第158話「オソの決意」
知り合いの家に預けるとしても、エリシュカからすれば全くの他人の家であるので、心細い思いをすることだろう。その寂しさを埋めるための世話役がいてくれたら、どんなに安心かしれない。エリシュカのお守り役。アレスはそれをヤナに頼もうと思ったのだが、言う前にあちらから察してくれたらしい。アレスはヤナとの間に、魂のつながりを感じた。
「変なものを感じるな、アレス。気色悪い」
「照れちゃって」
「リシュ。一カ月特訓しような。一撃でコイツを倒せるように」
アレスは次に、オソを見た。オソはキツネにつままれたような顔をしている。
「お前はどうする。オソ?」
どうする、とは、「お前もエリシュカ達と一緒に行くか?」ということである。
オソの顔は強張った。その問いは彼にとっては心外である。父からは、「ルジェ王子にお仕えするように」と言い含められて家を出された。「仕える」というのは、そば近くに侍り、御身の用となることであって、宮中を出たりすればどうして王子のお役に立つことができよう。
「しかし、オソ、事情は変わったのです。ボクはもう今は国を出た身です。お父上も、放浪の身に仕えよと言ったわけではないでしょう」
自虐的な口調で会話に入ってきたルジェに向かって、オソは生真面目そのものである。
「失礼ですが、父は、人というものを身分や立場では見ません。『ルジェ王子に仕えよ』というのは、ルジェという方にお仕えしろ、ということであって、王子という身分の方に仕えよ、ということではありません」
「ですが、オソ――」
「わたしは王子がミナンにお帰りになるまでおそばにいます!」
この、日頃物静かな少年が強い声を出したという一事が、彼の決心が並々ならぬものであるということを表しており、それ以上、ルジェは返す言葉がなかった。ルジェとしては、これから我が身がどうなるか分からず、将来に何も約束してあげられない現状で、自分に仕えてもらうのは心苦しく、親元にいたくない何かしらの事情があるターニャはともかくとしても、オソには自由を与えたいという気持ちがある。
それに、オソはおそらくアレスに魅かれている。オソがアレスを見る目には、親しみとともに敬仰の色が込められていて、弟が兄を見ているような風がある。
――ボクなんかよりも、アレスに仕えたいんじゃ……。
と思えば、よっぽど自分の元にとどめておくことは憚られるのであるが、これほどはっきりと「そばにいる」と口にされたら、是非もない。これ以上覚悟を試すような言葉をかければ、失礼極まりないことになる。ルジェはただ無言で頭を下げた。
「決まりだな」
恐縮するオソを見ながら、アレスは手を打った。
「じゃあ、早速行くか」
歩き出したアレスは戸口に立つと、エリシュカとヤナを手招いたのち、ズーマにはここで待機するように指示を出した。
「両手に花だな。偽勇者のクセに生意気に」
ズーマが言う。
「トゲだらけの花だけどな」
アレスの軽口にヤナは視線をキッとさせて反応したが、エリシュカはスルーした。
三人は宮中の回廊を歩き出した。
アレス達にあてがわれた部屋は奥にあって、宮中を出るまでに大分時間がかかる。一度、「『ヨーイ、ドン』で走ってみないか」と提案してみたアレスだったが、二人からは無視された。そこここに見張りの兵が立っているものの、まるで彫像のように直立不動の構えをしているだけで、誰からも誰何されない。
「王女の差し金だよ」
とアレスはヤナに囁いた。
「宮中を自由に歩かせてくれるなんて、よほど信頼されてるんだな」とヤナ。
「これも日頃の行いが良いせいだな」
「ふーん、じゃあ、これからあたしも、お前を見習って、立ちはだかる人を問答無用で殴り飛ばしたりしてみようかなあ」
「いや、姐さんはもうすでに結構そういうことしてるよ」
とうとう宮門でさえ三人は止められなかった。アレスが出たい旨告げると、門衛が素直に門を開けてくれる。宮門は宿屋のドアとは違う。簡単に出たり入ったりはできない。それができるということは、王女の指示がよほど徹底しているということである。
「これだけ厚遇してくれるってことはよっぽどお前にやらせたいことがあるんだろうなあ。王女との取引は高くつくぞ。まあ、気をつけな」
宮門から少し離れたあと、ヤナは明るい声を出した。内容が重たいので、せめて声だけは軽いものにしてやろうという心づかい。アレスは痛み入ったが、言葉にせずに黙っておいてくれた方がずっと良かったと思った。
お昼前の時間帯であるのにも関わらず、まるで夜中のように静かな街中を、しばらく歩く。
アレスは隣を見た。うつむき加減のエリシュカは部屋を出てから一言も話していない。まさか歩きながら眠ってるんじゃないだろうな、などと失礼なことを考えたアレスは、エリシュカの手を取った。エリシュカはちょっとアレスに視線を向けて、ちゃんと起きていることをアピールしたが、やはり何も話さない。アレスの握っている少女の手は、大人しく取られてはいたものの、自分から握ろうとはしなかった。