第122話「ガミ市長邸にて」
ガミ市長邸では下にも置かない歓待を受けた。ルジェがミナンの王子だという事実は、市長にとっては何よりも大切なことであるらしかった。市長は、俗物を絵に描いたような男で、その小太りの体型とぷくぷくとした頬、中身が無いことを隠そうとするゴテゴテした衣服で、アレスたちを圧倒した。
「お噂はかねがねうかがっております。ミナンの賢王子を我が屋敷にお泊めできるなどというのは、光栄の至りです」
市長は愛想笑いを浮かべながら言った。
夕食中、市長はしゃべり続けていた。ルジェは当たらず障らず応対をしている。
アレスはそれを横目で見ながら、豪奢な夕食の席で食事を楽しんでいた。
「どうした、オソ。食べないのか?」
オソは食が進まないようである。
「さっきの人たちのことを考えていました」
「さっきの人?」
南門付近の貧民のことである。オソの顔は暗い。満足に食べられない人間を目の当たりにして、自分が食べることに罪悪感を覚えているのだろう。
「食べろよ」
オソは力なく首を横にした。
「エリシュカは食べてるぞ」
オソの向かいの席で、エリシュカは黙々とモグモグしていた。皿から皿へアクロバティックな動きで箸を動かし、動かした先から食器を空にしていく。見事な手際であった。
「美味しいのに。食べないの?」
アレスが事情を話すと、エリシュカはきょとんとした顔をして、
「わたしたちが食べても食べなくても、あの人たちとは関係ない」
平然とした口調で言った。オソは何か言いたげな顔をしたが、何も言うことはできなかった。エリシュカの言ったことが正しいことを認めざるを得なかったのである。
「ま、そういうことだ」
アレスは明るい声でオソの肩を叩いたが、オソの気分は変わらなかったようである。一口も食べようとしないまま、うつむいた。繊細な少年である。しかしアレスにはその繊細さが心地よかった。
とめどない市長のおしゃべりからルジェが、すなわちアレス達が解放されたのは、たっぷり二時間ほどした後のことだった。食事のあと、ルジェだけのために一室、アレス達付き人のために一室、部屋があてがわれた。国境警備軍のチームには別棟に用意されたようである。ルジェは、自分の部屋を女性陣二人のために開放し、自分はアレス達の部屋にやってきた。
「疲れました」
ルジェは正直な声を出した。
「お疲れさん。明日出発するときに、ここの市長の末娘とかをつけられるかもな」
「どういうことですか?」
アレスは笑うだけで答えない。代わりにズーマが答えた。
「畏れ多くも、市長にはミナンの王子の義理の父になる野望があると見ました」
「冗談はやめてください」
ルジェは広々とした部屋の一角にあるベッドに座った。室内には四方に灯りが用意されていて、ほのぼのと明るい。
「ヴァレンスの第一印象はどうだ、ルジェ?」とアレス。
「何と言っていいか……」
ルジェは言葉を濁した。
「ひどい国だろ」
「いえ、そんなことは」
「正直に言えよ」
「……これからご厄介になる国です」
「なるほど」
オソは既に眠ったようであった。近くのベッドに入った少年の体はぴくりとも動かない。
しばらく沈黙が落ちた。
ルジェは何事かを考えているようである。
「フェイのことを考えていました」
ふと上げた目がアレスの目とあって告白するような口調で、ルジェは言った。
「大丈夫だよ。大口叩いたんだ。うまくやるさ」
アレスが気楽な口調で言うと、ルジェは弱く微笑んだ。
フェイは、王子暗殺未遂の件を諜報部に知らせ、太子の無道ぶりを訴えに王都に帰ったわけであるが、正直なことを言うと、アレスは彼には期待していない。それは、フェイがうまくやれないと思っているわけではなく、うまくやっても事態は好転しないということである。
仮にフェイが太子の監視をくぐり抜け王都に帰りつくことができ、諜報部にそれを話し、そうして王の耳に今回の件が届いたとしよう。しかし、それでどうなるものでもない。太子の非道ぶりに烈火のごとく怒った王が太子を叱責することはありうるだろう。だが、おそらくそれだけである。それ以上のこと、例えば、太子の廃嫡などということはおよそあり得ない。
なぜなら、立太子の儀というのは、大地の神の前で行う祭儀であって、つつがなくそれを取り行ったということは、立太子を神に認めてもらえたということである。すなわち、今の太子は神のお墨付きを得たのだ。いくら王といえど、神意は畏れなくてはならず、そうそう廃嫡などということはできない。
にもかかわらず、廃嫡されるかもしれないと怖れて弟に凶刃を向けた太子は、アホとしか言いようが無い。
――もちろん、ミナン王が神意を畏れないボンクラだったら、話は別だけどな。
何にしても、フェイがやれることというのは大きくはない。アレスは、ひとり王都に帰ろうと決意したフェイの勇気は評価したが、成果は全く期待していなかった。今はただルジェと一緒になって無事を祈るのみである。
アレスは部屋の隅によると窓を開けてバルコニーに出た。
空はいまだ曇り、月は見えなかった。