第130話「ヴァレンス王都へ パート3」
初めての慣れない旅へのストレス、気の置けない人がいない心細さ、続々と現れる盗賊たちへの恐怖。そういうものが大挙してターニャの心を襲って、耐えられなくなったのだろう。無理からぬところである。これまで貴族的な暮らしをしてきた彼女には、箸より重いものを持つ機会もそうそう無かったに違いない。この数日間は、小さな彼女に取ってヘビーすぎる日々だったのだ。
「オソ、お前は大丈夫か?」
アレスは同じような立場にある少年を気遣った。
「平気です」
「気分が悪くなったらすぐに言えよ。無理はするな。お前はオレの大事な仲間なんだからな」
「は、ハイ」
オソは顔を赤らめた。
うんうん、と満足げにうなずいていたところで、
「オソにだけ訊いて、なんであたしたちには訊かないんだと思う、リシュ?」
「わたしたちは大事じゃないってこと」
「ふーん、なるほど。自分が大事にしていない人からは――」
「自分も大事にされない」
不穏な気配が漂ってきて、アレスはそろそろとその場を離れた。一行がいるのは、本日のお宿、ニックリア市の市長宅、その豪勢な一室である。隣室ではターニャが横になっており、それにルジェが付き添う格好になっていた。馬車の中で気分を悪くしたターニャをここに運んだのが二時間前。それからニックリア市長お抱えの医師に診てもらったのである。医師によると、ターニャは病気ではないらしい。単なる疲労であるということだ。一晩ぐっすりと休めば大丈夫というお墨付きを得て、一番ホッとした様子を見せたのがルジェである。
「ガミ市長からお預かりしている子ですから」
実質は押し付けられたようなものなのにそうは言わないところに、ミナン王族の優美さが見える。それに比べて、ナヴィンが、
「明日になっても治らなかったら、あの子も足手まといだからって置いていくの?」
皮肉な調子で言う、そのヴァレンス貴族の粗暴さはどうであろう。そう指摘したアレスに、
「あなたは同じことをわたしに言ったわ」
と返す女隊長。
「まだ根に持ってんのか。しつこいなあ。それより、これからの旅程について説明してくれよ、隊長。もうすぐ、王都だろ。あと一日?」
ナヴィンはまっすぐに引かれた眉をひそめたがそれだけで、素直にこれから王都までの道のりを説明し始めた。
「王都まではここからは一日、ゆっくり行けば二日。王都に入る前にもう一つ関所があるから、そこを越えて入る。それは王都の外壁部分で、そこからさらに半日ほど行くと、王都の内壁部つまり街がある」
「無駄にデカイ都だな。二重の壁で囲って、まるで来るものを拒んでいるみたいだ」
「事実その通りよ。外壁の関所は、王族関係者か軍関係者、他には特別に許可を受けた者しか入れないことになっている」
ナヴィンはそこで意地の悪い笑みを浮かべた。
「わたしが先導しなければ、いくら他国の王子だからといって簡単には入れない。あなたたちは尚更よ」
「だから?」
「これは好奇心で訊くのだけれど、もしわたしがバムル市で部下と一緒に残ってたら、あなたたちは王都には入れないことになった。そうなってたら、どうしてた?」
アレスは考えるそぶりさえ見せなかった。愚か過ぎる問いである。アレスは自分では答えず、代理にオソを立てた。近くで椅子に座っていたオソは呆気なく答えた。「力づくで突破します」と。アレスはにやりとしてうなずいた。
「そんなことができると思ってるの」
「ボクにはできません。でも、アレスにはできます」
静かに言うオソ。ナヴィンは何かに思い当たったかのような目を彼に向けた。
「あなた、ミナンの人よね?」
「はい、そうです」
「じゃあ、教えておいてあげるわ」
ナヴィンは、軽く馬鹿にしたような笑みを浮かべると、
「あなたはこの人が勇者アレスだと思ってるからそんなことを言えるんだろうけど、『アレス』っていうのはこの国では、多くは無いにしろ珍しい名前じゃないのよ」
そう言って別人の可能性を示唆したが、オソはひるまなかった。
「ここにいるアレスが勇者アレスであるかどうかとは関係ありません。勇者であってもなくても、アレスはやるべきことをやります」
アレスはオソの前に行くとその手をがしっと握りしめた。それから、「どうだ!」と言わんばかりの誇らしげな顔を、仲間たちに向けたが、他の仲間たちはこちらに全く興味が無い様子だった。ズーマはベッドでゴロゴロとしているし、ヤナはエリシュカの髪をくしけずってやっていた。エリシュカはうとうとしている。どうやら折角ナヴィンに説明させたというのに、王都までの旅程については誰ひとり興味がないようである。リーダーと御者に任せておけば良いというその無責任ぶりに、アレスは返って勇気づけられた。
「オレがしっかりしなければいけないんだ!」
ナヴィンは冷めた目で、勇者の決意表明を聞き流すと部屋を出た。
アレスも部屋を出ると、隣室に行ってターニャを見舞った。
「薬を飲んで眠りました」
ルジェは椅子から立ち上がって、安堵の色を見せた。それから、
「後悔しています。安易なことをしてしまったこと」
顔を暗くした。アレスは首を横に振った。
「この子が自分で決めたことだ。まあ、若干クソ親父の計算もあっただろうけどな。あんたにできるのは守ってやることだろ」
「必ずそうします」
「そうしろ。ここにはヤナが詰めるから、ルジェはオレたちの部屋に来い」
「いえ、ボクが付き添います」
「ダメだ。あんたは明日も御をする役割があるだろ。役目を果たせ。ターニャのことはヤナに任せろ」
ルジェはしぶしぶアレスの言葉に従った。
窓の外では雨がしとしとと夜を濡らしていた。