第101話「しんがりの勇者」
耳元で風が鳴った。
その音色には死の響きがある。
「なかなか正確な射だなあ」
アレスは顔のすぐそばを矢が通り過ぎるのを感じたあと、感心したように言った。揺れる馬の上から、動く的に向かって矢を当てるには並々ならぬ修練が要る。鉄仮面たちは中々の武人であるようだ。思った瞬間、第二射が飛んできて、アレスは顔を横に倒した。今度は正確に頭に飛んできた。
「問答無用だな。何て礼儀知らずなヤツラだ」
先に攻撃呪文をズーマに放たせたことを棚に上げて、アレスが言う。続いて第三射。体の中央に飛んできたそれを、アレスは半身になってかわした。
「勇者パーティに入る試験はパスか?」
「いや、全員不合格」
「なぜ?」
「ヨロイが気持ち悪い。あんなやつらに周りにいられたらオレが目立たなくなる。というわけで、お引き取り願おう。ズーマ、今度は鎧じゃなくて――」
アレスがみなまで言う前に、ズーマは先と同じ呪文を放った。
三つの雷球が宙を滑る。
掌サイズの魔法の球は鉄仮面へと向かったが、しかし今回は彼らを狙ったわけではなかった。
日が山の端から顔を出して大分明るくなってきた朝の大地に、馬の苦鳴が落ちた。
アレスは、屋根の上を馬車の進んでいる方向へ歩くと、下の御者台に向かって柵から身を乗り出した。
「オソ。オレだけ降りるから、少しの間、スピードを緩めてくれ。以降は普通に走り続けろ。後からすぐに追いつくから、オレのことは気にしなくていい」
「分かりました」
オソは前を向いたまま答えると、アレスの指示に従った。
アレスは、依然として椅子に座ったままのズーマの元へと戻ると、
「お前をこのパーティの臨時リーダーにしてやるよ。ありがたく思って、オレの代わりを務めろよ」
傲慢なことを言って馬車から飛び降りた。オソの仕事は手早い。既に十分飛び降りられる速度にまで落ちている。とはいえ、屋根の上はそれなりの高さであって、普通の人なら足首でも捻るところであるが、そこは勇者、難なく街道に着地。ちょっと足が痺れたが、そこは我慢。遠目に馬が倒れているのと、そのそばに朝日を受けて鈍く輝く全身鎧の騎士の姿が見えた。
「スゴイなあ、アレ。どこかの砦でも攻め落としにいくのかな」
アレスがギクリとして振り向くと、すぐ近くにすらっとした細身の少女の立ち姿がある。アレスの視線をとらえた彼女は、にこりとしてちょっと顔を傾けた。その拍子に亜麻色の髪のポニーテールがふと揺れた。
アレスはため息をついた。
「何で出てきちゃうんだよ、ヤナ。ここは勇者がカッコよく追っ手を引き受けるシーンだったのに」
「そのカッコ良さを伝える観客が必要だろ」
ヤナは、アレスの渋面を面白そうに見ている。馬車がスピードを落としたときに、アレスのすぐあとに降りたのだった。客車の窓から追っ手らしき者の姿は確認している。
「好奇心もいい加減にしとかないと、いつかその身を滅ぼすぞ」
アレスは分別臭いことを言ったが、ヤナは気にしない。
「滅ぼされる前に、逆に滅ぼしてやるさ」
威勢の良いことを言って、拳を合わせる。その拍子に、ガチン、という金属音が鳴った。
人を殴り過ぎてヤナの拳は硬質化しているのかと恐怖したアレスだったが、そうではなかった。見ると、少女の褐色の指に、金属の輪が連なった鉛色のサポーターのようなものがはめられている。
「え、なにソレ? 今、はやりのアクセサリーか?」
「そんなわけないだろ。これは、『テッケン』だ」
「武器か」
「魔法剣だ。あたしのお気に入り。あの鎧の上から素手では殴れないからな。でも、これだったら……」
「やる気満々だな。観客じゃなかったのか?」
「お前に万が一のことがあったとき、あたしが主役になろうかなってね」
「いや、それなら万が一になる前に助けようよ。何でオレが倒れたあとにがんばる気なの!」
アレスは、腰の鞘から短剣を引き抜くと、その刀身に光を灯した。
すでに二台の馬車は、遠くなっている。
その代わりに、三領の鎧が近づいてきていた。走る気がないのか、走れないのかは分からないが、三人の重装兵はゆっくりとした足取りである。ガシャコン、ガシャコン、という重々しげな音が聞こえてきた。
「じゃ、行ってくるから。オレのカッコいいとこ、よく見てろよ、ヤナ」
「はい、あなた」
「やめてくんない、ソレ。背中がぞわぞわする」
「アレス!」
ヤナの目に、鎧の一人が歩きながら弓をキリキリと引き絞るのが見えた。
一瞬後、矢じりが一直線にターゲットに向かった。
アレスの肩が動く。
矢は、光の刃にぞんざいに払われその身を二つにされると、石造りの街道に空しく転がった。
「そんじゃ、今度こそ行ってくるからな。これ終わったあと、エリシュカをなだめるの手伝ってくれよな」
アレスは、何事もなかったかのように言うと、感心したような顔をしているヤナを残して、鎧の三人に向かって走り出した。それこそ、弓弦から放たれた矢のような速度である。
鎧の二人が構えを取り、弓を持った一人はもう一本、矢をつがえている。
額のあたりに正確に飛んできた矢を、アレスは最小の動作でかわした。走る速度はいささかも落ちない。