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中古系異世界へようこそ! 作者:高砂和正

2章 黒の猛禽たち

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46 兵どもが夢の跡地に築かれた楽園と、今そこに生きる者達と、

「とっとと俺を開放させろ! タウンゼント!」

 ふらつきを見かねたお嵐に肩を貸されて歩み寄った丘崎に、簀巻きのマーティンが吠えた。

「この状況で良くそんなことが言えるな……」

 最早名前を訂正する気も無く、丘崎は呆れたように言った。

「〈源世界〉の流れを継ぐリアクターである俺にこんなことをして良いと思ってるのか!」
「リアクター? デヴォニッシュ家が代々特定のセトラーとばかり婚姻を結んできたのは聞いてるが、そこに何か意味でも……」
「ふざけるなぁっ! この世界が今有るのは全て〈源世界〉から知識や文化を持ち込んで下さった我々リアクターの祖であるセトラーのおかげだろうが! 貴様ら現地人なぞ俺達〈源世界〉の高等種の奴隷も同然なんだ! 〈源世界〉の誰のおかげで良い暮らしが出来ているか分かってるのか!?」

 丘崎はしばし口が利けなかった。

「……高等種? 現地人がセトラーやリアクターに劣るとでも言いたいのか?」 
「優れた者にはセトラーの血統が流れているに決まっているだろうが! そんなことも分からんから劣等民族なんだ貴様らはっ! 俺達に尽くせない現地人に生きてる価値等無いんだよっ! それも出来ないのであれば腹を切って詫びるのが筋だろうがあああああああっ」 

 マーティンは叫んだ。
 代々転移型セトラーを嫁、婿に迎え入れて続いてきた尊き純血統。
 名家デヴォニッシュに生まれ、育てられてきた彼にとって、それが世界の絶対だった。

「は、ははは、そいつが、そうなのか」

 表情が歪むのが自分で分かった。

「……お前の、お前達がこの世界で生きる上でのことわりなのか」

 丘崎は呻くように笑った。
 情けなくて涙が出そうだった。
 あまりにも醜悪な論理。
〈源世界〉にルーツを持つことを過剰に高く見た特権意識。 
 傲慢さと、それが許されると考えている精神性。
 向こうは丘崎を〈源世界〉関係者ではないと思っているからこんな事を言うのだろうが、丘崎からすれば自らも彼の言う貴顕なる存在に含まれることが逆におぞましくて汚らわしいことにすら思えた。

 口汚く喚き続けるマーティンを見ながら、丘崎は少し前のことを思い出していた。










 □□□□□











 初めてサークルに顔を出した後の事だ。
 居酒屋の一室に丘崎とニコラウス、お嵐の3人が居た。
 既に3人は皿もグラスも何度も入れ替わるほどに飲み、食らっている。
 先行してざぶざぶと飲んでいたお嵐は、顔を赤くしてダウンしていた。

「自棄も入ってたのかねぇ」

 店に頼んで〈魔絶の刻印〉に迎えを頼んできたニコラウスは苦笑して言うと、自身の席にどっかりと腰を下ろして湯割の焼酎を煽った。

「自棄、ですか」

 鸚鵡返しに口にして、丘崎はちらりとお嵐の寝顔を見た。
 確かに、そう言っても良いかも知れないと思う。
 マーティンを放逐したとはいえ、それまで彼を野放しにしてしまったツケは方々へ払わなければならず、何より彼女の罪悪感が酷いようだった。
 起きている時には随分とマーティンやギルド運営についての愚痴と弱音を聞かされていた。彼女の身内には話せないような方向を重点的に、である。

