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第111話「勇者、イライラする」

 山越えは神経をすり減らす作業となった。ここまで進んできた平野と違って、山の中には隠れるところがいくらでもある。ごそごそっと下生えがざわめくたびに、いちいち「敵か!」と確認してみると、小動物が「きゅぅ」と愛らしい顔を見せたり、単なる風のいたずらだったということが何度もあって、ヴァレンス関が遠目に見えてきたときにはアレスのイライラは頂点に達していた。

 山の中を警戒しながら走ること一日半。イードリを出てから二日半。ロクに食事もとらず睡眠もとらず、気を張り詰めなければならないそのストレス。なにゆえこんな始終物音に怯えるような小心者然とした行動を取らなければならないのかと考えれば、決まっている。全て、太子が差し向けた追っ手のせいである。

「もうめんどくせえ。出てきやがれ、まとめてぶっ飛ばしてやる」

 馬車の屋上スペースにいたアレスは寝不足の充血気味の目で、あたりに鋭い視線を投げた。昼の光が周囲をぼんやりと輝かせている。山道に響くからからからという乾いた車輪の音。平和である。アレスは、どっかと椅子に腰かけて、なお敵、すなわちストレス解消の相手がいないかどうかを確かめた。今なら、どんな相手でも十秒で倒せる自信がある。そして、倒したあと自分が倒れる自信もあった。

「もうちょっとで着くんだね、あー、長かった」

 そんなことを言って、ふわふわとあくびをしたのはエリシュカだった。彼女は、山を登り始めた昨日の初めの頃は、張り切って見張りをしていたが、そのうちに飽きたらしく客車で寝ていたり、御者台のオソの隣に行って無駄に純情な少年を緊張させたりと、自由気ままにやりたい放題であった。

「キミは少しはオレを手伝おうとか、そういう気はないのか?」

 睡眠が足りないことによるナチュラルハイ状態のため、通常なら言わないであろう小言をアレスは、つい口に出した。

「手伝うどころか、キミが代わってやったっていいんだ」

「だって、それはリーダーの役目」

 エリシュカは、何を言ってるんだ、といわんばかりの平然とした顔で答えた。

「そんなわけあるか。誰がやったって同じだ、こんな役。ただの見張りだぞ」

「大したことないことなら、黙ってやれば」

 何という言い草だろうか。こっちはパーティ全員の安全をおもんぱかればこそ、身を削っているというのに!

「エリシュカ!」

 アレスは、エリシュカの前に立って強い目を向けた。

「なに?」

 エリシュカはきょとんとした顔をして視線を返す。

 見つめ合う二人は、遠目に見れば、仲の良いカップルが互いに見惚れているかのように見えたかもしれない。

「オレは疲れてるんだよ」 

「だから?」

「もう少しいたわりの気持ちがあったっていいだろ」

「男は弱音を吐かないもの」

「いや、吐くね。それはもうスゴイ勢いで吐きまくりますよ」

 アレスは、アルコールに飲まれた酔っぱらいのようなことを言った。

「キミにはそういう慎みの気持ちが欠けてるんだよ。分かる、『慎み』? 簡単に言えば、女の子らしさってことだよ。そんなことじゃ、お嫁に行けないぞ」

「別にいい。だって、アレスが貰ってくれるんでしょ?」

「さあ、どうかな」

 エリシュカはそこで初めてムッとしたような色を見せた。

「どういうこと?」

「何が?」

「結婚してくれるんでしょ。ウソついたの?」

「ウソってわけじゃない。人間、気が変わることもあるっていうことだよ」

 エリシュカの目がすっと細まった。

「誓いを破るなら同じこと。わたしの族では一度結婚の誓いをしたら、その誓った相手が死なない限り、他の人とは結婚できない」

「オレを脅してるのか? そんなことしても無駄だ。勇者はけして脅しには屈しない」

「わたしは事実の話をしてるだけ。脅してなんかない」

 エリシュカはアレスの肩に手を置くと、つま先立ちして身長差を埋めたあと、真正面から彼を見据えた。

「さ、撤回して」

「何をさ」

 アレスはひるまない。少女の愛くるしい瞳が間近にあっても平然としていられるということが、彼の疲労の濃さを物語っている。

「気が変わったって言ったこと」

「別に変わったとは言ってない。変わることもあるって言っただけだ」

「じゃあ、『やっぱりそんなことは無い』って、言い直して」

 肩がギュッとつかまれたが、アレスは耐えた。こういうハイテンション状態のときに勝っておかないと、他の状態のときにはまして勝利の可能性がない。そんなことをどこかで冷静に考えられるということが、アレスの疲労がそこまで深刻なものではないことを示していた。

「早く!」

 エリシュカが声を大きくする。アレスはそっぽを向いた。向いた方向に敵でもいたら秀逸な話になったが、見えたのは一羽の鳥だった。空を優雅に旋回している。

「ん?」アレスはいったん目をつぶって、もう一度目を見開いた。

「アレス!」

 話をごまかそうとして天を見ている少年の肩をゆさぶってやろうとしたところ、エリシュカは自分の両肩に手が添えられるのを感じた。アレスの手である。

「おい、エリシュカ?」

 アレスがやけに真剣な声で言った。

「なに?」

 その声が、二人の将来の件をうやむやにしようとしていると考えるにはあまりに真面目であったので、エリシュカは少し戸惑った。

「あの鳥なんだけどさ……」

「鳥がどうしたの?」

「でかくないか、やけに」

 改めて確認したエリシュカの瞳に、翼を持った飛行動物の姿が空の青を背景にして映っていたわけであるが、確かにアレスの言う通り、その姿は普通の鳥の比ではなかった。怪鳥であった。

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