第136話「シブノブ・アンダーグラウンド」
「いやあ、お見事なお手前でござんしたねえ。そちらの姐さんが敵陣に入って虚を誘うことによって集団の利を崩し、そちらの兄さん達が一気に攻め込む。大胆にして、しかし正道。二十人を三人で苦もなく倒してしまうなんて、常人の業ではありませんねえ。一体、どこのどちらさんなんスか?」
それが新来の客の第一声だった。
アレスはがっかりした。唐突に、まるで幽鬼のようにこの場に現れた彼はその身にまとう薄気味悪さを裏切って、やけにカラリとした声を出したのである。問答無用でいきなり襲いかかってくることを考えて緊張していたアレスは、想像が現実にならず返ってムッとした。
「これじゃ、オレが小心者みたいじゃないか! どーしてくれる?」
初対面の人間に無茶振りできるのがアレスの特殊能力である。
「えっと、なんのことです?」
「何もクソもないんだよ。人に名を尋ねるときは自分から名乗れってこと」
男はペチリと頬を張りながら、「やあ、こいつはどうも」と朗らかにやりながら、
「あっしは、ダコーロと申します。シブノブの一員でして」
と微妙な自己紹介をした。
「シブノブって何だよ?」
「この暗黒の森を根城にして、政府転覆を目指す、地下組織ですね」
そう言って男は頬を持ち上げてニヤニヤしている。思いきりうさんくさい男である。どこの世界に、「国に反旗を翻そうとしてます!」と昼日中から、いくら人気が無いとは言え、街道という公然の場で口にする人間がいようか。
アレスは、すぐそばにいるナヴィンの顔を見た。ナヴィンは眉をひそめている。どうやら知らない組織らしい。
「あらら、ご存知ない。ついこのまえ、『竜勇士団』の一個小隊を壊滅させたんで、ちょっとは噂になってると思っていましたがねえ」
男が何者であれ、聞き捨てにできないことを聞き、ナヴィンは一歩前に出ようとした。それをアレスが止めるように片手を出す。どうにも嫌な匂いが男から漂っている。この頃嗅いだ事のない腐臭。戦場の匂いである。
「悪いけど、オレたちは旅人だし、こっちの美人騎士とそのお仲間達はついこの前まで辺境でぶらぶらしてたんだ。中央の情報なんか伝わってない」
「なるほど、それで、その騎士さんたちに守られているそちらさんは?」
「勇者アレスとそのご一行」
「勇者……アレス……?」
ダコーロは、ポンと拳を手の平に打ちつけて、
「どっかで聞いたことあると思ったら、クヌプスを殺ったアレスですか。あれ? でも、確か、勇者は行方不明らしいスけど」
言った。アレスは、その勇者様のご帰還だ、と胸を張った。
「えーと、その勇者様ってのは兄さんで?」
「いやいや、まさか。そんな畏れ多い。あちらの銀髪の方だ。オレはアロス」
「紛らわしい名前スね」
「オレがつけたんじゃない」
「なるほど、そちらが勇者様ですか?」
そう言ってダコーロはひょろ長い手をズーマに向けた。ズーマはぞんざいにうなずいた。
「そう言えば、アレスは呪文の達人でしたね。さっきのも、それで?」
「その通りだ」
「スゴイ呪文でしたねえ」
「大したことはない」
「さすが、勇者ともなると謙虚ですね」
二人がなごやかモードで話しているときに、アレスはすたすたとダコーロに近づくと、手にしていた光の剣を振り上げて、振り下ろした。
「うわっ!」
ダコーロは唐突な一撃にも反応するとそれをかわし、アレスからさっと距離を取った。
「何するんスか?」
アレスは自分の感覚が当たっていたことを確認した。並みの人間ならなすすべなく斬られる速度で剣を振るったにもかかわらず、見事に避けられている。やはり、只者ではなさそうだ。アレスは、ハハハ、と爽やかな笑声を立てた。
「いやあ、冗談だよ。ほんの冗談」
「何にも面白くなかったんスけど。しかも、兄さん、全く目が笑ってませんよ」
「それで?」
「はい?」
「その何とかいう地下組織のメンバーがオレたちに何の用だよ?」
「いや、兄さんたちに用は無いんですよ。あるのは、こいつらでして」
そう言って、ダコーロは地面で倒れている少年たちにあごをしゃくった。それから、ううっ、とうめいている一人の少年の元へ行くと膝をつき、無造作にその髪をつかんで顔を上げさせた。
「試験は失敗ス。二度とこの暗黒の森の周りをうろつかないことスね。もしうろついてたら殺すッス」
そう言って、分かったスか、と念を押す。少年が力なくうなずくのを確認したダコーロは満足げに立ちあがった。
「実は、この……バカ団でしたっけ? こいつらがウチに入りたいって言うんで、入団テストとして、あんたがたを襲うように言ったんですよ。身ぐるみはいで人さらい、ただし死者を出さないっていう条件でね。いやいや、ご迷惑をおかけしたッス」
そう言って、ダコーロは軽くお辞儀すると、街道からすっと両脇の木々の元へと寄って、そのまま森の影に溶けるように消えた。
アレスはすぐにこの森を通り抜けるため、馬車を走らせるようオソとルジェに指示を出した。
一撃で軽く斬れない人間を複数相手にするような事態は避けたかった。