 彼女が起きた時に果たして記憶が残っているかは分からないが、少しでも気が軽くなっていれば良いと祈って烏龍茶を啜った。

「……オカ君」

 丘崎の方を見る事無く、宙へと視線をうろつかせながらニコラウスが言う。

「何です?」
「君はこの世界を、この世界に生きる人間をどう思う?」
「どう、と言われても」

 突然そんなことを言われてもと困惑する。

「今日、サークルの人たちと会って話して、肩身の狭い思いを抱かなかったかな?」
「! それは……」

 丘崎の顔が苦々しげに歪む。
 図星だと認めているような表情だった。

「くくく、いやごめん。イエスとしか答えられないのを分かって訊いたんだけどさ」

 からかうような口調で言うが、それからニコラウスは一つ溜息を吐いた。
 どこか疲れを感じさせる仕草だった。

「この世界の人類史は長い。〈源世界〉のそれからすれば、どうやったらそんなに長期間人類が繁栄し得たのか理解不能な程に」
「はぁ。長いんだろうなとは諸所で感じてましたけど」
「そっち方面の書物を貸したことは無かったか。……そうだね、確認される文明で、現代から1億年前まで遡れるといえば分かるかな?」
「い、一億……!?」

 丘崎は絶句する。
〈源世界〉では原初の猿人が発生したことすら数百万年前だとされている。人類の文明的な活動が確認されるのは数万年前くらいだったはずだ。

「そんなに前から人間が居たんですか?」
「人類発生に関しては詳しく分かっていないんだ。ただ、セトラーたちもまたその頃には出現しているし、彼らに遺された日本語の書物や遺跡、その頃から続く家系の記録なんかからすると、間違いなく居たんだろうね」
「……またセトラーか」
「さて、〈源世界〉に比べればはるかに長い人類史を持つこの世界だけれども、国家の歴史もまた非常に長い物が多い。国暦1億を超える龍皇国アガナジフは別格だけど、このアドナック王国だって現在の国家体制が1万年以上前から続いている。
 君が生きてた時代の〈源世界〉で最も古い国史を持つ日本ですら2700年近くだったことからすれば驚異的だけど、それでもアドナック程度の歴史の長さは珍しい物ではないんだよ」
「歴史が長いのは……、長命系の人種がいる影響ですかね?」
「ゼロではないだろうね」
「その言い方だと、大きな理由ではない?」
「そうだね」
「……また回りくどくなってきてるんで、もう少し率直に言ってもらえます?」
「くっ、くくくっ」

 半眼で睨みながら言う丘崎に、ニコラウスは喉を鳴らして笑う。

「ごめんごめん。ちゃんと言うよ。それでもまだ迂遠な話し方になるかも知れないけどね。
……この世界では、もう随分昔から戦争が起り辛くなっている。
 数百年前、まさにこのウィケロの街がアドナックと隣国エクサラの国境紛争の舞台になったけど、それもこの世界では数千年来の国境変動だった。そして、今に至るまで「戦争」に相当するレベルでは人間同士の闘争が起こっていない。
〈源世界〉の常識から考えれば、どれほど驚異的な事かは分かるね?」

 丘崎は頷く。

「宗教観の融和性、差別意識の減少、経済の安定、貧富の格差の縮小、平和志向の社会、野心を持つ君主が発生しにくく、民は衆愚になりにくい……。まあ、挙げればキリが無いほど理由は有るけど、その根底に有るのものは一つにまとめる事が出来る」
「それは……」
「オカ君、君もそれを今日直視した。今までも幾度も垣間見ることは有っただろう。はっきりと言おうか」

 一拍の間を置いた。

「この世界の人間は精神性、道徳性、社会性において〈源世界〉の人類を上回る成熟を遂げている」

 無表情に言うニコラウス。
 丘崎にとっても、それは薄々感づいていた事だ。意外ではない。
 だが、こうして直接的に誰かが突き付けられると少なくない動揺が有った。

「……どうしてですかね? こんなに〈源世界〉と違うのは」
「端的に言えば、原因は長い人類史そのものにあると言える。
 まず、この世界の最初に野蛮で原始的な人類集団がいたとしよう。彼らは未だ未熟で文明化できていないが、長い時間をかければ〈源世界〉の焼き直しのようにして人類社会を構築していくだけのポテンシャルは有ったと思われる」

 丘崎は枝豆を籠から手に取り、鞘から一粒口へと押し込みながらニコラウスの言葉を聞く。

「しかし、ある時集団にセトラーが発生する。内部から転生者が出るか、外から転移者が入るかは分からないけど、そのセトラーは集団に強烈に作用しただろうね。
〈源世界〉の知識から生活を良くするために火を起こし、物を作り、言葉を教え、農耕などを始めさせる。異端として潰されることも有ったかも知れないけど、その時は次のセトラーが現れる。何なら、複数のセトラーが同時に現れ、協力して集団を良くして行こうとするかもしれない」

