第100話「招かれざる客」
アレスが何のことを言っているのか分からないが、ルジェは素直である。アレスの代わりに手綱を握ると、馬車を走らせ続けた。
アレスは客車の中に入るとシートで眠っているエリシュカを手早く起こした。
「どうしたの、朝ごはん?」
エリシュカの第一声は中々のものである。
アレスは首を横に振った。
「悪いが、メシはもうちょっとしてからだ」
「敵?」
「味方じゃなければそうなるな」
「わたしも行く」
「いや、ひとりでいい。キミはここにいろ」
「そんなこと言って、またヤナと行くつもりだ」
信用が無いというのは辛いものである。アレスは、両の拳を合わせて、厳かに大地の神に誓いを捧げたが、エリシュカはなお疑わしげな光をその瞳から消さなかった。アレスは、「カワユイ顔が台無しになってるゾ」と言って、少女の寄った眉根の辺りを伸ばしてやると、案の定、エリシュカの瞳の光はなお鋭くなった。
「顔出すなよ」
アレスは念を押すように言うと、そそくさと客車の後部の戸を開けた。外で待っていることは、おそらくエリシュカの相手をするよりは、楽なことだろう。アレスは、外に出ると、螺旋階段を昇って屋根に上がった。屋根は、柵とテーブルがついた、ラウンジのようなスペースになっている。馬車の上に何でそんなものをつけるのか。全く無駄な装飾のような気がしないでもないが、それだけイードリ市長の気質が貴族的であるということなのだろう。華美と余剰を愛するオヤジ。うーん、会いたくない。
後ろをついていたはずのオソの馬車は、すぐ隣を走っている。ぴったりと並走しているのだから、オソの御の腕は尋常ではない。そちらの馬車の上にも同様のスペースがあって、優雅に椅子に腰かけているひとりの男の姿が見えた。溢れるような銀髪が風になびき、朝日にきらめいている。アレスは、あのうっとうしい髪をいつかオレの手で切ってやる、という決意を唐突に固めつつ、柵を蹴って無造作に、オソの馬車に跳び移った。
「さて、どうやら敵のようだが、どうする?」
ズーマはゆったりとした口調で言った。
アレスは目の上に手をかざした。アレスたちの後方に、ひとつ、ふたつ、みっつの馬がその背に人を乗せて、猛進してくるのが見える。まだ大分距離があるが、人しか乗せていない馬と、客車を引っ張っている馬では、どちらにスピードで分があるかは考えるまでもない。じき、追いつかれる。
「何で敵だって分かるんだよ?」
アレスは一応尋ねてみた。他の可能性もあるではないか。
「例えば?」
「オレの熱烈なファンとか」
「面白い。実にお前らしいアホらしい発想だ」
「『アホ』言うな。じゃあ、これは? 仲間に入れてください的な」
「おお。いいな、それは。あの三人を仲間にする代わりに、わたしをこのパーティから解放してくれないか」
「何だよ、オレに不満があるのか?」
「不満しかない。三人くらいいればいいだろう。わたし一人くらいいなくとも」
「まだ本当にヤツラが仲間志願か決まったわけじゃないし、出ていく前に一つ仕事を頼みたい」
「餞別代わりだ。何でも言ってみろ」
「あの追いかけてくる三人に呪文を使ってくれ」
「仲間にするのではないのか?」
「勇者パーティに簡単に入れるわけないだろ。言わば、テストだよ」
「了解」
ズーマは椅子から立ち上がりもせずに、実にリラックスした様子で呪文を唱え始めた。
「『天より来たれ、正方からなるもの、闇を裂く光を写し取りしもの……雷』」
ズーマが軽く手を上げる。その手の先に、ピリピリと小さく何かが弾けるような音をした、掌大の光球が三つ現れる。魔法の電撃球である。その球に当たるとびりびりっと来ます。
「もう少し近づいてから撃ってくれ」
アレスが注意した。一応身元を確かめておきたいので、できるだけ馬車の近くで気絶してもらった方が確認しにいくのに楽だからである。
「もういいか?」
人馬の影がかなり大きくなってきたところで、ズーマが言った。馬の乗り手は、全員鎧をつけた戦士のようである。頭部にまで、すっぽり頭を隠してしまう重厚な兜をかぶっていて、平和な街道には大変似つかわしくない。アレスは招かれざる客たちに「鉄仮面」という名前をつけて、これはなかなか良いネーミングだぞ、とひとり満足した。
「まだか? どうやら弓を射てくるつもりらしいが」
ズーマが言う。その言葉通り、鉄仮面たちは馬の鞍にくくりつけてある弓に手を伸ばしている。
「何やってんだよ、ズーマ。グズグズするな」叱りつけるように言うアレス。
「やれやれ」
ズーマがその細く長い指をさっと向けると、三つの光の球は中空に白い軌跡を描いて、追いかけてくる三頭の馬の元へと疾走した。一瞬後、三つの光球は、あやまたず馬の主たちに、平等にひとつずつ的中した。
「……ズーマ、ひとつ、訊いていいか?」
「何だ?」
「手、抜いたろ?」
「失敬なことを言うな。お前ではあるまいし」
「じゃあ、何であいつら、倒れないんだよ?」
光球を受けた三人は魔法の衝撃に体をのけぞらせたはしたが、ただそれだけで、馬から落ちたり、落ちてどこかの骨を折ったりはしなかった。
「魔法に耐性のある鎧なんだろう。さあ、どうする?」
ズーマがまるで他人事のような口ぶりで言う。
アレスの指示は早かった。
ズーマは肩をすくめて、呪文を唱え始める。
三人の鉄仮面たちが弓に矢をつがえるのが見えた。