第125話「クヌプスという男」
今から一年と半年前の話。
ヴァレンス王都ルゼリアから北、ヴァレンスの最北に位置する都市が、一人の男によって乗っ取られた。
概要はこうである。その日、男はぶらりと町にやってくると、町の北部にある市庁舎まで歩いていった。そのまま市庁舎に入ろうとしたところ、当然に警備の人間に止められた。警備兵は、男のみすぼらしい格好を見ながら、一応、「約束があるのか」と尋ねたところ、その言葉が彼の今生での最後の言葉となった。男の口元から紡がれる古の言葉。警備兵が、魔法だ、と思った瞬間、彼は帰らぬ人となった。その場にいた他の警備兵は、同僚が事切れるのを見て、驚いて腰を抜かした。それを横目にしながら男は、市庁舎に入るための門に向かって魔法を唱えた。重厚な門は木っ端みじんに吹き飛ばされた。
市における市庁舎とは王都における宮殿と同じである。そこには厳重な警備陣が敷かれている。許可なく門を突破するという狼藉を働いた男に向かって、四方八方から警備の兵が集まって来た。手に手に剣を持ち、問答無用で殺すつもりである。しかし、彼らにもう少し想像力があれば、市庁舎にたった一人で乗りこんできた男が、狂人でなければそれ相応の実力の持ち主だということが想像できただろう。
五分。
それが集合した警備兵がことごとく地に倒れるまでの時間だった。
その後、第二陣が現れたが、結果は同じだった。門近くの市庁舎の庭は、警備兵の累々とした死体で埋め尽くされた。
男はそのまま市長の居室まで進んで行った。悪漢が門を破って来たという報告を受けていたにも関わらず、市長は逃げていなかった。勇敢だったわけではない。一人の男が並みいる警備兵たちを打ち破り自分の前に現れることなどあるわけがないと高をくくっていたのである。結果、甘い推測のつけを自らの死を以って払うこととなった。
男は市長を殺したのち、市庁舎にいる全ての役人を追い払った。従おうとしない者は全て殺したが、その数は少数だった。トップを失った部下たちの解散は速かった。
男はその後街へ出ると街の代表者を集めて市を治めるように言った。市長が死んだことを知った代表者の老人は、男が何者で何を望んでいるのか、震える声で尋ねた。
「名はクヌプス。お前たちを解放する者だ」
魔王クヌプスの誕生である。
老人に市を託したあと、クヌプスは市を去り、隣市に現れた。その後、同じことを行った。
それから二カ月でクヌプスは実に十に及ぶ市を落とした。この頃になると、クヌプスには「解放者」というあだ名がつくようになった。クヌプスは各市から市長を追い出している。関係者もである。そうして、それらの支配者階級は当然のことながら貴族である。貴族を追い出して、これまで被支配者階級であった平民に市政を任せる。それはまるで平民を解放しているかのような行いだった。
クヌプスの元には人が集まり始めた。クヌプスを平民解放の救世主と崇め、協力を申し出た平民達である。貴族階級の警護を担当する役目である士族階級の人間も同様に集まり始め、クヌプスを頂点として一大組織が作られた。
時のヴァレンス王はここに至りようやく事態が深刻であることを認め、軍を派遣した。しかし、クヌプス軍の相手にはならなかった。ヴァレンス軍はしばらく戦争を経験していなかったし、それでいながらクヌプスの軍のことをたかが平民の集団と侮っていた。対して、クヌプスの軍の平民達はこの頃になると、自分たちの手でヴァレンスに革命を起こすのだと気炎を上げるようになっていた。勢いが違ったのである。ヴァレンス正規軍は呆気なく敗れた。
クヌプス解放軍は正規軍との戦いに勝利したことで自信を強めた。正規軍は解放軍にとって絶好の演習相手だったと言える。狩りの仕方を覚えた解放軍は、続く第二波、第三波を華麗に打ち破り進軍、とうとう王都ルゼリアに肉薄した。
建国五百年の歴史の中でヴァレンスは最大の危機を迎えたと言える。ルゼリアから周辺各国に援軍要請が飛んだ。しかし、それに応える国は無かった。クヌプスという正体不明の男と意気盛んな解放軍、そんものと事を構えても一銭の得にもならないと、冷徹な計算をしたのである。他国よりも付き合いの深いミナン国でさえ、ヴァレンスからの使者に対して軍を出すと言質を与えたが、結局出さなかった。もはや、ヴァレンスは風前の灯である。
それを救ったのが士族階級の少年とその仲間たちであった。勇者アレスは四人の仲間を従えて、王都の包囲網を抜けると、クヌプスのいる本陣を急襲した。それはまるで自殺行為のようにも見えたが、五人は一人も欠けなかった。勇者とその従者たちの力は凄まじく、一人が当千の猛者である。本陣は乱れに乱れた。勇者のパーティは、標的であるクヌプスを倒すことまではできなかったが、重傷を負わせることに成功した。大将が負傷したと知った解放軍は、一時撤退し、居城としていた城まで退却した。
王都ルゼリアは一安を得たのである。