 ニコラウスは空になった皿に醤油をたらし、割り箸の先をくるくると回した。
 焦げ茶色が薄く白い皿に広がる。

「そのセトラーの中身が西暦2千年前後の日本人ならば、恐らく驚異的な速度で集団は発展を遂げる。
 セトラー一人、そしていくらか知識を継いだ子孫なんかで出来る改革が全てを変えれたとは思えないけど、この世界はいくらでもセトラーが沸いて出てくるんだ。発展は止まらない。
 さて、人が増え、急激に社会が豊かになればどうなるか。
〈源世界〉でだって、産業革命以降は技術の発展が先行しすぎて人類の精神性が未熟なまま置いてけぼりになっていないかと指摘されていた。現代的な物質主義のセトラーの極端な介入が続けば、当然、他者を支配し、搾取し、略奪するといった物質的な我欲を満たすべく動く者が現れ、世を乱すことになった。……少なくとも、この世界の歴史書にはそうなったと残されている」

 言いながら、たらりたらりと醤油を重ねて垂らす。
 徐々に皿がより焦げ茶に染まっていく。

「流石に〈源世界〉のような工業化まで行った時代は無かったと思うけどね。〈リミッター〉もかかってるし。それか、引き込まれたセトラーが工業化を行ったら核か何かで地上を滅亡させて、それから神々が〈リミッター〉を仕掛けた。なんてことも有り得るかな……?
 ま、それは置いといて、〈リミッター〉がかけられた現在まで続く当人類史においては化石燃料技術、原子力技術や火薬技術が封印されてたおかげで滅亡まで突っ走る事こそ無かったけど、その代わりに長いこと戦乱の時代が続いたという話だよ」

 醤油で荒らされた皿の上、もう1滴1滴醤油を落としても変化はほとんどない。

「強者による独裁支配、弱者からの搾取構造、飢え、殺し、暴力、戦争が当然の時代……。
 当時この世界に放り込まれたセトラーたちも随分と酷い目に遭い、世の流れに圧されて外道に落ちる者もいた。
 だけど、逆にセトラーの中は世の状況に甘んじることを選ばない者たちもいた。
 個人個人の攻撃性や徒党を組んだ際の腐敗はともかく、元は人種単位でお人好しだの平和ボケ民族なんて言われる日本人だ。大多数は戦争嫌いで、殺人にも酷く抵抗が有った。
 そういった者達、特に強力なPAを持って出現した者が中心となって世界に新たな影響を与えていく。悪を裁き、弱者を救い、行動を以って現代日本型の道徳を示していく。
 彼らの多くはさらに善に傾く。眼前に立ちはだかっているのは同郷由来の悪徳と、それを振るう日本人どうるいの恥さらしだ。迷う必要も暇も無く〈源世界〉で培った善性を発揮すれば良かったからそうもなるかな」

 多くのセトラーは現代日本の教育による物質主義を抱えながら、教育による道徳性を兼ね備えた存在だったと、ニコラウスは言う。

「欲望を優先したセトラーと、善性を優先したセトラーの対立。双方に感化された現地の人間。荒廃と粛正……。
 数千年単位の人類史しか知らない者では想像のしようが無い長い長い時間、この世界でそれは幾度も繰り返された。
 だが、いつからか安定し始めた。
 セトラーの顕現が不作為なものだったのか、それとも神々の意図が介在しているのかは分からないけど、セトラー全数の内で後者の方が数が多かったんだろう。利己的な者達の勢力が圧され易くなっていった」

 皿の醤油をツマミの卵焼きで拭い、一口齧りついた。

「道徳観の普遍化に加え、圧されるうちにこの世界の人類全体から我欲を優先するセトラーに迎合する現地人達も減っていった。
 攻撃性の強い思想の否定に加え、攻撃性を強化する潜在的な遺伝因子が遺伝子プールから削減されて行った訳だ。物理的にね」

