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第148話「前ヴァレンス王の遺言」

 まるで氷の上を滑るような優雅さで、王女は、キュリオ隊の間をすり抜けてアレスとエリシュカの前に来た。キュリオが止めようとする気が起こらないような自然な動きだった。

「良い」

 慌てて近づこうとしたキュリオとその部下を王女は後ろ手に止めた。それから、エリシュカに向かって笑いかけた。エリシュカの剣先は、王女の形よく膨らんだ胸元を向いている。エリシュカが一歩踏み込めば、王女は、先ほどみぞおちを突かれて現在地面で悶絶しているキュリオ隊のメンバーの二の舞となるだろう。そういう状況で笑えるということが、彼女の胆力が並々ならぬものであるということを表していた。

「なかなか勇敢ですね、リシュ」

 子どもを褒めるような口調である。

「この人はわたしの物。奪う気なら、王女でも魔王でも関係ない、みんな倒す」

 エリシュカは闘気で澄みきった瞳で、王女の目を見上げた。

「おい、いつからオレがキミの物になったんだよ」横からアレスがすかさず突っ込んだ。

 エリシュカはアレスを見ないで、王女を見たまま答えた。

「はじめから」

「はじめっていつさ?」

「あなたが生まれたとき」

「ちょっと! なんでそんなことになるんだよ? せめて出会ったときだろ。しかも、オレが生まれたときは、キミはまだこの地上にいなかっただろ。いなかった人間が、どうやって物を所有するんだよ。ていうか、オレ、物じゃないよ!」

「ウルサイ! あなたから斬られたいの?」

「ええっ!」

 もう何が何やら分からない二人のやり取りを王女は微笑で受け流しつつ、エリシュカに向かって、「ヴァレンスの王女はひとの物を奪ったりはしません」と言明したあと、王女から少女の所有物であるという悲しいお墨付きを得てヘコんでいるアレスに向かって、

「良い仲間をお持ちですね」

 と柔らかな声を出した。

「恐縮です。でもそれ、本気で言ってます?」

「ええ、モチロン」

 アレスはエリシュカの腕を強く引くと、王女との間に割って入って、自分の影に隠すようにした。

「そのお嬢さんの勇気に免じて、あなたの拘束は取りやめることにします。これ以上部下が暴行されるのを見る気もありませんので」

 アレスの後ろにいたエリシュカの肌がにわかに粟立った。まるで冷水を浴びせかけられたように、ゾッとする思いがした。殺気である。しかし、それは一瞬だけのことで、ハッと気がついた彼女が、アレスの背中越しに前を見たときにはもう消えていた。

 王女は変わらぬ微笑の中にいる。

「しかし、罪は罪。それは認めていただけますね?」

 穏やかに言われたアレスは素直にうなずいた。

「勇者の名を(かた)るのはどのくらいの罪になるんです?」

「さあ。先例がありませんので、何とも。ただ、国境警備軍の部隊を助けて、ルジェ王子をここまでお守りしたことは評価に値します。暗黒の森に巣食う賊を退治したことも。そのあたりを考慮します。そうですね……」

 王女は一度言葉を切ると、目元にいたずらっぽい色を浮かべた。

「改名ということでどうでしょうか」

「改名?」

「ええ、名を変える罰は、古来より由緒正しき罰です。名というのは一族の加護を受けてつけられるもの。それを変えるということは、一族の加護を受けられなくなり、言わば孤児となるということと等しい。名を騙った者にはふさわしい罰です」

「なるほど」

 アレスは考え込んだ。

 エリシュカは、アレスの裾を引いた。

「いつもみたいにやっちゃえばいい。何でこの人の言うこと聞くの?」

「王女に向かって、『この人』とか言うな。そんなはしたない子に育てた覚えはないぞ」

「質問に答えて。そうしないと、今からもっとはしたないことする」

 そう言って、エリシュカは柄を持つ手に力を込めた。さきほどの殺気が気にならないではないが、そんなことより大事なことがある。自分以外の女に諾々と従うようなアレスは見たくない。この嫌悪感をどうにか処理するのが先である。

「もしこの方が勇者アレスだったら、わたくしはこの方と結婚しなければなりません」

 王女の爽やかな声に、エリシュカの手から力が抜けた。代わりに、目に力を込めると、まるで呪い殺そうとでもしているかのようにアレスを見た。ひいっ、と軽くのけぞるようにするアレスを見るエリシュカの耳に、王女の声が続く。

「先王のその御遺言に――どうか、みたまよ、安らぎたまへ――『クヌプスを倒した者に王女と国を与える』とあります。ヴァレンスでは、遺言はその喪が明けるまでに誠実にこれを実行しなければなりません。それが亡くなった方への供養となります。勇者アレスは魔王クヌプスを倒したあと、この国を去りました。もし喪が明けるまでに勇者アレスがこの国に姿を表したら、わたくしは先王の御遺言に従って、国を与え、彼と結婚します」

 アレスの服の裾を握っているエリシュカの手はもともと白かったが、力の入れ過ぎでなお白くなった。

「アレス……」

「な、なに? エリシュカちゃん?」

 アレスがおそるおそる顔を向けると、エリシュカは顔を俯かせていた。表情が見えないのがそこはかとなく怖い。しばし地を見ていた少女は、顔を上げると口元をニヤリとさせていた。

「年頃の女の子はそういう顔をしないほうがいいと思う」

「アロスがいいと思う」

「え、何?」

「あなたの新しい名前」

 エリシュカは視線をアレスから逸らして王女へと向けた。

「良い名前です」

 王女は手を打ち合わせた。

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