第126話「クヌプスの残したもの」
クヌプスが死んだのは、彼が初めの市を支配してから半年後のこと、今から一年前のことである。死の原因を作ったのは、滅亡の際に追い詰められたヴァレンスの希望、勇者アレス……とその仲間たち。一時、王都ルゼリアに迫ったクヌプス軍であったが、アレスたちの活躍で退却せざるを得なくなったことは既に述べた。しかし、その後、すぐに体勢を立て直して、クヌプス解放軍は再び王都に迫った。クヌプス軍が撤退してからまたやってくるまで、わずかな時間しかなく、王都は大した守備の増強ができなかった。結果、王都にできたのは身をすくめて籠城することだけであった。ここを落とされたら最後と、クヌプス解放軍に対して、ヴァレンス軍は頑強に抵抗したが、城が落ちるのは時間の問題だった。ここで、もう一度、勇者アレスにお鉢が回ってくる。
「クヌプスを倒し、我が国を救ってください」
病床にある父王の代わりに軍を指揮している勇敢な王女から、アレスは切ない願いの声を聞いた。アレスは、仲間とともにルゼリアを出て、クヌプスの居城へと向かった。今回の王都攻めにクヌプスは参加していない。いかなる考えによるのか、あるいは以前にアレスから受けた傷が癒えていないのか、クヌプスはスタフォロンという城にこもっていた。クヌプスを守る兵は多くはない。ほとんどが、王都攻めに参加していたのである。アレスのパーティはスタフォロンまでの道を急いだ。王都が落ちるまであまり時間は無い。
勇者パーティは、首尾よくスタフォロンに到着した。そうして、激闘の末、クヌプスを倒した。クヌプスの魔力は凄まじく、死者は出なかったにしても、勇者パーティにも被害は出た。しかし、その被害分の仕事はしたと言うべきである。クヌプスを倒しスタフォロンを落としたという噂は風を切って、王都を囲んでいる解放軍に知れた。包囲軍のリーダーを務めていた男は決断を迫られることになった。このまま、王都を攻め続けるべきか。それとも、スタフォロンに戻って、真相を確かめるべきか。迷いのある軍は弱い。王都へのプレッシャーはゆるんだ。
王女は若年ながら機を見ること敏であり、クヌプス解放軍に向かって果敢に攻撃を始めた。指導者を失ったかもしれないという恐怖にさらされていた解放軍は、急に元気になったヴァレンス軍を怪しみ、噂が真実であるかもしれないという思いを高めた。解放軍はますます弱くなった。そのうちに、噂が真実であることを知った解放軍は絶望の淵に落ちた。クヌプスあっての解放軍である。リーダーを失った解放軍は、下手な積み木細工が手を触れられたときのように簡単に崩壊した。
ヴァレンスは救われたのである。
しかし、ヴァレンスとは何か。ヴァレンスが、ヴァレンス王家や支配者階級であるヴァレンス貴族のことを指すのだとしたら確かにヴァレンスは救われたと言える。しかし、ヴァレンスがもし、支配者階級の生活を下支えする平民や農民を指すのだとしたら、返ってヴァレンスを滅亡の道へと追いやったともいえるだろう。そのあたりは評価が分かれるところであるが、確実に言えるのは、クヌプス解放軍は当時の段階、そして現段階であっても、反乱軍であるということである。
負けて反乱軍となったクヌプス軍であったが、彼らは何も残さなかったわけではない。希望を残した。被支配者階級に対して、もしかしたら王家を倒せるのではないか、という夢を与えたのである。そうして、平民や農民の中にはいまだその夢の中にいる者も数多い。その一部は地下に潜り反政府勢力となり、また一部は地上で政府に対してゲリラ活動を行っている。そのゲリラ活動の一部が、盗賊的な行動だった。反政府活動には資金がいる。盗賊行為は資金集めの一環だった。
「われわれがこの三日で三度も盗賊に出会ったのは、そういうわけだ」
ズーマが言う。
暮れなずむ街道である。ルジェの御する馬車の客車の中にズーマ、エリシュカ、ヤナ、ターニャがいる。客車のドアを開け放しているので、ズーマの話はルジェにも聞こえている。
ガミ市を出て三日が経っていた。その三日の間に三度も盗賊に襲われて、いくら何でも頻繁すぎると疑問に思ったヤナが、ズーマに説明を求めたのが一時間前のことである。ズーマは事の起こりであるクヌプスの件から始めて、長い話をしたのだった。
「政府は盗賊に対してどういう対処をしてるんだ?」
ヤナが訊いた。
「何もしていない。というより、政府は現在ほとんど機能していない。クヌプスを破った直後に前ヴァレンス王がなくなって、現在は喪中だからな」
「喪中……って。でも、全く政治を行わないわけじゃないんだろ?」
「もちろん。ただこの状況に対応するためには、最低限のことをやるだけではとても足りない。これまでただ従っていた平民が、クヌプスというきっかけはあったにしても反乱を起こしたのだからな。それを重く受け止め、早急に新たな政策が求められていた。しかし、王女はそれらの手を全く打とうとせず、ただ喪服を身につけただけだった」
ズーマの声は淡々としていて、王女に対する批難の色などは全く無かった。まるで他人事のような口ぶりである。ヤナは、アレスが本当にあのアレスなのかということも気になっていたが、このズーマという青年の正体も同様に気になるのだった。