 何でも無い様にニコラウスは言うが、それはこの世界でも有数のおぞましい過去だった。
 実際には戦争という名の生存競争で淘汰が発生する事に加え、敵対勢力の性暴行で出来てしまった子供の堕胎や産後安楽死、母体の自害といった、手段を選んだとはとても言い難い敵性因子の撃滅すら行っていた記録も残されている。

「今のこの世界の人間は、上澄みの様なものなのさ。〈源世界〉の……、いや、日本人の在り方を学んだ並行世界の人類が、1億年の時間をかけて負のおりを沈めて出来た、ね。
 この世界は、外見そとみこそ〈源世界〉で言う「剣と魔法のファンタジー」の世界に見える。
 黄色人種はいないし、科学技術のレベルが低いからね。
 だけど、世界の経た時間、住まう人類の精神的、文化的発展という意味においてはむしろ「サイエンス・フィクション」の未来世界のにそれに近い形態を持っている世界として認識すべきだと僕は思う」

 言って、ニコラウスは焼酎の入ったグラスを口に運ぶ。

「だから君達みたいな……、心根の見劣りを恥じれる程度にはまともなセトラーは、この世界の現地人が持つ善性に直面すると圧されてしまうのさ。
 現地人の万人が聖人君子の域に有るとは言わないが、〈源世界〉での感性から見れば、そう表現しても許されるほどの善傾向の精神性を持つ人類……、いや、善傾向の文明なのさ。この世界そのものがね」
「……」
「……さて、そういった背景を持つこの世界な訳だが、『水清ければ魚棲まず』という言葉がある」

 文字通りに捉えれば、「餌となる有機物が全く無い純水の中では魚は飢え死にする」という科学的現実。
 清く正しすぎる環境では、人は生きることが難しいという故事。
 丘崎にも分からなくは無い。積極的に『濁り』と表現出来るような行為に手を染めたいとは思わなかったが。

「生来の攻撃性が少なかったとか、そういうことなのか、君やアスターさん、メグミさん、トゥレス君のように、それなりにこの世界に合わせて生きていける者もいるけれど、そうでないセトラーもいるわけだ。
 この世界の現地人が当の昔に捨てた古い感性。
 保身の肯定、利己性への寛容、我欲の尊重。
〈源世界〉でならば、誰しも有る程度は持っていて当然とされ、時には人間臭くて好ましいとすら言われる事も有るそれらが、綺麗過ぎる人間社会に入り込んでしまったら浮かび上がる……」

 怒り、憎悪、不快、失望……。
 ニコラウスは負の感情を混ぜて煮詰めたような表情をしていた。

「現在のこの世界で、利己的な意を以って悪事を成そうとする者は、ほぼ例外なくセトラーかその影響を強く受けたリアクターなのさ」

 ニコラウスは酷く歪んだ笑みで言った。

 それはセトラーとリアクターに対する嘲笑であり、自身に向けられた自嘲でもあった。
 今言った事は実母がセトラーであり、思想、精神に多大な影響を受けたリアクターである彼自身にも当てはまることだったからだ。
 親の影響を受けてリアクターとなった自分を恥じている訳ではない。しかし、この世界の現地人たちが得たような洗練された善性はやはり持つことは出来なかった。
 丘崎や多くのこの世界に来たセトラーが抱く自身のみが圧倒的に穢れた存在であるかのような劣等感は、リアクターの中でも極めてセトラーに近い感性を持つニコラウスにとっても非常に馴染み深い物だった。

「ここは日本人の、日本人によって、日本人のために築き上げられた異世界の末路……。
 悠久の時の流れの果てに、恐らくは理想郷にも近い世界が出来上がりはしたが、だからこそ地獄たる〈源世界〉の感性を捨てられない日本人とその子供は己と同胞の毒を呷り続けねばならない。
 そして、成熟したが故に付け込みやすくなった現地人に毒を盛ろうとする同胞の浅ましさを延々と見せ付けられる……。
 ははは。救えない話だねぇ」

