた声を上げた。

「だ、誰だか分からなかったのに引き殺そうとしたんスか?」

「街道上に突っ立ってたら引き殺されたって文句は言えないだろ。それに、引き殺すつもりなんかなかった。ちゃんと停まったんだからな」

 男はまだ二十歳そこそこの年である。二十歳前かもしれない。体とのバランスを欠くくらいに長い手足を持ち、顔まで縦に伸びて、目は横に伸びた糸目だった。

「手を振ってたじゃないスか」

「そうやって手を振られて、のこのこついて行ったら殺されかけたっていう経験があんたにあるか?」

「無いッス」

「だろ。そういうことだ」

「あの……」

「何だよ」

「まず、その剣、しまってもらえないスか」

「何で?」

「前に斬られかけたことがあるんス」

 それで思い出した。アレスは自分の記憶力もなかなか捨てたものではないぞと考え直した。

 警戒しているような様子の男の前で、アレスは剣をしまわずに、むしろ突き付けるようにして言った。

「あんた、地下組織『シブシブ』のメンバーだな?」

「……『シブノブ』ッス。しぶしぶ行動する地下組織ってどんなんですか?」

 男は、ダコーロと名乗った。一度自己紹介してるんですが念のため、とおそるおそる付け加える。アレスはうむ、と鷹揚にうなずいた。もちろん、男の名前など覚えていなかった。

「それでですね、リーダーの命令でここまでアンシ王女をお迎えに上がったわけなんですが、殿下のご尊顔を拝し奉ることはかないますかねえ?」

 折良く、客車のドアが開いてアンシがズーマを伴って現れた。

 さっとダコーロは長い足を折って膝を地につけた。

「その方が案内してくれるのか?」

 アンシは威圧的な口調である。

 はい、と答えるダコーロ。

「頼みます」

 アレスは、ダコーロの肩がかすかに震えるのを見ることができた。なにをプルプルしているのか。政府転覆を目指すシブノブにとって、本来、王女は最終目標であるので奮い立っているのだろうとアレスは好意的な解釈をしてやることにした。

「森まで馬車に同乗することを許します」

 立ちあがったダコーロは、いえいえいえいえ、と両手を振って、「あっしは歩きます。そんな滅相もない。畏れ多い」と慌てた口調で言うと、もうさっさと歩き出した。

「賢明な判断だな。一緒の空間にいたら何をされるか分からない。死んでしまったら役目を全うできないからな」

 アレスが言うと、王女は何のことだか分からないというように小首を傾げるようにすると、御者台まで歩いていき、オソに向かって、「歩く速度であの男を追うように」と声をかけた。そのあと、王女は、

「それから、今後さきほどのような急停車はしないよう願います。久しぶりに死の危険を感じました」

 柔らかく続けた。

 恐縮したオソは、「申し訳ありません」と素直に謝ってから、自分の隣に乗ってきたアレスを恨めしげに見た。アレスは男同士の分厚い友情にヒビが入ったのを感じた。

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