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第151話「月下談笑」

 月の下で、しばらく一つに重なっていた影は、やがて二つに分かれた。

「報告を受けたときは驚きました。ルジェ王子の従者にアレスを名乗る人がいると」

 王女の楽しそうな声が夜に浮いた。

「まさかと思ったんですが、ズーマらしき人も一緒にいると聞いてこれはと思い、それで矢も楯もたまらなくなって、わたくし自ら城門前に足を運んだんです。あなたに一刻も早く会いたくて」

 アレスは王女に手を取られた。その手から優しい温かさを感じたが、彼女の言葉通りを信じるほど、アレスはお人好しではない。

「そういうひねくれた性格だと誰からも愛されませんよ、アレス」

「オレはアロスだよ」

「そうでした。でも、今はアレスで良いです」

「それで?」

「それはこちらのセリフ。どうしてお帰りになったんです」

 アレスはざっと事の経緯を説明した。

「なるほど。なかなかトラブルに事欠きませんね、あなたは」

「それで喜ぶのはズーマくらいだよ。オレはトラブルなんか好きじゃないんだ。可愛いあの子の膝枕でうたたねするような気楽な生活を送りたいのに」

「いつでも膝をお貸します」

「キミがしてくれるのは膝枕じゃないだろ。せいぜい膝蹴りだろ」

「まあ」王女はクスリと笑ったようであった。

 アレスは本題に入った。「そういうわけなんだ。サージルスの石を貸して欲しい」

「いいですよ」

 返された即答にアレスは虚をつかれた思いで、王女の顔を覗き込んだ。

 闇の中に白く浮かび上がるような面に穏やかな色がある。

 訪れた沈黙を破ったのはアレスからだった。

「代わりに何をすればいい?」

「何かしてくださるんですか?」

 王女は小さく声を弾ませて答えた。

 アレスはつないだままの手を少し引くようにして、先を促した。王女が言う。

「一月後に戴冠式があります。それまでそばにいてわたくしを助ける、というのはいかがですか?」

「助ける? オレに何かできるとは思えないけど。大体、オレがキミの周りをうろちょろしてたらマズいだろ」

「なにもマズいことなどありません。わたくしがあなたのことをルジェ王子の従者のアロスだと言えば、宮中ではそうなります。何もしなくて構いません。戴冠式までわたくしの傍にいてほしいんです」

 声音に切実な色があって、アレスの胸にざわめくものが生まれた。しかし、それを抑えつけなければならない理由がアレスにはある。

「オレにはやらなくちゃいけないことがある。エリシュカのことが済んだら、ミナンの王都に行く」

「ルジェ王子の件ですか?」

「いや、そっちとは関係ない。野暮用だよ」

「それはリシュさん自身とどっちが大切なんです?」

 アレスは返答に詰まった。どっちとも言えない。ミナン王都に行くことについても、エリシュカに関わることだからだ。

「あえてどちらかを選ぶとすれば?」

 あえて選ぶとすれば、それはやはりエリシュカ自身の方が大切である。

「じゃあ、あなたはどちらにせよ、ここを離れられません」

「どういうこと?」

「サージルスの石を使って死病を治すことはできても、死病にむしばまれた体が完全に回復するまではなお幾月かかかります。そんな状態のリシュさんを放って、どこかに行けますか?」

 アレスは、側面を突かれた思いがした。「石」を手に入れればズーマがそれを使って呪文をかけ、エリシュカの死病の件はとりあえずそれで解決だと思っていたが、そういうことではないらしい。予後のことに思いを至らせなかったアレスは自身の不明を恥じた。と同時に、そこまで話さなかったズーマへの苛立ちと、ズーマがアレスに語らなかったことまで語ることができる目の前の少女への不審の念が湧いた。

 闇の中をたおやかな手が動いて、アレスの頬に触れた。

「そういうことらしいですよ」

「ズーマに聞いたのか?」

「さあ、どうでしょう」

 王女は答えず、アレスの頬に触れたまま、続けた。

「もう一度お願いします、アレス。戴冠式までわたくしの傍にいてください。一年前、この国を去ったのは、わたくしのことをお嫌いになったからではないのでしょう?」 

「どーかな。オレの理想の男女関係知ってるだろ?」

「いいえ、聞いたことありません」

「亭主関白だよ」

「わたくしなら貞淑な妻になりますよ」

「いや、それは天地がひっくり返ってもあり得ないね。キミのことはよく知ってる」

「お答えは?」

 アレスは考える間を取った。間を取るということそれ自体が、気持ちの在りかを示していた。

「承諾しやすいようにもう一押しして差し上げます。もしお断りになるなら、リシュさんからあなたを取り上げることにする、というのはどうです?」

「ヴァレンス王女は人のものを横取りしないんだろ?」

「横取りはしません。あなたの正体を公表して、もともとわたしのものだったと権利を主張し、正々堂々真正面から返してもらうだけです」

「たちが悪い」

「それがわたしです」

 アレスは息を吸い込んで、

「サージルスの石を実際に借りて、エリシュカに治療の呪文をかけてからだ。それからなら」

 決心をゆっくりと吐きだした。

「感謝します」

 王女はアレスの背に手を回すと、もう一度軽く抱きしめるようにした。彼女の背丈は、アレスの背とほとんど変わらない。艶やかな髪が、アレスの頬を撫でた。少しして名残惜しげに身を離した王女は、「それでは、また」と声をかけて、くるりと背を向けた。王女の後姿はゆっくりと遠ざかり、やがて闇に溶けて消えた。

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