 ニコラウスは血を吐くようにして、泣くのを堪える子供のような表情で言い終えると、残った焼酎を煽って俯いた。










□□□□□










 丘崎はマーティンを取り囲むサークルの面々の表情を見ていた。
 彼らの表情は複雑だ。
 怒りは有る。
 恨みも抱く。
 蔑み、憎む。
 この世界の現地人でも、自身や家族を害した男に何も負の感情を抱かない訳ではない。
 だが、彼らは決して手を出さなかった。
 彼らは復讐が何も生み出さないことを知っている。
 暴力に訴え、その果てに死を望むことの愚かさを知っている。
 それは、〈源世界〉ならば綺麗事だと一笑に付されるような正論でしかない。
 だが、丘崎たちセトラーからすれば驚異的なことに、彼らはそれを実践することが可能な倫理感と精神力を備えていた。
 こうして仇であるマーティンと対面しているうちは負の情動も持続するだろうが、距離を取り、この先二度と接触することが無いのならば、いつかはマーティンの行いを許しすらするだろう。
 彼らには、それが出来る。 

 だからこそ、丘崎は今回マーティンと自らが対峙することを決めた。

「〈対界侵食カイモン〉 レベル3 開放形態イグゾースト

 少し前、窮地に立たされたことで殻を破るようにして発現した、PAの新たな段階を再び発動させる。
 普段なら相手の同意を得なければ感応出来ないはずだったが、出力が上がったのか、その時は暴走するかのように強制的に感応してしまった。
 初めてPAを使った時、リインと同意無しで感応した時に似ていた。
 しかも都市全体を飲み込むほどのかつて無い有効範囲でだ。
 幸い、一瞬だけの発動だったが、感応に慣れている〈変り種〉の面々やトゥレス、ベネット等には何が起こったか、誰が起こした事かを察知されたかもしれない。
 今度は丁寧に、一度はこの町にいる全ての人間と開いてしまった経路を選別して接続していく。
 そして、さっきの暴走で繋げられたいつもとは異なる接続先も有る。

(残留思念、とでも言うのか? ……もしくは地縛霊?)

 強い無念が構築し、遺されていった死者の魂の断片。
 暴走は、そんなものにもPAで感応することが出来ると認識させていた。
 恐らく、レベル2まででは不可能だったのだろう。

(皆さん、心をお借りします)

 思念を経路で繋がった全員に向ける。
 ウィケロタウロスに残っていた、死亡者した被害者の残留思念にも。
 経路を通り、感情が丘崎へと流れ込んできた。

「くっ……」

 丘崎が顔を歪める。
 彼が取り込んでいる物は「マーティンの行動に係る」という条件を付けた、ありとあらゆる負の情念だった。
 死者の受けた苦痛、無念。
 踏み躙られ、なお生き残った者の屈辱と恨み。
 家族を奪われ、あるいは傷つけられた者たちの怒りと悲しみ。
 記憶が映像となって思考をかき乱す。



 攻撃性と欲を剥き出しにして迫って来るマーティン。



 かろうじて生き延び、目を覚ますも奪われていた四肢。



 行方不明になった娘が見つかった。穢され、首の骨を圧し折られて。 



「ぐ、ぅううっ……」

 それらは丘崎に向けられた物ではないが、長期に渡って地縛霊や被害者たちが溜め込んだそれを一瞬で追体験したようなものであり、凄まじい精神的な苦痛となって丘崎に負荷をかけていた。
 それでもまだこの世界の穏健な民族性もある。もしも〈源世界〉で同様の事件の被害者の怨嗟をかき集めたならばこの程度では済まないだろう。

「丘崎さん、大丈夫なん?」

 顔を青くした丘崎を見かねて、お嵐が声をかける。

「……え、ええ。なん、とか……」

 丘崎は震えながらも答える。
 周囲の他の者達も心配そうに見ていた。
 彼らには他者の感情が伝わらないようにしていたので苦痛は無かったが、丘崎が一体何をしたのかは感応を通して理解出来ていた。
 情の深い女性陣の中には目を潤ませている者もいた。

(泣かないでくれ。そんな顔をさせたかったわけじゃ……。いや、不快な思いをさせることは覚悟していた。……でも、他人を思いやれる心を持った人達だったからこそ、報われなさ過ぎるのは業腹だったんだ……)

