第127話「バムル市で別れましょう」
その日、日が落ちる前にバムル市に着いた。
アレス達はナヴィンの指示に従い、バムル市長邸に向かった。市長邸に泊めてもらうためである。これまで通って来た市の市長たちと同様、バムル市長にもアレス達は歓迎された。
「ミナンのルジェ王子をお迎えできるとは、恐悦の至りです」
ボールのような丸々した体とボールのようなつるつるした禿頭を持つ市長は、満面を笑みとあぶらでピカピカ光らせていた。もちろんバムル市長は貴族である。どうやら、この国の貴族にとっては身分が何よりも大切なものであって、王族を自邸に迎えられるということは、大変な名誉であるらしかった。アレス達も、王子の連れであることから、ミナン貴族であるとみなされていて丁重な扱いを受けていた。
「人を見ずに身分を見るんだな、この国は」
夕食を食べ終わったあと、小間使いに部屋まで案内されて、広い廊下を歩いているとき、アレスが皮肉げな声を出した。アレスの近くを仲間たちが歩いている。
「何も間違っていないでしょ。身分が人の位階を決めるのだから」
答えたのは、ナヴィンである。隊長のあとに、少し離れて隊員たちが付き従っている。
「ホントにこの国のヤツはおめでたいなあ」
「何ですって?」
「一年前に、魔王クヌプスが平民を率いて反乱を起こしただろ。もう少しで王都は落ちるところだった。身分が低かろうが、それだけの力を秘めているんだ。身分が人の位階を決めているんだとしたら、その事実はどう説明するんだよ」
ナヴィンはかすかに笑ったようである。
「何かおかしかったか?」
「王都は落ちなかった。それが全てよ。これは、大地の神がヴァレンスを祝福してくださっている証。ヴァレンスの統治者を貴族に命じているという証拠でしょう」
「勘違いもそこまでいくと哀れだね。ヴァレンスは神が救ったんじゃない。人が救ったんだ」
「勇者アレスでしょ。でも、その勇者こそ、大地の神が遣わした者だったのかもしれないわ」
アレスは口を閉じた。ナヴィンとの意見の相違は、文化的、宗教的な考え方の違いからものであり、その溝を埋めるにはまだまだ時間が必要であるようだったし、そもそも溝を埋める必要性をアレスは感じていなかった。
部屋に着いたようである。小間使いの少女が足を止めていた。例によって、ルジェにだけ別室が用意されていたが、その部屋は女性陣のために開放された。
「ちょっといいか、ナヴィン」
そう言って、アレスは女隊長を自分たちの部屋に導いた。
「頼みたいことがある」
アレスは切り口上で言い出した。ナヴィンは、聞き入れるかどうかは別として聞くだけは聞く、と答えた。アレスは、負傷したナヴィン隊のメンバーをここに残していってもらいたい、と言った。三度の盗賊との戦闘のせいで、負傷メンバーは十人ほどになっていた。
「はっきり言うが、あんたの部下のおかげで進む速度が遅くなっている」
現在、負傷者は馬車に乗せており、そのせいでアレスたちは、御者であるルジェとオソ、ルジェの隣に座っているターニャを除いてみな馬に乗っていた。負傷者が乗った馬車は、傷にさわることを恐れてゆるゆると走らなくてはならない。当然、一日に進める距離は減る。
「ここでゆっくり療養すればいいだろ」
アレスの言葉を聞いたナヴィンは、室内の淡い灯の中で眉を上げた。どうやら、仲間を置いていくという選択がお気に召さないらしい。しかし、アレスは彼女の仲間思いなどに頓着しなかった。こっちは急いでいるから、はっきり言ってナヴィンの部下は足手まといだ、と続けた。
「よ、よくもそんなことを……」
ナヴィンは肩を震わせている。
「誰の為にわたしの部下が怪我をしたと思ってるの。あなた方を守るためでしょう。それを!」
「それがあんたらの仕事だろ。恩着せがましいことを言うなよ。とにかく、今怪我してて使えないヤツは置いていく。いいな?」
「聞き入れるかどうかは別と言ったはず」
「聞き入れてもらえなければ、別の手を取るだけだ」
「別の手?」
「ああ。ここからはオレ達だけで行く。先導しなくていい」
嘲るような笑みが、ナヴィンの口元にのぼった。「あなたたちだけで行けると思ってるの?」
「盗賊が狙ってるのはあんたらだろ。オレたちじゃない」
「見境をつける連中じゃないわ。あなたたちも襲われる」
「なら、それ相応の対応をするだけだ」
「あなた、何様のつもりなの?」
「勇者様だよ」
ああ、とナヴィンは馬鹿にしたような声を出した。
「あなたの名前、アレスだったわね」
「そういうこと。それで決まりだな」
「何も決まっていない」
「いや、決まったんだ。手傷を負ったヤツラを置いていけ。それができないなら、明日からはオレ達だけでいく。議論は受け付けない」
ナヴィンはくるりと背を向けると、部屋の戸を蹴り飛ばして、開けた。さすがに貴族らしい優雅な所作である。アレスが戸をぴったりと閉めると、
「何を急いでいるんですか、アレス?」
とオソがおそるおそるといった調子で尋ねてきた。
「何を、だって?」
アレスはそう言って答えなかった。
ヴァレンス王都に行く理由は一つしかない。