 マーティンの被害者たちは、された事を忘れはしないだろうが、いつかは許す。
 それは泣き寝入りになるとか、そういうことではない。
 彼らの精神的な成熟性、気高さによってそれは成される。
 マーティンは法はともかく、感情的には許されるのだ。
 まさに今、PAで改めて感応を行って彼らの精神性に対しての確信が更に強まっていた。
〈源世界〉に生きていた頃ならこうは思わなかっただろうが、罪を犯した者を許す。それが出来る事、それが成される事は人としての本当の強さの顕れだと今は思う。
 出来ない者に馬鹿にされて良いようなものでは、決してない。

(……だが、こいつは反省しない)

 現地人たちが示す寛容さや自制心は肯定されるべきものだが、それは同時に相手が自分達と同等の気高さを持っていなければ有効ではない。
 自らの行いを省み、悔い、改められる者が相手でなければ、再び罪を犯し災禍を引き起こすのだ。
〈源世界〉なら、それを許した者達の尊さを、甘さであると責められるような結末が続く。

 それを避けるため、逃走したマーティンの確実な捕縛を行いたかった。
 可能ならば殺す事無く制圧し、被害者達に引き合わせて、せめて多くの当事者に納得の行く形でのマーティンへの対応の決定を促すことこそが今回の目的だった。
 この世界の現地人は日本人より甘いかも知れないが、日本人より感情的であることを示す訳ではない。
 問題に直面すればそれなりの ――いつか反省することを期待しての物になるだろうが―― 裁きを求めることも出来るだろうと。

 その場に立会いたいとは思っていたが、捜査班がデヴォニッシュ家の屋敷から取り逃がし、捕縛班の包囲網の穴を突くようにして逃走されなければ出番などないと考えていた。
 丘崎は、自分は有り得ないほどに運の悪い事態への保険でしかないという意識であったが、あらゆる悪い想定が的中し、ニコラウスの探査の魔法によってそれが判明してしまったのである。
 逃げ場は無かった。状況も、丘崎の心にも。

(酷い目に遭った。だけど、そのおかげでもう少し確度の高い手を獲得出来た)

 有り難いことに、その新たな解決方法は予定を変更して乗り換えるのに十分な魅力を持っていた。
 命を奪うことなく、根本的な解決を行う方法だった。
 しかしそれを実行する前に、丘崎はマーティンに声をかけることにした。

「マーティン・デヴォニッシュ」
「ぁあ゛っ!?」
「罪を認め、今まで傷つけてきた人たちに謝罪する気は無いか?」
「ふざけるなっ! さっさと縄を解いて全員首を差し出せえっ! 皆殺しにてやるぅっ!」

 丘崎はマーティンの身勝手な言葉に不快感を感じなかった。
 むしろ哀れにすら感じていた。
 もし、物心付く前に現地人の養親や児童養護施設等に引き取られでもしていれば、こんな価値観にはならなかったのではないか。
 現在の人格の全否定のような()()()()だが、丘崎はそんな事を考えずにはいられなかった。

「……それは無理だな」

 丘崎はマーティンの頭へ、左手を伸ばす。

「反省出来ないと、そう言うならば……」

 自身の内側を駆け巡り、炙り焦がして傷つけ続けている苦痛の情念を意識して掻き集める。

「させてやる。心の奥底から、確実にな」

 集める。混ぜる。()()()()()為に少しだけスペースを空けるイメージ。

「お前が今まで何をしてきたか」

 左手から、暴走した際に繋がったマーティンとの経路を開放する。

「他者に与えてきた苦痛と、それが更に生み出す物の意味を教えてやる。それを理解出来る他者の感性も貸してもらえそうだぞ」

 再び感応すると、マーティンが不気味な雰囲気を放ち始めた丘崎に動揺し、畏怖を払おうと悪罵を放とうとしているのを感じるが、

「お前の因業はグツグツ煮たっていい塩梅だ。……火傷では決して済まんほどににな。肩まで浸かって」

 負の情念の坩堝るつぼと化した自身の内側へと、マーティンの精神を引き摺り落としていった。

「堪能してゆけ……!」
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